・今朝の朝の露ひやびやと秋草やすべて幽(かそ)けき寂滅(ほろび)の光・
「左千夫歌集」1912年(大正元年)作。
まず伊藤左千夫と島木赤彦・斎藤茂吉・古泉千樫・中村憲吉らとの確執についてまとめておく。
「左千夫は、その人柄や態度、また指導者として、いろいろ青年層に食い足りない点があった。」(片桐顕智著「斎藤茂吉」)
「この対立では茂吉の側の作歌理念の相違に因るものであり・・・」(新潮文学アルバム「斎藤茂吉」)
「伊藤左千夫:左千夫自身は没する数年前から、これらの弟子たちと作歌の信念をめぐって激しい論争を重ねており、決着がつかないままに亡くなった。(大島史洋)」(岡井隆著「岩波現代短歌辞典」)
問題はどこに「作歌の信念」の違いがあったかである。
伊藤左千夫・斎藤茂吉の歌論・随筆を読むと、次の4点が浮かんで来る。
1・「写実」か「写生」か:
伊藤左千夫は「『写生』は絵画の用語であり、『写実』というべきである」とするのに対し、島木赤彦・斎藤茂吉は「写生」を強調する。子規も「写生」だった。
2・表現のなかの事実に対する考え方:
1から派生する問題だが、伊藤左千夫は事実に固執する。「短歌は人間生活の根本から流れ出るものである」という言葉にそれが表れている。それに対し、島木赤彦は「シミジミした情緒の影を追ふ」と言い、茂吉は短歌は直ちに自己の『生きのあらはれ』でなければならぬ。」と心理面に表現を広げようとする。
3・表現における詩的飛躍と技巧について;
斎藤茂吉と島木赤彦は新境地を拓こうとして「短歌は技巧」、言葉の詩的飛躍を求める。それを伊藤左千夫は否定する。そこで左千夫の選を経ない赤彦・茂吉の作品を左千夫は評価せず、茂吉は赤彦の、赤彦は茂吉の作品を擁護し、左千夫の選により左千夫が推奨する作品を「旧態依然」と批判する。
4・表現内容と声調の関係:
斎藤茂吉と島木赤彦は「声調は表現内容による」というのに対し、伊藤左千夫は「声調と内容のどちらをとるかと言われれば、予は断然声調を選ぶ」と内容と声調を分離して考える。
だが冒頭の一首は、上の句が「実景」下の句が「主観」となっている。伊藤左千夫にとっては、大きな心境の変化である。みずからが1~4を放棄したに等しい。おそらく、茂吉らの若手との論争がもたらした変化であろう。茂吉にしても同様である。左千夫との論争を通じて自らの歌論を固めて行った。
伊藤左千夫のこの作品を読んだあとの感動のさまにそれが表れている。
「『ほろびの光』5首は、もっと自然界に滲徹したもので、寧ろアララギの新運動と相通ずるのであるが、翁(=左千夫)の大力量は、寧ろ翁の作物と相対立して居るものの感があった若手の作物を追い越して既にかくの如き歌を作り遂げたのであった。・・・翁一代の傑作の一つと謂ふべきである。」(「アララギ」昭和8年1月号)
伊藤左千夫の歌境の著しい深まり。冒頭の作品が、伊藤左千夫の最高傑作といわれる所以である。