抒情を掬う
短歌は抒情詩である。又、一人称の文学と呼ばれる。抒情とは喜怒哀楽。作者の心情を掬いとるものだ。
(鯖寿司を茎山葵で食べる歌)
鯖寿司は酢と塩で締めた鯖を載せた寿司。関西ではバッテラと言う。それだけで十分美味なのだが、そこに山山葵の辛みが加わる。歯応えもあるだろう。それをオノマトペで表現した。オノマトペは軽くなる傾向があるが、この一首ではそれが成功している。
(ボサノバを聞きながら検査結果を待っている歌)
病院の待合室であろう。ボサノバとはブラジルに始まった軽音楽。サンバがジャズ化したものだ。軽快なリズムが心地よい。病院の検査結果を待つのは緊張するものだが、それを耳を澄ませて心を落ち着かせている作者像が浮かぶ。
(眠さをこらえてチャイルドシートで手を振る幼子の歌)
自動車の後部座席の幼子がふたり。見送りの人たちに手を振るのであろう。その無邪気な様が伝わってくる。声が聞こえるようだ。
(被災地の水田の緑が濃い歌)
東日本大震災より年月が経った。復興の進む地域、未だ帰還のかなわぬ地域。地域により様々であろう。そこには数知れぬ人々のドラマがある。田の青き輝きは、すがすがしい筈だが、痛々しい思いが伝わって来る。
(水茄子を食べる歌)
(朝の山あいに靴紐を固く結ぶ歌)
(朝の木立のなかを歩む歌)
人間のドラマを感じる作品を最後にあげた。
【紙数の関係で批評出来なかったのでここで批評する】
一首目。水茄子は夏の食べ物。歯応えがいい。食べて重量感がある。季節感とともにそれを表現できた。
二首目。朝のすがすがしさ。作者の行為のなかに心理が表現されている。
三首目。朝はすがすがしい。しかも作者が文字通り地に足をつけて生きている。それまで感じさせられる作品だ。
