・火消壺に燠を収めて眠るときあきらめに似て一日終わらむ・
1940年(昭和15年)作。「歩道」所収。
佐藤佐太郎は小学校卒業後、大正13年に兄を頼って上京。正則予備学校に在籍するも、しばしば図書館に通って詩集などを中心に熱心に読書した。その後神経衰弱を病み帰郷。翌、大正14年に岩波書店に就職。一人暮らしを始めた。
その後アララギに入会、働きながら「国語伝習所」へ通い、そして再度の神経衰弱。都会での一人暮らしになかなか慣れなかったようだ。
ここに挙げた作品は志満夫人と結婚。長女が出生した年のもの。アララギの新進として注目されはじめたとはいえ、帝大出の歌人の少なくないアララギのなかでは肩身の狭い思いもしたようだ。
火消し壺に燠(おき)を収めるのだから、就寝の直前。「あきらめに似て」ということに一首の核心がある。「あきらめた」のではない。「あきらめに似て」なのである。ここに都会人の傷心・燥焦を静かに抑える感情・孤独感を読みとるのは、そう難しいことではないだろう。
佐藤佐太郎の初期の秀作だ。
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