角川「短歌」の「31音の扉」という特集は、短歌を詠むうえでの入門書的な性格と共に、「短歌とは何か」「短歌という詩形の特異性」「短歌の起源」など読み応えのある内容だった。佐佐木幸綱が総論を書き、以下、7人の執筆者と一つの記事が内容を構成している。
1、総論:佐佐木幸綱
短歌の抱える問題。
大嘗祭との関係や、神祇釈経等天皇制や短歌との関係。
音声から手書き文字、活字さらにはネットにいたるメディアの問題。
歌合せ・歌会・門人制度、結社など独特の社会性と文芸性の関係。
これらの中で「短歌の私性」に限って論じられている。一部抜粋する。
「短歌は一人称詩であるか、短歌における私性はどうなっているのか」
「短歌史は、①短歌が一人称詩でない時代には一人称詩であろうとし、②一人称詩に馴れ切ってしまった時期には、一人称詩から脱出しようとしてきた。」
「①は明治20年代に始発した『短歌革新運動』。②は昭和20年代に始発した『前衛短歌運動』、ということになる。」
(=①については詳しく論じられ、「常陸風土記」「万葉集」「新古今集」「現代短歌の伊藤一彦、栗木京子、光森裕樹」を挙げて、②との関係が論じられている。内容としては小西忍一の『日本文学史』の『俗と雅の定期交代説』に近い。)
2、短歌の殺法:小池光
提案が三つ。
「5・7・5・7・7の定型を守ること」
「自分の作った歌が自分の意図通りに読者に通ずるか、通じないならどうして通じないのか、という内省がいつも必要である。」
「内容をごくシンプルに単純に絞って余白を生かすようにする。」
(=短歌の基本と言うべき事だが、もう少し別の角度から論じて欲しかった。物足りない。)
3.定型の魔力:穂村弘
「意味とリズム」「短歌作品においては、言葉の意味のレベルで記述された内容が、リズムによって現に表現されることがある。両者が相乗効果を生み出すところに詩形の特徴があるかと思う。」
(=表題とは裏腹に、リズムの問題は詳しいが、内容の軽さは覆うべくもない。穂村らしいと言えばそれきりだが、内容の問題にもっと焦点を当てるべきだろう。穂村の軽さが丸出しだ。)
4、短歌の始まり:岡野弘彦
文字以前から万葉初期の短歌形式の始原について。謂わば短歌のルーツ。これは必読。
5、俳句と短歌はどう違う:櫂未知子
「俳諧の時代を含め、俳句は短歌に比べて歴史が浅い。しかし、初学の頃はやたらと季語を覚えなくてはならず、しかも実作で試さねばならず、とにかく手間がかかる。」
「短歌の7・7の恩恵や季語からの解放は羨ましい。それでも、制約だらけのごく狭いスペースだからこそ生まれるものがあるはずだと、多くの俳人は信じているはずである。」
(=俳人からの発言だが、短歌のことをもっと知っている俳人に、執筆して欲しかった。)
6、コラム:
森比左志(「創生」創刊と編集の思い出話。=あまり興味を持てなかった。これは感想文 だ)
春日真木子「私にとっての最大の関心事は、私自身である。他の人とは置き換えの出来な い、かけがえのない人生を歩む自分の存在である。短歌を作るとは、そんな 私と対面し、対決してゆくことである。」
(=総論の佐佐木幸綱の文と照らし合わせると、面白い。)
7、日本全国名歌探訪
一都一道二府四十三県に一首ずつ短歌の紹介。現代版「歌枕」ということだろう。
8、今注目の若手歌人:藤原龍一郎
内山晶太の歌の紹介:抒情詩としての「さびしさ」に焦点を当てている。
9、平成25年の短歌史:篠弘
「大正世代の他界」「些事:私事の深化」「文語・口語の併用」「中堅女性の熟成」
「二大震災に遭遇」「前衛短歌の見直し」の6節からなる。
(=これは詠んでいて面白かった。)
10、現代の名歌100首選:大島史洋
(=現代の一線級歌人の平成の作品から。これは必見。)