斎藤茂吉は森歐外の歴史小説について次のように述べている。
「『大塩平八郎』には、『かえり忠』の思想を寓し、『最後の一句』には『献身』、『マルチリウム』の思想を寓し、『高瀬舟』では、『富の観念』、『ユータナジイ』の思想を寓している。」
小説の思想性を見ているのだ。思想とは作品の主題、読者である同時代人の「現代的課題」に対する判断や評価、問題提起を示している。森歐外の歴史小説は、過去を描いているが、そこに現代の目があると茂吉は言う。
さて NHK の大河ドラマ。これを見るようになってから、何年になるだろうか。その間にとりあげられた時代で最も多いのは戦国時代。織田信長・豊臣秀吉・徳川家康を幾度と見ただろうか。
今年の主人公は「江(ごう)」。江戸幕府の二代将軍徳川秀忠の妻、淀殿の妹、織田信長に滅ぼされた浅井長政の三女、と様々な顔を合わせ持つ。
文書(もんじょ)に残っている名は「江」だけ。だから「お江与」「おえよ」「おごう」「お刧」など様々に表記されて来た。姉の文書(もんじょ)には「よと」と残っているから淀殿も以前は淀君と言われてれていた(もともとは産所ちして秀吉から淀川沿いに淀城を与えれれたのに由来する)。秀吉の正妻の北の政所の名も残された手紙に書かれた名は「ね」の一文字だから、「ねね」「おね」「ね」などと呼ばれて来た。
この時代に限らず前近代の女性の名は正確に残っているのは、まれといってもよい。「・・・の女(むすめ)」「・・・の妻」。「・・・氏」というのもある。枕草子の筆者・清小納言も、父親が清原氏で小納言の位にいたから、そう呼ばれたのだ。その生涯もよく分からないことが多い。
実は男性もそうなのだ。名前こそ分かっているものの、経歴はよく分からない場合が多い。そこで残された文献資料を集めて空白を埋めていくのが歴史学の手法となる。ドラマは創作だから、それにも増して原作者・脚本家によってかなり人物像の描き方に違いがある。
今回の「江(ごう)」にもそれがあらわれている。従来の登場人物の描き方とはやや異なる。
先ず柴田勝家。従来は無骨者の猛者に描かれていたが、今回は人情味のある子煩悩に描かれている。
豊臣秀吉。前半は騒ぎ過ぎと思ったが、一番驚いたのは、死に追いやった養子の秀次の亡霊に怯えるところは、かつて描かれたことはなかった。
その豊臣秀次。従来は力のない腑抜けもの、ひ弱なものに描かれることが多かったが、堂々と秀吉に意見し、最期は達観して死を受け入れる。
千の利休。秀吉から死を命じられるのだが、その理由が謎とされてきた。20年ほど前に、利休の死を題材に2本の映画が公開されたが、そのうち1本は、弟子が謎を追うという内容だった。今回は関白という世俗の権力に対し、美を追い求めるものが最後まで意地を貫く設定だ。
徳川秀忠。従来は影がうすかったり、軟弱だったりすることが多かった。今回は、若い時には家康と距離をとり、斜に構えていたが、大阪の陣をさかいに現実主義者にかわって行く。
淀殿は純で、秀頼には威厳がある。徳川家康はかなりダンディだ。かつて描かれなかった人物像だが、まあ娯楽時代劇という性質が強い。
歴史学の成果では、この時期を「封建結集」と呼ぶ。下剋上が激しく、それを止揚するために、大名たちが時の実力者のまわりに集まり、農奴制と身分秩序を強固にしていく過程なのだ。そして勝ち残った徳川氏と大名が幕藩体制という社会経済の体制を成立させる。将軍を頂点としたピラミッド構造の武士階級が、農民を支配する構造が出来上がる。
ちなみに岡井隆は連作によって「思想」「歴史」を読むのが可能だと伊藤左千夫や土屋文明の作品や歌論を引用していう。(岡井隆著「現代短歌入門」)また連作によって、物語性も表現できるという。短歌も歴史小説同様の創作活動だ。
歴史小説のドラマ化の場合、その時代の個人をどう描くかは、その原作者、脚本家の歴史観によって全く違う。残っている史料から余白の部分を推測・創作しているからである。そこにドラマが成立する余地がある。
年末に放映される「坂の上の雲」もそうしたフィクションだ。司馬遼太郎という作家の歴史観にもとづいて再構成された時代像だ。それをさらにドラマ化するのだから、実相とはかなりの差が出来る。ドラマの中で、香川照之が演ずる正岡子規が独特で、ところどころ重要なことが欠落しているのは、「カテゴリー/作家・小論」の「正岡子規・小論」の記事にしてあるので、そちらを参照して頂きたい。