・みづからのめまひのごとく揺りそめて終わる地震(なゐ)ありいたく寂しく・
「形影」所収。1969年(昭和44年)作。岩波文庫「佐藤佐太郎歌集」159ページ。
佐藤佐太郎の作品には「事件」に取材した作品が少ない。それは「自己凝視」を作歌の基本としたからである。分かり易く言えば、「事件を詠うなら、新聞の記事を読んだ方がいい。」ということになる。「新聞記事の見出しのような短歌を作っても意味はない」とよく言われる。ここがまた伊藤左千夫との違いでもある。
この作品も正確に言えば、地震そのものを詠んだものではなく、主題は作者の心情である。
今回の大震災のせいで、地震を詠んだ作品が数多く作られるだろう。しかし問題はそれをどう自分に引き寄せるかだ。それがなければ他人事になってしまう。
この一首の場合、初句と二句の比喩表現と結句の「いたく寂しく」が自らの体験や実感としての詩情があらわれる。
茂吉の関東大震災の歌が他人事になっているのは、遠き留学先で新聞記事を読んでそのままを作品化しているからである。佐太郎の純粋短歌論には「体験」という一章があるが、「自らの体験」として表現することによって、「われ」に引き付けることが出来る。
地震を眩暈のように感じるというのはやや線が「かぼそい」感じがするが、1966年(昭和41年)に病気入院して、そのまま越年してから佐太郎は自らの老いを急速に感じ始める。地震を眩暈のように感じたのは作者の偽らざる実感だろう。
岩波文庫「佐藤佐太郎歌集」では、この一首の前に次のような作品がある。
・とりかへしつかぬ時間を負う一人ミルクのなかの苺をつぶす・
明かに老いの詠嘆だが、「老い」や「病名」、足が痛いとか腰が痛いといった言葉がない。だから愚痴になっていない。短歌の場合こういった心掛けが必要だろう。
なお1960年(昭和35年)5月にチリ地震による三陸津波があったが、これを佐太郎は作品の題材とはしていない。自ら目撃した「安保反対集会」の方は作品化している。このあたりに佐藤佐太郎の作歌姿勢が窺えるし、伝聞で関東大震災を詠んだ茂吉との姿勢の違いの一端とも言えるだろう。