じいの徒然日記

内野聖陽さんにfall in loveしたじいのおバカな毎日を綴った日記

笑の大学 初日

2023-02-15 23:30:40 | 観劇記
2月8日初日の観劇記です。ネタバレあり

~あらすじ~

時は戦時色濃厚な昭和15年。
登場人物は、警視庁検閲係・向坂睦男(さきさかむつお)と劇団「笑の大学」座付作家・椿一(つばきはじめ)。
非常時に喜劇など断じて許さないとする向坂は、上演中止に追い込もうと執拗なまでの注文を繰り返す。しかしなんとか上演許可をもらいたい椿は、向坂が要求する無理難題を逆手に取りながら、あくまで真正面からの書き直しに挑戦する。
警視庁の取調室を舞台に、相対する男二人のドラマが始まる。

(公式サイトより)

休憩なしの1時間50分。舞台奥にドアがあり机を挟んで椅子が2脚。上手側に棚があって検閲した台本を入れる箱が乗せられていたりして端っこに椅子がもう1脚という取調室のセット。物語は1日目から7日目まで1日ごとのやり取りで進んでいきます。内野さん演じる向坂と瀬戸くん演じる椿、、、最初は噛み合わないぎこちない硬い感じが4、5日目辺りでは明後日の方向ながら徐々に打ち解けて???6日目にはそれぞれが本気で喜劇仕立てにしたロミオとジュリエット、ではなく貫一とお宮に置き換えたロミジュリ物語を作っていって……2人が実際に演じている姿は最高潮に面白い めちゃくちゃ笑ったところからの椿の告白で一気に冷たい緊張感が走り、そして7日目、突然の別れ 最後は悲しさや悔しさだけではない、様々な感情が押し寄せて泣けました

初演と再演、映画、初日の朝に明らかになった公開フォトコール、、、敢えて一切何も入れずに真っ新な状態での観劇。作品ファンも多かったのではないかな~~冒頭から客席のアチコチから理解ある笑いが聞こえてきました。じい、実は三谷作品が苦手なんです ギュッと心を掴まれたところで軽く交わされてしまったり、深く入り込んでいた次の瞬間に笑いを取られたり……笑っていいのか泣いていいのか落ち着かないのがちょっと……でも今回はやられた!という感じ 戦争を扱った作品で個人的に馴染み深いのは井上作品なのですが、こういう見せ方、問いかけ方があるのか~と目から鱗 さすが三谷作品の傑作と言われるだけあるなぁと……素晴らしいものに出会った嬉しさをひしひしと噛みしめています

初日だから?役柄的に敢えてそうした??内野さん演じる向坂には硬さとぎこちなさを感じました。でもそういう“堅物”な感じが可笑しくて可笑しくて……三谷さんはわざと内野さんのそういうところを狙ったのではないかと思ってみたりしてニマニマしながら観てしまいました もうね~~一生懸命なところがメチャクチャ可愛かったです そして大好物 言語化できないものを語る背中、多くを語る沈黙、、、セリフのない場面の一挙手一投足に目が離せなくて作品と役の空気感に満たされ……喜劇について身振り手振りで語る時の大きな内野な手 ほっっっんと大好きなんですけどこれでもかというほど堪能できて大満足でした。

最終日7日目、、、赤紙が来て入営が決まる椿に向坂がかけた言葉……死んでいいのはお国の為ではなくお肉の為だけだ。生きて帰ってこい……この時代絶対に言ってはいけない言葉を口にする向坂。生きて帰っていつの日かこの作品を上演出来たら……椿は穏やかに強く否定したけど向坂の奥底に隠れた感情が溢れていて切なかったな~~そういう可能性を考えていいのだろうかと考えてみたのですが、椿のモデルになった菊谷栄は戦死しているので可能性はないんだろうなぁと 終盤の2人のやり取りを聞きながら頭を過り続けていたのが長野にある無言館。まだまだ描きたいことがたくさんあった若い命が戦争によって絶たれていく。その理不尽さ、やりきれなさを思い出して尚更ね……。ラストで椿が残した笑いのない喜劇の台本を読みながら時にクスクス笑い、時に大爆笑し、何とも言えない表情で遠くを見つめる内野向坂なのですが、その横顔がもうぅ~~美しすぎて!!!生きて帰ってほしいという思いながらも無理なことは現実を見ていて知っていて……様々な気持ちが溢れていて目が離せませんでした

公演回数を重ねてどんなふうに進化/深化していくか楽しみ……というかとんでもないことになっていそうな予感←もちろん良い意味で 次回の観劇、結末までの流れとオチを知っているので新鮮な状態で観るのとはまた違った感じになるんだろうなぁ~と少し怖さを覚えているのですが、この1週間の反芻でアレコレ疑問や確かめたいことが出てきているので楽しみです
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M.バタフライ愛知公演 大千秋楽

2022-08-16 19:58:28 | 観劇記
7月31日マチネ、大千秋楽の観劇記です。

公演中止を経ての名古屋公演……開演10分前でも中止になってしまう厳しい状況下での大千秋楽公演。暗転して水の滴るような楽器の音が鳴り始めた時は本当に本当にホッとしました そして内野ガリマールが下手側に座っているのを確認できた時にはウルッと来てしまって……いろんな気持ちがこみ上げてきたんだなぁ~と

でも最初のセリフを発した瞬間から今までの何やかんやは吹き飛んで作品に引き込まれていきました……というか、発せられる言葉や喋り方や醸し出される空気感があまりにも自然すぎて圧倒されました もちろん東京初日から素晴らしかったのですが、これからどうなっていくのだろうか?一緒に時を重ねていくぞ!みたいな原石的な 感じで観ていたところがあって、進化/深化していった先に東京千秋楽があって、、、地方公演を経て更に高みに立ったものを見せつけられているようで魂持っていかれ警報発令(爆!)微塵の疑いもないガリマールそのものが存在していたように感じました。

今回は最初で最後!唯一のセンターブロックのお席。劇場が大きいのでセットも東京より左右広めに作られているような感覚??? なのでセンターと言っても新国立小劇場のセンターに近いサブ席とそんなに変わらない感じもあり、凝縮された息が詰まりそうな緊張感の有無という点ではどっちがいいのだろうか という気持ちはあったのですが(1幕ラストとか特に・・・ね)2幕終盤、ガリマールがマダム・バタフライに扮して自害するシーンだけは無条件に大劇場に軍配 天井から落ちてくる赤い花びら、そこから差し込む照明と板の上の埃が織りなす光の道筋が本当に美しくて美しくて……ガリマールの心が天に昇っていくような、そして自分自身のガリマールに対する思いが昇華されていくような、何だか潤んだ清々しさみたいなものがあったなぁ~~

いつもならガリマールばかりに目が行ってしまうというか思いっきりガリマールの脳内劇場に遊ばれてしまうところなのですが、今回はソン・リリンのことを見てしまうというか……ソン自身を見ていたというよりソンに投影されたガリマールの気持ちや視点を感じていたというのが正しいのかもしれませんが M.バタフライという作品がソン・リリンの嘆きの歌あるいは哀歌のように感じられたんですよね。スパイとしてガリマールに近づき誘惑し利用した事実はあったとして、それが共産党に忠誠心があったとか愛国心があったからの行為ではなさそうだし、隙あらば 自由な世界=西洋?に出たいと思っている感じもあるし……それに出会いも目的も関係性もスパイ活動だったとしても2人が関わっていく中でソン自身ガリマールに惹かれ利害関係なしに愛するようになっていたのではないかと思ったりして……ガリマールの脳内劇場から湧き出た感情ではあるけれど 逆マダム・バタフライ 一見するとソンはピンカートンの立場にあるんだけど、終盤ガリマールとの激しいぶつかり合いの中で逆転しているのでは?と感じさせるところもあったりして……結局ソンはピンカートンでありバタフライでもあったのではないかと思われ……。

ガリマールがソンに初めて出会う場面、、、マダム・バタフライを演じるソンの姿を初めて観た時の衝撃。今まで観た中で一番しっくり来たというか自然だったというか雷に打たれたという表現がピッタリの姿だったと思います。ものすご~~く納得できた!!!後に外見だけ見て好きになったみたいなことを言い放っちゃいますけど(苦笑) 酷い言い分だけど分からなくもないような……イメージ通りの人にやっと出会ってしまっちゃったよ!的な この時の内野ガリマールの表情や存在感が堪らなくストンと落ちてきてドキドキしました。その後に続く発展していく2人の関係や気持ちの流れまで納得させてしまうところに圧倒されてしまってこの後ず~~~っと引きずっていました。全てがここから始まって根底にずっと流れていて……。内野さんのインタビューの中で、人を好きになると自分の見たい幻想や理想を見がちになること、誰にでも起こりうる身近なこと、東洋人の役者が演じる限界と人間関係を見せる物語にもなること、、、等々の話が出ていたのですが、いまいちピンと来なかったんですよね~~もしかしたらそうじゃないか?こういうことなのか??と感じることはあったけど、歴史からのジェンダーからの人種からの様々な分野の情報量が多すぎて でも今回は頭を忙しくしつつも「あぁ~~そういうことだったのか!」と受け止められたのが良かったというか最後の最後やっとだよ!と投げかけられたものを少し返せたドヤ顔風味(笑)

ガリマール自身ある意味常識的な男、正確には“常識的な普通の男”になりたかった男だったのではないかと……いわゆる西洋の獣的な強い男に憧れ、そうあるべきだと思い込んでいたのかなぁと……そこから抜け出せなかった故の“悲劇”だったという側面はあるのかもしれません。同時に不安定であらゆる側に行き来できる特性を持っていて場合によっては良い作用を生む可能性もあるのかなぁと思うのですが、あくまでifの話なので 2幕、ガリマールがソンに「お前の裸を見せてほしい」と迫る場面でのガリマールの告白。彼女の服を脱がせなかったのは何を見ることになるのかどこかで分かっていたのかもしれない、自分が見ているのはピンカートンがバタフライに歩み寄り淫らな手で彼女の愛に報いようとしている姿、彼女のそばに着いた時にはピンカートンは消えていてその代わりにあったのは何かたらしい不自然なもの、何か愛に近いようなもの……多分ガリマールは自分と相手両方の“真実”に気づいていたのではないか、そうあるべき/正しいことだと思っていることから解放されて……「何かを超越したところに行けた」としたら幸せになれたのかなぁとか思ってみたり 結局ガリマールがバタフライを見つけたのはパリ郊外の刑務所、、、「私の名はルネ・ガリマール、またの名をマダム・バタフライ」……ガリマールの中にもまたピンカートンとバタフライが存在していたのかもしれない。そしてじいが行き着いた先は1対1の人間関係。人が人を思うこと、自己と他者を理解するということ、、、案外とってもシンプルなところでした。最も難しいことなんですけどね……うーむ

カテコ、キャストの皆さんが一列になってお辞儀をされた瞬間から感極まるものがありました。本当に本当に良かった……あらゆる奇跡と人の思いを感じて泣けてきました。内野さんの充実した表情と感謝に溢れた笑顔が嬉しくて嬉しくて 下手側にある椅子に座って靴を脱ぐ仕草をしたりセットを讃えて拍手をしたり、名古屋~愛知~~と叫んだり(地方でよくしてくださる公演地名の連呼は健在!)……3回目辺りだったかな、拍手が止んでセンターにいた内野さんが何か喋るのかな?みたいな雰囲気になった時に一瞬不自然な間の後に「・・・ありがとうございました」と挨拶 もあったりして……お互いを讃え合う充実感に溢れた後のちょっぴり開放的なお茶目なカテコでした

もしかしたら無理かもしれないと覚悟した名古屋公演。無事に大千秋楽の公演を観劇できてガリマールへの思いを無事に昇華できたことに感謝です
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M.バタフライ 東京千秋楽

2022-07-30 18:46:52 | 観劇記
7月10日東京千秋楽の観劇記です。

東京公演の千秋楽 客席も舞台上も昂っていたような空気感、そしていつも以上に熱い熱い演技で……しかもハプニング発生 2幕でソン・リリンが花瓶を割るシーンがあるのですが、割れた花瓶が岡本くんの足に絡まってよろけそうになってヒヤヒヤ 打ち掛けの足元を大きく振り歩きながら避けようとしていたのですが絡まってなかなか離れてくれなかったみたいで大変そうでした。何とか滞りなく進んだのでホッとしましたが、ほんの一瞬が大怪我に繋がるので本当に無事で良かったです

ガリマールの回想、脳内劇場、、、要所要所で登場する友人マイク。今回ふと思ったのが出没するタイミング……ガリマールが「強い西洋人の男」になっている時なのではないかと思ったんですよね。ソン・リリンとの出会いの後だったり、恋愛感情に任せてソンの元に向かう場面だったり、恋の駆け引きをしている時だったり……実際マイクは「俺たち西洋の鬼だからな」と言っているし。。。ガリマールには実際本当にそういう友達がいたのかもしれないけれど、この日はマイク=もう一人のガリマールだったのでは?と思ってしまって……今まで経験したことのないような感情だったり行動だったり、自分には無縁だと思っていたことが起きたことに自分の中でツッコミをいれていたのではないかと思ったり……あるいはガリマール自身の願望や理想がマイクという存在だったのか、はたまた彼自身の中に残っていた理性(と呼ぶべきなのか、正しい存在としていいのか??ではあるのだけれど)だったのかもしれないと思ったり……ふとホッとする存在でもあったりするので不思議な人だなぁと改めて。

ソンが真の姿を見せてガリマールに迫った時に「嘘の方を愛していたのに」と言い放ち外見だけを見て好きになったことを否定しなかった……あ~あ言っちゃったよ と毎回トホホな感じで観ていたのですが、内面は見ていなかったのか?西洋が東洋を蔑ろにしていたのと同じではないのか??それって本当の愛と言えるのか???とアレコレ考えていると想像と妄想は果てしなくてね←それもまた楽しいのですが(苦笑) 男性が創り出した女性を愛する……逆だったらどうだろうかとこれまた観る度に思うこと。女性の方が強かだからガリマールのように引きずられることはないのでは?と考えるのは自分自身が女性だからなのかもしれませんが(そういう区別もどうなんだろう)、女性が創り出した男性(←男がどう振る舞えばいいのか女性が一番分かっている)に対してどう思うのか……憧れる気持ちはあっても愛の対象にはなり得ないから自分の中では分からないというか本当のところは各々誰もが分かっているような、分かっていないようなことがあるのかもしれないと思ったりもするのですが、東洋と西洋にも同じことが言えるのかどうか……“弱い”東洋の裏にある本音を西洋は理解できないけど、西洋は外見でしか東洋を見ていないと言っている東洋の方もまた西洋の本質を見ていない、分かっていないのではないかと……ソンがガリマールの本音の本音、内面の内面まで読み取れなかったように。

脳内劇場の中のソン・リリン。シンプルにMバタフライという作品において物語を進めて観るために客観的?通常モード??舞台上の設定や会話を実際のものとして素直に受け止めればいいのかもしれませんが(真実と事実は違う、でも実際に起きたことではあるんだし・・・)、ガリマールの視点で語られているの脳内劇場の登場人物として捉えると、敢えてソンが男性という現実を見せたり冷酷なソンの姿を現したりするのはもしかしたらガリマールにとっては現実との決別→幻想に生きることを決意した表れではないだろうかと、特に2幕後半を観ながら思いました。裁判で最後までソンが男性ということを知らなかったと言い続けたということになっていますが、それは受け止めきれなかったとか現実逃避というのとは違うのではないだろうかと……本当は男性を愛していてソンのことも受け入れている自分がいることは分かっているのだけれど、プライドや彼の中だけの理性がそれを受け入れることを許さなかったのではないだろうかと感じました。それで行き着いた先が自分の思い描くものを現実にしたい気持ちが創り出したのがあの脳内劇場だったのかもしれないなぁと。。。ソンの愛を受け入れていたらまた違った結末になったのかもしれないですけどね。

ガリマールを罵り迫っていくソンとの対峙シーン。強姦者の視点の反転、西洋と東洋が逆転した設定でのやり取りを見せつけられるこの場面はヒリヒリしながらも爽快だったり しかも西洋の、白人の方が強者の社会であるはずのフランスの地で、西洋人=女性的な立ち位置=ガリマール/東洋人=女性に見せかけて実は男性=ソンというところが本当に興味深い面白味がある。しかも「東洋人である限り男にはなり得ない」といソンの言葉を被せてみると別のものが見えてきて、M.バタフライが単なるオペラの蝶々夫人の復讐の意味合いにはならないような気がして……ソンもまた西洋という他者を理解できていないように思えるのですがどうなんだろうか 自分にとって自分自身があるように他者もまた他者自身を持っている。どんなに相手を理解しようとしても自分自身と同じように理解することはできない……例えばその国の言葉を話せて住み慣れている国であってもそこで生まれ育った人とまるっきり同じにはなれないように。だから相手を尊重しましょうね~ということではなく、不可能なことを認めることが理解の一端ではないのかなぁと、そんなことを考える公演でした。

前回の観劇で気になったラストシーン、、、ソンが獄中のガリマールに微笑みかけた件。今回もう一度気にして観てみたのですが、ガリマールが幻想の世界で生きることを選んだようにソンもまたガリマールを引きずって生きていくように見えました。「バタフライ、バタフライ」という呟きがソンの哀しみそのものに聞こえてきました。お互いがお互いを思っていながらベクトルが違う故に交わらず分かち合えないまま新しい結末を探し続ける人生を歩むのかなぁと思うと何だか切なくて哀しかったなぁ。。。
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M.バタフライ 4回目

2022-07-09 23:27:48 | 観劇記
7月7日マチネの観劇記です。

早いもので気づけば東京楽まであと少し。3回観て吸収してきたものを一旦リセットして武装 敢えて読まなかったプログラム+αを読み込んでガリマールの脳内劇場に挑みました。お席によって見えてくるものが様々なんですよね~~前方席だと表情から醸し出される空気感を堪能できるのですが、一方でこの作品だと脳内劇場にまるっと取り込まれてしまうので逆に見えにくくなるものもあって……ありがたいことに今回は2度目のスペシャル観劇。アレコレたくさんたくさん“着込んで”今回は負けるもんか!(何にっ 笑)と意気込んでいったのですが……やっぱり見事に完敗 何層にも重なり合い連なり合う作りに唸らされ、いろんな方向から飛ばされる言葉や気持ちに心を砕かれました。特に今回は人間の生々しさ、切なさ、哀れみ、滑稽さ、、、そんなこんなを時が経つごとに押し寄せてズッシリ。。。

ガリマールがソン・リリンを男性だと気づかなかったこと……「違い」が分かるようになりますように!と揶揄われる社交界の様子を獄中から見ている時のガリマールの表情。冷静に見つめているようで時折悔しそうな表情が垣間見られるような……でも眼差しは鋭くて強い。後にマイクが「お前はいつも美人が身を投げ出してくれるのを待っていた。他の奴にそういうことが起きるといつも聖者のように微笑んでいた。どうして自分にはそういうことが起きないのか」とソンに夢中になっていくガリマールをたきつけていくのですが、その時にふと社交界の会話を聞いている時の表情を思い出して…… 聖者のような微笑み、、、強がりと客観的な目線の両方があるように感じたんですよね~~今回のガリマールは。ソンが西洋の男は自分を客観的に見ることはできないと言うのですが確かにその通りではあるんですよね。肝心なところから逃げているというか後回しにしているというか……ただ同時に境界線を自由に往来し不安定な側面を持つガリマールだからこその冷めて?冷静に??物事を見るところがあるように感じて……ガリマールの脳内劇場なので言い訳に過ぎないのかもしれないけれど。

仕事の苛々と不倫の不倫のモヤモヤからソンに迫るガリマール、、、クズ男の典型だと思いますが お前の裸を見せてくれと迫った時の手と背中。。。ガリマール自身はこの時に何を見ることになるのか分かっていたと思うと言っていましたが(これまた言い訳なのか弁解なのか)多分本当にそう思っていたんだろうなぁとある意味自然に伝わってきたんですよね。彼が“普通ではない”こと……初めてポルノ雑誌を読んだ時のことや妻ヘルガの言葉に暗示されているのですが、そうだからこそ受け入れられる部分と拒絶する部分の両方があって、彼自身の肝心なことを後回しにする臆病な性質もあっての複雑なものが伝わってきたのではないかと思われ。。。ガリマールは自分の“特性”について気づいていたんだと思います。その一方で葛藤というか認めがたいところがあったのかもしれないと……ソンが裁判で証言している姿を指さして「あの男」と言おうとして「あの……あれが世界に向かって話している」と言ったところなんて露骨というか

2幕終盤でソンが本来の姿になってガリマールと対峙する場面。今までで一番痛々しくて切なくて哀れに感じました。「ただの男にあんなに時間を浪費してしまった」「嘘の方のお前を愛していたんだ」とムッシュ・ソンを受け入れないガリマールと、「もしかしたらあんたが欲しいのかも。もしかしたらふざけているだけかもしれないけど」「あんたは何かを超越したところに行きそうだったのに……例えば女とか」と嘘か誠かどちらにでも取れそうな態度のソン。じいはソンの本音だと受け取っているのですが、まぁこれも脳内劇場に出てくるソン像なので本当のところは??ですが。でもね、ここの2人のやり取りはすれ違いと重なり合いを繰り返しているように感じるんですよね。拒まれたソンはガリマールを自分の着ているものや化粧を愛しただけで想像力が足りないと言い、ガリマールは自分は想像力そのもので幻想と現実が区別できるようになったうえで幻想の中で生きることを選んだと言い返し自分の世界から出て行けと言う。同性を愛の対象としていることは分かっているのに許せない?それで男が生み出した女を愛することを選んだのがガリマールで、ソンに言わせればそれは上っ張りだけ見て中身を尊重していないんだけど、でも愛する気持ちそのものを否定しているわけではなくて、でも相手の本質を尊重する気持ちがなければ西洋人が創り出したマダム・バタフライの世界であり……ちょっとした縺れを解くことができたとしたら、もっと違う新しい結末があったのではないかと思うと心が重くなり……。でもね、、、ガリマールもソンも気の毒なところはあると思うのですが、その気の毒さゆえに他者を傷つけてしまっているというか……特にヘルガと離婚話をするところはホロリと 彼女が普通の夫婦として暮らしていた中国での思い出を語って「見せかけの暮らしはとっても幸せだった」って……見せかけの理想は決して本物ではないし残酷なものでもある。それに取り込まれるか、すがりつくか、あるいは決別できるか……ガリマールのことも重ね合わせるととにかく重かったです。

1幕ラスト、ガリマールとルネが結ばれる場面。ベッドに入る前の駆け引きから毎回ドキドキヒリヒリしてしまうのよね~~内野ガリマールが艶っぽくて罪なんですけど!!! 顎のラインとかもうぅ~~最高 ここの2人のやり取りはオペラで歌われる「かわいがって下さいね」の男女パートの歌詞を逆転させたセリフになっているのですが、そこが何とも象徴的というか皮肉的というか……そして2幕でガリマール自身がマダム・バタフライになって自害する場面でもう1度このアリアが流れ……1幕と2幕の対比が曲によって鮮明になるというか、じい的には音楽を通すと分かりやすく伝わってくるのでありがたいというか オペラに対する返歌がこの作品という捉え方もできるということですが、それだけではない人間の生々しさを思ってしまう???オペラの方でも演じ手によって感じ方が違うと思うのですが、このアリアを歌った時の2人の気持ちは何物だったのか……決して許してはいけない、許したくない意識や感覚を持ち合わせながらも、その瞬間の気持ちは本物だったのではないか、本能的/生物的なものとして否定できないのではないか……エトセトラ、エトセトラbyマイク。

あと、、、2幕ラストで獄中で佇むガリマールの方を見たソンの表情、、、何か微笑んでいるように見えたんですよね。今回だけなのか元々こうだったのか……次の観劇で確かめてみることにします
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M.バタフライ 3回目

2022-07-03 19:32:44 | 観劇記
7月2日ソワレの観劇記です。

1週間ぶりの脳内劇場 今回は中ほど辺りの下手側から観劇。初日、2回目とは違う視界で全体を見渡せた分少し突き放して観ることができたのが良かったです。特にルネとソンが同じ程度で視界に入る構図は2人のシンクロ性とアシンクロナス性を感じるので目に心に突き刺さってくるものが半端なくて やっぱり最終的には脳内劇場に取り込まれてはいたのですが(苦笑)作品の構造とか登場人物の心の方向性とかセリフの重なり合いとか……今まで入り込みすぎて逆に見えていなかったものを感じられたので充実した3時間半となりました そして今回もまたルネとガリマールの物語を辿って新しい結末を探り出し……。

幕開きから内野ガリマールの目にやられました!!!幻想の中のバタフライに恋焦がれる目、完全に「いっちゃってる」目だったのですが、その後に自分のことを語り始めた時の普通に戻ったというか冷静さが逆に狂気を帯びていて怖くて あとマダム・バタフライを演じているソンと初めて会った時の目、京劇姿のソンを見た時の衝撃を受けた目、語り部分と演じる部分で切り替わる目、男性に対する/女性に対する/幻想に対する……のその時々に入れ替わり立ち代わり湧いてくる気持ちが伝わる目……と行間を語る背中!!!空気感と存在感で伝わってくるものが凄すぎて頭と心のCPUが足りなくなるかと思いました そういうやり取りをできるお人を好きでいられる幸せを噛みしめたわ~~ムフッ

遠目から突き放して観るとガリマールがソンに利用され掌で踊らされているのが手に取るように見えるんですよね。物語の背景や人物設定、結末を知っているからソンの一言一言をそういう前提で受け取ってしまっているのかもしれませんが、ガリマールが“ツボる”ようなことを選んで、そして狙って言っているのが分かるような気がしました。しかもそれにガリマール自身が気づいていないところが哀れというかアホというか…… しかも今回は岡本くん演じるソンを離れて見てみると男性が演じている女性なんだなぁ~と納得させられてしまう感じがあって(初日は初見で緊張感ありで単純に綺麗だなぁと思っていたのが良くも悪くも慣れてきて演じる上での隙ができているのかな?と危惧しているところもあったりするのですが)……この作品で男だの女だの言っていることが無意味なのかもしれませんが、ガリマールが目の前で語っていることと実際に見えているものが少し違って見えたり感じ方が違うところに気づいて一種の「歪み」を楽しめた……適当な言葉かどうか迷うところですが、そういうのが味わえたところは良かったなぁと思いました。

劇中何度も語られる東洋と西洋。セリフに込められた東洋に対する偏見……「中国人は傲慢」「大変古い文明だけど古いというのは老化しているとも言える」「東は東、西は西、東西は交わらず」「イタリア語のオペラをどうやって勉強したのかしら?」まぁ聞いていて気持ちの良いものではありませんが、そういう(そうだった)んでしょうね~~実際には。ガリマール自身、不安定で境界線のあっちとこっちを浮遊している存在とはいえ、やっぱり根底には「西洋の鬼」「毛唐」の血が流れていて、いざ自分が“弱者”の中で強者になると背を向けていた男らしさを肯定するようになったわけだし フランス大使トゥーロンの一言一言もこれまた強か。外交官はウィーン条約がある上での国営のスパイみたいなものなので当然の姿勢ではあるのですが、その言葉の裏の意味に気づいていないガリマール。中国で暮らしているのであって中国人と暮しているわけではない、内部事情に通じている君の意見を聞きたい、、、どうして気づかないかなぁ~ともどかしかったです。カプチーノとかタキシードとか言ってる場合じゃないだろうって そんでもって西洋と東洋は自然な親近感があるって……ヲイヲイ でもガリマールとソンの関係がある上で西洋人であるガリマールにこう言わせたのは作り手の企てがあったのかなかったのか???

2幕後半、ガリマールの裁判の中でソンがぶちまけたこと……男は自分の聞きたいと思っていることは必ず信じるからどんな酷い嘘をついても気づかない、西洋の男は東洋に触れるとすぐに頭はグチャグチャになって強姦者の目(口ではNOでも心はYESと言っている思考)を持つ。そしてガリマールとの関係について、彼は理想の女性に巡り会って本当に女性だと信じたかったこと、東洋人は完全に男であり得ないことを挙げる。ムシュウ・ソンの口から言わせたことが凄いなぁと毎回思っているのですが、、、この証言を導き出した裁判官=フランス人、ソンの理論で言うと西洋の男ということになるんだろうけど、「なぜ20年間も男だと気づかなかったのか?」の問いかけがソンの言う「自分の聞きたいと思っていることは必ず信じる」のドツボに嵌っているから本当に皮肉的。「だからあんたがたは東洋との付き合いに失敗するんだ」と言われても無理ないのかなと歴史的に見てもね……インドシナ戦争やベトナム戦争は典型的だと思う。。。

でもソンの中にも様々な考えがあったと思われ……ガリマールに言った「中国の男は私たちを抑えつけていて、新しい世界でも女は無知と言われるの」「西洋は進歩的な世界」「中国は昔世界を支配していたのかもしれないけど今の世界を支配している方が面白い」という言葉。ガリマールが気に入るように、その時演じていた女性ソンとしての「セリフ」という面はあるのかもしれませんが、どこかに本心が混じっているように感じていたのよね~~そして一種の偏見と憧れと屈辱も。東洋の陰の部分が垣間見えるのがスッキリしっくり来るのがこの作品だと思うのですが……ド田舎の忌々しい人民公社だの芸術は大衆の為にあれのスローガンで芸術家を貧乏にしているだの……凄っ こういうのを見ているとソンも決して恵まれた立場ではないし進んでスパイ活動をしていたようにも思えず……しかも男性が好きとなると……ガリマールのことが本当は好きだったとか、それを利用してでも自由な世界→西洋に出たかった気持ちがあったのかなと思ったり……。

「時には同じ気持ち」、、、最初の方でソンがガリマールに言った言葉。単純に両想いと捉えていいのかもしれませんが、今回はずっとこの言葉が引っかかっていて観劇中ずっと頭をグルグル。同じ男だということを意味しているのか、男同士愛し合えることを意味しているのか……如何様にも考えられる意味深な言葉だと思います。前回でもヒリヒリ堪らなかった1幕と2幕で同じやり取りをする場面、、、「小さくてもくつろげるカフェがあったらいいのに。カプチーノ、タキシード、国籍不明のジャズ……」何だか今回は2幕の方のこのセリフが切なくて切なくて ソンが真実の姿を曝け出したゆえにガリマールは現実と幻想の区別ができるようになって幻想を選んだ……とまぁガリマールの言い分ですが。「男が生み出した女を愛してしまった男。私が愛していたのは嘘の方だったのに」って……あ~あ、言っちゃった ここの2人のやり取りを聞いているとオーバーラップするのが1幕の同じやり取り。全体を見渡せる位置から観て改めてよくできた場面でありちょっとお気に入りになってきている場面でもあります

幻想を選んだガリマールが「私はとうとう彼女を見つけました。パリ郊外の刑務所、私の名はルネ・ガリマール、またの名をマダム・バタフライ」と蝶々夫人の自害のシーンを演じるところ。ふと頭を過ったのがソンが初対面の時に言った「もし西洋の女が日本人ビジネスマンを好きになって、彼は帰国して別の女性を妻にする。女はケネディ家の息子の求婚を断って待っているが別の女性と結婚したことを知って自害する。それなら馬鹿な女ってことになるでしょ?」というたとえ話。悔しいけど目の前のガリマールを見た時にそういう感情が湧いたんですよね~~愚かというか哀れというか。マダム・バタフライなら成立しても逆は成立しない現実。ものすご~~く皮肉的な場面とも捉えられるのかなと。。。幕切れの場面、、、セットの上で「バタフライ、バタフライ」と呟き思いにふけるソン、下でソンとは逆方向に向いて幻想の中に生きて佇んでいるガリマール。思いは違っているけど同じでもあり……この作品を1枚の絵画で表したような印象的な構図でした

ガリマールが「最後には私を理解し、妬みすら感じるようになる」と言ったから……というわけではないのですが、この日は妙にマダム・バタフライの曲が耳について離れなかったので帰宅後にオペラの方をざっくり見直してみるという“暴挙”に ガリマールのお気に入り、二重唱「かわいがって下さいね」は何度聴いても思うけど純粋に曲だけ聴けば美しいと思うし、テノールで甘く歌われればクラクラ~ と来ちゃうのも無理ないかも?!この種のイタリアの曲調は馴染みがあるというか楽器で弾きたくなってしまう衝動にも駆られるし!でも概して作品的にはやっぱりモヤるモヤる……こんなんの何が良いのかね?なーんて思ってしまうわけですが そして愛の二重唱の双子な曲 Last Night of the Worldに突入。好きな人が歌っていたのを聴いても拭えませんでした 妬みどころの話ではなく……「ピンカートンを蹴飛ばしてやりたいと思いながら彼になれるのに結構ですという男はほとんどいない」というのもどうしてそうなるんだか……ねぇガリマールさん(苦笑)
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M.バタフライ 2回目

2022-07-02 15:00:45 | 観劇記
6月26日マチネの観劇記です。絶賛ネタバレあり

初日から1日置いての2回目観劇。結末を知ってからの最初から観ているということで新たな感情が湧き怒ったり前回の思考や心模様を軌道修正したり……ますますのめりこんでいってます 今回は最前列のスペシャル観劇。独白の視線上だったのでドキッとすることが何回あったことか それでなくても脳内劇場の中に引きずり込まれているのに……心臓に悪すぎますっ 大好きな内野な手に萌え、目の前で繰り広げられるヒリヒリするやり取りに頭が真っ白になり、脱ぎ捨てられた下着に余計な心配をしてドキドキ(爆!)

いろんな意味でスミマセン 真面目な?話に戻して

冒頭、独房で座るルネ・ガリマール……幻想に思いを巡らせていたのか突然立ち上がって振り返り、見上げたその場所には京劇姿のソン・リリン。両手を掲げて「バタフライ~」と恋い慕う ルネ。結末を知っていたせいか、その姿が何か哀れでね~~しかもその「バタフライ」の言い方がこれまた!!!劇中のこの呼びかけには何か嫌悪感を感じてゾッとするのですが、この場面だけは何か心に沁みたんですよね~~と、のっけから今回もスーッと物語の中に入り込み……。

ルネが京劇を観に行ってソンと街に繰り出していく場面。2人が良い感じに並んで座った時にソンが「カプチーノ、ちょっとカフェできるような所があればいいのに」みたいなことを言うんですよね。この場面は2幕終盤でもう1度繰り返されて、今度はソンが本来の姿=男性の恰好で同じようにルネを誘うように言うところがあって……。最初の方は男性と女性の恋愛一歩手前のよくあるシーンで、後の方は男性が男性を誘っていて、でもそれは男女の恋愛と何ら変わりのないことで、ソンはスパイとして女性の振りをしてルネを誘ったけど実際は違うところがあって本当に好きになっていた(と観ていて思っていて)……この作品を通して男女の性、東西の洋、支配と被支配などなど様々な対比が興味深いんだけど、この場面が頭の中でシンクロするところが堪らなかったです。

ラスト近く、あのルネの姿を見て……最終的にルネは男性でも女性でもなく(その区別の仕方がそもそもナンセンスなんだと思うけど)自分の中の“バタフライ性”みたいなものに辿り着いたのではないかと感じました。結局、理想や幻想を他者に求めることはできないし思い通りにはならない、それらは自分自身の中にあるのかなぁと……そこら辺を騙し騙され自分勝手に折り合いをつけて生きていくのが大半だし賢い大人であり“正論”なのかもしれませんが、それが本物であり真実なのか???見方によっては世の中の方が歪んで見えるというか……。ただ、自分自身の中にある理想や幻想も歪んでいて、男ゆえに理想の女を創り出すことができるというもの(逆も然り、どちらも激しく同意できる・苦笑)。ルネ自身がマダム・バタフライ=女性になるということ、、、幻想の世界で生きていくことに決めた姿であり、そこに取り込まれていった証でもあり……男である自らが創り出した理想の女自身になった。そして一方のソン・リリン。女性の姿をして近づいたけど実は男性としてルネを好きになっていっていた 最終的に自分の真実の姿を曝け出すことで本当の意味で愛されることを求めたが逆に受け入れてもらえなかった。マダム・バタフライの再来物語だったのか、逆マダム・バタフライの物語だったのか……どちらとも言えてどちらとも言えない、そもそもどっちがこっちで、こっちがどっちで、、、そんなこんなを言っていること自体が意味のないことのように思えるのですが、そこら辺の被せ方が本当に上手い戯曲だなぁと混ぜ返される頭の中で感心してしまうというか中毒的な知的快感。

ルネの脳内劇場、人と人の絶妙な関わりを描く一方で考えさせられる時代性や社会性。描かれている時代や戯曲が書かれた時代から数十年が経っていて、今の時代なら受け入れられることがあると思うんですよね~~制度的にも感情的にも。同性愛だったり中国の現状だったり各国のバランス状況だったり……ある意味予言的で皮肉めいているから時にグサッと時にクスっと。ルネやソン、友人のマイクが客席に語りかけるセリフがあるのですが、その当時客席にいた西洋の人たちはどう感じたのか?今ならどう感じているのか??あるいは東洋の人間は何を思うのか?ふとそんなことを思ってしまいました

今回ふと目に留まったのがルネの妻・ヘルガ。今の女性的には一番受け入れやすいタイプなのかもしれません。自分の意見をきちんと言えて一人の人間としてプライドを持って生きていて、その反面カワイイところや弱いところもあったりして……「蝶々夫人であれこれ言う人もいるけど音楽を純粋に楽しめばいいのに」という一言は良くも悪くも重いというかアレコレ考えさせられるなぁと思いました。そうなんですよね、、、音楽や役に罪はないし一番シンプルな考え方なのかもしれない。そう言い切ることができるところに一種の棘を感じてしまうので素直に割り切れないんだけど そうできないルネの複雑さと対比するような面白味はあったかな……ルネの自由さというよりは不安定さというのかなぁ~~自分が生きてきた社会では持て囃されるような理想の男性にはなれないと感じ、それに背を向け疑問を抱くようになった。しかしその“理想の男”になれた時から今まで疑念を抱いていたものを肯定するようになっていった……いや、元々そういうものを持っていただけなのかもしれないけれど。まぁね、、、クズなんだけど(爆!)方向性が違えばもしかしたら賢い人間になれたのかもしれないのかなぁと思ったり、その賢いって何だろうと思ったり。。。

衝撃的な場面の後の静寂、独房に座り俯くルネの姿で終わるラスト。この一瞬でルネの脳内劇場から現実に引き戻される……その時の視線と背中から醸し出される空気感が堪らないのですが 目の前で繰り広げられてきたのはルネの理想であり幻想なのか、真実はどこにあるのか、嘘のようで嘘でもなく……。あーでもない、こーでもないと観終わった後に考えること、こうして書いている感想もそうなのかもしれないですけどね なかなかに興味深い
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M.バタフライ 初日

2022-06-25 23:45:26 | 観劇記
6月24日ソワレの観劇記です。(ネタバレ、どうだろう?!

~あらすじ~

中国、北京に駐在経験のあるフランス人外交官ルネ・ガリマールは、国家機密情報漏洩により投獄されている。なぜ彼は、そんな大罪を犯すに至ったのか。オペラ『蝶々夫人』と対比させながら、彼が自らの物語として、その「正しさ」を説いていくうちに、ことの全貌が見えてくる。

時は1960年代、文化大革命前夜の中国・北京。駐在フランス外交官ルネ・ガリマールは、社交の場でオペラ『蝶々夫人』を披露した京劇のスター女優ソン・リリンに出会う。「東洋人らしい」慎み深さと奥ゆかしい色香を湛えたソンに、瞬く間に魅了され恋に堕ちていくルネ。やがて人目を忍びつつもやがて男女の仲になり20年に渡り関係が続くが……

その実、ソンは毛沢東のスパイであり、男だったーーー。

(公式サイトより)

2幕3時間半(休憩20分含む)、決して珍しくはない長さの公演時間でしたが小劇場の椅子のせいか終盤はお尻がちょっと痛かったかも~ でもスーッと自然にルネの脳内劇場に入っていけるのでそんなこんなは吹っ飛んで目の前のやり取りに集中できました。幕間の時点で心臓バクバク頭ヒリヒリ!あーー来ちゃったかも と最後まで……いろいろな思考だったり気持ちだったり今まで抱いてきた思いだったりが渦巻いて登場人物との対話&自分自身との対話が繰り広げられ終演後は心地よい疲労感に包まれました

舞台上は転換なし。舞台の中央を占めるのは下手側からの坂道、それを上がっていくと広い踊り場、そして上手側に降りる数段の階段があるという大きなセット。舞台前方には木製の箱やベッド、古いラジカセ が散乱していたりソファーが置かれていたり……良い意味で色のついていない無機質な感じがあるので、ルネの夢の中の場面、幻想の場面、投獄されるまでの経緯、、、観る者が如何様にも想像を膨らませることのできる空間になっていました。踊り場が舞台上で一番高い位置にあるのですが、そこで蝶々夫人のオペラや京劇が上演されソン・リリンが演じる姿をルネが見上げている……二人の立ち位置や照明が冷酷で滑稽で美しくて……あぁ~~やっぱりいろいろ考えてしまったなぁ

初演初日(初演ではないんだけど)の緊張感と衝撃を味わいたかったので←忙しくてそこまで手が回らなかったの言い訳 インタビューはそこそこ、映画もみていない、の予習なしの観劇。ガツンと来るような衝撃かと思っていたのですが、あぁそう来たかと……劇中でルネとソンが「予言的!」と何かを匂わせるようなセリフを客席に向いて話すところがあるのですが、なるほろそういうことだったのか~~とジワるジワる!!!上演中ず~~っとヒリヒリしたものを注入し続けられるので寧ろガツンより性質が悪いというか奥底まで没入させられて厄介かもしれません ベースは確かに蝶々夫人/マダム・バタフライ。ただし、この作品のタイトル「M.バタフライ」のM.というのに意味があって単なるマダムのMではなくてムシュウのMで……シンプルに落ちを言うなら逆マダム・バタフライなんだろうけど、そうとは言い切れない様々な関係性や本音?真相??があると感じたので……そういうところも余白で視点によって如何様にも味わえる堪らない作品だと思いました。

ルネが語る自身の人生、もうぅ~~聞けば聞くほどバカだのアホだのクズだの浴びせたくなる気持ちになります チェリーな思春期までなら可愛げの一つもあるというものですが、その“不器用さ”を引きずったまま大人になってまでソレ?!みたいな……キモすぎだしっ!!!2幕でソン・リリンをバタフライと呼ぶところは聞く度にざらついた言葉のように感じて嫌悪感を感じることも……。でもただのキモイ(失礼) 男ではないところがルネの特性なのかもしれない?!大使館のパーティーで上演されたオペラ「蝶々夫人」で主演したソンの姿を観た時に、今までこのオペラは世間で言うほど良いとは思っていなかったけど今日初めて素晴らしいと思ったみたいなことを言うんですよね。この時点で既にソンに引き込まれているということになるのかもしれませんが、西洋における東洋のイメージや理想の女性像に疑念を抱ける一種の「自由さ」みたいなものを感じました。それがある意味仇になったと思うんですけどね

ピンカートンと蝶々さんの物語の如く、どんなに酷い目にあわされても慎み深く慕い続ける女性が理想?口では嫌と言っていても本当は支配されたがってる??東洋=女性と西洋=男性の関係も同様に言える???言い方がなんですが言っちゃいますけど、「こいつら何勝手な妄想言っちゃってんの」と思いました……が、、、呆れるを通り越して笑けてくる( ゚∀゚)アハハ八ノヽノ \ 歴史的・外交的に見て東洋の方がしたたかだったりするし、男性には考えが及ばないような凄まじいものを女性は奥底に持っていたりするものだから……と、東洋の国に住んでいる女性のじいは思うわけですが それに逆のことも成り立つわけですから同等のお互い様ということで

ルネとソン・リリンの関係は騙す⇔騙される関係のみではなかった……ルネはソンが途中で男性だと気づいていたようなことを告白するのですが、そこら辺も確定要素はない。ルネの強がりや言い訳なのか、あるいは現実逃避した故の幻想を見ていたのか???ソンも最初はスパイ目的で近づいたんだろうけど元々持っていた“特性”で本気になっていったのか、スパイであることを利用してもっと違う目的を果たそうとしていたのか???個人的な思いと社会的な思いが交錯して観ている方は頭も心もバラバラになるかと思いましたが……そういうの大好物です ルネとソンのヒリヒリするやり取りを聞いている中でふとオペラの方のマダム・バタフライが過ってくるんですよね~~西洋が勝手に描いた東洋の物語、それを皮肉るようなことが目の前で繰り広げられている。でも決して東洋を善とは描いていない。ソン・リリンや共産党員のチン同志の物語をきちんと描き東洋が孕む黒いものもしっかりと指摘している。ここら辺りはその国にルーツを持つ脚本家だからこそ描けたものなのかもしれないなぁと。。。

キャスト陣みんなそれぞれ合っていて良かったと思います。ソン・リリンとは対照的な女性として描かれるヘルガと女ルネ。じい的にツボったのが藤谷理子さん演じる女ルネ。喋り方やテンポが可愛くて好きなキャラクターです みのすけさんのマルクも何気に良い奴 あくまでルネが描いた夢の中に出てくるかつての友人なので、どこまでが本当のことか、そのまま理解していいのか迷うところではあったのですが。岡本圭人くん、、、お初でしたが素晴らしかったです 立ち姿や所作が美しくて男性が“演じる”女性の姿には引き込まれました。そして舞台に対する真摯な姿勢も随所に伝わってきて観ていてとても気持ち良かったです。

そして、、、内野さん演じるルネ・ガリマール ホント最低のクズ男なんですけどね~~愛を以てしても庇いきれない、いや庇う必要はないんだけど(苦笑)彼が語る自分勝手な幻想だったり理想だったり……ホント偏愛に満ちた自分勝手なものなのですが、でもコレって案外みんな心当たりのあるものだったりするよね?!みたいな 彼の場合は生き様を通して見せてしまっているところがちょっと初心で可愛いというか逃げ道になっているところでもあり……。かっこいいところに惚れ惚れするより情けない姿が満載。足に縋り付いたり床に這いつくばったり……こういう役が似合う(爆!)人が好きなのよね←どんな趣向だっ(笑)初日でセリフの言い直しが所々ありましたが、語りの部分と演じる部分の移行はとても自然で意識することなくガリマールの脳内劇場の中で遊ばされている感じ。それに本当にフランス人外交官がいる空気感なんですよね~~まさに毛穴から滲み出ている存在感でもあり。。。表情も豊かでふとした一瞬の顔つきだったり目線だったりが残像の如く残っていて、今のはどういう感情なんだろう?あれはどういう意味合いがあったのか??与えられる情報量が多くて……頑張らなくては!そうそう、今回も舞台上で化粧してました~~思わず化粧二題!と突っ込んでしまいました

観劇しながら頭を離れなかったのが、蝶々夫人を基に作ったあのミュージカル……ヘリコプターが出てくるアレね。実は今までずっとね、、、どうしても心からは好きだとは思えなかったんです。諸々を切り離して音楽や作品として楽しむことはできてもやっぱりどこかでモヤっとしたものがあって 西洋側から描いた自己満足の物語ではないのか、これを純粋に楽しんでいいものなのか、無垢に拍手をしている日本人は滑稽ではないのか、東洋の側にいるはずの日本人の微妙な立ち位置や他のアジアの国々に対する意識は西洋のそれを批判する資格があるのだろうか、、、そんなこんなをずっと抱えていたんですよね。そしてもう1つ、、、ウクライナの戦争に対して思ったこと、自分の中にある矛盾。この作品によって答えを得たとは思っていないのですが、少なくともルネとソン・リリンが抱えてきた物事や気持ちをぶつけ合うシーンは自分にとって救いになったというか……何だかスーッとした風が通り抜けたようでした 機会があれば西洋の国の人の感想を聞いてみたいかなぁ~~単純に興味があります。

今回は上手側のお席でこっちの方がルネとソンのやり取りは堪能しやすいかな~と思いましたが、それぞれの場所から見えてくるものは違ってくるのかもしれないので……両方向からバランス良く観られそうなのでその時々の見え方を楽しみたいと思っています
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広島ジャンゴ2022

2022-04-29 18:15:46 | 観劇記
4月23日マチネの観劇記です。ネタバレあり。

~あらすじ~

舞台は現代の広島の牡蠣工場。
周囲に合わせることをまったくしないシングルマザーのパートタイマー山本(天海祐希)に、シフト担当の木村(鈴木亮平)は、手を焼いていた。
ある日木村が目覚めると、そこはワンマンな町長(仲村トオル)が牛耳る西部の町「ヒロシマ」だった!
山本は、子連れガンマンの「ジャンゴ」として現れ、木村はなぜかジャンゴの愛馬「ディカプリオ」として、わけもわからぬまま、ともにこの町の騒動に巻き込まれていく―――!(公式サイトより)


休憩含む2幕2時間50分。セット転換なし、現代の広島と西部の町ヒロシマの転換は演者や裏方が家具や小道具をセッティングしていました。下手側に階段があって2階の通路に上がれるようになっています。ここでのやり取りで牡蠣工場⇄西部の町が切り替わるのがわかりやすくて流れ的にも効果的になっていて……上手側奥には大きな井戸が聳え立ち、、、井戸=水というのがこの作品の大きな柱になっています。演出的にちょっと小劇場ちっくなところがあったり???でも全体的にまとまっていて作品の世界観を楽しめるようになっていたかなぁと

初演を含めて何も知らない状態での観劇。勝手にコメディかと思っていたら結構重い内容だったことに面食らってしまって 後で気づいたんだけどロビーに注意書き的なことが書かれていたんですね〜〜重めの気持ち悪さ、バイオレンスが苦手な人は予め読んでそういう腹づもりでいた方がいいかもしれません

冒頭からカープ!カープ!!カープ!!!(笑)牡蠣工場の従業員たちはカープのユニフォーム着てるし~~ 背番号だけで誰のユニか分かってしまう辺り笑ってしまいましたが……18番が森下ではなくマエケンで15番の黒田が同時に在籍なら2015年設定、でも新井が25番になっているということは2016年設定か?!(爆!)44番が松山、55番がエルちゃんで7番は堂林~と舞台を観に来たのに何見てんだかのじい(苦笑)その上まさか観劇に来たのに応援歌の「それゆけカープ」を1番まるっと劇場で聞こうとは!思わず立ち上がって 「高く~」と合いの手を入れそうになりました。気分はすっかり7回ラッキーセブンの攻撃前 でもまさかこっちまで出てきたとはね~~「空の青さに生き生きと~跳ねて暴れる~こいのぼり♪」と歌いながらキャストたちが退場していく場面があったんだけど、客席内に何の曲か認識できた人がいたら確実に“お仲間”さんだと思われ……(笑)この後しばらく頭の中で「あれがカープのファイトだよ~緑輝くグランドに~」と続きが流れてしまったんですよね~~どう責任を取ってくれるのか(爆!)

ワンマン工場長は熱狂的なカープファンということで休みの度に懇親会という名のカープ賞賛会?!的なものへの参加を強要。自由参加と言っておきながらも実際はボーナス査定に響くというパワハラ体質の職場という。新入りパートの山本さんは会に不参加&東京から来たというだけで勝手に巨人ファン扱い。ここら辺りの設定、、、もちろん実際にはないだろうけど冗談のネタとしては広島あるある、カープファンにあらずんば広島人にあらず的な……近隣の?鷹さんや虎さんのファンとは仲良くできても讀賣ファンの人権はゼロに等しいと思われ……。悪役側の工場長に14番・津田のユニフォームを着せたのはちょっとマズくないか?と思うところあり。しかもブラック企業の理念を正当化するために「弱気は最大の敵」という津田の座右の銘にこじつけたのはさすがにちょっと 聖域の存在である工場長と重ね合わせることに意味はあったのかもしれませんが、津田に対するカープファンの気持ちというのは気軽に語れるものではないのでね。。。あと、2幕での応援歌の使われ方 水を独り占めして民衆から税金を巻き上げている悪徳町長に反旗を翻す時に団結の象徴として歌われるのは良しとして(レミゼの民衆の歌かいっ!と突っ込んだけど)脅されたり圧力をかけられたり懐柔されたりして町長側に寝返る時に崇拝の歌として使われたり、天海さん演じるジャンゴを集団リンチする時に殴ったりバットで叩いたりしながら歌うのは聞いていてトラウマになるというよりは何か不快な気分にさせられてしまうところがあってね。。。広島の演劇人が関わっているから許容できるし行間も含めた思いは推察できるから全然あり! と思えるけど、これが広島に縁も所縁もない讀賣ファンなんぞの作家が書いていたら私刑対象だろうなぁ~←作品から何も学んでいない発言(苦笑)

山本さんを懇親会に参加させて社畜にさせようとする工場長、自分たちのボーナスに影響が出ないように同調圧力をかける従業員たち、その狭間で悩みながらも事なかれ主義で通り過ぎたいシフト担当の木村。木村が家でシフト作成に頭を悩ませていると横から女性が話しかけてくる。帰宅している状況だから木村の妻?共働きで帰ってきたところ??それにしてはスーツ姿にパンプス、首からIDカードをぶら下げているバリバリ仕事中の姿って変じゃない???と思っていたんだけど2幕で真相が判明。実は彼女は木村のお姉さんでブラック企業で働いていて自殺していたという 木村はシフト作りからの飲酒から寝落ちしてしまうんだけど、そこで見た夢=架空の西部の町ヒロシマになっていて現実の牡蠣工場で繰り広げられているのと同じような状況になっている。水を独占して民衆から税金を巻き上げている悪徳町長、息子、その取り巻き。本心は違うのに自分の生活の為に従っている民衆。そこにやってくるのがお尋ね者のジャンゴとその娘……と馬!鈴木さん、体を張って頑張ってたわ~~ やり放題やられ放題(笑)何かする/される度に客席から笑いが起きていて、場面によっては相応しくないのでは?という意見もあるようですが、じいは逆に等身大の存在感で救いにもなっていたのではないかと感じました。重い場面に敢えて空気読めない感……一服の清涼剤であり一番観る者が共感しやすい存在なのかなと。それに馬の目を通して見るものって物凄~~く説得力があると思ったなぁ

西部の町で繰り広げられる話、結構エグイ展開でね~~自前で井戸を掘って町長に抵抗しようとしたチャーリーを叩き潰し脅して自分の手下にして、敢えて民衆を痛めつける矢面に立たせるような仕事をさせる。町長が高額で売る水にカープ印が付いているのはイラっとしたな~~どうせならジャビット印にすれば良かったのに!チャーリーの妻で元教師のマリアは生活の為に娼婦に身を落とし、娘は将来に絶望し町長の息子に暴行されそうになる……典型的なヤクザ物の展開、もしくは必殺シリーズかっ!と突っ込みたくなってしまう流れ。更にはジャンゴが懸賞をかけられている真相、、、途中からサスペンスとかにありがちなアレかな~と思ったらまさにその通りで 夫殺しの真相は父親殺しで母親が娘の身代わりになっていたという。一度は町長と徹底抗戦する構えだった民衆は自分可愛さに裏切り最後まで戦おうとする者を集団で嬲り殺しにし、自分のせいで処刑されようとしている友達の為に真実を話そうとする娘を黙らせ黙殺させようとする母親、、、正直観ていてしんどかったです 誰もが正義であり悪でもあるんですよね~~誰一人責めることはできない。明らかに悪人の町長でさえも……目の前の利益でしか評価できない民衆は愚か、まともな家庭を築けない毒親の再生産、、、その言い分には一理あると思ったし。まぁ町の為に井戸掘りで犠牲になった人と遺族の為にお金を渡していると言いながら水を独占するために町の上流に巨石を置いてヒロシマの町を干上がらせたのは町長だから、マジこいつ悪っっっいなぁ~だったんだけど。第三者の犠牲に乗っかって自身の主張する強権的な政策を正当化する政治屋、、、日本にもいますね。

夢の終盤、木村姉弟の語らいは泣きました 二人の出す言葉の空気感と存在感が物凄~~くリアリティがあって迫ってくるものがありました。ブラック企業で追いつめられての自殺、、、どうして逃げなかったのか?普通に考えれば至極正論なんだけど、判断能力どころか考えることそのものができなくなるんだろうなぁ~と思ったり……でも残された者の言葉も悲しいですよね。どうして気づいてあげられなかったんだろう、助けてあげられなかったんだろうの自責、、、それが何故死んだのか?家族のことを考えなかったのか?どうして言ってくれなかったのか?の他責に移り変わっていき、その間で動けなくなってしまうなんて……。西部の町の夢はお姉さんが見せたって木村は言っていたけど、西部の町の話の結末は勧善懲悪のハッピーエンド 木村が大好きな西部劇と同じ結末。でも夢から醒めた現実はハッピーエンドではなくて……最後は何も変わらない状況、しかも木村と山本は解雇されることになるという最初より悪い状況 でも2人の静かな語らいは何だか温かくて 何か清々しい風が抜けていくようなラストシーンでした。木村の成長・再生物語でもあったのかな~と思ったり。。。

セリフは全て広島弁(東京から来た設定の人物を除く)。いつの時代/どの世代の喋りを設定したのかなぁ?というごっちゃな言い回し(「~してつかあさい」とか時代劇並みだと思うけど?!)に翻弄されるところはあったけどエンタメ性を高めた作品としたら分かりやすいイメージとして敢えて使ったということもあるのかな?東京から来た山本さんの言う「本通り」のイントネーションを変えてきたのは唸らされましたね~~GJ 1幕最初はいかにも喋ってます!な感じに聞こえていたけど、耳が慣れたのか、あるいは物語が進むごとにキャスト陣のテンションに引きずられたのか、すっかりその世界に入り込んでいました。1フレーズ程度ならどのキャストも全然違和感がなくて寧ろ上手だなぁと思えたほど ただやっぱりフレーズが長くなったり感情の起伏がある場面になると気になる部分が多くなり……イントネーションや相槌に関西弁が入ってくる。西の言葉って外から聞くとそういう風なイメージで聞こえるのかなぁ???セリフに込められる気持ちもどこか他人事のように聞こえてしまうこともあって……天海さんの喋り(東京から来た設定の役だから標準語)と同時に聞くと如実に現れるんだけど、普段使っている言葉だと普通に感情が言葉に乗るからセリフに込められた役の気持ちが伝わってくるんですよね。片や方言=外国語みたいなものだから本当に自分自身の感情を入れようと思うと大変なんだろうなと思うところがあってね。。。言葉を使うって本当に難しいものだなぁと改めて思ったわけですが……1人だけ全く崩れず上手いと思ったら広島弁ネイティブの人だったのね 鈴木亮平さんと土居志央梨さんの喋りも良かったですね~~土居さんの語り、普通に広島の人が喋っているのを聞いている感覚でした。鈴木さんは大学で語学専攻だったし言葉の感覚や耳が冴えているのかなと思ったり……個人的な事情で素の喋り方は好きじゃないんだけど(爆!)今回は言葉の空気感が出ているのが感じられて凄いな~と思いました。まぁ全体的に良かったんじゃないかなぁと思います(なぜか上から目線・笑)。とても上手で広島にいる感覚になりました

ただ気になったこともあって……甚だしく激しい言い合い、脅し、暴行の場面で広島弁が使われるとヤクザ映画にしか見えてこないんですよね 酒場での乱闘場面や銃撃戦も西部劇の世界で展開されているとは思えなくて、どう見ても流川界隈で繰り広げられている抗争や騒ぎにしか見えなくて……ゴメンナサイ あと、、7つの川をせき止めるための巨石を置くとしたら高瀬堰辺り?市内で自殺が可能な橋って?とか妙にリアルな想像をしてしまって違う思考が働いてしまって……でもアレコレ匙加減するのが面白くて内容も楽しめたので良かった~♪
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エリザベートTAKARAZUKA25周年スペシャル千秋楽(ライヴ配信)

2021-05-10 23:58:49 | 観劇記
5月5日アニヴァーサリー スペシャルver.そしてガラコン大千秋楽の観劇記……ですが、やっぱり(笑)トート閣下についてひたすら語っているだけになりそうな予感

3回目そして千秋楽ということで全キャストが熱演。初日に感じた違和感が緩和されていることが多々あり、全体的に上がってきていたように感じました。でも明日海さん辺りは高音域が前日より出ていなくてかなり無理していたのではないかと思われ…… やっぱり外見の“華”に釣り合うものがあるといいんだけどなぁ~~うーむ そして3回目にして気づきました……懐かしい観劇目線(苦笑)トート閣下パパラッチ観劇 自分の観たいところが決まってくると流れてくる映像のアングルと齟齬が生じてしまうという……あそこを映してほしい、その瞬間が見たい、このシーンではこっちを映してほしいってね 多分劇場で観ていたらここを見ていただろうなぁとちょっぴり苦笑いしながら配信を観ていました

今回の望海トート、あまりに衝撃的なこと を感じて胸がいっぱいになりました。明らかに歌い方を変えてきてた???というのが、初日→2回目→千秋楽と観てきて前日までは歌が音感に吸い付いてくるいつものアノ感じ。そこに感情が乗ってくるから快感と同時に苦しくなるほど胸に響いてくるのですが、千秋楽の日は言葉として伝わってきたんですよね~~ストプレ由来の人が歌うミュージカルナンバーのような感覚というか……音楽的なフレーズの呼吸ではなくて文章的なフレーズの呼吸のように聞こえたんです。それでいて音符と言葉が分離してないので、発せられる歌詞はいつものように全て音符になって伝わってくるという不思議な感覚。リズムの取り方が必ずしも音楽的じゃなくて、でも音楽として聞こえてくる。音楽的な呼吸なのに普通にセリフを言っているみたいで、普通にセリフを言っているみたいなのにそれは全て音として感じられるといったような……。愛と死の輪舞で「禁じられた愛のタブーに俺は今踏み出す」の「俺は今」の間の取り方、、、歌唱力のある人であればあるほど絶対にしない歌い方だったんですよね。言葉中心になると音楽的に無理がいくし、音楽中心になると言葉がサラッと流されがちになるし……音の感覚と言葉の感覚を両立させる歌い方、、、これね~~じい的に一番ヤバイやつ!いや、ちょっと待って、こんなことされたら抱えきれなくてフリーズしちゃうから~~と心臓バクバクで必死に持ち堪えました。最後のダンスもそうだったのよね~~この日は吐息多めの歌唱♪でもその吐息さえも音符になって聞こえてくるし、やっぱりここも普通のセリフとして言っている時のタイミングというかリズムの取り方というか……歌に感情が乗るのとは少し違う感覚なのに全てが音符として伝わってきて……これからの望海さんがどうなっていくのか末恐ろしい……ひぃ~~

シシィの寝室でこっぴどく振られた後、、、大体の本公演だと強気にジェントルマンを装って部屋を出た後に超絶落ち込みという流れなんだけど、望海トートはもう1回手を差し出すんですよね~~コンサートだからという違いはあるんだろうけど、そこが恋には無垢な初恋の幼稚園児みたいな感じで可愛すぎ~とか突っ込みたくなるんだけど その後ルキーニがミルク缶を持って登場する時の引きのアングルが堪んないというか……周りはミルクがないって騒いでいるのに振られた男の半端ないボッチ感が出ていて切ないというか可愛くてその存在感が良いなぁ~って ただ、そこからの感情の動きが凄いんですよね~~“超個人的”な感情の拗らせを社会にまき散らすなんてね~~(苦笑)何かよく分からない感情が湧いてきたから民衆を扇動してミルクに繋げるこの流れ。この場面にトートが絡んでくるのはヅカ版特有の演出なので、じい的には今までずっとそこまで出てこなくてもと思ってきたのですが、望海さんのトートだとそれが自然に受け入れられるというか、その流れの中でトートの冷たい死の存在感の方が前面に出てくるのがゾクゾクして堪らなかったです あとこれまたヅカ版特有の件で気になっていた場面が1幕ラスト。幕引きで歌うのはトップの人じゃないとマズイよね~ってことでトートが「エリザベート~♪」と歌い上げるんだけど、そこだけ浮いてる感があるなぁとも思っていたところがあって……それがこのアニヴァーサリースペシャルだと私の人生は私のものと歌い切ったシシィへの思いの丈をぶつけた叫びのような位置づけに落ちてきていてキュンキュン来ちゃってね~~でもね、これ、思ったんだけど立ち位置の効果がある!!!宝塚だと銀僑があるのでトートは銀橋で2人を眺めているけど、コンサートでは東宝エリザの立ち位置と同じでトートが2人を上から見下ろしていて三角形になっているんですよね~~この場面、トートとフランツは同じ目線で歌ってほしくないしシシィの後ろ姿を見ているところがまたいいわけだから……ってかそもそもウィーン初演版ではシシィとフランツの二重唱でこういう配置が存在しないのですが、、、ふと何を思ったのか過去記事を探したら15年前に同じことを書いてたことが発覚したという 10周年のエリザガラコンで全く同じ感想を書いていたのね~~ってか10周年も20周年も観に行っていたのね←あまり覚えていない いや、ね、それだけ拘りたいお気に入りの場面ということなんです!!!←この時のトートがどういう表現をするのか確実にチェックするし

シシィへの熱い思いとは反対に死としての冷酷さ……望海トートは青い血じゃなくて黒い血が流れてそうだけど……特に独立運動からのマイヤーリンクの場面はホント残酷で辛いのですが(もう生きる当てもない/ママも僕を見捨てるんだねを聞くと切ないスイッチが入ってしまう)同時に妙な艶やかさや温かみを感じてしまう存在感。まさに死の“エロティシズム”とでもいうのかゾクッとする表情が垣間見られたことが何度もあって……だからこそなのかなぁ~~2幕の愛と死の輪舞リプライズでは、その狭間で揺れ動く感情がものすご~~く伝わってきて、自分でもどうしていいのか分からないのが切ないやら可愛いやらで……しかもここの歌い方がまた堪んなくてね~~敢えて話すように歌ったり外れるの覚悟で振り切れた感情のまま歌ったりとかではないんです ちゃんと普通に歌いながらもその中に感情がこれでもかというほど込められているから本当に凄い。ファントムでもそういうことがあったりして何て人なんだ!と未だにその仕組み?を解明できていないのですが(苦笑) 普通なら“真面目に”楽譜に沿って歌ったら感情は出しにくいと思うんだけどなぁ~~特に翻訳の歌詞だと。。。そうそう、あとね、、、最後の「どこまでも追いかけ続ける」のところは経年を感じさせてもらえるのがこれまた凄い。黄泉の国の人は歳を取らない設定だと思うのですが(苦笑)シシィを追いかけてきた年月が歌を通して伝わってくるのって……同じことを感じたヅカ版トート、じいのお気に入りのあの人だけです。。。

ラストシーンは配信映像のアングル/切り替えの影響?あるいは舞台は生モノということでその時々の感情が出た??この日はとても穏やかで優しいシシィお迎えになっていました 明日海シシィもずっと笑顔だったし……じい的には4日の方が好きだったかな、、、望海トートが笑顔で両手を広げた時に伏し目がちにスーッとシシィの方に視線を被せるところが好きすぎて悶絶してしまったのですが 一瞬だけ憂いに満ちた表情をしたんですわ。でもシシィが胸に飛び込んできてくれて嬉しそうにしていたけど……昇天シーンでの表情も含めて、愛と死の狭間でどうにもならなかった感情を自分の中で若干無理やりにでも 納得させようとした表情に見えてね……本当のところはどうか分からないけれど でも3公演全てが違っているんだけど、それぞれ全部ストンと落ちる表現で、それぞれ全部が正解で……凄すぎるし、めちゃくちゃ楽しめたし、満足したし、幸せだったし、望海トートに出会えて本当に本当に良かったと思いました。最の高っ
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エリザベートTAKARAZUKA25周年スペシャル(ライヴ配信)

2021-05-03 23:50:29 | 観劇記
5月3日アニヴァーサリー スペシャルver.の観劇記、と見せかけておいてのトート閣下についてひたすら語る内容となっております……っていうかほとんどラブレター状態…か(笑)

きっと凄いだろうなと想像はしていましたが半端なく凄かった……想像以上の、予測不能の、まさかのまさか!ここまで魂を持っていかれるとは思いませんでした。久しぶりのこの抜け殻感……未だに心臓がドキドキ&キュンキュンしていて頭は痛いし、胸いっぱいだし、何も飲めない食べられないし、、、完全に魂は黄泉の国に逝ってしまいました コンサートなので演じる役をイメージするような普通の衣装なのかなぁと思っていたら(FNS歌謡祭で闇広を歌った時みたいな感じとか・・・)うぉ~~~~トート閣下だけフルコスチューム状態 さすがに全力のヅカメイクではなかったけど薄めのそれに近いような……タトゥー的なメイクが施されてたところは最初ビックリしたけど観ているうちに妙に堪らなくなってきてしまい パッと見すぐに頭に浮かんだのは朝夏さんと瀬奈さんのトートかなぁ~~ 髪型が特に、ね。

愛と死の輪舞、前奏前の歌い出し部分は緊張感があって硬さと揺れを感じたんだけど“本編”に入ってからがもう、ホント、息ができなくなるかと思いました。自分の頭の中に入っている歌い方がセリフ的なリズムなんですよね~~(深くは突っ込まないように・笑)なので逆に綺麗に歌われてしまうと気持ちいいんだけど上滑りしてしまうところがあるのですが、望海トートの歌い方は音はブレない、それでいて決して綺麗な歌い方ではない、音に感情が乗っていて言葉としても成り立っている。 Der Todの感情の揺れがこれでもかというほど伝わってきて抱えきれなかった……しかも息を吹き返したシシィに呼び止められたところでやられた~~振り向くんだけど完全には振り向かないしシシィの方をしっかりとは見ようとしないんです。目を逸らして遠くを見つめたその表情!いろんな感情が伝わってくるし「確かにそこにいるわあなた。私にだけ見えている~」というシシィの歌詞と1人の女と死という2人の関係性までもが見えてくるような存在感。凄すぎます、望海トート 私を返して!どころか開演20分もしないうちに黄泉行き決定~みたいな(苦笑)

最後のダンスは圧巻!1番は静かに不気味に、2番に入ってからは感情爆発で……影コーラスは要らないので全部歌っていただいてもよろしかったのでは?!と思うほどの大熱唱。ダンスの振りが付いていたら更にかっこよかったとは思うんだけど、背中と手の動きだけで物凄い存在感!エッジの利いた歌い方からはトート閣下の嫉妬と強がりが垣間見えてきてかっこかわいい と思ってしまうところもあったりして……。しかも音の取り方が絶妙。そこの音を取ってくれるのーーという歌い方なのでそれだけでも感動しちゃうのに更に激しい感情が乗ってくるわけでしょ~~じいを殺す気かっ!!!観客が入っていたら絶対にショーストップだっただろうなぁ~

シシィの部屋での誘惑場面、、、それまで黄泉感満載、青い血が絶賛流れていますの冷たい存在感だったのがシシィの前では優しくて色っぽい顔 露骨すぎるから止めれ~~と思わないでもなく(笑)でも拒絶された後の強がりがまた良くてキュンキュンしちゃってね~~と、ヅカ版エリザはここでの怒りがミルクの場面に繋がってトートが先導してハプスブルグの滅亡に導いていくという流れになっているんだけど、それがよく分かる望海トートの表情。ミルク~♪望海トートの「今!」を聴ける日が来るなんて……嬉しすぎです!そして1幕ラスト、、、私の人生は私のものと言い切るシシィを見る望海トートの表情がこれまたもうぅ~~諦めない、追い詰めてやる、最後に勝つのは自分だ、、、それでいてちょぴっと垣間見える悔しさが堪らなくて……お前しか見えない~のところはもうぅ~憤死するかと思ったし そしてヅカ版ならではのトート閣下の歌い上げでの1幕終わり。じい、この時点で抜け殻

2幕、、、私が踊る時。ホント申し訳ないんだけどやっぱり思ってしまう「もし・・・だったら」 今回はさすがトップ男役をやっていた同士だけある存在感だったし綺麗にハモって歌い上げる必要のない火花バチバチ飛び交うナンバーだし……でもね~~やっぱりアレを聴いてしまった後ではどうしても、ねぇ 今回は当たり前だけど全力でトート閣下でいて大丈夫だったので 歌が進化/深化していたのもさることながら演技や表情も思いっきりついていたので俺様な感じがとても素敵だった~ 続く子ルドとの絡みは獲物を仕留めたような冷たい青の存在感。ゾクゾクした~~そしてルド成長後の闇広♪望海さん、この前はルドルフとして芳雄トートに闇に誘われたけど(爆!)今回はトートでちゃんと闇に誘ってた~~行き着く先の黒い沼が見えて、それは影がどんどん長くなる、つまり黄昏、そして死に繋がっていく。望海トートがルドルフに差し伸べる手……まるで見えない糸があるような感覚なんですよね~~全てを操っているように見える手の動きが素晴らしかったです。でもさんざんかき回しておいてからのマイヤーリンクの場面。ルドルフに対する冷徹さにゾクッとしました しかもそこに恍惚感と色気を感じるなんて……。

後半になってからますますシシィ“だけ”に見せる優しい眼差し。彼女のどうにもならない“哀しみ”を喜ぶかのような、利用するかのような、でも寄り添うかのような……そういうのを感じました。ドクトルゼーブルガーからの誘惑。木端微塵に打ち砕かれ拒絶された時の悔しそうな表情からの「今に死にたくなる」のセリフ。何だろうな~~強がっても無駄と一蹴する余裕がありながらもどこか温かみを感じるというか、相反するものが共存する複雑さが感じられて……。それと終盤で見逃してはいけないアレ!初めてシシィから死を求めた時の「死は逃げ場ではない」からの愛と死の輪舞リプライズ。望海トートはどうしてくるだろうと大注目だったのですが、ちょっともう~~~~~胸が張り裂けそうとはこのこと!!!切ないとか愛おしいとかそんなことではないのよね~~ただただ苦しい。死が人を愛する、、、トート自身が自分ではどうにもできない様々な感情に戸惑っているのがひしひしと伝わってきて辛くて辛くて マジやばいです、この場面。

ラストのシシィお迎えシーンはゴメンナサイ 白い衣装にキラキラが付いた王子様仕様の望海さんが眩しすぎて噴いちゃった……どうにも慣れなくて(笑) ここの場面、トートがどんな風にお迎えするのか、これまた絶対に外せない場面なんだけど、望海トートは温かい笑顔で手を広げて大きな存在感で待っている。何かその温かさがちょっと可愛いというか、さんざん冷酷にかき回しておいてシシィだけには優しい表情を見せてきて実は黄泉では着々とシシィに振り向いてもらえるように、気に入ってもらえるようにアレコレ準備してきたんじゃないの?と妄想したくなるような……俺様のところにくれば大丈夫だよー的な!?(笑)で、シシィが飛び込んできてくれた時の嬉しそうな表情といったらもうっっっ でもね~~なんかホロっと来ちゃったんですよね。こんな気持ちになったのはホント久しぶりで……多分いろんな感情が溢れたせいでだと思うのですが、本当に本当にほ~~~んとうに嬉しかったです、望海トートが観られたことが。15年間待った甲斐がありました。2人の男が1人を愛する、もとい1人の女が2人を愛する!性別の違う好きな人が同じ役をすることがそもそも奇跡なのに、どっちも愛せるなんてこんなに幸せなことってある


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