「うた新聞」1月号
巻頭評論 永田和宏「歌壇を相対化する目を」
「(小高賢の死を悼み)小高は歌壇の外側に意識的に身を置こうとしてきました。それを卑怯だと詰めたこともありました。・・・今まさに形を取ろうとしている秘密保護法、解釈改憲をもとにした集団的自衛権の問題、それらは戦後最大の転換点であることには間違いありません。作歌という行為のなかでそれをどう意識化していくか、それが問われているのでしょう。・・・おそらく小高賢が持っていた問題意識はそこにもつながっていたと思われてなりません。」
歌壇時評 清水正人 「短歌と虚構」
「(肉親の死の虚構が短歌で許容されるかについて)石川美南は『大事なのは作品としての必然性があるかだ』と述べ、『20代の作者が父の死を最大限創造したことで(略)彼なりの葛藤が描かれている』と容認する。・・・~しなければならないという雁字搦めの日常からほんのひととき、ささやかに浮上するための想像力の翼。・・・言葉そのもの内包する可能性にブレーキを掛けてはならない。」
「現代短歌新聞」1月号
回顧と展望 外塚喬 「新人に期待したい」
「(父親の死の虚構について)石井の作品の優劣ではない。人間性の問題と言ったら言い過ぎだろうか。・・・歌における虚構では越えていい線と越えてはならない線がある。・・・特に人間の生死や思想に関わることにはもっと敏感になってよいはずだ。」
歌壇展望 阿木津英 「創作者であるということ」
「平成の治安維持法と言われる秘密保護法が可決されたのも、東日本大震災の2年後のこと。表現者にとって試練の時代がやってくる。歌を作る一人としてどうあったらいいか、どう生きたらいいか、どう生き凌ぐか。その身構えの仕方を考えないではいられない。」
このうち阿木津英と永田和宏の論評に頷いた。歌壇が時流に流されずに、秘密保護法などに異議を唱えるのはこれから必要となるだろう。僕が「うた新聞」の去年の9月号に「意思表示」5首を寄稿したのはそこに意味があった。やっと歌壇で、こういう発言が出始めた。
その意味で、肉親の虚構の問題は「歌壇の自己規制」「歌壇のタブー」にすべきでないと考える。外塚喬の言い様は、自身の言う通り言い過ぎだ。全ては作品としての完成度の問題だ。歌壇のルールが、表現の幅を自ら狭めてはならないと思う。
朝日新聞の1月1日号に次の作品が掲載されたのも、紹介しよう。
・太郎を眠らせ次郎を眠らせ白き雪ふり積む秘密保護法 高野公彦
・まさかそんなとだれもが思ふそんな日がたしかにあった戦争の前 永田和宏
【しばらくの間「現代短歌新聞」「うた新聞」の記事が逆になっていました。お詫びして訂正します。】