超超超~~遅すぎっ 今更ながら~な感いっぱいですが、10月3日ソワレ、イリアス大千秋楽の観劇記です。
そもそも大楽がソワレってどうよ な不可思議な日程 正真正銘のラストでマチソワ公演もビックリという感じで マチネは観ていないので分かりませんが、全体的な勢いという意味では前日の公演の方が良かったかな~という印象はありました。でも、東京楽と同様に不必要な熱気というか、楽独特のテンション な感じはなくて平常心な流れで思う存分イリアスの魅力が溢れていたので良かったと思いますね~~ってか、むしろ特別な感慨深さで観ていたのはじいの方だったかも 「今日で最後!」という思いがあったし、9月2日の初日から観てきたイリアスの世界、登場人物の思いや生き方を総括する気持ちというか、結局自分はどんな風に受け止めて思いのやり取りをしてきたかという“まとめ”を勝手にしながら観ていたんですよね~~なので、冒頭のカサンドラの語り&歌からウルウル やっぱり戦い=真に生きることだと思うから……そんな風にしか生きられない人間が切なくて愛おしくて
ところで、、、いきなりですが告白いたしまする 最後の最後でじいの浮気発覚 あろうことか~~ヘクトルに してしまいました。終演後に暴露したら友人たちは呆れていましたが(笑) なぜかこの日は妙にかっこよく見えてしまったんですよね~~外見云々ではなくて ←特にメイクは要らなそう……素でトロイア人いけそうだけど 1幕のアンドロマケとのやり取りを見ていて「いいな~」と思っちゃったのよね~~もちろん今の結婚観等々の価値観が違うから単純に羨ましいとかカッコイイとかいうわけではないんだけど、守るべきものがある男の強さが素敵だな~って コレ、そんな風な安心して愛せる部分がない男を愛する我が習性に疲れたせい?なんちゃって ま、すぐに一時の気の迷いだったことに気づきましたが(笑)アキレウスが出てきた瞬間に内面から湧き上がる心、言葉や外見ではない受け止め方、全然別次元なんだもん……と、冗談はともかくとして、そんなヘクトルに関しても甘くて優しいかっこよさだけがあるわけではないんですよね~~アンドロマケに背を向けて戦う欲求を口にするところやギリシア軍に攻め込む姿は、単に大切なものを守るために戦うのではなくヘクトル自身の戦う欲望、命のやり取りをしたいというある意味汚いけど美しすぎるほど正直な気持ちに溢れているように感じました。だからこそ、、、パトロクロスを殺すシーンは憎らしかったし、アンドロマケが「私の夫はこれほどまでの仕打ちを受けるようなことをしたのでしょうか?」と問うセリフを聞いて同情も哀れみも感じなかったし。
でも、やっぱりトロイアを、大切な者たちを守るために戦って散った英雄なんですよね~~ヘクトルは。結局は父王プリアモスが亡骸を迎えに来て、家族に囲まれて、盛大な葬儀で冥府に送られる。確かに、、、死ぬ運命をも覚悟してアキレウスの前に現れ、自分の全てを語りアキレウスを説得し、息子の遺体を抱きしめて号泣するプリアモスに観る者の心が寄り添うのは当たり前だと思うんです。でも、じいはこの場面を観る毎に感じたのはアキレウスの孤独 彼は自分の命が短い運命であることを知っていて、命の輝きも儚さも実感していて、それでもなお戦いたい=真に生きたいという悲しいまでに美しい人間の性を持っている。今回は特にパトロクロスの亡霊との語らいシーンがめちゃめちゃ良かったんです。友……ってか恋人…か パトロクロスを失った悲しみがこれでもか!というほど伝わってきて、じいは今までにないほど号泣しちゃって 大切な人を失った心の揺れ、、、単に悲しいだけじゃないんです。思い出を語る楽しさ、盛大な葬儀をすることで喪失感を埋め自分を納得させること、それでも癒されない傷、どうしようもないやるせなさ、、、いろ~~んな思いが交錯する……これ、パトロクロスが「僕はもう死んだんだよ」と言い、それに対してアキレウスが「あぁ、残念だ」という。この“応答”が全てを語っているとじいは思うのです。そして、、、この亡霊シーンこそが、大切な人を亡くした本当の悲しさを表しているのではないかと。人が死ぬって、その瞬間よりも時間の経過と共に真に迫って本当に実感し悲しみを知るものだから。しかもそれが本来なら死ぬ必要はなかった「戦い」によって命を落とすということになるといっそう……でも、それと同時に戦いを止められない、生きることは戦うことである人間の存在を思うと……ますます切ないな~ で、、、そんなシーンを見せられた後にプリアモスの言葉に耳を傾け息子を抱きしめる姿を背後に感じるアキレウスの姿を見てしまったら……他の人間よりも運命の真実を知るアキレウス、ギリシアに帰れない彼の体を抱きしめ、死した後も思ってくれる人はいるのだろうかと思ったんですよね~~アキレウスの背負っているものは多分、周りの人間たちには分からないし、それを責めるべきではないんだけど、神と人間の合いの子だからこそ?他の人より何倍も濃厚に生きているからこそ見えてくる、いや、見えてしまうものを背負った存在……その孤独さが突き刺さりましたね~~上手側に立って背後で号泣するプリアモスを感じて涙する姿が悲しいまでにかっこよくて、でもとてつもなく切なかった~~
でね~~同じ孤独をカサンドラにも感じたんです。いや~~今更ながら(苦笑)最近 している聖子ちゃんの演技に脱帽 未来が見えるカサンドラゆえの孤独……泣けない辛さ。2幕でプリアモスがアキレウスの元に行くと言った時にアンドロマケが引き止めるシーン。最後に彼女は「私は不幸を告げる鳥にはなりません。どうかヘクトルの遺体を引き取りに行ってください。それが叶わぬなら私の分まで涙を流してきてください」と言うんだけど、その時に柱に寄りかかっていたカサンドラがアンドロマケとプリアモスの方をチラッと見て悲しそうな顔をする。。。アンドロマケのように素直に、正直に自分の思いをぶつけられたら……でもカサンドラは自分のエゴな思いでは生きられない運命……というか真実が見えてしまうゆえにそうはできないわけで、それはある意味「英雄」的な選ばれし存在として輝かしいのかもしれないけど、それが逆に悲しくて……泣けない辛さ、感情を爆発できないってホント辛いですから。
カテコは確か5回……か もうね~~じい、既に1回目から泣けて泣けて あぁ~~無事に全部が終わったんだ、本当に本当にお疲れ様でした、、、エトセトラ いろ~~んな気持ちが溢れてきました。イリアスの創作に関わった全ての皆さんに大拍手 はもちろんなんだけど、ゴメンナサイ やっぱりじいの心が全力で向かうのは内野さん。やりきったという脱力感を含みつつ達成感に満ち溢れた笑顔がひたすらに愛おしかった 最後は内野バイバイや短剣を高く大きくかざす仕草が微笑ましいやら安堵の気持ちやらでいっぱいになりましたね~~そうそう、5回目の時は木場さん~~やっちゃいました 一人袖に引っ込んだまま出てこなくて、内野さんが両手で「ここに一人いるはずなんだけどね」みたいな仕草をされてたら、しばらくして木場さんが走って来られて 何やら一番上の羽織物を着なおしながらの登場……もしかして既にお帰りモードだった…か
始まる前はちゃんとイリアスについていけるだろうか、思いのやり取りができるだろうかと不安がいっぱいだったけど、終わってみれば嵌りまくり~~まだまだ取りこぼしているところがいっぱいあるから観続けたい作品になりました。BBとは違った意味で引きずりそう~~って、大楽の後の数日間はカサンドラの歌が頭を占拠してたんだけど まさに演劇の醍醐味を味わうには溜まらない、面白すぎる演目!内面のやり取りというよりは突き放したところで内面と闘う作品だったような……そして、そんな作品だったからこそ突如やって来た巨大台風に立ち向かい、揺るぎない内野愛を確信できたのではないか……そんな風に思うのです
そもそも大楽がソワレってどうよ な不可思議な日程 正真正銘のラストでマチソワ公演もビックリという感じで マチネは観ていないので分かりませんが、全体的な勢いという意味では前日の公演の方が良かったかな~という印象はありました。でも、東京楽と同様に不必要な熱気というか、楽独特のテンション な感じはなくて平常心な流れで思う存分イリアスの魅力が溢れていたので良かったと思いますね~~ってか、むしろ特別な感慨深さで観ていたのはじいの方だったかも 「今日で最後!」という思いがあったし、9月2日の初日から観てきたイリアスの世界、登場人物の思いや生き方を総括する気持ちというか、結局自分はどんな風に受け止めて思いのやり取りをしてきたかという“まとめ”を勝手にしながら観ていたんですよね~~なので、冒頭のカサンドラの語り&歌からウルウル やっぱり戦い=真に生きることだと思うから……そんな風にしか生きられない人間が切なくて愛おしくて
ところで、、、いきなりですが告白いたしまする 最後の最後でじいの浮気発覚 あろうことか~~ヘクトルに してしまいました。終演後に暴露したら友人たちは呆れていましたが(笑) なぜかこの日は妙にかっこよく見えてしまったんですよね~~外見云々ではなくて ←特にメイクは要らなそう……素でトロイア人いけそうだけど 1幕のアンドロマケとのやり取りを見ていて「いいな~」と思っちゃったのよね~~もちろん今の結婚観等々の価値観が違うから単純に羨ましいとかカッコイイとかいうわけではないんだけど、守るべきものがある男の強さが素敵だな~って コレ、そんな風な安心して愛せる部分がない男を愛する我が習性に疲れたせい?なんちゃって ま、すぐに一時の気の迷いだったことに気づきましたが(笑)アキレウスが出てきた瞬間に内面から湧き上がる心、言葉や外見ではない受け止め方、全然別次元なんだもん……と、冗談はともかくとして、そんなヘクトルに関しても甘くて優しいかっこよさだけがあるわけではないんですよね~~アンドロマケに背を向けて戦う欲求を口にするところやギリシア軍に攻め込む姿は、単に大切なものを守るために戦うのではなくヘクトル自身の戦う欲望、命のやり取りをしたいというある意味汚いけど美しすぎるほど正直な気持ちに溢れているように感じました。だからこそ、、、パトロクロスを殺すシーンは憎らしかったし、アンドロマケが「私の夫はこれほどまでの仕打ちを受けるようなことをしたのでしょうか?」と問うセリフを聞いて同情も哀れみも感じなかったし。
でも、やっぱりトロイアを、大切な者たちを守るために戦って散った英雄なんですよね~~ヘクトルは。結局は父王プリアモスが亡骸を迎えに来て、家族に囲まれて、盛大な葬儀で冥府に送られる。確かに、、、死ぬ運命をも覚悟してアキレウスの前に現れ、自分の全てを語りアキレウスを説得し、息子の遺体を抱きしめて号泣するプリアモスに観る者の心が寄り添うのは当たり前だと思うんです。でも、じいはこの場面を観る毎に感じたのはアキレウスの孤独 彼は自分の命が短い運命であることを知っていて、命の輝きも儚さも実感していて、それでもなお戦いたい=真に生きたいという悲しいまでに美しい人間の性を持っている。今回は特にパトロクロスの亡霊との語らいシーンがめちゃめちゃ良かったんです。友……ってか恋人…か パトロクロスを失った悲しみがこれでもか!というほど伝わってきて、じいは今までにないほど号泣しちゃって 大切な人を失った心の揺れ、、、単に悲しいだけじゃないんです。思い出を語る楽しさ、盛大な葬儀をすることで喪失感を埋め自分を納得させること、それでも癒されない傷、どうしようもないやるせなさ、、、いろ~~んな思いが交錯する……これ、パトロクロスが「僕はもう死んだんだよ」と言い、それに対してアキレウスが「あぁ、残念だ」という。この“応答”が全てを語っているとじいは思うのです。そして、、、この亡霊シーンこそが、大切な人を亡くした本当の悲しさを表しているのではないかと。人が死ぬって、その瞬間よりも時間の経過と共に真に迫って本当に実感し悲しみを知るものだから。しかもそれが本来なら死ぬ必要はなかった「戦い」によって命を落とすということになるといっそう……でも、それと同時に戦いを止められない、生きることは戦うことである人間の存在を思うと……ますます切ないな~ で、、、そんなシーンを見せられた後にプリアモスの言葉に耳を傾け息子を抱きしめる姿を背後に感じるアキレウスの姿を見てしまったら……他の人間よりも運命の真実を知るアキレウス、ギリシアに帰れない彼の体を抱きしめ、死した後も思ってくれる人はいるのだろうかと思ったんですよね~~アキレウスの背負っているものは多分、周りの人間たちには分からないし、それを責めるべきではないんだけど、神と人間の合いの子だからこそ?他の人より何倍も濃厚に生きているからこそ見えてくる、いや、見えてしまうものを背負った存在……その孤独さが突き刺さりましたね~~上手側に立って背後で号泣するプリアモスを感じて涙する姿が悲しいまでにかっこよくて、でもとてつもなく切なかった~~
でね~~同じ孤独をカサンドラにも感じたんです。いや~~今更ながら(苦笑)最近 している聖子ちゃんの演技に脱帽 未来が見えるカサンドラゆえの孤独……泣けない辛さ。2幕でプリアモスがアキレウスの元に行くと言った時にアンドロマケが引き止めるシーン。最後に彼女は「私は不幸を告げる鳥にはなりません。どうかヘクトルの遺体を引き取りに行ってください。それが叶わぬなら私の分まで涙を流してきてください」と言うんだけど、その時に柱に寄りかかっていたカサンドラがアンドロマケとプリアモスの方をチラッと見て悲しそうな顔をする。。。アンドロマケのように素直に、正直に自分の思いをぶつけられたら……でもカサンドラは自分のエゴな思いでは生きられない運命……というか真実が見えてしまうゆえにそうはできないわけで、それはある意味「英雄」的な選ばれし存在として輝かしいのかもしれないけど、それが逆に悲しくて……泣けない辛さ、感情を爆発できないってホント辛いですから。
カテコは確か5回……か もうね~~じい、既に1回目から泣けて泣けて あぁ~~無事に全部が終わったんだ、本当に本当にお疲れ様でした、、、エトセトラ いろ~~んな気持ちが溢れてきました。イリアスの創作に関わった全ての皆さんに大拍手 はもちろんなんだけど、ゴメンナサイ やっぱりじいの心が全力で向かうのは内野さん。やりきったという脱力感を含みつつ達成感に満ち溢れた笑顔がひたすらに愛おしかった 最後は内野バイバイや短剣を高く大きくかざす仕草が微笑ましいやら安堵の気持ちやらでいっぱいになりましたね~~そうそう、5回目の時は木場さん~~やっちゃいました 一人袖に引っ込んだまま出てこなくて、内野さんが両手で「ここに一人いるはずなんだけどね」みたいな仕草をされてたら、しばらくして木場さんが走って来られて 何やら一番上の羽織物を着なおしながらの登場……もしかして既にお帰りモードだった…か
始まる前はちゃんとイリアスについていけるだろうか、思いのやり取りができるだろうかと不安がいっぱいだったけど、終わってみれば嵌りまくり~~まだまだ取りこぼしているところがいっぱいあるから観続けたい作品になりました。BBとは違った意味で引きずりそう~~って、大楽の後の数日間はカサンドラの歌が頭を占拠してたんだけど まさに演劇の醍醐味を味わうには溜まらない、面白すぎる演目!内面のやり取りというよりは突き放したところで内面と闘う作品だったような……そして、そんな作品だったからこそ突如やって来た巨大台風に立ち向かい、揺るぎない内野愛を確信できたのではないか……そんな風に思うのです