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じいの徒然日記

内野聖陽さんにfall in loveしたじいのおバカな毎日を綴った日記

M.バタフライ 2回目

2022-07-02 15:00:45 | 観劇記
6月26日マチネの観劇記です。絶賛ネタバレあり

初日から1日置いての2回目観劇。結末を知ってからの最初から観ているということで新たな感情が湧き怒ったり前回の思考や心模様を軌道修正したり……ますますのめりこんでいってます 今回は最前列のスペシャル観劇。独白の視線上だったのでドキッとすることが何回あったことか それでなくても脳内劇場の中に引きずり込まれているのに……心臓に悪すぎますっ 大好きな内野な手に萌え、目の前で繰り広げられるヒリヒリするやり取りに頭が真っ白になり、脱ぎ捨てられた下着に余計な心配をしてドキドキ(爆!)

いろんな意味でスミマセン 真面目な?話に戻して

冒頭、独房で座るルネ・ガリマール……幻想に思いを巡らせていたのか突然立ち上がって振り返り、見上げたその場所には京劇姿のソン・リリン。両手を掲げて「バタフライ~」と恋い慕う ルネ。結末を知っていたせいか、その姿が何か哀れでね~~しかもその「バタフライ」の言い方がこれまた!!!劇中のこの呼びかけには何か嫌悪感を感じてゾッとするのですが、この場面だけは何か心に沁みたんですよね~~と、のっけから今回もスーッと物語の中に入り込み……。

ルネが京劇を観に行ってソンと街に繰り出していく場面。2人が良い感じに並んで座った時にソンが「カプチーノ、ちょっとカフェできるような所があればいいのに」みたいなことを言うんですよね。この場面は2幕終盤でもう1度繰り返されて、今度はソンが本来の姿=男性の恰好で同じようにルネを誘うように言うところがあって……。最初の方は男性と女性の恋愛一歩手前のよくあるシーンで、後の方は男性が男性を誘っていて、でもそれは男女の恋愛と何ら変わりのないことで、ソンはスパイとして女性の振りをしてルネを誘ったけど実際は違うところがあって本当に好きになっていた(と観ていて思っていて)……この作品を通して男女の性、東西の洋、支配と被支配などなど様々な対比が興味深いんだけど、この場面が頭の中でシンクロするところが堪らなかったです。

ラスト近く、あのルネの姿を見て……最終的にルネは男性でも女性でもなく(その区別の仕方がそもそもナンセンスなんだと思うけど)自分の中の“バタフライ性”みたいなものに辿り着いたのではないかと感じました。結局、理想や幻想を他者に求めることはできないし思い通りにはならない、それらは自分自身の中にあるのかなぁと……そこら辺を騙し騙され自分勝手に折り合いをつけて生きていくのが大半だし賢い大人であり“正論”なのかもしれませんが、それが本物であり真実なのか???見方によっては世の中の方が歪んで見えるというか……。ただ、自分自身の中にある理想や幻想も歪んでいて、男ゆえに理想の女を創り出すことができるというもの(逆も然り、どちらも激しく同意できる・苦笑)。ルネ自身がマダム・バタフライ=女性になるということ、、、幻想の世界で生きていくことに決めた姿であり、そこに取り込まれていった証でもあり……男である自らが創り出した理想の女自身になった。そして一方のソン・リリン。女性の姿をして近づいたけど実は男性としてルネを好きになっていっていた 最終的に自分の真実の姿を曝け出すことで本当の意味で愛されることを求めたが逆に受け入れてもらえなかった。マダム・バタフライの再来物語だったのか、逆マダム・バタフライの物語だったのか……どちらとも言えてどちらとも言えない、そもそもどっちがこっちで、こっちがどっちで、、、そんなこんなを言っていること自体が意味のないことのように思えるのですが、そこら辺の被せ方が本当に上手い戯曲だなぁと混ぜ返される頭の中で感心してしまうというか中毒的な知的快感。

ルネの脳内劇場、人と人の絶妙な関わりを描く一方で考えさせられる時代性や社会性。描かれている時代や戯曲が書かれた時代から数十年が経っていて、今の時代なら受け入れられることがあると思うんですよね~~制度的にも感情的にも。同性愛だったり中国の現状だったり各国のバランス状況だったり……ある意味予言的で皮肉めいているから時にグサッと時にクスっと。ルネやソン、友人のマイクが客席に語りかけるセリフがあるのですが、その当時客席にいた西洋の人たちはどう感じたのか?今ならどう感じているのか??あるいは東洋の人間は何を思うのか?ふとそんなことを思ってしまいました

今回ふと目に留まったのがルネの妻・ヘルガ。今の女性的には一番受け入れやすいタイプなのかもしれません。自分の意見をきちんと言えて一人の人間としてプライドを持って生きていて、その反面カワイイところや弱いところもあったりして……「蝶々夫人であれこれ言う人もいるけど音楽を純粋に楽しめばいいのに」という一言は良くも悪くも重いというかアレコレ考えさせられるなぁと思いました。そうなんですよね、、、音楽や役に罪はないし一番シンプルな考え方なのかもしれない。そう言い切ることができるところに一種の棘を感じてしまうので素直に割り切れないんだけど そうできないルネの複雑さと対比するような面白味はあったかな……ルネの自由さというよりは不安定さというのかなぁ~~自分が生きてきた社会では持て囃されるような理想の男性にはなれないと感じ、それに背を向け疑問を抱くようになった。しかしその“理想の男”になれた時から今まで疑念を抱いていたものを肯定するようになっていった……いや、元々そういうものを持っていただけなのかもしれないけれど。まぁね、、、クズなんだけど(爆!)方向性が違えばもしかしたら賢い人間になれたのかもしれないのかなぁと思ったり、その賢いって何だろうと思ったり。。。

衝撃的な場面の後の静寂、独房に座り俯くルネの姿で終わるラスト。この一瞬でルネの脳内劇場から現実に引き戻される……その時の視線と背中から醸し出される空気感が堪らないのですが 目の前で繰り広げられてきたのはルネの理想であり幻想なのか、真実はどこにあるのか、嘘のようで嘘でもなく……。あーでもない、こーでもないと観終わった後に考えること、こうして書いている感想もそうなのかもしれないですけどね なかなかに興味深い

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