岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

短歌・日本語・斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・社会・歴史について考える

2011年の作品より5首抄出

2011年12月04日 23時59分59秒 | 岩田亨の作品紹介
2011年の作品から五首選んだ。

・突風にわが部屋の梁きしむとき窓にむかいて寝返りを打つ・

・幾日かひそやかに雨降り注ぎ水無川にみずは渦巻く・

・灰色の壁となりたる沖の波せまる荒磯(ありそ)に遊びきわれは・

・草生(くさふ)なき広き砂地はゆうぐれて眩しきまでに泉が湧けり・

・偽りを言うにあらねど装いて生きる気のする深夜12時・


 一首目から三首目までは「短歌研究」2011年12月号の「年間歌集」に選ばれたもの。

 斎藤茂吉は箱根の強羅に山荘をもっていた。山荘と言っても食糧を持ち込んでの自給自足生活だったが(岡井隆著「茂吉の短歌を読む」)、僕もつい最近まで夏と秋、それに年越しは同じようなことをしていた。日光の霧降高原で、10日以上過ごすこともあった。食材は現地で買うこともあったし、車に積んでいくこともあった。

 実は一首目、二首目、四首目がその時に作ったものだ。

 一首目。寒さのためか秋冬は天井からバリっという音が聞こえる。山奥ではないが高原で夜は深い闇に閉ざされる。不気味だ。目が覚めて寝がえりを打つ。ある恐ろしさを感じるが、感じるというのは生きている証だろう。死ねば恐ろしさも何もない。ついでに言うが、この恐ろしさは何者か(人間)が突然やって来るような感覚。僕はお化けは怖くない。お化けより人に害を加えるのは人間だ。実体があるだけにこちらのほうが始末に悪い。

 二首目。奥日光の光徳沼。普段は水無川で泉が湧いているだけだが、雨が例年になく多かった年、川のようになって水が流れていた。ただこれは何年も前の事だから、近くの川沿いの道の記憶と交錯、或いは記憶の変容があるかも知れない。いずれにせよ事実にもとづいている。

 三首目。浜岡原発が出来る直前の御前崎。浜岡砂丘でひとしきり遊んだあと、引き潮の磯浜で遊んだ。家族は夢中になっていたが、僕は沖ばかり見ていた。やがて満潮がやってくる。そのほうが怖かった。

 ついでに言うが、あの砂丘は津波を防げない。「砂丘があるから津波を防げる」という中部電力の説明は、砂丘に行ったことがないか、行ったことがあっても砂丘のもともとの状態を知らない人の言い方だ。多少の植林をしても、あの砂丘は大きな砂山にすぎない。津波が来たら、海水とともに大量の砂が原発に襲いかかるだろう。

 四首目。「運河」の作品批評で「実在のものではなく幻だろう。幻想的な作品である。」と評された。しかしこれは光徳沼の夕暮れの実景だ。この批評は間違っているのだが、これを最高の賛辞と僕は受け止めた。「象徴、神秘。これらは写生をすることによって、おのずから現われるもの」という斎藤茂吉の歌論を実証しえたからである。

 五首目。これも夜眠れない歌だ。どうも僕は慢性的睡眠不足らしい。病気療養にはいった今でも、睡眠は不規則だ。


 斎藤茂吉の山荘にこもった時の作品をいくつか挙げておく。

・あきらけき月の光に見ゆるもの青き馬追薄(うまおい・すすき)を歩く・「寒雲」

・雲ひくく垂れて気立に入るときに睡眠は吾を迫(せ)めてやまずも・「同」

・鈍痛のごとき内在を感じたるけふの日頃をいかに遣(や)らはむ・「小園」

・赤肌の太樹(ふとき)に近く吾居りて心しづまるをゆるしたまはな・「同」


 斎藤茂吉は「写生はすなわち象徴に繋がる」と言った。また「象徴・幻想これらは写生を突き詰めれば自ずから現われる」とも言った。これを永田和宏は特に前者について「そこの落差に一切の説明がない」とし、(岡井隆ほか著「斎藤茂吉-その迷宮に遊ぶ」)これを茂吉の分かりにくさとしている。つまり「写生→ ? →象徴・幻想」の間(あいだ)が抜けているとするのだ。だが、これは言葉では説明できないものだと僕は思う。

 僕自身、知らず知らず作品が「象徴派に似ている、幻想的だ」と言われたことが何度もある。だがそれらは「象徴や幻想を狙った」のではなくて、批評されて初めて気づいたことだ。短歌の歌論は化学反応式や方程式や数学の公式ではない。






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