ブナの木通信「星座」84号より
事実を事実として詠むリアリズム又は写実短歌で良い歌とは何だろう。人間や情景描写の裏に、ドラマ性が潜んでいるものと、この頃考えるようになった。
今号の作品群、23名の計138首を選んでいて、それぞれの作品の背後のドラマが見えるようだった。
(涙のこみ上げる歌)
何があったかは分からない。だがひどく傷ついたのだろう。背景の想像が膨らみ共感できる作品。
(記憶に封じていた悔しさを感じる歌)
余程、悔しいことがあったのだろう。それを封じている。忘却が一つの救いになることはある。雨の音がそれを蘇えらせるのだろうか。
(映画の余韻にひたりながらペアリングを買った過去を回想する歌)
昔の恋人との記憶。ご夫君だろうか。どこでどんな映画を見たのか。人間のドラマが浮かびあがる。
(窓の開かない都会の家の歌)
近隣の家だろうか。人が住んでいるのか、いないのか。都会に生きる人間の孤独だ。
(子供らが寝ながら寄り来る歌)
子の一首子どもらと作者のドラマ。子らを愛おしむ作者の心情がよく表現されている。
(川向うのビルの照り返しの初日の出を見る歌)
都市詠である。都市生活者の情感が、独特の切り口で作品化された。
(晩夏の光のなかで木のしたに立つ歌)
まばゆい光の中で、作者は水中の魚が口を開閉するように坂の上の樹の下に立つ。直接は書かれていないが、何か重くるしいものを抱えているのだろうか。
(闇にすくっと立つ曼殊沙華の歌)
曼殊沙華は闇夜に伸びると聞いた作者。その咲き方に人間としての生き方を重ねているかに思える。そうでなくても、咲く花の様子が目に浮かぶ。
人間や自然のあり様が活写されている。
【付記】斉藤茂吉や佐藤佐太郎の作品を読むと、登場人物の生き方にドラマが感じられる。語感に配慮し、表現がシンプルだ。斉藤茂吉や佐藤佐太郎の歌論を読んでも。「経験」の重要性が語られ、作者が感じたドラマを表現しようとする意志が感じられる。シンプルで、フィクションも許容したのが、リアリズム短歌との違いである。これはアララギの事実に基づくべきだという方向とも違う。