小林秀雄さんの「人生について」中公文庫(1978)という本が好きです.
以前、『私の人生観』の部分の感想を書きました.(→『2011-12-11』)
今度は、その中の『信ずることと知ること』に関しての感想.
(ちまみに、タイトルは少し変更されてますが、この講演会の肉声CDも新潮社から出てます。小林秀雄は落語家っぽくて語りがうまいんですよねー。⇒『信ずることと考えること―講義・質疑応答 (新潮CD講演 小林秀雄講演 第2巻)』)
CD1
1 ユリ・ゲラーの念力
2 ベルグソンの哲学
3 近代科学の方法
4 魂について
5 文学者・柳田国男
CD2
1 信じることと知ること
2 なぜ徒党を組むのか
3 質問の方法
4 「考える」ということ
5 日本の神道
6 親と子
7 歴史は鏡
8 感受性は育つ
■『信ずることと知ること』(昭和49年8月、国民文化研究会の九州霧島講演会に基づく)
=============================
「今度のユリ・ゲラーの実験にしても、これを扱う新聞や雑誌を見ていますと、不思議を不思議と受け取る素直な心が、何と少ないかに驚く。
テレビで不思議を見せられると、これに対して嘲笑的態度をとるか、スポーツでも見て面白がるのと同じ態度をとるか、どちらかでしょう。
・・・・・・
今日の知識人にとって、己の頭脳によって理解できない声は、みんな調子が外れているのです。
その点で、彼らは根底的な反省を書いている、と言っていいでしょう。」
=============================
「一流の学者ほどと言ってもいい程だが、学者は自分の方法というものを固く信じているからこそ、知らず知らずのうちに、その方法の中に這入って、その方法の虜になっているものだ。
だから、いろいろな現象の具体性というものに目をつぶってしまうものだ。」
=============================
→ほんとうにこの世は分からないことばかりなんですよね。科学はHow?に答えますが、Why?には答えられません。
だからこそ、人は勉強するし、謙虚になるもんです。
「自分」のことさえ分からないですから、人間や他人となるとさらに分からないのが道理ははずで。
ただ、WHY?の問いの立て方で問題は面白くもなるし、混乱させるだけの問題にもなりうる。構造上、一生解けない問題を解き続けるのはシシューポスの神話のように大変なものです。
最終的にはWHy?(なぜこの宇宙は存在するのか?なぜ人は生まれてきたのか?・・?)は解けないとわかっているからこそ、問いの立て方が大事になるのです。そして、その問いと格闘するプロセスこそが意味を持つ。
実際、この世の全てが分かっちゃったら面白くもなんともないでしょうし。
なんでも未完成なくらいが、ちょうどいいもんです。完成とか完璧はたいていが幻のような気がします。完璧性(perfection, completeness)よりも全体性(collectiveness, integrity, oneness, wholeness, totality)を求めたいもので・・。
=============================
「近代科学の本質は計量を目指すが、精神の本質は計量を許さぬ所にある。」
=============================
→竹内整一先生の『「はかなさ」と日本人』(2009-02-17)にもありましたが、「はか」とは、稲作での仕事量を表す単位でした。
その動詞である「はかる」には3種類の意味があります。
1:ものごとを軽量する→「計る」「量る」「測る」
2:ものごとの見当をつけて、論じ、調整する→「諮る」「付る」「衝る」
3:ものごとをもくろみ企てる→「図る」「策る」「謀る」
「はか」ることは、近代西洋が作り上げてきた、科学的な思考方法です。
「はかない」という意味は、その「はか」がないことで、努力してもその結果を手に入れられないことから、「むなしい」とかそんな意味をもつようになったとのこと。
精神や心の営みは計測することができず、「はかる」ことができない「はかない」ものです。そんなはかないものこそ大切にしたい。
=============================
「べルクソンの例えで言いますと、脳は精神と言うオーケストラを指揮している指揮棒だが、指揮棒は見えるが音は決して聞こえないという風になっている。
僕らの脳髄はパントマイムの器官なのです。
パントマイムの舞台で、俳優がいろいろな仕草をするのを、僕らは見ることはできる。脳髄の運動はそういう仕草をしている。
けれども、台詞は決して聞こえない。この台詞が記憶なのです。精神なのです。
だから脳髄は精神の機能ではない。脳髄は、人間の精神をこの現実の世界に向けさせる指揮を取る装置なのだ。
だから彼は、人間の脳髄は現実世界に対する注意の器官であると言っています。
注意の器官だが、意識の器官ではないのです。意識を、この現実の世界につなぎとめる作用をしているのです。」
=============================
「例えば、山から転落する男がその瞬間に自分の子供の時からの歴史をぱっと見るとかいう話は、よく知られている事実です。
何故そうなるかというと、その時、その人間は、この現世、、この現実世界というものに注意を失う、この現実に対して全く無関心になるからなのです。
・・・
だから、諸君はいつでも、諸君の全歴史をみんな持っている。
・・・
諸君の意識は、諸君がこの世の中にうまく行動するための意識なのであって、精神というものは、いつでも僕らの意識を超えているのです。
そのことをはっきり考えるなら、霊魂不滅の信仰も、とうの昔に滅んだ迷信というわけにはいかなくなるだろう。」
=============================
→心理学者ベルクソンが言うところによると、人は死ぬ瞬間になると「生きる」ことに注意を向ける必要がなくなるから、全ての貯蔵された記憶が溢れだして「パノラマ体験」(生まれてから今までの人生が一瞬で全て映像に映って見えること)があるのだと言っています。そして、人間は人生すべての記憶を持っていると。
なるほどー。興味深い話だー。
三木成夫先生の「胎児の世界―人類の生命記憶」中公新書(1983)に書かれている話では、「人間の胎児は、母の胎内で数億年の進化の歴史を追体験する」とありますし、生命体はすべての歴史や記憶の欠片を必ず持っているのでしょう。DNAという核酸が遺伝物質として伝わっていくこともそのことを示唆していますし。夢がある話です。
どんな人でも、自分の歴史と記憶のすべてを運んでいるし、生命の歴史と記憶のすべてを運んでいる。
そして、生きている状態を保っている限りは、「生きる」ことに無意識にでも注意が向いているからこそなんですね。当たり前のようで深い話です。だから、人間はもともと前向きな存在なのです。
=============================
「私がこうして話しているのは、極く普通の意味で理性的に話しているのですし、ベルクソンにしても、理性を傾けて説いているのです。
けれども、これは科学的理性ではない。僕らの持って生まれた理性です。
科学は、この持って生まれた理性というものに加工をほどこし、科学的方法とする。
計量できる能力と、間違いなく働く智慧とは違いましょう。学問の種類は非常に多い。近代科学だけが学問ではない。
その狭隘な方法だけでは、どうにもならぬ学問がある。」
=============================
→自然から与えられた天然の素直な心を大切にすることは、当たり前のようで実践は難しいもんです。
だからこそ、人生という実践の中でトライアンドエラーで獲得していくもんなのでせう。
科学的思考法は、ある特定の条件下のみで通用する思考法です。
生きる上では、小林秀雄が言うような「僕らの持って生まれた理性」の方がより大切な気がします。
=============================
「大昔の人たちは、誰でも肉体には依存しない魂の実在を信じていた。
これは仮説を立てて信ずるという点で、近代心理学者たちと同格であり、何も彼らの考えを軽んずる必要はない。
精神より物質を優位に据える仮説では、いろいろ不都合が生ずることになるなら、精神は、無意識と呼んでいい。
近付きがたい、謎めいた精神的原理の上に立つと考え直してみるのもいい事だ。
新しい道が拓けるかもしれないのです。」
=============================
→そうですよね。「科学」っていうものがもともとよくわからないものをはっきりさせよう!としてできてきた考え方のはずです。
デカルトが言う方法的懐疑と言う言葉が自分は好きです。
その意味は「方法として疑う」ということだと思う。疑うということはマナーのようなもの。
相手を盲信するのではなくて、マナーとして疑う。もちろん、疑うことは信じることとセットになっているとも思うのです。
信じたいから疑うし、疑うからこそ信じることができる。
魂という概念も、自分は信じているからこそ時には眉唾だと思って疑うし、疑っているときは信じたいという気持ちがあるからこそ疑うものなのです。
・・・・・・・・・
次は、かなり長い引用になりますが、人間の「たましい」に関する話。
自分は「たましい」の話をしてもピンとこない人には、よくこの話をします。
それでもピンとこない人は、まだ分かる時期じゃないのかなーと思ってさらには説明しませんが。
なんでも押し売りや押し付けはよくないもんで。適当な時期が来れば人間だれもが自然に分かるもんですよね。
やはり、body, mind, spiritの調和が大事だと思うわけです。それこそが、健康な状態だと思いますし。
=============================
「柳田国男さんの『故郷七十年』という本を読みました。
この本はこの碩学が83の時の口述を筆記したもので、神戸新聞に連載された。昭和33年のことです。
その中にこういう話があった。
柳田さんの14のときの思い出が書いてあるのです。
その頃、柳田さんは茨城県の布川という町の、長兄の松岡鼎さんの家にたった一人で預けられていた。
その家の隣に小川という旧家があって、非常にたくさんの蔵書があったが、身体を悪くして学校にも行けずにいた柳田さんは、毎日そこに行って本ばかり読んでいた。
その旧家の奥に土蔵があって、その前に20坪ばかりの庭がある。そこに2,3本の樹が生えていて、石でつくった小さな祠があった。
その祠は何だと聞いたら、死んだおばあさんを祀ってあるという。
柳田さんは子供心にその祠の中が見たくて仕様がなかった。
ある日、思い切って石の扉を開けてみた。
そうすると、握りこぶしくらいの大きさの蝋石が、ことんとそこに納まっていた。
実に美しい珠を見た、とその時、不思議な、実に奇妙な感じに襲われたというのです。
それで、そこにしゃがんでしまって、ふっと空を見上げた。
実によく晴れた春の空で、真っ青な空に数十の星がきらめくのが見えたという。
その頃、自分は14で非常にませていたから、いろんな本を読んで、天文学も少し知っていた。昼間星が見えるはずがないとも考えたし、今ごろ見える星は自分などの知った星ではないのだから、別に探しまわる必要もないとさえ考えた。
けれども、その奇妙な昂奮はどうしてもとれない。
その時鵯(ひよどり)が高空で、ぴいッと鳴いた。その鵯の声を聞いた時に、はっと我に帰った。そこで柳田さんはこう言っているのです。もしも、鵯が鳴かなかったら、私は発狂していただろうと思う、と。
私はそれを読んだ時、感動しました。
柳田さんと言う人がわかったという風に感じました。
鵯が鳴かなかったら発狂したであろうというような、そういう柳田さんの感受性が、その学問のうちで大きな役割を果たしている事を感じたのです。
柳田さんにはたくさんの弟子があり、その学問の実証的方法は受け継いだであろうが、このような柳田さんが持って生まれた感受性を受け継ぐわけには参らなかったであろう。
それなら、柳田さんの学問には、柳田さんの死と共に死ななければならぬものがあったに違いない。
そういうことを、私はしかと感じ取ったのです。
柳田さんは、後から聞いた話だと言って、おばあさんは中風になって寝ていて、いつもその蝋石を撫でまわしていたが、お孫さんが、おばあさんを祀るのなら、この珠が一番よろしかろうと考えて、祠に入れてお祀りしたと書いている。
柳田少年が、その珠を見て怪しい気持ちになったのは、真昼の春の空に星の輝くのを見たように、珠に宿ったおばあさんの魂を見たからでしょう。」
=============================
この話はとても示唆に富むいい話。
やはり、子供の時は誰もが魂のすぐ近くの場所で生きているんでしょうね。
社会へと出て、言語と脳みそで作られた社会生活・集団生活に入るとそれをついつい忘れてしまう。
でも、人間がいづれ死んで土に帰り天に帰る。その帰る場所は、子供が見えているような魂の風景なんでしょう。
=============================
「柳田さんの淡々たる物の言い方は、言ってみれば、生活の苦労なんて、誰だってやっている、特にこれを尊重することはない、当たり前のことだ、そう言われているように思われ、私には大変面白く感じられた。
自分が確かに経験したことは、まさに確かに経験したことだという、経験を尊重するしっかりした態度を現したものです。
自分の経験した直感が悟性的判断を超えているからと言って、この経験を軽んずる理由にはならぬという態度です。
例えば、諸君は死んだおばあさんを懐かしく思い出すことがあるでしょう。
その時、諸君の心に、おばあさんの魂は何処からか、諸君のところにやってくるのではないか。
それが昔の人がしかと体験していたことです。
それは生活の苦労と同じくらい彼らには平凡なことで、また同じように、真実なことだった。
それが信じられなければ、柳田さんの学問はなかったのです。」
=============================
→記憶とか思い出すっていう行為は、なかなか深い行為なのかもしれませんね。
観念の中でもイメージするということは、そこにRealityが立ち上がるわけで。そのRealityをこそ、昔の人は魂を実感として感じていたのかもしれませんし。
=============================
「山びとたちは、在るがままの自然に抱かれ、山の霊、山の神の姿を目の当たりにして暮らしていた。
そういう彼らの生活経験の、極度の内面性に想定することが、今日の人々には、大変困難になったように見える。」
=============================
「物事の外部を明らめようとするので多忙になった眼は、心の暗い内側など振り向いてもみないというのが、柳田さんの考えだったようです。」
=============================
「言わば、自然全体のうちに自分は居るのだし、自分全体のうちに自然は在るというのは、彼の生きて行く味わいだったのです。
かくの如く、己を取り巻く自然が十分に内面化されている場所は、自己とはかくの如きものと主張する分別の如きが出る幕ではない。」
=============================
「証拠がなければ信じないという今日の流行思想によって、お化けは、だんだん追い払われるようになったが、何処から来るとも決して分からぬ恐怖に襲われることは、人間の生活が続く限り、続くのです。
それはお化けは死なないという言葉で言って悪いはずはあるまい。
お化けの話となると、ニヤリと笑うのだが、実はその笑いにしても、何処からやってくるのか、笑う当人には分かっていないではないか。
ということは、追っぱらっても、追っぱらっても、逃げて行くだけのお化けは、追っぱらっても当人自身の心の奥底に逃げ込んで、その不安と化するのである。
人間の魂の構造上、そういうことになる。
そこで、追っぱらっわれたお返しに、彼をニヤリと笑わせる。
笑っても、人生で何一つ実質あるものが得られない。全くうつろな笑いを笑わせるのです。
そんなことまで出来なければ、お化けとは言えますまい。
このような次第になったのも、「自分の懐中にあるものを、出して示す事も出来ないような、不自由な教育を受けている」結果であると、柳田さんははっきり言っています。
懐中にあるものとは、言うまでもなく、私たちの天与の情(こころ)です。
情操教育とは、教育法の一種ではない。
人生の真相に沿うて行わなければ、およそ教育というものはないという事を言っている言葉なのです。」
=============================
まあ長く引用しましたが、自分はこの本で書いてある内容が好きです。自分のスタンスもかなり近い。
この本を読んで小林秀雄さんがすごく好きになったし、柳田国男先生もすごく好きになりました。
不思議なことを不思議だ!と驚き、分からないことを分からない!という事は、イイものをイイ!と言い、ワルイものをワルイ!と言うような素直な心と相似だと思います。
自然に素直にという幼稚園で習うことが一番難しい。実践することが大事。
近代科学だとかコンピュータだとかインターネットだとか・・・いろんな新しいものが出来ても、結局は普遍的で大切なものが残っていくもんです。
赤ん坊を見ると思わず笑顔になってしまう。そこには深い意味があるんでしょう。
人の笑顔を見ると、こちらも思わず笑顔になってしまう。そこには深い意味があるんでしょう。
赤ん坊のたたずまいとお年寄りのたたずまいは、自分にとっての目標です。
以前、『私の人生観』の部分の感想を書きました.(→『2011-12-11』)
今度は、その中の『信ずることと知ること』に関しての感想.
(ちまみに、タイトルは少し変更されてますが、この講演会の肉声CDも新潮社から出てます。小林秀雄は落語家っぽくて語りがうまいんですよねー。⇒『信ずることと考えること―講義・質疑応答 (新潮CD講演 小林秀雄講演 第2巻)』)
CD1
1 ユリ・ゲラーの念力
2 ベルグソンの哲学
3 近代科学の方法
4 魂について
5 文学者・柳田国男
CD2
1 信じることと知ること
2 なぜ徒党を組むのか
3 質問の方法
4 「考える」ということ
5 日本の神道
6 親と子
7 歴史は鏡
8 感受性は育つ
■『信ずることと知ること』(昭和49年8月、国民文化研究会の九州霧島講演会に基づく)
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「今度のユリ・ゲラーの実験にしても、これを扱う新聞や雑誌を見ていますと、不思議を不思議と受け取る素直な心が、何と少ないかに驚く。
テレビで不思議を見せられると、これに対して嘲笑的態度をとるか、スポーツでも見て面白がるのと同じ態度をとるか、どちらかでしょう。
・・・・・・
今日の知識人にとって、己の頭脳によって理解できない声は、みんな調子が外れているのです。
その点で、彼らは根底的な反省を書いている、と言っていいでしょう。」
=============================
「一流の学者ほどと言ってもいい程だが、学者は自分の方法というものを固く信じているからこそ、知らず知らずのうちに、その方法の中に這入って、その方法の虜になっているものだ。
だから、いろいろな現象の具体性というものに目をつぶってしまうものだ。」
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→ほんとうにこの世は分からないことばかりなんですよね。科学はHow?に答えますが、Why?には答えられません。
だからこそ、人は勉強するし、謙虚になるもんです。
「自分」のことさえ分からないですから、人間や他人となるとさらに分からないのが道理ははずで。
ただ、WHY?の問いの立て方で問題は面白くもなるし、混乱させるだけの問題にもなりうる。構造上、一生解けない問題を解き続けるのはシシューポスの神話のように大変なものです。
最終的にはWHy?(なぜこの宇宙は存在するのか?なぜ人は生まれてきたのか?・・?)は解けないとわかっているからこそ、問いの立て方が大事になるのです。そして、その問いと格闘するプロセスこそが意味を持つ。
実際、この世の全てが分かっちゃったら面白くもなんともないでしょうし。
なんでも未完成なくらいが、ちょうどいいもんです。完成とか完璧はたいていが幻のような気がします。完璧性(perfection, completeness)よりも全体性(collectiveness, integrity, oneness, wholeness, totality)を求めたいもので・・。
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「近代科学の本質は計量を目指すが、精神の本質は計量を許さぬ所にある。」
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→竹内整一先生の『「はかなさ」と日本人』(2009-02-17)にもありましたが、「はか」とは、稲作での仕事量を表す単位でした。
その動詞である「はかる」には3種類の意味があります。
1:ものごとを軽量する→「計る」「量る」「測る」
2:ものごとの見当をつけて、論じ、調整する→「諮る」「付る」「衝る」
3:ものごとをもくろみ企てる→「図る」「策る」「謀る」
「はか」ることは、近代西洋が作り上げてきた、科学的な思考方法です。
「はかない」という意味は、その「はか」がないことで、努力してもその結果を手に入れられないことから、「むなしい」とかそんな意味をもつようになったとのこと。
精神や心の営みは計測することができず、「はかる」ことができない「はかない」ものです。そんなはかないものこそ大切にしたい。
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「べルクソンの例えで言いますと、脳は精神と言うオーケストラを指揮している指揮棒だが、指揮棒は見えるが音は決して聞こえないという風になっている。
僕らの脳髄はパントマイムの器官なのです。
パントマイムの舞台で、俳優がいろいろな仕草をするのを、僕らは見ることはできる。脳髄の運動はそういう仕草をしている。
けれども、台詞は決して聞こえない。この台詞が記憶なのです。精神なのです。
だから脳髄は精神の機能ではない。脳髄は、人間の精神をこの現実の世界に向けさせる指揮を取る装置なのだ。
だから彼は、人間の脳髄は現実世界に対する注意の器官であると言っています。
注意の器官だが、意識の器官ではないのです。意識を、この現実の世界につなぎとめる作用をしているのです。」
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「例えば、山から転落する男がその瞬間に自分の子供の時からの歴史をぱっと見るとかいう話は、よく知られている事実です。
何故そうなるかというと、その時、その人間は、この現世、、この現実世界というものに注意を失う、この現実に対して全く無関心になるからなのです。
・・・
だから、諸君はいつでも、諸君の全歴史をみんな持っている。
・・・
諸君の意識は、諸君がこの世の中にうまく行動するための意識なのであって、精神というものは、いつでも僕らの意識を超えているのです。
そのことをはっきり考えるなら、霊魂不滅の信仰も、とうの昔に滅んだ迷信というわけにはいかなくなるだろう。」
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→心理学者ベルクソンが言うところによると、人は死ぬ瞬間になると「生きる」ことに注意を向ける必要がなくなるから、全ての貯蔵された記憶が溢れだして「パノラマ体験」(生まれてから今までの人生が一瞬で全て映像に映って見えること)があるのだと言っています。そして、人間は人生すべての記憶を持っていると。
なるほどー。興味深い話だー。
三木成夫先生の「胎児の世界―人類の生命記憶」中公新書(1983)に書かれている話では、「人間の胎児は、母の胎内で数億年の進化の歴史を追体験する」とありますし、生命体はすべての歴史や記憶の欠片を必ず持っているのでしょう。DNAという核酸が遺伝物質として伝わっていくこともそのことを示唆していますし。夢がある話です。
どんな人でも、自分の歴史と記憶のすべてを運んでいるし、生命の歴史と記憶のすべてを運んでいる。
そして、生きている状態を保っている限りは、「生きる」ことに無意識にでも注意が向いているからこそなんですね。当たり前のようで深い話です。だから、人間はもともと前向きな存在なのです。
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「私がこうして話しているのは、極く普通の意味で理性的に話しているのですし、ベルクソンにしても、理性を傾けて説いているのです。
けれども、これは科学的理性ではない。僕らの持って生まれた理性です。
科学は、この持って生まれた理性というものに加工をほどこし、科学的方法とする。
計量できる能力と、間違いなく働く智慧とは違いましょう。学問の種類は非常に多い。近代科学だけが学問ではない。
その狭隘な方法だけでは、どうにもならぬ学問がある。」
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→自然から与えられた天然の素直な心を大切にすることは、当たり前のようで実践は難しいもんです。
だからこそ、人生という実践の中でトライアンドエラーで獲得していくもんなのでせう。
科学的思考法は、ある特定の条件下のみで通用する思考法です。
生きる上では、小林秀雄が言うような「僕らの持って生まれた理性」の方がより大切な気がします。
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「大昔の人たちは、誰でも肉体には依存しない魂の実在を信じていた。
これは仮説を立てて信ずるという点で、近代心理学者たちと同格であり、何も彼らの考えを軽んずる必要はない。
精神より物質を優位に据える仮説では、いろいろ不都合が生ずることになるなら、精神は、無意識と呼んでいい。
近付きがたい、謎めいた精神的原理の上に立つと考え直してみるのもいい事だ。
新しい道が拓けるかもしれないのです。」
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→そうですよね。「科学」っていうものがもともとよくわからないものをはっきりさせよう!としてできてきた考え方のはずです。
デカルトが言う方法的懐疑と言う言葉が自分は好きです。
その意味は「方法として疑う」ということだと思う。疑うということはマナーのようなもの。
相手を盲信するのではなくて、マナーとして疑う。もちろん、疑うことは信じることとセットになっているとも思うのです。
信じたいから疑うし、疑うからこそ信じることができる。
魂という概念も、自分は信じているからこそ時には眉唾だと思って疑うし、疑っているときは信じたいという気持ちがあるからこそ疑うものなのです。
・・・・・・・・・
次は、かなり長い引用になりますが、人間の「たましい」に関する話。
自分は「たましい」の話をしてもピンとこない人には、よくこの話をします。
それでもピンとこない人は、まだ分かる時期じゃないのかなーと思ってさらには説明しませんが。
なんでも押し売りや押し付けはよくないもんで。適当な時期が来れば人間だれもが自然に分かるもんですよね。
やはり、body, mind, spiritの調和が大事だと思うわけです。それこそが、健康な状態だと思いますし。
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「柳田国男さんの『故郷七十年』という本を読みました。
この本はこの碩学が83の時の口述を筆記したもので、神戸新聞に連載された。昭和33年のことです。
その中にこういう話があった。
柳田さんの14のときの思い出が書いてあるのです。
その頃、柳田さんは茨城県の布川という町の、長兄の松岡鼎さんの家にたった一人で預けられていた。
その家の隣に小川という旧家があって、非常にたくさんの蔵書があったが、身体を悪くして学校にも行けずにいた柳田さんは、毎日そこに行って本ばかり読んでいた。
その旧家の奥に土蔵があって、その前に20坪ばかりの庭がある。そこに2,3本の樹が生えていて、石でつくった小さな祠があった。
その祠は何だと聞いたら、死んだおばあさんを祀ってあるという。
柳田さんは子供心にその祠の中が見たくて仕様がなかった。
ある日、思い切って石の扉を開けてみた。
そうすると、握りこぶしくらいの大きさの蝋石が、ことんとそこに納まっていた。
実に美しい珠を見た、とその時、不思議な、実に奇妙な感じに襲われたというのです。
それで、そこにしゃがんでしまって、ふっと空を見上げた。
実によく晴れた春の空で、真っ青な空に数十の星がきらめくのが見えたという。
その頃、自分は14で非常にませていたから、いろんな本を読んで、天文学も少し知っていた。昼間星が見えるはずがないとも考えたし、今ごろ見える星は自分などの知った星ではないのだから、別に探しまわる必要もないとさえ考えた。
けれども、その奇妙な昂奮はどうしてもとれない。
その時鵯(ひよどり)が高空で、ぴいッと鳴いた。その鵯の声を聞いた時に、はっと我に帰った。そこで柳田さんはこう言っているのです。もしも、鵯が鳴かなかったら、私は発狂していただろうと思う、と。
私はそれを読んだ時、感動しました。
柳田さんと言う人がわかったという風に感じました。
鵯が鳴かなかったら発狂したであろうというような、そういう柳田さんの感受性が、その学問のうちで大きな役割を果たしている事を感じたのです。
柳田さんにはたくさんの弟子があり、その学問の実証的方法は受け継いだであろうが、このような柳田さんが持って生まれた感受性を受け継ぐわけには参らなかったであろう。
それなら、柳田さんの学問には、柳田さんの死と共に死ななければならぬものがあったに違いない。
そういうことを、私はしかと感じ取ったのです。
柳田さんは、後から聞いた話だと言って、おばあさんは中風になって寝ていて、いつもその蝋石を撫でまわしていたが、お孫さんが、おばあさんを祀るのなら、この珠が一番よろしかろうと考えて、祠に入れてお祀りしたと書いている。
柳田少年が、その珠を見て怪しい気持ちになったのは、真昼の春の空に星の輝くのを見たように、珠に宿ったおばあさんの魂を見たからでしょう。」
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この話はとても示唆に富むいい話。
やはり、子供の時は誰もが魂のすぐ近くの場所で生きているんでしょうね。
社会へと出て、言語と脳みそで作られた社会生活・集団生活に入るとそれをついつい忘れてしまう。
でも、人間がいづれ死んで土に帰り天に帰る。その帰る場所は、子供が見えているような魂の風景なんでしょう。
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「柳田さんの淡々たる物の言い方は、言ってみれば、生活の苦労なんて、誰だってやっている、特にこれを尊重することはない、当たり前のことだ、そう言われているように思われ、私には大変面白く感じられた。
自分が確かに経験したことは、まさに確かに経験したことだという、経験を尊重するしっかりした態度を現したものです。
自分の経験した直感が悟性的判断を超えているからと言って、この経験を軽んずる理由にはならぬという態度です。
例えば、諸君は死んだおばあさんを懐かしく思い出すことがあるでしょう。
その時、諸君の心に、おばあさんの魂は何処からか、諸君のところにやってくるのではないか。
それが昔の人がしかと体験していたことです。
それは生活の苦労と同じくらい彼らには平凡なことで、また同じように、真実なことだった。
それが信じられなければ、柳田さんの学問はなかったのです。」
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→記憶とか思い出すっていう行為は、なかなか深い行為なのかもしれませんね。
観念の中でもイメージするということは、そこにRealityが立ち上がるわけで。そのRealityをこそ、昔の人は魂を実感として感じていたのかもしれませんし。
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「山びとたちは、在るがままの自然に抱かれ、山の霊、山の神の姿を目の当たりにして暮らしていた。
そういう彼らの生活経験の、極度の内面性に想定することが、今日の人々には、大変困難になったように見える。」
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「物事の外部を明らめようとするので多忙になった眼は、心の暗い内側など振り向いてもみないというのが、柳田さんの考えだったようです。」
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「言わば、自然全体のうちに自分は居るのだし、自分全体のうちに自然は在るというのは、彼の生きて行く味わいだったのです。
かくの如く、己を取り巻く自然が十分に内面化されている場所は、自己とはかくの如きものと主張する分別の如きが出る幕ではない。」
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「証拠がなければ信じないという今日の流行思想によって、お化けは、だんだん追い払われるようになったが、何処から来るとも決して分からぬ恐怖に襲われることは、人間の生活が続く限り、続くのです。
それはお化けは死なないという言葉で言って悪いはずはあるまい。
お化けの話となると、ニヤリと笑うのだが、実はその笑いにしても、何処からやってくるのか、笑う当人には分かっていないではないか。
ということは、追っぱらっても、追っぱらっても、逃げて行くだけのお化けは、追っぱらっても当人自身の心の奥底に逃げ込んで、その不安と化するのである。
人間の魂の構造上、そういうことになる。
そこで、追っぱらっわれたお返しに、彼をニヤリと笑わせる。
笑っても、人生で何一つ実質あるものが得られない。全くうつろな笑いを笑わせるのです。
そんなことまで出来なければ、お化けとは言えますまい。
このような次第になったのも、「自分の懐中にあるものを、出して示す事も出来ないような、不自由な教育を受けている」結果であると、柳田さんははっきり言っています。
懐中にあるものとは、言うまでもなく、私たちの天与の情(こころ)です。
情操教育とは、教育法の一種ではない。
人生の真相に沿うて行わなければ、およそ教育というものはないという事を言っている言葉なのです。」
=============================
まあ長く引用しましたが、自分はこの本で書いてある内容が好きです。自分のスタンスもかなり近い。
この本を読んで小林秀雄さんがすごく好きになったし、柳田国男先生もすごく好きになりました。
不思議なことを不思議だ!と驚き、分からないことを分からない!という事は、イイものをイイ!と言い、ワルイものをワルイ!と言うような素直な心と相似だと思います。
自然に素直にという幼稚園で習うことが一番難しい。実践することが大事。
近代科学だとかコンピュータだとかインターネットだとか・・・いろんな新しいものが出来ても、結局は普遍的で大切なものが残っていくもんです。
赤ん坊を見ると思わず笑顔になってしまう。そこには深い意味があるんでしょう。
人の笑顔を見ると、こちらも思わず笑顔になってしまう。そこには深い意味があるんでしょう。
赤ん坊のたたずまいとお年寄りのたたずまいは、自分にとっての目標です。
自分をより完全に理想に近づけるプロセスを”夢”と教えて頂いた者として、今度、素敵な絵本を贈ります。
「THE MISSING PIECE」-シェル.シルヴァスタイン- 待っててくださいね!
コメント有難うございます!
未完成だからこそ知ろうと思うんだと思いますよね。
Negativeな意味での否定系ではなく、Positiveな意味での否定系ってあると思うんです。
分からないから、分かろうと思うし、知らないから知ろうと思う。
なんでも分かったとか知ったとか、完成とか、そういう形で区切りをつけちゃうと終わってしまった気になりますが、人間生き続けている限り、なんでも現在進行形ですしね。新しいブログにも書きましたが、ベルクソンが言うように過去っていうのは言葉の響きの問題にすぎなくて、ほんとはつねに今が現在進行形っていうことなんだと思います。そういう意味でも、常にオープンエンドで終わらない未完成でありつづけるのが人生のようなものだと思います。
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シェル.シルヴァスタインは、「おおきな木」を村上春樹さんが翻訳しているので、それだけ読みました。
「THE MISSING PIECE」っていう言葉もいいですね。いろんなImaginationがかきたてられます。
C.G.ユングは、人生は「個性化の過程=indivisualization」と言っています。
ego(自我、自意識)からself(自己、ほんとうの自分、意識も無意識も集合的無意識も・・)へと至る発見をしていくのが生きることだ、と。
子供より大人が精神的に発達しているわけではなくて、そこが完成なのではなくて、むしろ心理的な「こころ」の発達は一生続くんですよね。常に未完成。
人生前半の課題は、自我とペルソナの発達。自分のアイデンティを確立して、社会的・文化的に適応することが重要と言います。社会的な中で、大人としての役割を果たすことが大事。
そして、人生後半の課題は、自分のそれまでの人生で見なかった部分(それは「影Shadow」も含めて必ずしも見たくない部分も多いのですが)を自分の中に統合していって、より自分らしくなっていく。ほんとうの自分とでも言えばいいのでしょうか。
このことをユングは個性化と言っていました。自分らしく生きること=自分勝手に生きることではなくて、社会や周囲との調和を保ちつつさらに個性化のプロセスを経ることができるし、逆にそうでなければならないのだ、とユングは強調していたと思います。
自分も、そういうユングや河合先生の考えを自分なりによくかみしめながら、日々感じることは多いです。
「THE MISSING PIECE」っていう言葉で、そんないろんなことを夢想してしまいました・・・(^^;