日常

安部公房「砂の女」

2009-08-01 02:30:42 | 
安部公房の「砂の女」(新潮文庫)という本がある。

今週末、ラピュタ阿佐ヶ谷って映画館に、「武満徹の映画音楽」シリーズの一環として安部公房原作の「砂の女」の映画版《1964年/勅使河原宏》!(←存在することすら知らなかったけど。)を見に行くので、久しぶりにもう一度読んでみた。

ちなみに、「砂の女」は「新潮文庫の100冊」の中の一冊でもあって、表紙の装丁が新しくなってかっこよかったので、また思わず買ってしまった。


安部公房は、高校の現代文の教科書で初めて読んで、得も言われぬ衝撃を受けた人。
それから、かなり意識的に読んでいる大好きな作家です。
同じ大学の同じ学部の遠い先輩でもある。


僕が激しく影響を受けたのは「赤い繭」という作品。
これを読んだとき、文章のとおりに、自分の世界の意味がほつれるのを感じた。

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もうこれ以上、一歩も歩けない。途方に暮れて立ち尽くすと、同じく途方に暮れた手の中で、絹糸に変形した足がひとりでに動き始めていた。
するすると這い出し、それから先は全くおれの手を借りずに、自分でほぐれて蛇のように身に巻き付き始めた。
左足が全部ほぐれてしまうと、糸は自然に右足に移った。
糸はやがておれの全身を袋のように包み込んだが、それでもほぐれるのをやめず、胴から胸へ、胸から肩へと次々にほどけ、ほどけては袋を内側から固めた。そして、ついにおれは消滅した。
(「赤い繭」の一節より)
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(「赤い繭」は、芥川賞をとった「壁」の文庫内に入ってます。)
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「赤い繭」の話で盛り上がると脱線していくので「砂の女」の件に。



「砂の女」は、砂丘の穴の底にある一軒屋に閉じ込められた男と、その一軒屋に住む女とを描いた小説です。


かなりシュールなんだけど、色んなことを想像させてくれる刺激に満ちた小説だと思う。


「砂」というもの。

それは部分(砂一粒)だけではただの砂粒で、すごく均質で無個性なものだけれど、砂の集団として全体として存在すると、全く違った様相を呈してくる。

しかも、砂は常に流動していて、動きの中に存在している。
砂の中に潜り込むと上も下も右も左もない。方向がない。
ここがどこかも分からない。どこに向かうのかも分からない。



男は砂の底の家にアリ地獄のように閉じ込められる。
そして、そんな閉じた砂の底の世界からの脱出を図る。

外にあるのは元元住んでいた世界。
元の世界の何を求めているのかも、実はよくわからない。
外に何があるかはよく分からない。
ただ、その閉じられた世界から出ることを本能的に望む。
そして、失敗する。閉じた世界の吸引力は強い。


一方、その閉じた世界の中に住むことに慣れ、出ようとしない女がいる。
その女が唯一求めているのは鏡とラジオである。

鏡は自己だけの世界、同質・反復の世界。
ラジオはバーチャルな他者や世界のようなものと言えるか。
彼女にとって、世界とは日々の反復された単調な労働と、鏡とラジオ程度のものとから成っているに過ぎない。


男はあの手、この手で脱出を図ろうとするが、最終的には特に理由もなく外に出ることを放棄する。
元の世界の何を求めていたのか、よくわからない。
というか、元の世界って、何だろうか。

その閉じられた世界での安定が、その人の世界の全てになっていく。
そして、男自体も、砂のような存在になって、溶けていく。




この作品は、さすが名作と言われるだけあって、「人間の精神の中」とも考えれるし、「自己と他者の比喩」とも考えれるし、「都市文明や現代社会や社会主義の比喩」とも捉えられるし、「村社会(閉じた世界)の論理」とも捉えられるし・・・・。
何層にも自由に解釈できる、何層もの無限の多層構造になっている。


そして、「砂の底に閉じ込められる」なんて聞くと、現実からは途方もない話に聞こえるけど、読み進めているとありえる話のようにも読めてくるし(文章の流れや比喩が巧みだからだと思う)、夢のようで現実のような、そんな夢と現実のあわいの世界として感じることができる。



色々なことを想像(妄想?)したので、それを書こうかとも思ったけど、無限に多層に解釈しうるので、書き出すと無限に続いてしまって終わりがなくなることに気づいた。

とりあえず、安部公房作品は何層にも無限に発想して解釈して味わえる作品だということですね。


思い起こせば、自分が高校生のときに読んだとき、本当に世界がねじれて、ほつれたような感触を受けたのは強く覚えている。
こうして10年経って改めて読むと、部分部分の細部描写を含めて、全体像をさらに深く味わえたように思えた。
さらに10年くらい年を増すと、更に違うのかもしれない。


暑い夏に古典の名作を読むのは、なんとなく学生の夏!のような、あの若い時期独特のヒリヒリしたキラキラした感じを思い出させてくれて、なかなかいいものだとも思う。(本屋での角川文庫「夏の100冊」のポスターとかのイメージが強いのかなぁ。)
最近は思想、哲学系の本に偏ってたので、小説自体が読書のアクセントになった気もしたりして。


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砂のがわに立てば、形あるものは、すべて虚しい。確実なのは、ただ、一切の形を否定する砂の流動だけである。
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孤独とは、幻を求めて満たされない、渇きのことなのである。
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砂・・・1/8mmの限りない流動・・・それは、歩かないですむ自由にしがみついている、ネガ・フィルムの中の、裏返しになった自画像だ。いくら遠足にあこがれてきた子供でも、迷子になったとたんに、大声をあげて泣き出すものである。
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「砂の女」(新潮文庫)より

11 コメント

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YONDA? (H.P.)
2009-08-01 09:42:08
いきがる季節に、そう黒眼がちにされて
ぷ‐っ、噴き出した覚えがあります

砂の女は、小学生のころ
留守番中にテレビをつけたことで
映画を先に観てしまう順序になってしまいました
「都会のひとって、違うんでしょ」
都会の女を思い出せないのと、急に砂の女を女として認識するのと
たえず浸蝕する砂の音に、一瞬恍惚とした男の
顔がなんとも
自分も大人になったら、このような関わりを男の人と持つのだろうと思い
原作を読んで混乱しました
女の魅力にのまれる男の話ではなく
砂をかきだす、繰り返しの世界にのまれる男の話
恐怖を感じました、対岸の火事として
今や、しんしんと毎晩降り注ぐ
恐怖になっています
この恐怖があるかぎり、結構貪欲に生きていかれるの気がします



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はまった経験ありです。 (雨音)
2009-08-01 21:36:38
安倍公房

懐かしいなぁ~
一時期はまってしまい、安倍公房の作品を次から次へと読んで、もう、飽きてしまうほど読んで、、、しかし飽きることなど無かったなぁ~~~

いなばさんは高校の現代文の教科書で出会ったのですね!
安倍工房にはもっと長生きして、たくさんの作品を書いて欲しかったです。

昔読んで、読み返していないのでいなばさんのように、何度も読み返してみるのも、更に、いいかもしれませんね。


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あわてもの (雨音)
2009-08-01 21:39:51
↑工房だなんて
いくら、あわてんぼうの私でも…
安倍公房さま、ごめんなさい。
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男女問わずひきつける作品、ですね。 (maki)
2009-08-02 09:02:01
哲学的な概念を、一つの物語、芸術作品として描写すると、安倍公房の文章のようになるのかもしれないと、私は高校生の時思いました。
単に、「よく意味がわからない、ちょっと怖い物語」以上のことを漠然とではあるけれども幼いながらに感じたのかもしれない。

また少し歳をとって今読むと猛烈に感じ入るところが別の形で自分の中に沸き起こるのだろうね。
(自分は当時、箱男、に夢中でした)

おっしゃる通り!夏の安倍公房。
夢の中に埋没する手助けをしてくれるのにはもってこいですね!

私も読み返してみよ~。
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何度もすみません… (雨音)
2009-08-02 20:54:30
もう、私はあわてんぼうどころか、、、お恥ずかしい!

「あべこうぼう」と入力し、「安倍工房」と出てそのままに見過ごし、「安倍公房」と訂正し、なんとなく、なんか違うかも…と気になっていました。
やっぱり間違っていましたね!【安部公房】なのに。

いかに、遠い思い出になってしまっていたということと、昔あんなに好きだったということも、嘘っぽく思えて落ち込みました…
笑えない自分がいます。
実際、読んだ本の内容をほとんど忘れてしまっているのですから。

優しいいなばさんとそのお仲間ですから笑ってくれますよね(アハハ)

本当にもう一度読み返さないとね!
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!! (maki)
2009-08-02 23:02:34
>雨音さま、みなさま、そして安部公房さま
!!!
×安倍
○安部
私も、確かに変な違和感を感じつつ、そのままよくよく読み返さずチャッとアップしてしまいました。
大変申し訳ない!
雨音さま、ご一緒させていただきます。私もシリーズ、読み返しますネ!


実は、今さっきまで、「砂の女」を劇場で見てきた興奮冷めやらぬ状態ですが…
ひとまずそのコメント前に、とりいそぎ訂正&ごめんなさい!でした。
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ラピュタ阿佐ヶ谷は最高! (INABA)
2009-08-03 13:15:30
>>>>>>>>>>>H.P.様

「都会の女のひとって、もっとキレイなんでしょ」
っていうセリフは、映画を見に行った面子とも盛り上がりました。
岸田今日子の演技はうまかったなー。

男と女のからみも、ああいう軟禁状態・拘禁状態だし、野生に帰っている感じなのですよね。
原作の小説でも性の問題も執拗に書かれていたし。


小説より、映画のほうがより恐怖感は強いですよねー。
見に行った3人とも、見終わった後は呆然と恐怖感にさいなまれてましたし。笑

映画じゃないと表現できないものを表現しているからこそ、映画って感じがします。


>>>>>>>>>>>雨音様

結論として『安部公房』でいいですよね。笑
もしくは『アベ コーボー』『Abe Kobo』ですか。

高校の現代文で出会いましたね。
高校の時は不真面目な生徒で、あまり学校にもいかずブラブラしていましたが、そういう衝撃性の高い話だけは覚えています。
小学~高校のときに学ぶことって、その時期だけでわかることなんてほとんどなくて、こうして大人になってから再度読み直したり考え直したりすればやっとわかるってことは多いと思います。


>>>>>>>>>>>maki
同じく、結論として『安部公房』でいいですよね。笑

なんとなく残った違和感とか衝撃って大事ですよね。
自分としては、みんなそれを感じたりはしているはずなんだけど、それを記憶の底においやっちゃうんだろうと思うんですよね。
僕は謎は謎として忘れないように注意していて、年をとると、ふとその問題がとけたりすることがあります。物理とか数学とかも同じだと思いますけど。


劇場版「砂の女」、よかったよねー!
150分近くあるとは思えずあっという間だった!

あのラピュタ阿佐ヶ谷って映画館自体が素敵すぎる!
http://www.laputa-jp.com/

タイムスリップしたみたい。ああいうのをちゃんと守っていきたいなー。
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共有できてよかった (la strada)
2009-08-03 14:02:01
ラピュタ阿佐ヶ谷は、初めて行ったけど、想像以上にいい空間でしたね。映画を待っている間も、これから宇宙船に乗って旅に出る感じがしたし(あの人と人との「間」の感じが絶妙だった。妄想膨らみ過ぎ?!)、映画館自体も、乗り物みたいでしたね~。あれで、上から砂が降ってきたら完璧だった。笑。宇宙船って飛行機と違って、今のところ大人数で乗れる乗り物ではないから、あの少人数感が、同じ世界(それも、宇宙的な)旅にいく感じがしましたね。

目から得る情報というのがいかに大きいものかと感じるけれど、映画館で映画を見るというのは、強制的に暗闇に座らされ(=ある意味自分の目を閉じ自分の現象世界をゼロにして)人の見る、描く世界(=映画の場合、監督のそれですね。)を自分で感じていくんだろうな~~~とかもやもや考えておりました。だから、家でDVDなどで見ていると、そこらへんが曖昧で、まだ自分の部屋の自分の意識世界が残っているから、感じるものも違うのだろうね。

砂の女は、3年くらい前に偶然読んで衝撃を受け、映画化されていると知り、ずっと観たかった映画で、このようにタイミングがあって、みなさんと共有できて、本当によかったです。ありがとう。

かなり長くて重い映画で、ああいう質感や重量感は、今は失いつつあるものだなぁと感じます。砂の女の家とかも、見事に再現していましたね。原作が好きな方も、がっかりしない作品だと思いました。

「都会の女の人はきれいなんでしょう」はすごかったねー笑。うまいねー砂の女!・・・いや、うまいというか、何も狙ってないで(多分)あの感じで言うのが絶妙なのよね。すごい。

「明日また突然ひとりになっちゃうんじゃないかと思うと、こわい」というような台詞があったけど、あれは、自分もドイツでそこはかとなく毎日感じていることだなぁ。明日もし日本で大地震があったら家族も友達も突然失ってしまったら・・・とかそういう断続的な不安をいつもそこはかとなく抱えている気がします。だから、心のどこかでそこはかとなく覚悟はしていたり。。まぁ、とはいっても、いつ何を失うかなんて、誰にもわからないし、「明日絶対死なないとは言えない」というはかない現実の上で誰しもが生きているのだから何とも言えないけれど、いくら技術が進んでも、「生」のすごさというのは、やっぱりありますよね。リアルであること、ライヴであることってすごい。音楽も人も。

…ってどれだけ脱線してるんだ私は。笑。
失礼。


「砂の男はありえないよね」というmakiちゃんの名言が心に残ったわー。家に帰ってからも、今日も、まだまだ色々妄想が広がっております。それだけたくさんの材料、要素、テーマが見事に絡んでいるのでしょうね。すごい作品ですね。また時を経て、皆さまと語り合いたいです。



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映画館の雰囲気最高ー (いなば)
2009-08-04 12:35:16
)))))))))))))la strada様
ラピュタ阿佐ヶ谷、よかったよねー。
天空の城ラピュタをイメージしたっていうのもよくわかる。
阿佐ヶ谷の路地を曲がると、そこから時空がねじれるように異空間に入る感じがしたし。
ああいう楽しい思い出を励みに、CCU(coronary care unit)の過酷な勤務を耐えてる日々です。
宇宙船に乗って旅に出る感じも分るー。
目的は皆一緒なんだけど、あの所在無い感じねー。みんな違うんだけど、ある同じ(→映画好きOR安部公房好きORラピュタ阿佐ヶ谷・・・)を抱えている微妙な距離感がねぇ。


そうそう。
わしも映画館で映画を見る行為のよさを感じましたね。
最近の好きな概念を使えば、家でのDVD鑑賞だと、日常と非日常のあわいなので、なにか日常がまぎれこんじゃう(→携帯のメールがなったり、家のチャイムが鳴ったり、部屋にあるマンガが気になったり・・)。
でも、映画館で見ると、完全に非日常なんですよね。完全に日常と断絶して、あっちの世界につれていってくれる。やはり、その辺が大きな違いなんだよなー。
自分が映画の世界に摑まれるのは、やはり映画館の方がよりいいなぁと思うし。

僕が青春時代に大きな衝撃を受けた安部公房、その「砂の女」が映画化されてるなんて全く知らなかったから、ほんといい機会でした。la stradaさんに教わらなかったら知らなかったし。ありがとう!


「明日また突然ひとりになっちゃうんじゃないかと思うと、こわい」
ってのは、人生や命の儚さですよね。無常ですよね。
あの映画は、小説の原作をうまく忠実に映画化してて、すごく満足度高かったなー。
他の安部公房作品の「他人の顔」「燃えつきた地図」の映画版も期待できるかなぁ。また文庫買って予習しとかなきゃー。

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Unknown (maki)
2009-08-04 14:33:20
すごかったねえ、ラピュタ阿佐ヶ谷で見る『砂の女』
あの”場”の力も、またぐっとひきこませてくれる手助けをしていたよね。

あんまりにもドスンと衝撃が来て、今でもまだぼうっとしながら一場面を思い出したりしてしまうのだけど。

「東京の女のひとって、きれいなんでしょ」
は、もはや今期の最ヒットフレーズだね笑

女性としての目線であの物語を見る面白さも感じることができたし、岸田今日子の妖艶さと強さともろさをいとおしいとちょっと感じたときに男の人目線な気持になることができた気がしたし、うん。

『砂の男』
だったら、一人で生きろ!
って感じだよね(>La stradaちゃん、そうよね笑)

また、あのラピュタで、あの独特の空気の中で映画みたいですね。
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