日常

monkey business vol.13 ポール・オースター号

2011-05-17 21:40:23 | 
■monkey business

本屋にブラリと立ち寄り、『モンキービジネス 2011 Spring vol.13 ポール・オースター号』を購入した。
このmonkey businessという雑誌は、翻訳家の柴田元幸さんが編集をされている雑誌だそうな。
柴田さんの好きなフレーズで「悪ふざけ」に近い英語が「monkey business」とのことで、そういうゆるい感じでやっていこうよ、っていう雑誌のようです。


表紙がポップなので気にはなっていたのだけど、今まで買ったことはなかったです。

ただ、今回のポール・オースター号は、ポール・オースター自体に興味があって購入したわけではなくて、
『村上春樹×小澤征爾 柴田元幸×ポール・オースター対談』
という帯が目に飛び込んできて、そこから後光が指していた(という錯覚にとらわれた)ので、思わず・迷わず・ためらわず・買ったのです。
(柴田元幸さんは、村上春樹さんと「翻訳夜話」「翻訳夜話2 サリンジャー戦記」(文春新書)の対談本を出しているように、海外文学の翻訳家として深い親交がありますよね)



■村上春樹×小澤征爾 という奇跡

村上春樹さんとマエストロ小澤征爾さんとの対話はビリビリと刺激を受けました。
一途に言葉の道を歩いている人、一途に音楽の道を歩いている人。

ふたりとも有名な人だし、刺激的で挑発的なことをやりつづけているお二方なので、きっと周りでヤンヤ、ヤンヤと悪意を持って足を引っ張る人もいるかと思うのです。
強いエネルギーには悪意も善意もいろんなエネルギーが吸着されます。自分の事はさておき、誰かの足を引っ張り、注目を受けている人へと鬼や般若のような表情で的を外した批判をする(的に当たるか当たらないかはどうでもいい人たちでもあるのでしょう)。 そして、刃を他者に向ける事で自分だけの狭い自我の安定を保とうとする人は必ずいると思うのです。それは、日々生活をしてテレビを見て、そして仕事をして生活をして・・そんな風にレフレインで社会の中に生きていると否応なく感じることです。

ただ、それはそれとして。
このお二人のように外の声に惑わされずに着実に自分が信じた道を歩き続ける人。そして巨大な立体的な宇宙像を構築し続けている人。そういうお二人の後姿を見るだけで、何か力やエネルギーをもらうような気がします。

きっと素人には到底わかりえない数マイクロの世界を緻密に構築していると思うのです。素粒子のような世界を。その素粒子の世界の連続的な積み重ねできっと巨大な全体像を作り上げている。そして、そんな細々した工程を感じさせないような、さわやかな風が吹く品の良さをお二人の対話から感じてしまうのです。

一般的に、詳細な知識や深い洞察は、時に自慢話しのように聞こえてしまうこともありますが、このお二人からはそういうものは微塵も感じませんでした。かけらも感じなかった。
意志の働きで言おうと思って放出しているというよりは、お互いはお互いのスイッチとなり、甲は乙のスイッチとなり、乙は甲のスイッチとなり、スイッチが奥に隠している秘密の通路が言葉として溢れだしているような感じなのですよね。
自意識や自尊心などという、せせこましい自我を全く感じない対話だと、自分は勝手に感じました。
だから、品があるのです。さわやかさを感じたのです。


■ブラームスとベートーヴェンのピアノ協奏曲

この対談は下にある曲を二人で話す事だけで成立している対話です。
対談を受けて、改めて聞いてみたいなと強く思いました。
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『ブラームス:ピアノ協奏曲第一番』
1.グレン・グールド(P)、レナード・バーンスタイン指揮、ニューヨークフィル 1962/4/8

『ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第三番』
2.グレン・グールド(P)、カラヤン指揮、ベルリンフィル 1957/5/26
3.グレン・グールド(P)、レナード・バーンスタイン指揮、ニューヨークフィル 1959
4.ルドルフ・ゼルキン(P)、小澤征爾指揮、ボストン交響楽団 1982/10/2&4
5.ルドルフ・ゼルキン(P)、レナード・バーンスタイン指揮、ニューヨークフィル 1964/1/20
6.内田光子(P)、クルト・サンデルリンク指揮、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
7.Jos Van Immerseel(P)、Bruno Weil / Tafelmusik 1996/9/12-9/14
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この対談の中で、自分の中で印象的だった台詞を引用します。


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村上「音楽とは基本的に、人を幸福な気持ちにするべきものなのだと考えている。
そこには人を幸福にするための実に様々な方法や道筋があり、その複雑さが僕の心をごく単純に魅了する。」
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(1959年のグレン・グールド(P)とバーンスタイン指揮のベートーヴェン:ピアノ協奏曲第三番を評して)
村上「石の壁に粘土を思い切りぶつけるような、ある種の率直さがある。」
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(グレン・グールドが自由に間を置くところを評して)
小澤「こんな風にはぐっと手元に引き付けられないんです。
間を置くって、結局はぐっと引き付けるわけじゃないですか。
(東洋も西洋も)同じことですよね、名人がやれば。」
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(サイトウキネンがボストンシンフォニーの音と似ていると評して)
村上「シルクっぽい音というか、風通しがいいというか、融通無碍なところがあるというか。」
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(現代のベートーヴェンの演奏法を評して)
小澤「音を分離するっていうのかな、音の中身が聞こえるようにするわけです。」
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(1996年の古楽器でのベートーヴェン:ピアノ協奏曲第三番を評して)
小澤「子音が出てこないですよね。
・・・・・
『あああ』というのは母音だけの音です。
それに子音がつくと、たとえば『たかか』とか『はささ』という音になります。要するに、母音にどういう子音がつけていくかですね。

『た』とか『は』とかを最初につけるのは簡単なんです。でもそれに続く音が難しい。『たたた』というと子音ばかりになって、メロディーが潰れちゃうけれど、それを『たらぁらぁ』といくか、それとも『たわぁわぁ』といくかで音の表情が変わってきます。
音楽的に耳が良いというのは、その子音と母音のコントロールができるということです。」
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(グレン・グールドに続くピアニストが現れないことを評して)
村上「いろいろと企んだ演奏をする人はいても、そこに本物の必然性というか、実体が伴っている場合は少ないですね。」
「(グールドとヴァレリ・アファナシェフとを比較して)
グールドは異様なくらいゆっくりでも、必ず最後まできっちり聴かせます。
途中で飽きさせない。
内的なリズムみたいなものが、よほど強靭なんでしょうね。」
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(1982年のゼルキン(ピアノ)、小澤征爾(指揮)の演奏を聴きながら)
村上「僕はゼルキンのこのカデンツァの演奏が個人的にけっこう好きなんです。
なんか荷物を背負って坂道を上っているみたいで、ぜんぜん流暢じゃないんだけど、訥々としてて好感が持てるんです。
大丈夫かな、ちゃんと上れるかな、とか心配しながらじっと聴いていると、だんだん音楽が身に滲みてくる。」
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(1994年の内田光子ピアノのベートーヴェン:ピアノ協奏曲第三番を評して)
空間に墨絵を描くような、どこまでも美しいピアノの独奏。
端正で、かつ勇気にあふれた音の連なり。
ひとつひとつの音が思考している。
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小澤「この2楽章なんかは、指揮者がみんなの代表者になって、どういう風に入るか、はあっと入るのか、はっと入るのか、それとももっと曖昧に思いを込めて『(は)・・』と入るのか、
きちっと決めなくちゃなりません。そしてそれをみんなに伝える。
まあ最後のやり方はいささか危険ですけどね。
でもみんなに危険を察知させておいて、そうしておいてからそろっと入る・・・そういう入り方もあります。」
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プロとしてのひたむきさや真面目さ愚直さ・・そういう基本的で根源的な姿勢のようなものを、対話から深く強く感じました。
自分もあるジャンルのプロとして仕事をしている以上、(たとえプロとしての仕事の質の差はあれども)プロとしての襟を正されるような、素直に初心に帰って「真面目に頑張るぞ」と思わせてくれるような、そういう上品な空気に満ちた空気を感じたのです。


自分も、若き日のグレン・グールドのピアノのように『石の壁に粘土を思い切りぶつけるような』率直さを忘れないように仕事をしたいと思いました。