18日午前5時25分ごろ、大阪府吹田市津雲台7の府道大阪中央環状線で、スキー客を乗せて長野県から大阪市内に向かっていた「あずみ野観光バ
ス」(本社・長野県松川村)の大型観光バス=小池勇輝運転手(21)、乗員乗客計27人=が、道路脇のコンクリート柱(幅約2メートル)に衝突。小池運転
手の弟でアルバイト添乗員の雅史さん(16)が胸などを強く打って死亡、小池運転手と乗客2人の計3人が重傷、23人が軽傷を負った。
府警交通捜査課は、小池運転手の回復を待って業務上過失致死傷の疑いで事情聴取するが、長距離運行のバスの運転手が1人だったことが道路運送法施行規則や
厚生労働省基準に違反している可能性が高いとみて、運行管理について同社の下総建司社長(39)から事情を聴いている。小池運転手は昨年7月、バスの運転
免許をとったばかり。
調べでは、乗客は「サン太陽トラベル」(本社・大阪市中央区)が主催する「サミーツアー」に参加した主に近畿地方に住むスキー客(11~46歳)で、重傷は大阪府茨木市の男性(33)と堺市北区の女性(29)。
同社によると、バスは17日午後6時35分に長野県小谷村を出発し県内の計7カ所で乗客計36人を乗せ、午前5時ごろに京都市内で11人降ろした。その後、大阪市内の3カ所で残り全員を降ろす予定だった。あずみ野社との契約は、運転手2人が乗務することになっていた。
現場は片側3車線の直線。バスは左側車線を走行中に側道との分離帯に接触。はずみで方向を変え、一番右の車線脇にあるコンクリート柱などに衝突、前部が大破した。柱は道路に並行する大阪モノレールの高架橋の橋脚だった。
交通捜査課などのよると、あずみ野社は17日夜、4台のバスを長野-大阪間に走らせたが、事故車を含む2台で運転手の交代要員がなかった。事故を起こしたバスには当初、運転資格を持つ社長の妻(専務)が同乗していたが、運転はせずに途中で降りたという。
民間信用調査会社「帝国データバンク」によると、同社は00年設立で、従業員6人。小池運転手は社長の長男、死亡した雅史さんは三男。18歳未満の雅史さんの深夜勤務は、労働基準法に違反する可能性が高い。【田辺一城、菅沼舞】
◇初めから「運転が荒っぽい」と感じていた
家族4人が一緒だった大阪市平野区の女性(41)は、運転手も添乗員も若く、出発する時から不安を覚え、初めから「運転が荒っぽい」と感じていた。山道の
わりにスピードが出ていて横揺れが激しく、「万が一、横転なんかしたら嫌だな」と思ったので、隣の席にいた小学生の息子にシートベルトだけは着けさせ、女
性もシートベルトをした。しかし、その後は眠り、シートベルトも外してしまっていた。
突然、「ガリガリ、ガッシャー
ン」とものすごい衝撃音がし、乗客はみんな悲鳴をあげた。女性も前に飛ばされ顔を前の席にぶつけ、隣の席の息子は姿が見えなくなっていた。慌てて探した
ら、(衝突の)勢いで前の席の下に滑り込んでしまっていた。別の席に座っていた娘も頭を切って出血していたので、すぐに(携帯電話で)救急車を要請したと
いう。
この女性は「(観光バスを運行している)会社はどうして若い2人だけにバスをまかせたのか。普通、1人は年配の人が務めるのではないか」と批判した。
◇遺族、言葉少な
死亡した小池雅史さんの実家がある長野県大町市の団地では、玄関先で小池さんの家族の男性が「(小池さんを)迎える準備などがあるので……。お話しできる状況じゃない」と言葉少なだった。両親は事故後大阪に向かったという。【池乗有衣】
◇背景にはバス業界の競争激化
今回のバス事故では、1人の運転手が交代なしに夜を徹して500キロ以上を走った疑いが強い。背景には、バス業界の競争激化に伴う運転手の劣悪な労働環境
が浮かんでくる。規制緩和の流れで00年に道路運送法が改正され、観光バス事業が免許制から許可制に変わり、新規事業者が相次いだ。事故を起こした「あず
み野観光バス」も00年7月に設立された新規参入組で、家族経営に近かった。
事業者増による競争激化でバス会社が低運賃を受け入れ、そのしわ寄せで運転手が過重労働を強いられるケースも増加。同省は昨年6月、ツアーバス運行の適正化に向け、長時間労働の禁止や最高速度の順守などを徹底する通達を出した。
ところが、小池勇輝運転手は長野県小谷村を出発し500キロ以上の道のりを7時間余りで走り、事故に遭った。事故がなければ、昼間ホテルで仮眠後、その日の夜に大阪から長野に折り返し、2晩連続で運転する計画だった。そのうえ、運行台数に比べ運転手は不足していた。
同社専務は、大阪府警交通捜査課などの事情聴取に対し、「(小池運転手は)ここ数日は忙しかった。長野-大阪間を往復していた」と話しているという。
一方、同社の下総建司社長は、18日夜、報道陣に対し、運転手の交代について「4台運行していたが、乗務員を回して、交代はしていた」としながらも、運転手が足りていなかったことについては認めた。【鵜塚健】