今話題のM上H樹の新作を読んだ。
Amazonの書評では酷評されてたり、はたまた、雰囲気でとにかく絶賛している人がいたりする。
あまり露骨に感想を書くと、このブログが検索でひっかかったりすると困るので(笑)、あまり詳細には書けない。
しかも、ネタばれするといかんしね。
既に読んだ人と、会って感想を話し合いたい。
かなり遠回りに感想を書くとするならば、
神話に近いと思った。
この本はどうとでも解釈できると思うけれど、
神話に近い作品と思ったので、理性で意味解きしながらは読まない。
民話・神話のような物語として読んだ。
たしかに、時には何かを象徴しているとは思える。
でも、その延長で、全てに意味付けをしながら読むと、僕は樹海に入る読み方になると思う。そうすると、書評で酷評する側に回るのだと思う。
なぜそう思ったかと言うと、
最初に、タクシー運転手が
『見かけにだまされないように。現実というのは常にひとつきりです。』
って僕らに語りかけてきているから。
・・・・
タイトルからも分かるように、この作品は「時間」が大きな意味を持つと思う。
それは、過去・現在・未来をどう捉えるかという哲学的な内容でもある。
そして、そういう時間の謎は、自分の興味関心と合わせて、すごく興味深く読めてしまった。
ほんとは、ここから自分が感じた書評に近いものを書きたくてたまらないけど、それを書いちゃうと初めて読む人に変な色眼鏡をつけちゃうかもしれない。
だから、書きたいけど止めとこう。
読み終わった人と、会って話すのを楽しみにしときます。
しかも、あまりに自分の興味関心に近づけた、かなり身勝手で自分勝手な読み方だとも思うので、そういう例外的な読み方は既に書評になり得ないですしね。
だから、違うことを書きたい。
それは『実存』について。
ここから比較的哲学的な話になるかもしれない。
『実存』とは、「現実に存在する」の略のような言葉だと思ってください。
僕らは、「過去」に生まれてきたから、「今」存在しているが、「過去」に生まれてきた理由というものは、実は、ない。
これは、『生きている理由がない』という事とは全然違う話なので誤解なきように。
自分の意志で理由づけして生まれてきた人は誰一人いないということに近い。
もちろん、これは否定的な意味で言っているのではない。
そして、人の容貌含め、過去に生まれた時から既に決まっている多くのことがあって、そんな運命や人生を課されている。
かっこよく生まれてくる人もいれば、かっこ悪く生まれてくる人もいる。
何もしなくても異性にキャーキャーもてる人もいれば、何をしても異性にもてない人もいる。
人は外見ではないと奇麗ごとを言うけれど、多くの人は外見で人を判断する。
多くの人が第一印象の判断材料としている外見というもの。
自分が選択してその外見になったわけではないのに、そんな運命を誰もが背負わされる。
かっこ悪く生まれた人間や様々なコンプレックスやトラウマを抱えた人間は、少なくとも一回は、自分の実存を否定しようとする感情が駆け巡る。
往々にして、それは一回どころではないことが多い。
「もっと金持ちに生まれたかった、かっこよく生まれたかった、才能豊かに生まれたかった、平和な国に生まれたかった・・・」
そうして、自分の実存が激しく揺らぐ。
しかも、自分が「今」存在していることに、実は自分の自由意思などひとつも関与していない事実に気づく。
実存に根拠がないことに気づく。
それは、「なんとなく寄る辺がない」という思いにもつながる。
僕らは、そんなことを受け止めて生きていく。
当たり前すぎていまさら考えないけれど、
そんな欠落した不完全な原理をスタート地点として、過去から現在へ、そして現在から未来へと、そんな一方通行の時間軸を生きていく。
そんな生や実存を受け止めることができるか。
自分が自分であれるか。
自分の存在を認めることができるか。
それは、『生』をありのまま受け止めることができるか。
それは、『今』をありのまま受け止めることができるか。
それは、「私が私である」こと、「私が一つである」ことへと繋がることだと思う。
この世界で月は一つしか見えないのと同じように、私は一人しかいないのです。
それは、当たり前のように思えるんだけど、現実世界ではなかなか当たり前じゃない。
ちなみに、M上H樹の新作は、上に書いたことなど一つも書いてありませんよ。
普通に、小説としては感情表現や行動表現の描写がメタファーに富んでいて美しい文章が連なっています。
文章が読みやすいので敷居は低いのですが、奥は深くて密林です。そして深海です。だから、向こう側がボンヤリとしか見えません。
でも、それでいいんです。
だから、これは書評でもなんでもない。
でも、そんな風に昔からなんとなく考えていたことを、激しく思い出さざるを得なかったのです。
この物語の主人公が、30歳で同世代で妙に親近感湧いたからかなぁ。
P.S.
M上H樹の新作で、主人公の一人である青豆さん。
僕はタレントの吉瀬美智子さん(→ドラマ「ブラッディ・マンデイ」に出てた人。ドラマ自体は見てないけど。)をイメージしながら勝手に読みました。(共感してくれる人います?)
Amazonの書評では酷評されてたり、はたまた、雰囲気でとにかく絶賛している人がいたりする。
あまり露骨に感想を書くと、このブログが検索でひっかかったりすると困るので(笑)、あまり詳細には書けない。
しかも、ネタばれするといかんしね。
既に読んだ人と、会って感想を話し合いたい。
かなり遠回りに感想を書くとするならば、
神話に近いと思った。
この本はどうとでも解釈できると思うけれど、
神話に近い作品と思ったので、理性で意味解きしながらは読まない。
民話・神話のような物語として読んだ。
たしかに、時には何かを象徴しているとは思える。
でも、その延長で、全てに意味付けをしながら読むと、僕は樹海に入る読み方になると思う。そうすると、書評で酷評する側に回るのだと思う。
なぜそう思ったかと言うと、
最初に、タクシー運転手が
『見かけにだまされないように。現実というのは常にひとつきりです。』
って僕らに語りかけてきているから。
・・・・
タイトルからも分かるように、この作品は「時間」が大きな意味を持つと思う。
それは、過去・現在・未来をどう捉えるかという哲学的な内容でもある。
そして、そういう時間の謎は、自分の興味関心と合わせて、すごく興味深く読めてしまった。
ほんとは、ここから自分が感じた書評に近いものを書きたくてたまらないけど、それを書いちゃうと初めて読む人に変な色眼鏡をつけちゃうかもしれない。
だから、書きたいけど止めとこう。
読み終わった人と、会って話すのを楽しみにしときます。
しかも、あまりに自分の興味関心に近づけた、かなり身勝手で自分勝手な読み方だとも思うので、そういう例外的な読み方は既に書評になり得ないですしね。
だから、違うことを書きたい。
それは『実存』について。
ここから比較的哲学的な話になるかもしれない。
『実存』とは、「現実に存在する」の略のような言葉だと思ってください。
僕らは、「過去」に生まれてきたから、「今」存在しているが、「過去」に生まれてきた理由というものは、実は、ない。
これは、『生きている理由がない』という事とは全然違う話なので誤解なきように。
自分の意志で理由づけして生まれてきた人は誰一人いないということに近い。
もちろん、これは否定的な意味で言っているのではない。
そして、人の容貌含め、過去に生まれた時から既に決まっている多くのことがあって、そんな運命や人生を課されている。
かっこよく生まれてくる人もいれば、かっこ悪く生まれてくる人もいる。
何もしなくても異性にキャーキャーもてる人もいれば、何をしても異性にもてない人もいる。
人は外見ではないと奇麗ごとを言うけれど、多くの人は外見で人を判断する。
多くの人が第一印象の判断材料としている外見というもの。
自分が選択してその外見になったわけではないのに、そんな運命を誰もが背負わされる。
かっこ悪く生まれた人間や様々なコンプレックスやトラウマを抱えた人間は、少なくとも一回は、自分の実存を否定しようとする感情が駆け巡る。
往々にして、それは一回どころではないことが多い。
「もっと金持ちに生まれたかった、かっこよく生まれたかった、才能豊かに生まれたかった、平和な国に生まれたかった・・・」
そうして、自分の実存が激しく揺らぐ。
しかも、自分が「今」存在していることに、実は自分の自由意思などひとつも関与していない事実に気づく。
実存に根拠がないことに気づく。
それは、「なんとなく寄る辺がない」という思いにもつながる。
僕らは、そんなことを受け止めて生きていく。
当たり前すぎていまさら考えないけれど、
そんな欠落した不完全な原理をスタート地点として、過去から現在へ、そして現在から未来へと、そんな一方通行の時間軸を生きていく。
そんな生や実存を受け止めることができるか。
自分が自分であれるか。
自分の存在を認めることができるか。
それは、『生』をありのまま受け止めることができるか。
それは、『今』をありのまま受け止めることができるか。
それは、「私が私である」こと、「私が一つである」ことへと繋がることだと思う。
この世界で月は一つしか見えないのと同じように、私は一人しかいないのです。
それは、当たり前のように思えるんだけど、現実世界ではなかなか当たり前じゃない。
ちなみに、M上H樹の新作は、上に書いたことなど一つも書いてありませんよ。
普通に、小説としては感情表現や行動表現の描写がメタファーに富んでいて美しい文章が連なっています。
文章が読みやすいので敷居は低いのですが、奥は深くて密林です。そして深海です。だから、向こう側がボンヤリとしか見えません。
でも、それでいいんです。
だから、これは書評でもなんでもない。
でも、そんな風に昔からなんとなく考えていたことを、激しく思い出さざるを得なかったのです。
この物語の主人公が、30歳で同世代で妙に親近感湧いたからかなぁ。
P.S.
M上H樹の新作で、主人公の一人である青豆さん。
僕はタレントの吉瀬美智子さん(→ドラマ「ブラッディ・マンデイ」に出てた人。ドラマ自体は見てないけど。)をイメージしながら勝手に読みました。(共感してくれる人います?)