さきほど、岡山まで発表しに行きましたが、別用のためにとんぼ帰り。もったいない。美術館とか含め、岡山をもっと見物したかったー。
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「コンタクト」(1997年、アメリカ)っていうDVDを借りて見ました。めちゃくちゃ面白かったー!
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<内容(「キネマ旬報社」データベースより)>
ロバート・ゼメキス監督が、カール・セーガンの小説を映画化したSFドラマ。
電波天文学者のエリーは、宇宙からの電波を元に地球外知的生命体の研究をしていたが…。
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いろんなポイントで面白かった。
・天文学や宇宙が、そもそも謎に満ちていて興味深い。
・科学と宗教(信仰)の関係をここまで丁寧に書いた映画は珍しい。
・宇宙の研究にかける女性科学者(ジョディ・フォスター)がかっこよすぎる。
・宇宙の描写がすごかった。特に最後の宇宙の時空を超えていく瞬間。
常識がひっくり返るようようなことが起きると、その人の隠れていた本性のようなものが露呈されますよね。
この映画の場合では、未知の地球外生命体のようなものになるわけですが。
やはり、人間というものは色んなものを無意識化に抑圧しているんでしょう。
それを自我や常識というもので蓋をする。
その蓋がとれる時、ある意味では自分の意識と自分の無意識とが融合してひとつになるチャンスなのですが、一般にはそれを恐れるものです。
常識というものは、単にその時代で共有された共通見解というだけであって、いつでも変わりうる相対的なもの。
そんな風に少し距離感を持ちながら考えていれば、常識やパラダイムなんて、いつひっくり返っても怖くも何ともないない。そんなことは歴史が証明していると思うんですけどね。
それは、太陽が東に登り西に沈むのを見て朝日や夕日に感動しながらも、同時に「ああ、地球が自転してるんだな。」とも思える素直さなんでしょう。
昔の人は地動説なんて(「あれは太陽が動いているんじゃなくて、地球とか自分たちが動いているんだよ!」)、あまりに常識外れで信じられないことだったんでしょうし、むしろそういう事を主張する人を殺してしまって、なかったことにするくらいですから・・、常識の壁というのは恐ろしいものです。
常識外れで想像を超える経験というのは、自分の意識と無意識が一体化するいいチャンスなのだと思いますね。
それは、液体を撹拌すると、一時的に分離していたものがひとつになるような状態。
山や自然の中、自然に生きる生物の営みも、いつも常識外れ。経験するたびに自分の常識や偏見の壁は溶けてなくなります。
この世界は、大宇宙の中に、さらに信じられないような広大な小宇宙が広がっている無限の入れ子構造をつくっているものですし。
こういう映画を見ると、常識という壁で遮蔽して見えなかった自分の無意識世界を見せてくれるような感覚が伴います。
意識と無意識は、本来はひとつのもの。
仲良く相互作用するいい関係性を持ちたいものです。
いい映画や芸術を見ると、無意識が活性化されてふとそんなことを思います。
何か自分の組成が変わった気がするのは、やはりそういう内的世界での地殻変動が静かに起きるからなんでしょうか。
「コンタクト」面白かったー。ほんといい映画。
原作のカール・セーガンは本当にすごい人。アメリカの天文学者、作家、SF作家で、元コーネル大学惑星研究所所長。NASAでの惑星探査の指導者です。アポロ計画では宇宙飛行士の指導にあたったような人。
カール・セーガンの本は何冊も持っていますが、改めて読み返したいです。
こうして、読書の輪廻世界にどんどん突入していくんですよね。笑
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「ねぇ、パパ よその星にも人はいるかしら?」
「さぁ、どうだろう でもパパに言わせれば 地球人だけじゃ広い宇宙が勿体無いよ」
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『オッカムのカミソリ』「不要なものを剃り落とすと、そこに真実が見える。」
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「宇宙のあの姿を見て、私は改めて気付いたのです。我々がいかにちっぽけな存在であるかを。またいかに貴重であるかも。
私は知ったのです、我々は、より大きなものの一部である事を。我々人類は、決して孤独ではありません。」
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「コンタクト」(1997年、アメリカ)っていうDVDを借りて見ました。めちゃくちゃ面白かったー!
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<内容(「キネマ旬報社」データベースより)>
ロバート・ゼメキス監督が、カール・セーガンの小説を映画化したSFドラマ。
電波天文学者のエリーは、宇宙からの電波を元に地球外知的生命体の研究をしていたが…。
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いろんなポイントで面白かった。
・天文学や宇宙が、そもそも謎に満ちていて興味深い。
・科学と宗教(信仰)の関係をここまで丁寧に書いた映画は珍しい。
・宇宙の研究にかける女性科学者(ジョディ・フォスター)がかっこよすぎる。
・宇宙の描写がすごかった。特に最後の宇宙の時空を超えていく瞬間。
常識がひっくり返るようようなことが起きると、その人の隠れていた本性のようなものが露呈されますよね。
この映画の場合では、未知の地球外生命体のようなものになるわけですが。
やはり、人間というものは色んなものを無意識化に抑圧しているんでしょう。
それを自我や常識というもので蓋をする。
その蓋がとれる時、ある意味では自分の意識と自分の無意識とが融合してひとつになるチャンスなのですが、一般にはそれを恐れるものです。
常識というものは、単にその時代で共有された共通見解というだけであって、いつでも変わりうる相対的なもの。
そんな風に少し距離感を持ちながら考えていれば、常識やパラダイムなんて、いつひっくり返っても怖くも何ともないない。そんなことは歴史が証明していると思うんですけどね。
それは、太陽が東に登り西に沈むのを見て朝日や夕日に感動しながらも、同時に「ああ、地球が自転してるんだな。」とも思える素直さなんでしょう。
昔の人は地動説なんて(「あれは太陽が動いているんじゃなくて、地球とか自分たちが動いているんだよ!」)、あまりに常識外れで信じられないことだったんでしょうし、むしろそういう事を主張する人を殺してしまって、なかったことにするくらいですから・・、常識の壁というのは恐ろしいものです。
常識外れで想像を超える経験というのは、自分の意識と無意識が一体化するいいチャンスなのだと思いますね。
それは、液体を撹拌すると、一時的に分離していたものがひとつになるような状態。
山や自然の中、自然に生きる生物の営みも、いつも常識外れ。経験するたびに自分の常識や偏見の壁は溶けてなくなります。
この世界は、大宇宙の中に、さらに信じられないような広大な小宇宙が広がっている無限の入れ子構造をつくっているものですし。
こういう映画を見ると、常識という壁で遮蔽して見えなかった自分の無意識世界を見せてくれるような感覚が伴います。
意識と無意識は、本来はひとつのもの。
仲良く相互作用するいい関係性を持ちたいものです。
いい映画や芸術を見ると、無意識が活性化されてふとそんなことを思います。
何か自分の組成が変わった気がするのは、やはりそういう内的世界での地殻変動が静かに起きるからなんでしょうか。
「コンタクト」面白かったー。ほんといい映画。
原作のカール・セーガンは本当にすごい人。アメリカの天文学者、作家、SF作家で、元コーネル大学惑星研究所所長。NASAでの惑星探査の指導者です。アポロ計画では宇宙飛行士の指導にあたったような人。
カール・セーガンの本は何冊も持っていますが、改めて読み返したいです。
こうして、読書の輪廻世界にどんどん突入していくんですよね。笑
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「ねぇ、パパ よその星にも人はいるかしら?」
「さぁ、どうだろう でもパパに言わせれば 地球人だけじゃ広い宇宙が勿体無いよ」
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『オッカムのカミソリ』「不要なものを剃り落とすと、そこに真実が見える。」
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「宇宙のあの姿を見て、私は改めて気付いたのです。我々がいかにちっぽけな存在であるかを。またいかに貴重であるかも。
私は知ったのです、我々は、より大きなものの一部である事を。我々人類は、決して孤独ではありません。」
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