東京都美術館で「レオナルド・ダ・ヴィンチ展-天才の肖像」を見てきた。
4/23~6/30なので、余裕あるなぁと思ったらもうすぐで終わるところだった。危なかったー。
■
「ダ・ヴィンチ」の存在を、毎日意識している。
というのも、学生時代に買った2mくらいあるモナリザのどでかいポスターが、我が狭い部屋の入り口に鎮座していて、毎日その前を通るから。
常にダヴィンチに見張られているようで、常に気が抜けない。
そういうものが家に鎮座しているのも大事なことな気がする。
神性な視点が部屋の中にあることは大事なことだ。それは仏壇でもいいし、神棚でもいいと思う。
E.L.カニグズバーグの「ジョコンダ夫人の肖像」(岩波書店 (1975/12/10))と言う本は、身近なダヴィンチ像が書かれている超名著の児童書。(ただ、アマゾンで見てみたら3000円でプレミアついてる・・。)
ダヴィンチ関連本はいろいろ持ってますが、この本はその中でも素晴らしい本なのです。さすが岩波。ここに出てくる浮浪児サライが、ダヴィンチにとって重要な意味を持っている。浮浪児と天才。その辺は読んだ人には分かります。確か、河合隼雄先生の「子どもの宇宙」(岩波新書(1987/9/21))で紹介されてて知ったような。
訳者の松永ふみ子さんは、この本のあとがきで、モナ・リザを名画としてあがめて観るのではなくて、名もなき商人の二度目の妻である「ジョコンダ夫人」として、気楽にあの絵を見てほしい、と書いています。
そういう視点でも、自分なりに常にモナ・リザと接しているつもりです。
■
絵は、いくら印刷であっても、情報として高密度なものが刻印されている。
その過密な情報を、受け手が勝手に受け取ればいい。
そして、受け取れる情報量は、受け手側の器に依存する。
だから、ダヴィンチが気になる人は、常に自分を成長させなければいけない。
ダヴィンチは常に尊敬と憧れの対象。
ああいう風に自由に。極限世界まで好きなことや興味のあることを追求していく姿勢はかっこいいと、思う。
展示自体は、ダヴィンチの作品というより、ダヴィンチに影響された人たちの展示が多い。
ダヴィンチの絵自体が少ないので、当然と言えば当然か。
ただ、ダヴィンチ直筆のデッサンなど、生ではじめて見たものも多く、それはそれは感動した。
繊細で迷いがないタッチはすごい。ためらいがない。確信しかない。ああいう曲線が書けるまでどれだけかかるのだろう、と思う。
最後にミュージアムショップで「洗礼者聖ヨハネ (San Giovanni Battista)」を買った。額縁に入れてみた。
この前日、古本屋で「アンドロギュヌスの神話」(エレミール・ゾラ:平凡社 (1988/08))というかなり素晴らしい本を偶然購入して(澁澤龍彦が解説を書いている!)、この表紙が同じく「洗礼者聖ヨハネ」だったので、妙なシンクロニシティーを感じてしまった・・・。
ちなみに。
養老孟司先生の「臨床哲学」哲学書房 (1997/04) っていう本も、この洗礼者聖ヨハネが表紙なんですよね。
洗礼者聖ヨハネの3連発で終わるのも妙なものですが・・・・
***********************
ヨハネはラクダの毛でできた衣を着て、皮の帯を腰にしめていた。
かたい果実と野生の蜂蜜が彼の食物であった。
そして、彼は「私のあとに、私よりも力強い者が来る。
私は彼の前に身をかがめて、靴の紐を解くにも足らない。
私はおまえたちに水で洗礼をした。
彼は、しかし、聖霊と火でおまえたちを洗礼するであろう」
といった。
そのころ、つぎのようなことが起こった。
イエスがガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川で、ヨハネから洗礼を受けた。
イエスが水から上がるとき、突然、天空が裂け、霊が鳩の姿で下ったのを彼は見た。
そして、天から声が響いた。
「おまえは私の愛する子である。おまえのなかに私は私を開示しよう」
(マルコ福音書第一章)
***********************
いづれにせよ。
ダヴィンチの絵、その影響を受けた画家の数々を見て、ダヴィンチの偉大さを改めて感じました。
========================
レオナルド・ダ・ヴィンチ
========================
川の中ではあなたが触る水が一番最後に過ぎ去ったものでありまた、一番最初に来るものである。
現在という時も同じである。
========================
シンプルさは究極の洗練である。
========================
老いてからの欠乏を補うのに十分なものを青年時代に獲得しておけ。
老年が食物として必要なのは「知恵」である。
そのことを知る者は(知恵の)栄養不足にならぬよう、若いうちに努力せよ。
========================
愛は知識の母である。
========================
知ることが少なければ愛することも少ない。
========================
人間は古代人によって小宇宙と呼ばれた。
人間には肉を支える枠組みとしての骨があり、地球には土を支える岩がある。
人間は血液という湖を持ち、そこでは肺が膨らんだり、しぼんだりして呼吸作用をしているように、
地球には海があり、四六時中潮の満ち引きが宇宙の呼吸作用を繰り返す。
========================
経験は決して間違えない。間違えるのは人間の判断だ。
自分で実験してもいない結果を予測して、判断を間違えるのだ。
========================
充実した一日が幸せな眠りをもたらすように、充実した一生は幸福な死をもたらす。
========================
精神は、鍛錬なしには堕落する。
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4/23~6/30なので、余裕あるなぁと思ったらもうすぐで終わるところだった。危なかったー。
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「ダ・ヴィンチ」の存在を、毎日意識している。
というのも、学生時代に買った2mくらいあるモナリザのどでかいポスターが、我が狭い部屋の入り口に鎮座していて、毎日その前を通るから。
常にダヴィンチに見張られているようで、常に気が抜けない。
そういうものが家に鎮座しているのも大事なことな気がする。
神性な視点が部屋の中にあることは大事なことだ。それは仏壇でもいいし、神棚でもいいと思う。
E.L.カニグズバーグの「ジョコンダ夫人の肖像」(岩波書店 (1975/12/10))と言う本は、身近なダヴィンチ像が書かれている超名著の児童書。(ただ、アマゾンで見てみたら3000円でプレミアついてる・・。)
ダヴィンチ関連本はいろいろ持ってますが、この本はその中でも素晴らしい本なのです。さすが岩波。ここに出てくる浮浪児サライが、ダヴィンチにとって重要な意味を持っている。浮浪児と天才。その辺は読んだ人には分かります。確か、河合隼雄先生の「子どもの宇宙」(岩波新書(1987/9/21))で紹介されてて知ったような。
訳者の松永ふみ子さんは、この本のあとがきで、モナ・リザを名画としてあがめて観るのではなくて、名もなき商人の二度目の妻である「ジョコンダ夫人」として、気楽にあの絵を見てほしい、と書いています。
そういう視点でも、自分なりに常にモナ・リザと接しているつもりです。
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絵は、いくら印刷であっても、情報として高密度なものが刻印されている。
その過密な情報を、受け手が勝手に受け取ればいい。
そして、受け取れる情報量は、受け手側の器に依存する。
だから、ダヴィンチが気になる人は、常に自分を成長させなければいけない。
ダヴィンチは常に尊敬と憧れの対象。
ああいう風に自由に。極限世界まで好きなことや興味のあることを追求していく姿勢はかっこいいと、思う。
展示自体は、ダヴィンチの作品というより、ダヴィンチに影響された人たちの展示が多い。
ダヴィンチの絵自体が少ないので、当然と言えば当然か。
ただ、ダヴィンチ直筆のデッサンなど、生ではじめて見たものも多く、それはそれは感動した。
繊細で迷いがないタッチはすごい。ためらいがない。確信しかない。ああいう曲線が書けるまでどれだけかかるのだろう、と思う。
最後にミュージアムショップで「洗礼者聖ヨハネ (San Giovanni Battista)」を買った。額縁に入れてみた。
この前日、古本屋で「アンドロギュヌスの神話」(エレミール・ゾラ:平凡社 (1988/08))というかなり素晴らしい本を偶然購入して(澁澤龍彦が解説を書いている!)、この表紙が同じく「洗礼者聖ヨハネ」だったので、妙なシンクロニシティーを感じてしまった・・・。
ちなみに。
養老孟司先生の「臨床哲学」哲学書房 (1997/04) っていう本も、この洗礼者聖ヨハネが表紙なんですよね。
洗礼者聖ヨハネの3連発で終わるのも妙なものですが・・・・
***********************
ヨハネはラクダの毛でできた衣を着て、皮の帯を腰にしめていた。
かたい果実と野生の蜂蜜が彼の食物であった。
そして、彼は「私のあとに、私よりも力強い者が来る。
私は彼の前に身をかがめて、靴の紐を解くにも足らない。
私はおまえたちに水で洗礼をした。
彼は、しかし、聖霊と火でおまえたちを洗礼するであろう」
といった。
そのころ、つぎのようなことが起こった。
イエスがガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川で、ヨハネから洗礼を受けた。
イエスが水から上がるとき、突然、天空が裂け、霊が鳩の姿で下ったのを彼は見た。
そして、天から声が響いた。
「おまえは私の愛する子である。おまえのなかに私は私を開示しよう」
(マルコ福音書第一章)
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いづれにせよ。
ダヴィンチの絵、その影響を受けた画家の数々を見て、ダヴィンチの偉大さを改めて感じました。
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レオナルド・ダ・ヴィンチ
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川の中ではあなたが触る水が一番最後に過ぎ去ったものでありまた、一番最初に来るものである。
現在という時も同じである。
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シンプルさは究極の洗練である。
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老いてからの欠乏を補うのに十分なものを青年時代に獲得しておけ。
老年が食物として必要なのは「知恵」である。
そのことを知る者は(知恵の)栄養不足にならぬよう、若いうちに努力せよ。
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愛は知識の母である。
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知ることが少なければ愛することも少ない。
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人間は古代人によって小宇宙と呼ばれた。
人間には肉を支える枠組みとしての骨があり、地球には土を支える岩がある。
人間は血液という湖を持ち、そこでは肺が膨らんだり、しぼんだりして呼吸作用をしているように、
地球には海があり、四六時中潮の満ち引きが宇宙の呼吸作用を繰り返す。
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経験は決して間違えない。間違えるのは人間の判断だ。
自分で実験してもいない結果を予測して、判断を間違えるのだ。
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充実した一日が幸せな眠りをもたらすように、充実した一生は幸福な死をもたらす。
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精神は、鍛錬なしには堕落する。
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ところで、こちら、かなりオススメだよー!
かなり斬新で素晴らしい企画でした。漱石好きにはたまらないと思う。小説のなかの物語、書かれるまでの経緯、彼の人生、絵そのものの魅力、様々な作家の多種類の絵…など、多層なレイヤーで、それぞれの人が楽しめる。魅力的な絵がそろっていた。漱石の小説を読みたくなって、ウズウズしてしまった。また、行きたいなぁ。7/7まで。まだだったら是非。
http://www.geidai.ac.jp/museum/exhibit/current_exhibitions_ja.htm
薔薇の名前、いい映画だよねー。
あの撮影場所行ったけど、すごく美しい所だった。
>老いてからの欠乏を補うのに十分なものを青年時代に獲得しておけ。老年が食物として必要なのは「知恵」である。
おおお!身が引き締まる思い。まだ間に合うでしょうかダビンチ様?頑張ります!
洗礼者ヨハネ像は、素晴らしく中性的で美しくて吸い込まれそう。愛弟子サライがモデルとか、サライはモナリザのモデルでもあるとか、色々言われてるところもミステリアスで素敵!「ジョコンダ夫人の肖像」、知りませんでした。読みたい~!今、アマゾンで見てみたらホント3000円(笑)。サライの役割について書いてあるんですね!サライ・・・陰陽五行的に見ると、ダビンチの何にあたったんだろう?火?金?
ダン・ブラウンも、やっぱりダビンチコードが一番面白かったような気がします。
ダビンチ、果てしなし。
そうそう。いつのまにかに終わってることあるから気をつけないといかんよねー。上野は金曜夜が20時前まで空いてるので、最近はそこをうまく利用してますー。
ダ・ヴィンチは、やはりレベルが頭一つ抜けてるよね。普通の絵じゃない感じが、誰の目に見てもあきらかな感じ。
漱石の展示も面白そうね。実は、漱石作品はまともに通読したことがほとんどないのです。いつか機会あれば読もうかなーと思ってるんだけどね。春樹作品にもよく出てくるし。
こういう展示見ると、いいきっかけになって読みたくなるかもしれない。でも、ただでさえ課題図書が山積してるから、また課題図書が山積みに・・・(^^;
薔薇の名前の撮影場所行ったんだ!すごい!すごい!
映画で見てると、ほんと幻想的だよね。なんか想像上の場所のような雰囲気で。ちゃんと実在する場所なのかぁー。
>まーこさん
ダビンチって年に2回くらいは上野に来るんですよね。
この前は、渋谷Bunkamuraで「レオナルド・ダ・ヴィンチ 美の理想」展もあって、日本初公開の《ほつれ髪の女》(パルマ国立美術館蔵)が展示されてました。これはデッサンなんだけど、すごい絵だったなー。
ダヴィンチの弟子?のようなひとたちの絵も、さすがダヴィンチを生で見てるだけあってものすごいレベル高いし。
LOVE展も気になります。六本木ヒルズの森ビルでやってるやつですよね。あそこ、少し値段高いからなぁー。
洗礼者ヨハネ像は、両性具有的なんですよね。
ユングや河合先生が言うように、人間は男性なら内なる女性(アニマ)と、女性なら内なる男性(アニムス)と結婚しないといけない(聖婚:ヒエロスガモスHieros Gamos!)んでしょうねぇ。ああいう風にして低い性意識から高い性意識へと進化していくのは、人間とカミの関係性において重要なことだとか。(By,だるまん)
「ジョコンダ夫人の肖像」、素晴らしいですよー。
河合先生の『こどもの宇宙(岩波新書)』にも紹介されてました。こちらの岩波新書の方がとりあえず買いやすいので、こちらもお勧めですよ。お子さんのことも、より深くわかるようになると思います。この本も素晴らしい本ですー。
ダン・ブラウンのダビンチコード、映画は見たけど原作読んでない。BokkOff100円で上中下購入してますが、まだ読んでないです・・・また積読!(^^;
でも、もう一回映画、見直してみようかなぁ。色々と見落としてるとこあるかもしれないー。