岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

短歌・日本語・斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・社会・歴史について考える

かろうじて焼け残りたる楼閣の鐘のなるとき池の水うごく

2009年09月18日 05時39分32秒 | 岩田亨の作品紹介
岩手県平泉に残る毛越寺の浄土庭園。手持ちの資料では、「現存する唯一の古代末期の庭園」とある。

 大きな寺だったが、残っているのは浄土庭園だけ。広い池と石組が整備されていた。かつて架かっていた橋の橋脚らしきものが歯のぬけた櫛のように、池の中心に向かって一列に並んでいた記憶がある。

 建物は小さな山小屋のような僧坊と、池の向こう岸に鐘楼があるだけだった。静かだった。

 「池を一周してみよう。」と誰かが言いだして、数人で池のまわりを歩いた。一周するのに15分か20分くらいかかった。

 不意に鐘が鳴った。小さい鐘らしかったが透通るような甲高い音だった。鐘が鳴ったからといって池の水が動くわけがない。理屈の上ではその通りだが、水が動いたかと思うほどの澄んだ音が広い境内に響いた。

 鐘楼のところまでやってきても、誰が鐘をついたかははっきりしなかった。

「いい音だったな。」

「小さい鐘なのにね。」

会話はそれだけ。とにかく静かだった。それだけにひときわ鐘の音の美しさが印象的だった。


 「運河」誌上に投稿したが、<選歌余滴>に批評文が載った。

「寺がある。戦乱をくぐって残った寺である。静寂を破って鐘がなった。静と動。その対照の効果を思う。」

というのが選者の言葉だったように記憶している。鐘の音を聞いてから一首を詠むまで20年近くの時間があいているのだが、茂吉はこう言っている。

 「写生といっても、その場で詠まなければならぬということはない。何年もたって、時には十数年経て一首になるときもあるのだ。」

 「写生はその場で詠まなければならないから、詠む対象がせばまる。」といった与謝野晶子の言葉への答えの一文にそうあったように覚えている。




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