*ウサギのお部屋*

日記・レビューなどなど。
最新日記は数日後に非公開にします。

福田ますみ「ポリコレの正体」(2021)

2022年08月15日 | 
 
読もうと思った最初のきっかけは、懐かしの虎ノ門ニュース(笑)
かの番組も、こういうとこは、別に大丈夫なこと、いいことを言ってたよね。

この著者の本を複数読んだことあった。メディアによって「犯人」に仕立て上げられた事件などを追っていた方。今回もとても的を射た内容で、そうそう! っていう。
そして、こっちも「一九八四年」とつながってくるという。

ポリコレ=ポリティカル・コレクトネス
政治的正しさとでもいうのかな。
このこと自体はいいんだろうけど、「正しさ」の基準とは何? 誰が決めるの? ってなってくると難しいよね。
でも、推進派は、「これが正しいのだ!」「これ以外は認めない!」ってくる。
そういう流れになっていることを理解して、それに対抗していかないとね。という趣旨かな。この著者の言うことは腑に落ちるから、大丈夫そう。

大体、多様性を尊重っていうけど、多様性っていうのは、本来、「多様性を認めない」っていう主張をも包含するものでなくてはならないでしょう? 言葉どおり、多様な考え方があるのだから。
それを、こっち側だけを認めろ、それ以外は認めない! ってなっている現状がおかしい。

看護婦・看護士→看護師、保母・保父→保育士
ここまではまあいいけど、今のアメリカの、父・母も言えない、メリークリスマスも言えない、彼・彼女が言えなくて彼ら(they)になっちゃって、単数なのか複数なのかも読んでて分からないってのは、かなりくるってきてるね。

一番? 腹立つのは、トランスジェンダー女性(身体的男性)が、女子スポーツに入ってくること。
男の中では雑魚でも、女の中に入ればトップになるしょ普通に考えて。
これはほんとやめてほしいわ。少数を優遇することで多数派の女性差別になっているということだもの。
逆がないことが、全てを物語っているよね。トランス男性(身体的女性)は男子スポーツに入っていってないもん。

少数を優遇することで多数派を逆に差別すること。
これが正体かな?
反日とかもそうだ。アイヌもそうだね。

そして、アメリカ、欧米のくるった流れを、そのまま日本に持ってこようとするのもおかしい。
例えば、同性愛者に対する差別は日本にはなかった。欧米には明確にそういう法律もあって差別されていた。土台が全然違う。

BLMの話は、なるほどなあと思った。
毛沢東までいくとはね。

LGBTの話も、気持ち悪い流れだよね。
取材されたどなたかが言っていたけど、どこまで認めるのか? それを誰が決めるのか? ってなるもね。
性的少数者とひとくくりにしても、否、多数派の中でさえ、その好みというか、は、一人一人違うといっても過言ではないし、そういうのをいちいち認めていたらどうなる?
例えば、子供が好き(ペド)まで認めちゃったらどうすんの? ペドの権利を認めて子供を差し出せってなんの?
本来、そういうことは、自分の中で秘めておくものじゃないのかな?
生きづらさというけど、じゃあ、生きやすい人はいるのか? って話にもなってくるしょ。少数派だから生きづらいとかいう話でもなく、多数派だから生きやすいわけでもなく。

ポリコレ推進派=左翼さんたちの常套手段;本人は別に何も思ってないのに、急に、あなたは差別されてますよって言う。それで、本人はそっとしておいてほしいのに、勝手に、支援を! って言う。
もうそういうのがビジネスになっちゃってる。
こういう流れに対抗していかなきゃならない。おかしいことはおかしいと声を上げていく。

余談では、著者が取材した一人が、「同調圧力に屈しない」と発言していたので、その方が、マスクやワクをしていないといいなあと思った。


ドラマ「ツーリスト」(2018)

2022年08月13日 | ドラマ
 
DVD買わなくても、観られた。
しかもフルバージョンと、男性目線バージョンの2種類があった。

春馬さんの、まだ観ていない作品がある。これを除いてもまだある。
だからといって、新しい作品が観られないことが寂しくないわけはないのだけど。。

バンコク、台北、ホーチミン。3人の女性(水川あさみ・池田イライザ・尾野真千子)が異国の地で出会ったミステリアスな男性(三浦春馬)との交流を通じて自分を発見していく。
みたいな話。
※ただし三浦春馬に限る
が過ぎる話だね。
もちろん、女性もきれいじゃないとだしねえ。

普通に考えて、異国の地で母国語が通じるイケメンに遭遇って、怪しさ満点じゃないすか。
それを、いい話にしているのは、やっぱ春馬さんの力が大きいかなって思った。
大した感想じゃなかったな。

マーガレット・アトウッド「侍女の物語」(1985)

2022年08月11日 | 
 
何で読もうと思ったのか覚えてないけど、ずっと借りる本リストに入ってて、そろそろ読んでみようと思ったのである。
カナダの女性の作家なのね。そうなんだね。カナダの女性の作家といえばモンゴメリですよね。
「ヴィクトリア朝」とか出てきて、おおっと思った(笑)←モンゴメリでもよく出てきますのでね。

原題「The Handmaid's Tale」
タイトルから、中世? 昔の話かなって思ってたけど、全然違う。
「一九八四年」みたいなやつ。
ディストピア小説? っていうジャンルなんだって。
近未来の話。
想像では、1984年を超えた今(1985年)、自分なりのそういう感じのものを書いてみようって著者が思ったのかな? って。
ほかの作品を読んでないので何とも言えないけどね。想像です。

こういう、全然違う世界の話だと、入り込めていいなと思った。どんな世界にいるんだろうって、だんだん分かってくる感じがいい。
主人公たちの衣装なんかも、独特でいい。
一九八四は、そうなりつつある現実を思うと、ただ楽しんで読むってわけにいかなかったけど、こっちは、割と独創的な話なので、かえってよかったな。
まあ、深読みすれば、そうなりそうにも読めるけどね。政府がなくなっちゃうとかはさ、あり得る、というか、もうないようなもんだしね。

1985の近未来だから、多分、2000年頃が想定されているのかな?
それまでは、夫と幼い娘と、普通に自由に暮らしていた。しかし、クーデターが起こり、政府が倒され、軍事政権が始まる。そこで、少子化が問題になり、女性は自由を奪われて、子供を産める女性は産む機械となり、「司令官」という高位の男性の「侍女」として子を産むために勤務(?)することになる。元の家族はバラバラに。
もちろん、男性にも自由はない。皆、何らかの身分を与えられ、その身分身分で着る服も決められて、その役を演じて、表面上は穏やかに過ぎていく。

庶民は読み書きすることが禁止されている。
私だったら、それだけで気が狂えるわ。。。自信ある。。。だから、その点については深く考えませんでした。

女性たちを「教育」する機関で教える存在の「小母」という人が言っていたこと。
自由には2種類ある。
したいことをする自由、されたくないことをされない自由。
今は、前者の自由はないが、後者の自由はある。好きなことはできないが、例えばレイプされたりとか、そういうことはされないシステムになってるということ。

例外もある。
そうなると「救済の儀」という名の公開処刑が行われる。
地下活動もあり、置かれている環境から逃げることも、できるかもしれない?
という感じの話。

現在の日常を語る中で、昔のこと、家族のことを語ったり、「教育機関」にいたときのことを語ったりする話が入ってくる。
変化のない環境の中で、徐々に変化が・・っていうのもあり、最後はどうなったの? って感じでした。

続編もあるんだって(2019)。読んでみたい。
映画化もされているらしい。Huluでドラマ化も。ふうん。これは機会があれば。


藤沢明徳・鳥集徹「子どもへのワクチン接種を考える」(2022)

2022年08月07日 | 
 
全国有志医師の会の先駆けとなった北海道有志医師の会を始められた藤沢医師と、鳥集さんの対談の本でした。
まえがきが藤沢先生、あとがきが鳥集さん。

藤沢先生、嬉しい。
地元(出身地)からこういう方が出てきたということが。
地元から初の有志医師の会ができたということが。
そして、志のあるお医者さんたちが、勤務先がある方でも勇気を出して名乗り出てこられ、横でつながって、連携することができたということも嬉しい。
東北医師の会ができるきっかけともなった1月のシンポジウムにも言及されているのも嬉しい。
そのときに、私は鳥集さんを初めて知ったのだけど、もっと前に知っていたらお会いできてたかもしれないなってね。

内容そのものは、大体知ってる話なんだけど。
鳥集さんの進行もとてもいいし、よくまとまっています(偉そうですみません)。
そうそう、そういう話も、こういう話もあったよねって感じで思い出せて、勉強し直せてとてもよい。

謝ったら死ぬ病も出てたね(笑)
やまときゅーもちょっと出てきたw

最後に、有志医師の会のチラシなどなどが載ってる。
ゆっくり見させていただきます。

内容には関係ないんですが、ページをめくるとカバーがきゅっきゅというか、ぎしぎし音立てて、いずい感じがしました。


中川淳一郎「よくも言ってくれたよな」(2022)

2022年08月05日 | 
 
2020からのコロナ騒動のおかしさを、パッケージしてくれた一冊。
雑誌の連載から。よくこんな連載させてくれたなっていうのもありがたいね。
今お書きになってる原稿もあるみたいなので、そちらも楽しみに待っております。
言ってる(書いてる)こと全部、完全に同意。それでも、意見が違う部分はあるのだけど、ここの部分は本当に完全に同意ですよね。

まず、2年以上経って、まだ「新型」? とかもあるなー。基本ですね。
それから、戦争と同じってのも本当にそう。コロナを怖がらずマスクもワクチンもしない我々は非国民なのである。
竹槍と千人針=マスク
赤紙=ワクチン接種券
特攻隊志願=思いやりワクチン

今年の末には、今まで何やってたんだろう? ってなってるって著者はおっしゃるけど、、、
どうなんでしょうねえ。
今のこの感じだったら、年末もまだ続いている予感がするよ2022(笑)

野球好きとしては、コロナ解説者と野球解説者の類似点とかは楽しかったね(笑)
何でもポジティブなことを言うのが野球、何でもネガティブなことを言うのがコロナ。ってわけだ。

そういえばそうだよなって思ったのは、医師会って、ただのその業界団体でしかないんだから、医者の団体が何か言ってるよでいいのに、何か知らんけど、医者の団体組織=ありがたい=ははー! ってなっちゃうってのがあるね。
そうではなくて、ほかの業界団体と同じように思う=つまり、気にしない、ってなればいいよね。は、そうだなあと思う。

映画「約束のネバーランド」(2020)

2022年08月02日 | 映画
 
やっと観た。
ずっとHDDに録画してあって、何となく怖くて、観るとつらいかなって思って、後回しにしてた。やっと観た。
(1月に放送していた)
結構楽しんで観れちゃったね。

これもデクラスだねー。
本当に現実に起こっていることを、デフォルメしてる。
原作のまんがは読んでいない、アニメも見てないので、映画の初見の感想。

小さな意味では、現実にある(あった)子供の人身売買、虐待、人食い、の様を描いた作品とも言えるし、
大きな意味では、私たちがいる、今いるこの現実が、そうだとも言える。つまり、私たちも皆この孤児院に閉じ込められているということ。
と思った。

タイトルに入るとこだったか、最初のとこで、主人公(浜辺美波)のナレーションで
「ここは嘘だらけの世界だった」
って言うの。
それな! って思ったね。

自然に囲まれた孤児院。
「ママ」は優しく、子供たちも皆仲良く、毎日楽しく暮らしてる。
時々、「里親」が見つかった子供が院を去っていく。
しかし、その去った子供は本当は殺されて、鬼に食われていたのだ。
自分たちは、本当は、飼育されて出荷されるためにいるのだった。ここは孤児院ではなく農場だった。
ここから逃げるにはどうしたらいか?
というお話。

「ママ」の北川景子めっちゃ適役ですよね。
美しいから、優しい顔も、恐ろしい顔もできるところがいい。

「鬼」が出てきたときは、レプか? と思ってしまった。
そこまで忠実に再現してるんだなって。

主要メンバーの3人もよかったね。
最後のあそこ、実はこうでしたってのも、分かりやすかったかな。ちょっと駆け足だったかな。
最後の最後には、どんな景色が見えたんでしょうね。。

「ママ」が気づいた子供らに言ってたこと。
不自由なく育って、楽しく幸せに暮らして、そして死んでいく。それでいいじゃない。何がいけないの?
気づかなければ、抗わなければ、何も知らずに生きて、そして死んでいける。
とかいう感じのこと。
ほらね、私たちの現実世界と同じでしょう。
気づいたら、すっかり飼われていたもんね。

全体主義の中にあって、抗うことが無駄だとしても、おかしいと思ったことにはおかしいと声を上げることは大切である。
そういう「気づいて反対する」者も少数いる。
そういう者は「支配者」によって潰されるが、後から後から出てくる。
我々も、少数だけど、頑張ろう!


モンゴメリ「風柳荘のアン」(1936)

2022年08月02日 | 
 
松本侑子さんの新訳&詳し過ぎる注釈。
原題;ウィンディ・ウィローズのアン
(ウィンディ・ウィローズ=風柳荘、アンがこの期間に下宿していた家の屋号)
柳がアメリカの何かの作品と被るからって、アメリカ版では「ポプラ」に変更させられている。でも、元々のこっちを採用。ウィンディ・ウィローズの頭韻がよいよね。
村岡訳では「アンの幸福」。
赤毛のアン4作目。アンの年齢の時系列で言うと4作目だが、書かれたのはずっと後なのだった。これと、6作目の「炉辺荘のアン」がね。だから、ここに出てくる個性豊かな面々は次の5作目などには出てこないというのがある。

前作で大学を卒業してから、次作で結婚するまでの間の3年間の遠距離恋愛期間のお話。22~25歳かな。
ギルバートはそのまま同じ大学の医学部へ進み、アンは島に戻ってサマーサイドという町の高等学校の校長という職を得て3年間働く。

冒頭のエピグラフ(詩の一節を引用)はなく、アンの物語を待っている読者への献辞のみ。
めんどくさくなった?
でも、一度最後(末娘が主人公の話)まで書いたアンシリーズを、60代になって隠居して落ち着いてからまた書くことで、それで精神バランスを保ったところがあったみたい。ならよかったなと思う。
昔に戻って楽しく書けたならいいなって思う。

アンはウィンディ・ウィローズの塔の部屋に下宿するんだけど、塔の部屋だって、いいな、いいな!
写真もあって、より、いいな、いいな! と思う。おしゃれだなー。ラプンツェルだなー。
塔のある家は、「アン女王復活様式」という建物の様式で19世紀に流行ったスタイルだって。
アン女王はスコットランドの女王であり、そこから、アン自身も3作目で親友に「クイーン・アン」て呼ばれていたね。
下宿だけど、塔は独立してるから、自分の部屋に行くためだけの階段があるのもいいし。
そこに備え付けてある高い位置にあるベッドもいいなー。

今作のハイライトは、
レベッカ・デューと2人の未亡人(ウィンディ・ウィローズの住人)。
プリングル家との確執。
副校長キャサリン・ブルックとの友情。
隣家の小さなエリザベスとの交流。
それから、たくさんの短編から引っ張ってきた珠玉のエピソードたち。
だね。

主に、アンからギルバートへの書簡のスタイルで進んでいく。
ラブレターの部分は略ってなってるのがウケるねw
途中、時々、普通の小説の形態になったりもする。

プリングル家との確執は、いつも毎回、あれ、どうやって解決したんだっけ? と思う(笑)
そうそう、そうでした。と思いつつ、また忘れてたら、また新鮮に読めるねw

小さな子供がやっぱり毎回出てくるのだけど、やっぱり身寄りのない子供であることが多い。
そして、そういう話に毎回泣いてる私。
母になってからかなー? どうだったかな?

身寄りのない教え子が、写真をもとに、親戚に会えた話とかすごくいい。
写真に写った子供が自分の子供の頃と似ているとか、ミステリーの要素もあって、そういうところもすごいなって思う。

小さなエリザベスは、本当にかわいい。
フランスにいる父親がいつか迎えに来ることを夢見ている。それが叶ったときを「明日」と呼んで待ってる。
そして、父と会えたときのところも、すごくいい。

本作は、「北風の後ろの国」という、スコットランドの作家、ジョージ・マクドナルドのファンタジー小説をモチーフにしているのだそうだ。
この話は知らないけど、スコットランドのものが多く出てくる、スコットランド出身の人たちが多く出てくるお話だし、合っている。
最後に、小さなエリザベスが「明日」に行ってしまうところまでがちゃんとその作品に沿ってる。

まあ出来過ぎでしょうと思うけど、最初はいじめられてた名家とも仲良くなって、最初はバカにされてた副校長とも仲良くなって、誰もが好きにならずにいられない存在であり、最後に退職するときには皆に惜しまれて去る。っていうね。
アンのそういう優等生なところが、あまり入り込めないんだけど(笑)え、十分入り込んでるってかい??
そうかも(笑)

余談あったー。
どこかのエピソードで、誰か主要人物じゃない人が
「フリーメイソンの集会に行ってきた」
ってあったんだよー。
おおっと思った(笑)