・見るかぎり広き川原は石のみのあらあらしきに砂煙たつ・
・川の岸に風あたる音きこえつつ水なめらかに川は流るる・
「群丘」所収。1961年(昭和36年)作。
佐太郎の自註。
「『大井川河口』は、伊良湖岬に行く途次に寄り道をして見たのだった。ごろごろと石だけの広い川原だが、そこに砂煙が立つのが、風の強いことを思わせた。川岸は、低い断崖のように砂利層のきりたったところであって、そこに片寄った川の流れがあった。断崖は風音を切っているのに、早い流れはかかわりなく『水なめらかに』流れている。もし、不思議といえば、そう言ってもいい感じだった。その感覚は今でも悪くないと思う。そこまで受け取ってくれることを読む側に希望したい。」(「作歌の足跡-海雲・自註-」)
「強い風」と「なめらかな水」。例のニ物衝突法だ。「象徴詩的表現」であり、佐藤佐太郎の作風を「象徴的写実歌」と呼ぶ所以のものだ。
佐太郎は「新風十人」のうちの一人だが、その「新風十人」が「象徴技法」を用いたのは、「岩波現代短歌辞典」(岡井隆監修)の「短歌滅亡論」の項目に篠弘が書いているように、1937年(昭和12年)の「第3の滅亡論」対する「反発」だった。
また、大井川河口の歌には他に次のようなものがある。
・海の波たえずくだくる寂しさよ河口(かはぐち)にある対岸の砂・
・海ちかく広き川原は風のなか長橋みえてゆく人もなし・
一首目には「寂しさよ」で主観が表現され、佐太郎独特の表現方法である。二首目は主観をまじえない叙景に徹した歌だ。徹底した「客観写生」に徹することができたのは、佐藤佐太郎の強みのひとつである。