東京国際フォーラムの、中島美嘉Liveに行ってきた。
やっぱ、中島美嘉って歌姫だわー。
声に情緒がありますね。悲哀とかも。
「VOICE」ってアルバムのツアーだったから、「ORION」「あなたがいるから」は最高に感じ入りました。
デビュー曲の「STARS」もそうだけど、中島美嘉の曲って夜空とか星のイメージが多い。
ふと、つい数日前に山の中で見た、満天の星空を思い出した。
山は空気も綺麗だし標高も3000メートル近くあるし、星が近い!
空を見上げると360度全てすぐ手が届きそうな空で、そこに星がペタペタくっついてる風に見えちゃうものなのです。
昔々、星が爆発してそこから窒素とか炭素とかが地球に到達してきて、そのなれの果てに生命体が出来て人間ができる。そして私ができるしアナタができる。
そんな存在の源を星に感じるから、人は思わず星を見てしまうのかもしれない。自分の遠い祖先のようなものかな。
そんな空想にふけるほど、中島美嘉の歌は星が多い気がする。
最後は、「Over Load」って新曲も歌ったし、MICA 3 CHU の「I DON’T KNOW」を歌ったとき、特別ゲストで森三中!も出てきたんで最高だった。(さすがに東京でのLiveで、ツアー最終だから特別に出たんだと思うけど・・)
歌はいい。
音はいい。
音って音波だから、心に響くときは直接的に自分の心に振動して共鳴して迫ってくる。そして僕は情緒のようなものとして認識する。
情緒として感じるから、自分が悲しければ悲しく、楽しければ楽しく、悲しいと楽しいの間だったら悲しいと楽しいの間に、常に現在の自分の状況と呼応して反応してくる気がする。
ところで、歌声で違う世界に連れて行ってもらったけど、また明日から月曜日で平常の仕事に戻っちゃう!(まじめに働きます)。
さっき話したとおりで、
やっぱり「生(Live)」の時代なんでしょうね。
これだけ、デジタルだ、音質だ、ネット配信だ…ってなればなるほど、原点に戻るっていう。
昔、飯野賢治(「Dの食卓」のゲームクリエイター、懐かしい?最近何してんだろう?)が、
ラジカセの「再生」ってボタン押すときに、一度死んだものを再び生き返らせるんだって、言っててナルホドと思った。ライブと再生は、もう根本的に違うのよね。
…中島美嘉って、実はあんまり聞いてなくて、しかし目利きのいなば氏がそれだけおすなら聞いてみようかな。
ライブ聞きたいけど、まだ聞いてない人たくさんいるな-。
ミスチル、槙原、ドリカム、あとジャニーズ系も一度行きたいな、SMAPとか絶対楽しそう。…福山も聞きたいかも。
安室ちゃんとか小田とか宇多田は行けたのだ。やっぱり、記憶に残る印象が違うよね。
コンサートとか踊りとか音楽とか、「生(Live)」の時代は間違いなく来ますね。
今はあまりにも仮想現実でバーチャルで、身体性を伴ってない世界観が多いよね。
CDもテレビもネットもそう。
もともと、音楽はわたしがあなたに演奏するものだったはずなんだけど、それが叶わない人のために、しょうがなくCDとかテープとかレコードってのが生まれてきたわけだし。
やはり、原点は目の前で、同じ時間と空間を共にして音楽や踊りを共有するってのがホントなんだろうなぁと改めて思います。
学問とかもそうなるんだろうね。
興味ある先生の講義に、自分が足を運んで聞きに行って学びにいくような時代にね。
中島美嘉はお奨めですよー。是非!ベスト版もあるし、初心者にはそこから聞くのが一番いいかも。
わしも、せっかく東京に住んでるし、ライブは色々堪能したいのです。
それは伝統芸能もそうだし、音楽も笑いも踊りも演劇も美術も学問も・・・
足を運んで、自分の身体を使って訪れることが大事なんだろうね。
部屋の中で冷房効いたところでだらしない寝巻き着て堪能するものなんて、その程度の深さしか得られないのかもしれん。
そういう風に孤独に表現を続けている人たちに、正しく光が当たる社会じゃないと、そんな社会はヘンだと思う。お金お金の拝金主義的時代は終わっちゃうんだろうなー。
今の時代の振り子が大きく揺れてる、そんなウネリを強く感じますわ。