屎尿の臭いのする歌 佐藤佐太郎の短歌
・秋日照る古都をよぎりて屎尿(しにょう)の香ただよふちまたかなしかりしか
『冬木』所収。
1970年(昭和45年)作。まず自註から。
「『古都』は、古い都、今はどうか知らないが、水洗便所が普及していないところもあった。時間によって町の辻などで、くみ取りの匂いがかすかにすることもあった。一種悲劇的な古都の香として感じた歌である。『秋日照る』が働いているだろう。」
『作歌の足跡ー「海雲」自註ー』
佐太郎の言う「働いている」というのは、一首を際立たせているという意味だ。古都京都に遷都されたのは794年。それから明治まで、1100年近く都があった。その長い期間には、戦乱があり、陰謀や政変があった。疫病のため多くの人が死んだ。
見方を変えれば、古都は悲劇の舞台である。そういう香りを佐太郎は感じた。凡人には思いつかない発想だ。
この発想の独自性と、きたないものでもそこに美を発見し、美しく詠んでしまう。これが佐太郎短歌の特徴の一つである。
「美しくなければ芸術ではない」とは坪野哲久の言葉。佐太郎の美意識とこだわりの感じられる作品である。
佐太郎門下では、のちのちまでの語り草となったそうで、
弟子が「先生、あのときは臭かったですね。」と言うと、
佐太郎は「あの時は臭かったぞ。」と言って豪快に笑ったと聞いた。
あまり語られない作品なのでここに紹介する。
穂村弘の
・サバンナの象のうんこよ聞いてくれだるいせつないこわいさみしい
と比べると、両者の感受性、美意識の違いが感じられて面白い。