・切尖(きっさき)の光るものなべて怖れゐし午後過ぎて夕べ草に降る雨
「鎌倉もだぁん」所収
日常詠である。これも「NHK歌壇」で紹介された一首。
「切尖(きっさき)の光るものなべて」とは、「切尖(きっさき)の鋭く尖った包丁など」と番組で作者が述べていた。「なべて」は「おおよそすべて」の意。
「包丁・千枚通しなど、切尖(きっさき)尖るものは、今でも苦手」だそうだ。
「切尖(きっさき)の光るものなべて」とは、一見曖昧はようだが、個別具体的なもの」を捨象しているのだ。佐藤佐太郎の言う「表現の限定」。
それを作者は今でも心の底で苦手意識をもっている。いまでも「怖れて」いるのだ。下の句がその心情を象徴している。
過去の記憶にいまだにこだわっている。「表現の限定」「象徴」これを佐藤佐太郎から受け継いで作者の独自性を表出した、鋭い感覚の作品である。