沖縄辺野古を歌う。
・飲み込みし言葉のいくつ噛みしめて辺野古の海の埋め立てを見つ
「星座」に掲載予定。
追体験だが僕には戦争体験がある。祖父母、父母より聞いた体験談である。詳しくはエッセイを読んで頂きたいが、広島、長崎、8・15と詠んできて、沖縄の歌だけは詠めなかった。歴史を知れば知るほど、言葉を失ってしまうのだ。
ところが今、沖縄辺野古では大変なことが起こっている。世界一危険な普天間飛行場の返還の代替施設としてキャンプシュワブ近くの辺野古で基地建設の埋め立て工事が進んでいる。
しかし是には問題がかなりある。沖縄の民意は明確だ。「基地は作らせない」。非暴力で坐りこむ人々を「テロリスト」扱いするものもいるが、これは逆だ。非暴力で坐りこむ人たちを、暴力的に排除しているのは、警察機動隊だ。国家による暴力ともいえる。
ホワイトハウスには「県民投票がおわるまで、埋め立て工事を止めて欲しい」というネット署名が20万以上集まった。国際的にも批判が上がっている。沖縄の問題は国際的人権問題と捉えられる場合も多い。その象徴が辺野古だ。普天間より辺野古が沖縄の抱える基地問題を示す地名として残るだろう。そこで辺野古の名を詠みこんだ。
広島、長崎は原爆の投下の地名として残るだろう。辺野古もまた沖縄の基地問題の象徴として。
ここに至るには様々考えた。それを「言葉を飲み込み、噛みしめる」と表現した。「反対」という言葉は使っていないが余情が残るように工夫した。沖縄を題材にするのは僕には初めて。この次はもっと異なった表現ができそうだ。