今日は大雨
の予報でしたが、、、じいが外歩きしている時間はほとんど降らず……さすが晴れ女
なんちゃって
太陽の光までは呼び込めませんでしたが……行ってきましたよ~~英語のお勉強
真面目な勉強ではなく、いえいえ超真面目に学生時代以来の“集中講義”5時間半!全力で受けてまいりました。でもね~~ホント楽しくて楽しくて気がついたらもうそんな時間
みたいな感じのあっという間の5時間半、まだまだ足りなくて合宿大歓迎~みたいな(笑)ま、帰りの電車は大爆睡だったのである意味これでちょうど良かったのかもしれませんが(苦笑)やっぱり興味のあることは違うのね~~大学の時に仕方なく受けた必修科目の集中講義でギブアップした時とは大違いだわ
はい、、、何をお勉強してきたかというと「第3回英語で読むミュージカル」でテーマはレミゼ
ちょうど来月の映画公開に合わせてということもあったようですが、こういうのを待っていたーーじいツボ直撃!!!講師は戯曲翻訳や演出をされている薛珠麗さん。例のジャジャーン
と始まるプロローグからラストのPeople's songまでひたすら英語で読んでいくという……リトルコゼをすっ飛ばしていきなり10年後(本当は9年後だけど~という話があったり・笑)の場面だったり、Empty chairs抜かしてweddingだったり……薛珠麗さん、5時間でも足りない、テナの話だけで1つの講義ができる程、とおっしゃっていたのですが、ホントですよね~~レミゼの歌詞というか単語の1つ1つからして選び方があまりにも深すぎるから取捨選択するのは大変だと思いますわ。でも、真面目な英語の話からレミ愛溢れるツッコミまでinterestingな話満載で贅沢すぎる時間を過ごすことができて大満足でした
「光と影」という対比に絡めた話がたくさん出てきたのですが、照明の演出だったり音楽だったり、そういう部分での話はよく出てくるので聞いたことがあったのですが、英語の中でも…というか日本語の流れでは表しにくい表現、、、それも全然難しい単語や言い回しじゃないんですよね~~中学生でも分かるような表現、でもシンプルだからこそレミゼの世界観だったり奥行きのある意味を考えなければ感じ取れない部分が英語ゆえに分かるというところがあったりして……dark1つ取ってもね、、、深いんですわ、コレが
ex)A heart full of love♪
中でもガッテン
めちゃめちゃ腑に落ちたのがStarsの話。この歌が歌いたくてジャベに惹かれたと誰かさん
でもじいは正直なところ今までそこまでジャベに拘りがなかったんですよね~~どちらかというとレミゼの世界観=キリスト教の世界観を分かりやすく象徴しているバルジャンの方に心を寄せていたので。バルとジャベが表裏一体の存在ということは分かっていてもイマイチうーん
というか……特にStarsはね~~いい曲だと思うけど本当のところはよく分かっていなかったんですわ
それが今日のお話でパーッとクリアーに
創世記で神は最初に光を作ったという話から始まり(第1章第3節の「光あれ」ってところね
)聖書=神の言葉なのでキリスト教世界で文字が読めないというのは神を知らないということと同じ。つまり光=知識であるとのこと。日本のように裏の世界→闇もまた肯定し美学があるというのはあり得なくて、ゆえにテナルディエは神の存在を知らないから絶対的に救われない存在なんだと
ジャベはその知識→法律という形で獲得し、法によって取り締まることで光の中で生きる術としたということになると。。。でも光は決して神の愛ではなくて悪を見張る光……「Filling the darkness With order and light」「keeping watch in the night」にも込められていてジャベの視点は周縁的であって屈折している部分があると……原詞だと詳しく説明しているので伝わりやすいというか、そう読み解いてもらうとStarsというナンバーの言わんとしていることと曲の立ち位置がストンと落ちてくるんですよね~~
更にジャベ話は続き、2幕の自殺場面……1幕でバルが歌う「What I have done?」と呼応しているナンバーで「I am reaching but I fall」という同じ歌詞も出てくるんだけど、そこから辿る道の違いが何とも切ないというか重いというか……ジャベの中では「either Valfean or Javert」なんでしょね~~共存はあり得ない。今回、ジャベの自殺は日本の切腹の美学
ではないという話がありましたが、最後の「There is no way to go on...」で最後まで言えていない→葛藤の中で落ちていくジャベの姿があるというところがもうね~~目から鱗!凄い!!と思いました。自殺は罪であるとかそういう範疇を超えた何かを感じました。
いや~~おかげでジャベを見直しました……って今更って感じですが(笑)やっぱり忘れてはいけないじいのバルジャン的こだわり
これが聞きたかったのよぉ~~エピローグのココ!!!話が始まった瞬間、心の中はキタ━(゜∀゜)━!の狂喜乱舞。日本語訳の「私は父じゃない」のところね~~じいの頭をグルグルさせたこの部分、、、やはりこれは違うと
元は「It's a story of those who always loved you/Your mother gave her life for you then gave you to my keeping.」ですぅ~~大事なのは命がけで愛したファンテの愛を受け継ぐことであって父じゃない云々は関係ない。ファンテの死で「目覚めたらあの子に会いに行くわ~」というアソコ、、、「And tell Cosette I love her」という原詞が訳に反映されなくて残念という話が出てきたんだけど、まさにこの場面に呼応する大事な部分だな~と。そしてそして!!!その前のIt's a story of those whoね、、、これだけは聞いて帰らねばーーということでしっかり問ってきました
いや~~素敵な答えをいただきました
稽古場でジョン・ケアード氏がツッコミを入れたと……コゼットに渡した手紙→last confessionですが、、、相当字が小さくて読みにくかっただろうな~と言ったと
あの壮大なバルの人生が紙一枚で収まるわけがないと(爆!)アハハ~~じいも似たようなツッコミをしたことがあるかも~~夏目漱石「こころ」の先生の遺書はすんごい送料がかかっただろうな~って
ま、それはともかくとして、つまりはですね~~それだけの人生の中で関わってきた人が大勢いて、その人たちのことが手紙には書かれているんだろう、そういう人たち全てを言っているのではないかと……。以下はじい的受け止め方ですが、それを聞いて思わず頭を過ったのがエピローグ冒頭の歌詞。随所に曲のタイトルが表れている……ということはlast confessionに繋がると考えてもいいのかな~~そして未来を託した人たち全てと考えてもいいのかな~~ってね。いつぞやの映画の字幕、、、「男と女の物語」に怒り狂った“怨みも全て忘れて♪”かな
とにかく
他にもファンテ、エポ、マリ、グラン、、、情報量が多い原詞ならでは!具体的に描写や説明表現があるからこそキャラクターが定まってくるというか、ホント心にストンと落ちてくるんですよね~~日本語は一音一字だから仕方ないとは思うし、原詞に隠された部分は演技で補ってくれるキャストだとま~だ納得できるところはあるんですけどね~~と思ってしまったじい
それに、、、これまたどうしようもないんだけど、やっぱりキリスト教の世界観や価値観の本当のところを共有するのって難しいんだろうな~って。随所に出てくるshameの意味合いもそうだし、rightとかguiltyも通じるものがある。エピローグなんてまさにその凝縮だし~~Somewhere beyond the barricade Is there a world you long to see?と断定ではなく問いかけになっていること、ラストのWhen tomorrow comes...Tomorrow comes!……これはwhenがその後のTomorrow~にかかるかどうか解釈が分かれるということなんだそうですが、その少し前のThey will live again in freedom in the garden of the Lord/They will walk behind the plough-shareも含めて「あぁ~キリスト教だな」と
じいの場合は農業系単語が出てきたら新約のコリント人への第一の手紙第3章「わたしは植え、アポロは水をそそいだ…」のくだりが浮かんできてしまうのですが(苦笑)
でも、バルジャンが聖人君子ではないように、レミゼは決して道徳くさい押し付け話ではないんですよね~~エポの話で彼女が歌うナンバーはロックでないと歌えない→現代的かもしれないという話が出たんだけど、そこから派生して思ったのが「神のために」と目に見えて行動していない人でも「誰かを愛することは神様のおそばにいることだ」ということになる……レミだけでなくベガーズであったりジェーン・エアであったり、、、鼻につかないのは負を認めているということ……「世に苦しみの炎消えないが」「愛し愛されて苦しんで生き抜いてどうせ終わるのさ」「生きることは辛いけれど」…そこが救いなのかな~と……でも負から始まる発想はやっぱりキリスト教的…か
じいが語り始めてどうするという感じで止まらなくなりそうなのでここまで
ま、こんなことを頭の中で巡らせながら堪能してきました
なので帰宅後はまるで観劇して帰った時の心地よい疲労感!いい夢が見られそうですぅ~~