岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

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平和憲法の歌:尾崎左永子の短歌

2018年09月30日 00時00分30秒 | 尾崎左永子(長澤一作・川島喜代詩)の短歌を読む
『尾崎左永子短歌集成』(沖積舎)2018年刊より。


・平和憲法破られんとし戦争に生き延びし吾の脳髄痛む(2015年『短歌』11月号)


 平和憲法とは日本国憲法である。この場合、憲法九条をさす。それが破られようとしている。この時に当たり戦争体験者の作者の脳髄が痛むというのだ。


 作者は東京大空襲を体験している。焼け跡の黒焦げの赤子の死体をまたいで避難したそうだ。女子大では担当の教員が煎り豆を持ってきて、学生が分け合って食べたとも言うし、いつでも防空壕にはいれる心の準備をしながら大学の授業を聞いていたとも言う。


 そういう作者だから、憲法九条の価値が身に染みているのだろう。復員兵の援護活動もしている。また後年、ボーボワールの講演を聞きに行ったとも言う。


 こういう社会に対して張られたアンテナが、この一首の背景にある。初句と二句が破調で、憲法が破られようとすることへの並々ならぬ、激しい思い、身を切られるような思いが表現されている。


 2015年と言えば、東京新聞が「2015年安保」と名付けた年だ。「安保関連法」(戦争法)を巡って、国会前で度重なる集会が行われていた。特に八月は「国会議事堂包囲」の集会に12万人が参加した。『短歌』の締め切りが作品の製作時期と重なる。


 「時事詠」は難しいと言い、「時事詠」は残りにくいといい、「私は戦争反対と叫ぶ人間ではない」と反戦運動とは距離を置く作者。その作者をしてこの作品を詠ましめた。大きな時代の状況が、その背景にある。そしてこの状況は続いている。

 これを『全歌集』の補遺「鎌倉山房雑記」に収録したのは、作者が世に残しておきたい作品と判断したのだろう。そこのも作者の思いの深さが感じられる。




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