・かすかなる鱒(ます)といへども落雷に生きのこり体曲がりて泳ぐ・
「群丘」所収。1961年(昭和36年)作。
奥日光での作。先ずは佐太郎の自註から。
「晩秋、奥日光に遊んだときの作が多いが、これはそのうち農林省(もと宮内省)養鱒場の一首。知人が居て、ここに一泊した。発育の順にわけて養魚池がいくつもあるが、なかに体の曲がっているのもいて、哀れに思って人に尋ねたのであった。素材の珍しい歌である。」(「作歌の足跡-海雲・自註-」)
珍しい素材には違いない。が首を傾げたいところがある。「かすかなる鱒」はわかる。「かすかに小さな命を持つ鱒」ということだ。「落雷に生きのこり」がわからない。養殖池に落雷があったのか、だが池に落雷するという話は聞かない。雷は尖ったところに落ちるという。何か塔のようなものがあったのか。「生きのこり」もやや曖昧だ。その鱒が生き残ったということは他の鱒は死んだのか。
この養殖池。たしかニジマスの養殖池(ヒメマスは天然もので、しかも漁期が定まっている。中禅寺湖の場合。)で、変電設備が隣接していた覚えがある。菖蒲が浜の近くだ。中禅寺湖の湖畔には「菖蒲が浜」「千手が浜」などの地名がある。
とすると、その変電設備に落雷があって、その電流が一匹の鱒をうって、奇蹟的に生き残ったが体が曲がっている、ということか。おそらくそのような前提があるに違いない。ただこの一首からはわからない。もし僕ならこうする。
・雷(かみなり)に打たれてもなほ生きをりし鱒の体の曲がれるあはれ・
・ときならぬ雷(らい)にうたれて生きのこり泳げる鱒の曲がれるあはれ・
つまり「雷にうたれて」をどこかに入れないと意味が曖昧になるのだ。入れないと「追加説明のいる歌」「読者に感じるのを強いる歌」になってしまう。
これは佐太郎にしては珍しい「素材負け」した歌である。素材負けとは「素材によりかかった歌」である。
このときの「奥日光の歌」を歌集に12首収録している。原案はもっとあったろうから、連作をしているうちに「その気になった」のか。一首の独立性をさかんに強調した佐太郎だが、こういう作品も公表してしまったのだ。
佐太郎も人の子であると思うと、何やらほっとする。
岡井隆はこういう。
「歌はいつでも、作者の私的記録である側面をもっている。」(岡井隆著「短歌の世界」
私的記録であればあるほど、作者にしかわからない作品になる可能性がある。表現の曖昧さと詩的印象の広がりは違うということを肝に銘じたい。