5月30日マチネの観劇記です。
~あらすじ~
舞台のモデルとなっているのはポーランド北東部に位置するイェドヴァブネという小さな町。世界大戦によって国の東側をソビエトに占領され、その後独ソ不可侵条約を破って侵攻してきたドイツの占領下となる複雑な時代背景の中、 10人の登場人物たちが如何にして生き、死んでいったのか。ポーランド人かユダヤ人か、変えようのない事実が運命を大きく左右する。かつてのクラスメートたちはその運命に翻弄され、抵抗すら出来ずに命を落とす者、誰かを犠牲にしても生きようとする者、それぞれの"歴史"が舞台上に刻まれることになる。それはあたかも彼ら自身の目で見、耳で聞き、心に記録された事実=歴史を振り返り、学ぶための授業のようである。(文学座HPより)
アトリエ演目発表の時から絶対に観たい!と思っていた作品でした。1930年代~40年代の歴史には興味 なので。でも、想像以上に凄いものを見せられたという感じでしょうか。描かれたものを観ると、確かにそうだ、歴史そして人間というのはそういうものだ、、、普通に納得して受け止めることはできる。でも、どこか他人事で真に理解できなくて突き放している部分があって、それと同時に自分の視点がユダヤ人の方に寄り添ってしまうもどかしさもあって……いろいろ考えさせられる、でも良い作品だと思いました。
上演時間2時間40分の全2幕(休憩15分を含む)。舞台を2方向から囲む感じで客席が作られていて、舞台上には昔懐かしい木の椅子と机が10セット並べられていて、まさに教室になっている状態から始まります。その椅子と机は時に人間とされて、鞭打たれたり強姦されたり殴られたり……特に残虐な場面でそういう使われ方をしていましたが、木のぶつかり合う音が効果的に響いて上手いな~と思いました ただ、、、演出的には苦手な部類かな~~ というのが、対話と語りを役者さんたちがそれぞれ担うのですが、語り……傍白&独白の時にどうしても“THE 演劇”的だな~と感じてしまって 勝手に熱く自己主張している感覚がどーにも昔から嫌で、演劇というとこういうイメージがあったので実は苦手だったりしたので しかも2年前の「イリアス」みたいに叙事詩になっていると耳当たりがいいのですが(それでも最初の頃は自分の中でかなり頑張ってた!)普通のセリフとなると……でもそこは実力のある役者さんたちばかり、しかも言葉を大切にする文学座の芝居ですから!苦手意識なんぞヒョイッと飛び越えてしまって、1つ1つのセリフにこめられたエネルギーに引き込まれました 他のカンパニーの舞台なら帰ってた……かも そうそう、、、ソ連支配下で弾圧されたポーランド人がナチス支配下になった時にそれまでの復讐としてユダヤ人の同級生を殴るところ。見ていて決して良い気持ちのする場面ではないのですが、ポーランド語の7格→主格、生格、与格、対格、造格、前置格、呼格の変化を言いながら甚振るんですよね~~じい、思わず「こんな格変化を覚えるなんて絶対に無理~」とポーランド語恐怖症になりかけた 学習する予定も義務も全くありませんが
冒頭、小学校入学の場面からスタート ポーランド人とユダヤ人の子供それぞれ5人ずつが同じ教室で学ぶ。演じるキャストの皆さんは当然ながら大人(笑)さすがに無理感が漂ってましたが(ゴメンナサイ)いつのまにか時が経っていて「えーーもう大人」と唐突感ありすぎでビックリでした(苦笑)入学した時の自己紹介で一人一人が父親の職業と将来の夢を話すんですよね~~父親の職業というところに意味があると思うんだけど、知識不足で詳しくは分かりません それに最初の場面で10人もいて馴染みのない名前を頭に入れようと必死で考える余裕はなかったの~~ 無邪気に遊ぶ場面、、、でもその中に時折グサッと突き刺さる出来事が挟まれるんですわ。一見すると子供同士の些細ないざこざ、勢い余ってつい蔑むようなことまで言ってしまったりやってしまったり……すぐに仲直りして何事もなかったように過ぎていくんだけど、この時点では深い意味はないと思うんですよね~~ただの悪ふざけ以上でも以下でもない。観ていて妙に冷たく残酷な気持ちが残ったんですけどね。そして成長した10人の同級生たち……やっぱり言葉の端々に昔と同じちょっとした侮蔑的表現を含んでいることがあって、今度は子供の時と違うんですよね~~同じように何事もなかったように流れていくけど、それは生きていくために耐えなければならない、やり過ごさなければならない大人の知恵、諦めのように見えました。ただ、こういうちょっとしたことで出てくる民族的な価値観が厄介だと思うんですよね~~脈々と流れるヨーロッパの人たちのユダヤ人に対する意識、、、知識として分かってはいても真に理屈抜きの部分では理解できないと思うんですよね~~日本で生まれ育った者には。でも対象を変えてみればもしかしたら理屈抜きの意識の部分でどこの国の人……国や民族という括りも適切ではないのかもしれませんが、分かることもあるのかな~と
幼少期は一緒に過ごした仲間が成長して歴史や政治に翻弄されバラバラになり……という、いかにもどこかにありそうな単純な悲劇の物語になっていなかったところに説得力がありました。ユダヤ人と言えばディアスポラを余儀なくされ迫害を受けた悲劇の民という面は有名だと思うのですが、ポーランド人もまたユダヤ人と同じ道を辿っているんですよね~~3度の分割で地図上から消滅して世界各国を彷徨い、独立を勝ち取った後もソ連やナチスの侵略を受けて弾圧されてきた悲劇の民なんですわ。でもそれだけではない……この作品ではイェドヴァブネ事件を題材にしていて、ソ連支配下で弾圧されたポーランド人がソ連に協力したとされるユダヤ人を虐殺する……その場面はキャストの語りと椅子と机で表現されたものを「想像」しなければならないのですが、逆にそれがリアルに伝わってきて辛かったです そしてユダヤ人もまたポーランド人に対して惨い仕打ちをする、、、ナチスに協力したことを告白したり、共産圏体制下のポーランド政府の手先として働いたり、迫害の歴史を世界で切り売りして金儲けや名誉の手段にしたり……生きるためには仕方がなかったというのもあるのかもしれませんが、心に根付き受け継がれてきた理屈抜きの差別的な価値観ゆえに自分がされてきた惨いことを相手に行ってしまう……誰もが被害者になり、そして加害者にもなり得ることの哀しさと恐ろしさを感じました ユダヤ人、ポーランド人、それぞれの弾圧を生き抜き人生を全うした人たち、、、自分が同級生を密告して売ったこと、殺したこと、見捨てたこと、裏切ったこと……同じ教室で学んだ者の中にある些細な人間関係の中で描いているところが面白くもあり深くもあると思ったのですが、歴史に翻弄される中に人間ドラマが描かれているんですよね~~実らなかった初恋であったり、積年の思慕や嫉妬であったり。でも、そこには純粋に人間同士の感情のやり取りがあるだけではなく、民族的な価値観や敵対意識が影を落としているところが一筋縄ではいかないというか、なんとも複雑な感情を抱かせるんですよね~~そして、最後まで生き残った人たち、、、墓場まで持っていく秘密を抱えて、それでも生きてきた→日本の戦時中を行きぬいた、あるいは他の国でも紛争や弾圧を生き抜いた人たちにも同じことが言えるのではないかな~とふとそんなことまで考えてしまいました。
ラストで「動くことを拒んで留まり続けている星がある、それは北極星でいつも同じ方向を見上げればそこにある。そして右側には東があって、左側には西があって、後ろには南があって」という内容のセリフが斉唱されるのですが、真実はかならず存在していて、視点はいくつもあるということ、その多面性は大切だけどもしかしたらない方がいいのかもしれない、でもなくてはならない厄介なものでもあること、な~~んかいろんなことを考えさせられる締めくくりでしたね~~
最後に、、、場面が進むにつれて登場人物が死んでいくのですが、死んだ後も舞台上に座っているor立っているんですよね~~もちろん一言も喋らないで存在しているだけなのですが、その雰囲気が素晴らしかったです 決して邪魔にならない、濃すぎず薄すぎず程よい存在感が良かったと思います。難しいと思うわ~~ずっと板の上にいないといけないって。あと、最後の方で唯一アメリカに渡って恵まれた(多分…)生活を送ったアブラムが大家族の名前を次々に言っていくところがあるのですが←力強い長セリフに圧倒された~ あまりの名前列挙のしつこさ(爆!)に客席から笑いが起きていたのですが、、、でもコレってユダヤ人というのを思いっきり分かりやすく出していると思うんですよね~~「負傷者16人」でも同じようなセリフがありましたが、○○の子△△、△△の子××みたいな感じ 旧約聖書にもアブラハムの子イサク、イサクの子ヤコブ…という系譜を逐一述べるところがありますが、多分ユダヤ人の思想と深く関係しているところがあるんだな~と。。。
~あらすじ~
舞台のモデルとなっているのはポーランド北東部に位置するイェドヴァブネという小さな町。世界大戦によって国の東側をソビエトに占領され、その後独ソ不可侵条約を破って侵攻してきたドイツの占領下となる複雑な時代背景の中、 10人の登場人物たちが如何にして生き、死んでいったのか。ポーランド人かユダヤ人か、変えようのない事実が運命を大きく左右する。かつてのクラスメートたちはその運命に翻弄され、抵抗すら出来ずに命を落とす者、誰かを犠牲にしても生きようとする者、それぞれの"歴史"が舞台上に刻まれることになる。それはあたかも彼ら自身の目で見、耳で聞き、心に記録された事実=歴史を振り返り、学ぶための授業のようである。(文学座HPより)
アトリエ演目発表の時から絶対に観たい!と思っていた作品でした。1930年代~40年代の歴史には興味 なので。でも、想像以上に凄いものを見せられたという感じでしょうか。描かれたものを観ると、確かにそうだ、歴史そして人間というのはそういうものだ、、、普通に納得して受け止めることはできる。でも、どこか他人事で真に理解できなくて突き放している部分があって、それと同時に自分の視点がユダヤ人の方に寄り添ってしまうもどかしさもあって……いろいろ考えさせられる、でも良い作品だと思いました。
上演時間2時間40分の全2幕(休憩15分を含む)。舞台を2方向から囲む感じで客席が作られていて、舞台上には昔懐かしい木の椅子と机が10セット並べられていて、まさに教室になっている状態から始まります。その椅子と机は時に人間とされて、鞭打たれたり強姦されたり殴られたり……特に残虐な場面でそういう使われ方をしていましたが、木のぶつかり合う音が効果的に響いて上手いな~と思いました ただ、、、演出的には苦手な部類かな~~ というのが、対話と語りを役者さんたちがそれぞれ担うのですが、語り……傍白&独白の時にどうしても“THE 演劇”的だな~と感じてしまって 勝手に熱く自己主張している感覚がどーにも昔から嫌で、演劇というとこういうイメージがあったので実は苦手だったりしたので しかも2年前の「イリアス」みたいに叙事詩になっていると耳当たりがいいのですが(それでも最初の頃は自分の中でかなり頑張ってた!)普通のセリフとなると……でもそこは実力のある役者さんたちばかり、しかも言葉を大切にする文学座の芝居ですから!苦手意識なんぞヒョイッと飛び越えてしまって、1つ1つのセリフにこめられたエネルギーに引き込まれました 他のカンパニーの舞台なら帰ってた……かも そうそう、、、ソ連支配下で弾圧されたポーランド人がナチス支配下になった時にそれまでの復讐としてユダヤ人の同級生を殴るところ。見ていて決して良い気持ちのする場面ではないのですが、ポーランド語の7格→主格、生格、与格、対格、造格、前置格、呼格の変化を言いながら甚振るんですよね~~じい、思わず「こんな格変化を覚えるなんて絶対に無理~」とポーランド語恐怖症になりかけた 学習する予定も義務も全くありませんが
冒頭、小学校入学の場面からスタート ポーランド人とユダヤ人の子供それぞれ5人ずつが同じ教室で学ぶ。演じるキャストの皆さんは当然ながら大人(笑)さすがに無理感が漂ってましたが(ゴメンナサイ)いつのまにか時が経っていて「えーーもう大人」と唐突感ありすぎでビックリでした(苦笑)入学した時の自己紹介で一人一人が父親の職業と将来の夢を話すんですよね~~父親の職業というところに意味があると思うんだけど、知識不足で詳しくは分かりません それに最初の場面で10人もいて馴染みのない名前を頭に入れようと必死で考える余裕はなかったの~~ 無邪気に遊ぶ場面、、、でもその中に時折グサッと突き刺さる出来事が挟まれるんですわ。一見すると子供同士の些細ないざこざ、勢い余ってつい蔑むようなことまで言ってしまったりやってしまったり……すぐに仲直りして何事もなかったように過ぎていくんだけど、この時点では深い意味はないと思うんですよね~~ただの悪ふざけ以上でも以下でもない。観ていて妙に冷たく残酷な気持ちが残ったんですけどね。そして成長した10人の同級生たち……やっぱり言葉の端々に昔と同じちょっとした侮蔑的表現を含んでいることがあって、今度は子供の時と違うんですよね~~同じように何事もなかったように流れていくけど、それは生きていくために耐えなければならない、やり過ごさなければならない大人の知恵、諦めのように見えました。ただ、こういうちょっとしたことで出てくる民族的な価値観が厄介だと思うんですよね~~脈々と流れるヨーロッパの人たちのユダヤ人に対する意識、、、知識として分かってはいても真に理屈抜きの部分では理解できないと思うんですよね~~日本で生まれ育った者には。でも対象を変えてみればもしかしたら理屈抜きの意識の部分でどこの国の人……国や民族という括りも適切ではないのかもしれませんが、分かることもあるのかな~と
幼少期は一緒に過ごした仲間が成長して歴史や政治に翻弄されバラバラになり……という、いかにもどこかにありそうな単純な悲劇の物語になっていなかったところに説得力がありました。ユダヤ人と言えばディアスポラを余儀なくされ迫害を受けた悲劇の民という面は有名だと思うのですが、ポーランド人もまたユダヤ人と同じ道を辿っているんですよね~~3度の分割で地図上から消滅して世界各国を彷徨い、独立を勝ち取った後もソ連やナチスの侵略を受けて弾圧されてきた悲劇の民なんですわ。でもそれだけではない……この作品ではイェドヴァブネ事件を題材にしていて、ソ連支配下で弾圧されたポーランド人がソ連に協力したとされるユダヤ人を虐殺する……その場面はキャストの語りと椅子と机で表現されたものを「想像」しなければならないのですが、逆にそれがリアルに伝わってきて辛かったです そしてユダヤ人もまたポーランド人に対して惨い仕打ちをする、、、ナチスに協力したことを告白したり、共産圏体制下のポーランド政府の手先として働いたり、迫害の歴史を世界で切り売りして金儲けや名誉の手段にしたり……生きるためには仕方がなかったというのもあるのかもしれませんが、心に根付き受け継がれてきた理屈抜きの差別的な価値観ゆえに自分がされてきた惨いことを相手に行ってしまう……誰もが被害者になり、そして加害者にもなり得ることの哀しさと恐ろしさを感じました ユダヤ人、ポーランド人、それぞれの弾圧を生き抜き人生を全うした人たち、、、自分が同級生を密告して売ったこと、殺したこと、見捨てたこと、裏切ったこと……同じ教室で学んだ者の中にある些細な人間関係の中で描いているところが面白くもあり深くもあると思ったのですが、歴史に翻弄される中に人間ドラマが描かれているんですよね~~実らなかった初恋であったり、積年の思慕や嫉妬であったり。でも、そこには純粋に人間同士の感情のやり取りがあるだけではなく、民族的な価値観や敵対意識が影を落としているところが一筋縄ではいかないというか、なんとも複雑な感情を抱かせるんですよね~~そして、最後まで生き残った人たち、、、墓場まで持っていく秘密を抱えて、それでも生きてきた→日本の戦時中を行きぬいた、あるいは他の国でも紛争や弾圧を生き抜いた人たちにも同じことが言えるのではないかな~とふとそんなことまで考えてしまいました。
ラストで「動くことを拒んで留まり続けている星がある、それは北極星でいつも同じ方向を見上げればそこにある。そして右側には東があって、左側には西があって、後ろには南があって」という内容のセリフが斉唱されるのですが、真実はかならず存在していて、視点はいくつもあるということ、その多面性は大切だけどもしかしたらない方がいいのかもしれない、でもなくてはならない厄介なものでもあること、な~~んかいろんなことを考えさせられる締めくくりでしたね~~
最後に、、、場面が進むにつれて登場人物が死んでいくのですが、死んだ後も舞台上に座っているor立っているんですよね~~もちろん一言も喋らないで存在しているだけなのですが、その雰囲気が素晴らしかったです 決して邪魔にならない、濃すぎず薄すぎず程よい存在感が良かったと思います。難しいと思うわ~~ずっと板の上にいないといけないって。あと、最後の方で唯一アメリカに渡って恵まれた(多分…)生活を送ったアブラムが大家族の名前を次々に言っていくところがあるのですが←力強い長セリフに圧倒された~ あまりの名前列挙のしつこさ(爆!)に客席から笑いが起きていたのですが、、、でもコレってユダヤ人というのを思いっきり分かりやすく出していると思うんですよね~~「負傷者16人」でも同じようなセリフがありましたが、○○の子△△、△△の子××みたいな感じ 旧約聖書にもアブラハムの子イサク、イサクの子ヤコブ…という系譜を逐一述べるところがありますが、多分ユダヤ人の思想と深く関係しているところがあるんだな~と。。。