・青々と晴れとほりたる中空(なかぞら)に夕かげり顕(た)つときは寂しも・
「群丘」所収。1960年(昭和35年)作。岩波文庫「佐藤佐太郎歌集」115ページ。
この作品は自他ともに認める佐太郎の代表歌の一つで、佐太郎自身何度か自註を加えているし、他の書籍でも採りあげられている。
先ずは自註から。
「地上に物の影がたつのは普通のことだが、これは何の障碍(しょうがい=支障)もない晴空にありありとものの影が見えるところである。たえず注意していれば、こういう対象に逢遇することもある。こういう現象はしばしばあるのではないが、澄んだ冬の日などによくある。単なる偶然は私は歌にしない。」(「作歌の足跡-海雲・自註-」)
「冬の晴れた夕空に影のやうなものが見えることがある。底もなく晴れた青空に見えるのを私ははじめて注意して一首にした。森歐外に< 大発見 >といふ小説があるが、私にとってかういふものも発見であった。」(「及辰園百首自註」)
佐太郎の叙景歌の特徴のひとつがここにいくつかある。
第一。作者の発見。これは作者の価値観が強く影響する。同じものを見ても、気づく人と気づかぬ人の違いがある。全く異なるものに注目する場合もある。吟行会をすればそれがわかる。またそのときの作者の心情が影響する場合もある。茂吉も「(作歌に当たっての)捉へどころ」という正岡子規の言葉を引用している。
第二。主観語。島木赤彦は極端に主観語を嫌った。その著書「万葉集の批評とその鑑賞」のなかでも、「主観語」を使うか否かで作品評価をしている。それに対して斎藤茂吉は主観語を遠慮なく使う。
・わが目より涙流れて居たりけり鶴の頭は悲しきものを・「赤光」
・雪のなかに日の落つる見ゆほのぼのと懺悔の心かなしかれども・「赤光」
などである。西郷信綱は「赤光」の主題を「かなし」、「つゆじも」の主題を「さびし」としたが、その主題自体が「主観語」だ。
第三。上の句の「晴れ」と下の句の「かげり」。塚本邦雄のいう「二者衝突法」である。読者はここに「転換点」を感じ取る。岡井隆の言う「あれそうなっちゃうの?」という構造だ。茂吉の「赤光」の作品群にはこうしたものが多い。
佐太郎のこの一首はそういう茂吉の側面をついだものと言えるだろう。
由谷一郎はこう言う。
「後に、陸放翁の詩に< 五十歳くらいになって漸く悟って壮大の境地を知った >というのがあるということを記しているが、ここでこういう作に出合うとその言葉が思い出される。」(「佐藤佐太郎の秀歌」)
初期には都市生活者の孤独などを積極的に詠んだ佐太郎だが、「地表」「群丘」以降はこういった叙景歌が詠われる。「純粋短歌」の展開期といわれるころである。