8月20日公開の「ソング・オブ・ザ・シー 海のうた」(トム・ムーア監督)を観ました。アイルランド神話をもとにしたアニメーション映画です。
とてもとても心を動かされ、感動しました。泣きました。素晴らしい映画でした。
東京では<恵比寿ガーデンシネマ>でしか今のところやっていません。恵比寿ガーデンシネマも素敵なところにある映画館ですよね。(いづれユジク阿佐ヶ谷でも上映するようです)
トム・ムーア監督は宮崎駿監督を含め日本人のアニメーターや、黒澤明監督、小津安二郎監督もすごく尊敬しているらしいのです。アニメのカットなど随所にその影響が表れているとのこと。
○ソング・オブ・ザ・シー 海のうた 公式HP
・・・・・・・・・
海ではアザラシとなり、陸では女性の姿になる妖精セルキー。
そんなセルキーの母と人間の父との間に生まれた兄妹の物語。
母ブロナーの吹き替えと「海のうた(SONG of the SEA)」を歌うのが中納良恵さん(EGO-WRAPPIN')。
良恵さんの歌声も聞きたくて日本語吹き替え版で観たのです。
(<参考>→○エゴラッピン 日比谷野音LIVEと20周年(2016-07-12))
良恵さんの優しい語り口は耳元で話しかけられているようでぞくっとしましたし、アニメの幻想的な映像と光のように空間を貫通する良恵さんの歌声と物語とよく響きあい、本当に素晴らしい体験でした。
さらに、兄ベン役の本上まなみさん、父コナー役のリリー・フランキーさんも、深い感情が伝わる語り声で、声優のみなさんは本当にはまり役! この3人を選んだ方のセレクションとセンスはすごすぎる!!
このアニメは、人間と妖精との物語。
切断された関係性を、再度結びなおし取り戻す物語です。
妖精と人間のように、異なる世界には「境界(borderline)」があります。
境界は二つの世界を分ける場所でもありますが、同時に異なる世界をつなぐ場所でもあります。
「あわい」の領域として異なる世界は重なり合っていて、厳密に線引きすることはできません。
ただ、その重なった「あわい」の領域にいる存在は、どちらの世界にも通じているからこそ、その間で引き裂かれるような思いをすることもあります。
妹シアーシャも兄ベンも境界に生きて境界をつなぐ存在。
バラバラだった二人が力をあわせ、命がけで異なる二つの世界をつなげあわせます。
そのことで、妹のいのちも妖精の世界もいのちを取り戻すのです。
・・・・・・・・・
この地球上に人類が生まれたのはほんの数百万年前のこと。
生命自体はもっと長い歴史を持ちます。さかのぼること数億年、数十億年の歴史の中で、生命は陸よりも海に暮らす時代の方が遥かに長かったのです。
40億年前に生命が海で生まれたとすると、その36億年後にもなる今から4億年前に、生命は海から陸へ上陸してきたと言われています。
上陸劇は新しいフロンティア精神でもあり、激しい地震や造山運動が地球規模で巻き起こった時代に、海だった場所がいつのまにか山合いの谷地になり陸となったことで、必死で生き伸びるため海型から陸型へと否応なくモデルチェンジを強いられたからかもしれません。
ちなみに、フランス語では、
la mère(ラ・メル)が母、
la mer(ラ・メル)が海の意味です。
詩人の三好達治さんの詩『郷愁』の一節にこういう詩があります。
蝶のような私の郷愁!……。
蝶はいくつか籬(まがき)を越え、午後の街角に海を見る……。
私は壁に海を聴く……。私は本を閉じる。
私は壁に凭れる。隣の部屋で二時が打つ。
「海、遠い海よ! と私は紙にしたためる。
――海よ、僕らの使ふ文字では、お前の中に母がゐる。
そして母よ、仏蘭西人の言葉では、あなたの中に海がある。」
日本語の漢字では「海」の中に「母」という文字が含まれていて、
フランス語のmere(母)の中にはmer(海)という文字が含まれています。
それは、生命の母が海であり、海は母そのものであったということも無縁ではないでしょう。
海は波と共に常に振動していますが、母が子をゆりかごの中であやすことも、関係がありそうです。
映画「SONG of the SEA」は、海の歌であり母の歌でもあります。
自分は「いのち」を産んだ母である自然の歌のことを思いました。
生命は「海」という揺りかごに何億年も揺られていました。
だから、人の体の中には海のリズムがあります。
おそらくそれは呼吸のリズムへと変化したはずです。
呼吸は海水でのえら呼吸から、陸上での肺呼吸へと数億年の時間をかけてつくられました。
生命は、そうした月の満ち引きで作られる「海のうた」を全身で何十億年も聞いてたのです。
それは聴覚的な音以上に、皮膚感覚での振動のような音以前のものも含んでいたでしょう。
自然は常にメッセージを発して歌っていて、人間の耳には音として、皮膚には振動として働きかけています。
ただ、こちらが耳を澄まさないと聞こえてこない音なのです。そこには微小な音から極大の音まですべてが含まれています。
人の体に潜んでいる生命記憶も、耳を澄まさないと聞こえてこない音です。
人の体には生命の歴史が詰まっていて、そのプロセスの中で人は生まれてきています。それは時間の歌であり、生命や宇宙の歌でもある。
外部の情報だけではなく、自分の内なる自然である内部の体の声にこそ、そっと耳を傾ける時間が必要です。
そこには静謐な時間が流れています。
心臓の音、血流の音、臓器が動く音、、、、色々な音を奏でてシンフォニー、ポリフォニーとして成立している人の体は、自らが奏でている楽器のような存在だと思います。
そうした長い生命の歴史の中で人は「心」を持ちましたが、心も地層のように何層も何層も重ねあげられてできあがっています。
深い場所にある心の古層は、「物語」という形でしか伝えることは困難なのでしょう。
だからこそ、人間は神話や昔話やファンタジーを必要としたのだと思います。それは「心の古層」の切実な表現です。
■
「SONG of the SEA」では、妹が生まれた後に母親が姿を消してしまいます。
この謎がすべての始まりとなるのですが、そもそも人が「生まれる」とき、どういうことが起きていたのでしょうか。
人間は、どんな人でも例外なく、極めて弱い存在としてこの世に生を受けます。
どんな人であっても例外なく、必ず誰かの愛を受けて守られなければ、生きることを保つことすらできません。
今生きている、というのは、そういうことなのです。
赤ん坊から幼児なる間、毎日が命がけの日々だったことでしょう。
1日生き延びれただけでも奇跡であり感動の日々です。
そんな日々が延々と続きながら、人はいつのまにか子供なり大人となり、成長していくのです。
私たちは奇跡の生還を果たした物語に心を動かされますが、きっとそれは私たち全員がそうしたプロセスを様々な形で経験しているからこそ、何か心が動かされるのでしょう。
自分の中にいる幼い時の自分が、日々を必死で生きていた体験を私たちに訴えかけてきているのです。
妹シアーシャも兄ベンも、命がけで力を合わせます。
その必死の生き方に、大人が忘れかけている生きることに対する切実さを呼び起こされるかのようです。
人間という存在は、赤ん坊や幼少期の時に誰かから受けた愛が核(コア)となり生きています。
それは感謝してもしきれないくらい、無償で与えられたものです。
人間の生命記憶の中心には愛があるからこそ、その核を周遊するように人生は展開されていくのでしょう。
そして、人間の人生は「愛」を一つの主旋律としながら、その変奏曲で色々な問題が起こる冒険活劇なのだと改めて思います。
■
妹シアーシャは、不思議な歌の力を持っています。その力は、自分を蘇らせる力と共に、妖精をも蘇らせる力をもつ魔法の力。
ただ、ある「衣」をまとわないと、そうした自分自身に内在する不思議な力は発揮できないのです。
「衣」が持つ力は、もっと強調されてもっと大切にされていいと思います。
自分も、ここ最近は「蚕」という生命そのものに興味を持ち、「お蚕様」として大切にしてきた感性を追いかけているところです。日本人の霊性の歴史をたどるように。人がいないと生きることを保てない「お蚕様」から、命がけで全身全霊で紡ぎだされる絹糸や絹織物は、近代化の大津波の中で危機に陥っていた日本を大いに助けてくれたものだからです。
美しい衣服を着ると、皮膚は喜び、体全体が喜びます。
人は「衣」をまとうことで、性格や感情も変わりえます。
コスチュームは役割をつくり、その役割は人格すら変えうるのです。
それは、まるで魔法のようなもの。
ファッションや衣服には、体や心に何かしらの作用を及ぼし、いい方向に応用すると医療的でもあります。
衣料と医療とが同じ言葉であるのは偶然ではないでしょう。
衣料(医療)を適切に使いさえすれば、心と体は喜び、本来の調和の力を取り戻すきっかけになりえます。
■
妹シアーシャ(Saoirse)の名前は、アイルランド語で「自由」を意味します。
シアーシャが本当に自分自身の力を発揮できる「自由(Saoirse)」を獲得したとき、自分自身も、周りの全ても呪縛から解き放たれて真の「自由」を得るのでしょう。
自分の周囲にも自由を感じる大前提は、まず自分自身が自由であることです。
自由という在り方は、生命本来の在り方でもあると思います。無制限で目いっぱい自由に生きること。
人が自由であるとき、その人は最も美しい。
子供の時に誰もが持っていた自由な感覚と、子供のときに日々を切実に必死に生きていた感覚。
そういう瑞々しく初々しい感性を思い出して取り戻すために、僕らは日常とは少し違うう現実を描いたアニメやファンタジー世界や神話を必要とするのだと思います。
人の体は何かしらの食べものがないとエネルギーが補給できないように、人の心も何かしらの栄養が必要です。
現代の日本では、体の栄養失調は少なくなりましたが、心の栄養失調にならないように、こうした上質の映画やアニメや歌や物語を心は必要とするのです。
そうして、心も体も日々生まれ変わって、常に自由な感覚に立ち返りながら、日々を驚きと感動を持って生きていくことができるのでしょう。
・・・・・・・・
「ソング・オブ・ザ・シー 海のうた(「SONG of the SEA」)」は素晴らしい映画でした!!
アニメも本当に幻想的で美しく、魔法にかかったようにアニメの世界に引き込まれました。
是非見に行ってください!
自分は日本語吹き替え版をおすすめします!!
EGO-WRAPPIN'の中納良恵さんのように、それぞれの国を代表する歌い手たちが、この歌をつないで紡いで歌っています。歌そのものが僕らを包む見えない海のように。
○ソング・オブ・ザ・シー 海のうた 公式HP
○「ソング・オブ・ザ・シー 海のうた」ミュージッククリップ
○アカデミー賞長編アニメ候補作『ソング・オブ・ザ・シー 海のうた』予告編
○Song Of The Sea Full Soundtrack OST (audio)
○トム・ムーア監督単独インタビュー
コップにイラストが!かわいい! これは店員さんの作?!
青色が美しい!
とてもとても心を動かされ、感動しました。泣きました。素晴らしい映画でした。
東京では<恵比寿ガーデンシネマ>でしか今のところやっていません。恵比寿ガーデンシネマも素敵なところにある映画館ですよね。(いづれユジク阿佐ヶ谷でも上映するようです)
トム・ムーア監督は宮崎駿監督を含め日本人のアニメーターや、黒澤明監督、小津安二郎監督もすごく尊敬しているらしいのです。アニメのカットなど随所にその影響が表れているとのこと。
○ソング・オブ・ザ・シー 海のうた 公式HP
・・・・・・・・・
海ではアザラシとなり、陸では女性の姿になる妖精セルキー。
そんなセルキーの母と人間の父との間に生まれた兄妹の物語。
母ブロナーの吹き替えと「海のうた(SONG of the SEA)」を歌うのが中納良恵さん(EGO-WRAPPIN')。
良恵さんの歌声も聞きたくて日本語吹き替え版で観たのです。
(<参考>→○エゴラッピン 日比谷野音LIVEと20周年(2016-07-12))
良恵さんの優しい語り口は耳元で話しかけられているようでぞくっとしましたし、アニメの幻想的な映像と光のように空間を貫通する良恵さんの歌声と物語とよく響きあい、本当に素晴らしい体験でした。
さらに、兄ベン役の本上まなみさん、父コナー役のリリー・フランキーさんも、深い感情が伝わる語り声で、声優のみなさんは本当にはまり役! この3人を選んだ方のセレクションとセンスはすごすぎる!!
このアニメは、人間と妖精との物語。
切断された関係性を、再度結びなおし取り戻す物語です。
妖精と人間のように、異なる世界には「境界(borderline)」があります。
境界は二つの世界を分ける場所でもありますが、同時に異なる世界をつなぐ場所でもあります。
「あわい」の領域として異なる世界は重なり合っていて、厳密に線引きすることはできません。
ただ、その重なった「あわい」の領域にいる存在は、どちらの世界にも通じているからこそ、その間で引き裂かれるような思いをすることもあります。
妹シアーシャも兄ベンも境界に生きて境界をつなぐ存在。
バラバラだった二人が力をあわせ、命がけで異なる二つの世界をつなげあわせます。
そのことで、妹のいのちも妖精の世界もいのちを取り戻すのです。
・・・・・・・・・
この地球上に人類が生まれたのはほんの数百万年前のこと。
生命自体はもっと長い歴史を持ちます。さかのぼること数億年、数十億年の歴史の中で、生命は陸よりも海に暮らす時代の方が遥かに長かったのです。
40億年前に生命が海で生まれたとすると、その36億年後にもなる今から4億年前に、生命は海から陸へ上陸してきたと言われています。
上陸劇は新しいフロンティア精神でもあり、激しい地震や造山運動が地球規模で巻き起こった時代に、海だった場所がいつのまにか山合いの谷地になり陸となったことで、必死で生き伸びるため海型から陸型へと否応なくモデルチェンジを強いられたからかもしれません。
ちなみに、フランス語では、
la mère(ラ・メル)が母、
la mer(ラ・メル)が海の意味です。
詩人の三好達治さんの詩『郷愁』の一節にこういう詩があります。
蝶のような私の郷愁!……。
蝶はいくつか籬(まがき)を越え、午後の街角に海を見る……。
私は壁に海を聴く……。私は本を閉じる。
私は壁に凭れる。隣の部屋で二時が打つ。
「海、遠い海よ! と私は紙にしたためる。
――海よ、僕らの使ふ文字では、お前の中に母がゐる。
そして母よ、仏蘭西人の言葉では、あなたの中に海がある。」
日本語の漢字では「海」の中に「母」という文字が含まれていて、
フランス語のmere(母)の中にはmer(海)という文字が含まれています。
それは、生命の母が海であり、海は母そのものであったということも無縁ではないでしょう。
海は波と共に常に振動していますが、母が子をゆりかごの中であやすことも、関係がありそうです。
映画「SONG of the SEA」は、海の歌であり母の歌でもあります。
自分は「いのち」を産んだ母である自然の歌のことを思いました。
生命は「海」という揺りかごに何億年も揺られていました。
だから、人の体の中には海のリズムがあります。
おそらくそれは呼吸のリズムへと変化したはずです。
呼吸は海水でのえら呼吸から、陸上での肺呼吸へと数億年の時間をかけてつくられました。
生命は、そうした月の満ち引きで作られる「海のうた」を全身で何十億年も聞いてたのです。
それは聴覚的な音以上に、皮膚感覚での振動のような音以前のものも含んでいたでしょう。
自然は常にメッセージを発して歌っていて、人間の耳には音として、皮膚には振動として働きかけています。
ただ、こちらが耳を澄まさないと聞こえてこない音なのです。そこには微小な音から極大の音まですべてが含まれています。
人の体に潜んでいる生命記憶も、耳を澄まさないと聞こえてこない音です。
人の体には生命の歴史が詰まっていて、そのプロセスの中で人は生まれてきています。それは時間の歌であり、生命や宇宙の歌でもある。
外部の情報だけではなく、自分の内なる自然である内部の体の声にこそ、そっと耳を傾ける時間が必要です。
そこには静謐な時間が流れています。
心臓の音、血流の音、臓器が動く音、、、、色々な音を奏でてシンフォニー、ポリフォニーとして成立している人の体は、自らが奏でている楽器のような存在だと思います。
そうした長い生命の歴史の中で人は「心」を持ちましたが、心も地層のように何層も何層も重ねあげられてできあがっています。
深い場所にある心の古層は、「物語」という形でしか伝えることは困難なのでしょう。
だからこそ、人間は神話や昔話やファンタジーを必要としたのだと思います。それは「心の古層」の切実な表現です。
■
「SONG of the SEA」では、妹が生まれた後に母親が姿を消してしまいます。
この謎がすべての始まりとなるのですが、そもそも人が「生まれる」とき、どういうことが起きていたのでしょうか。
人間は、どんな人でも例外なく、極めて弱い存在としてこの世に生を受けます。
どんな人であっても例外なく、必ず誰かの愛を受けて守られなければ、生きることを保つことすらできません。
今生きている、というのは、そういうことなのです。
赤ん坊から幼児なる間、毎日が命がけの日々だったことでしょう。
1日生き延びれただけでも奇跡であり感動の日々です。
そんな日々が延々と続きながら、人はいつのまにか子供なり大人となり、成長していくのです。
私たちは奇跡の生還を果たした物語に心を動かされますが、きっとそれは私たち全員がそうしたプロセスを様々な形で経験しているからこそ、何か心が動かされるのでしょう。
自分の中にいる幼い時の自分が、日々を必死で生きていた体験を私たちに訴えかけてきているのです。
妹シアーシャも兄ベンも、命がけで力を合わせます。
その必死の生き方に、大人が忘れかけている生きることに対する切実さを呼び起こされるかのようです。
人間という存在は、赤ん坊や幼少期の時に誰かから受けた愛が核(コア)となり生きています。
それは感謝してもしきれないくらい、無償で与えられたものです。
人間の生命記憶の中心には愛があるからこそ、その核を周遊するように人生は展開されていくのでしょう。
そして、人間の人生は「愛」を一つの主旋律としながら、その変奏曲で色々な問題が起こる冒険活劇なのだと改めて思います。
■
妹シアーシャは、不思議な歌の力を持っています。その力は、自分を蘇らせる力と共に、妖精をも蘇らせる力をもつ魔法の力。
ただ、ある「衣」をまとわないと、そうした自分自身に内在する不思議な力は発揮できないのです。
「衣」が持つ力は、もっと強調されてもっと大切にされていいと思います。
自分も、ここ最近は「蚕」という生命そのものに興味を持ち、「お蚕様」として大切にしてきた感性を追いかけているところです。日本人の霊性の歴史をたどるように。人がいないと生きることを保てない「お蚕様」から、命がけで全身全霊で紡ぎだされる絹糸や絹織物は、近代化の大津波の中で危機に陥っていた日本を大いに助けてくれたものだからです。
美しい衣服を着ると、皮膚は喜び、体全体が喜びます。
人は「衣」をまとうことで、性格や感情も変わりえます。
コスチュームは役割をつくり、その役割は人格すら変えうるのです。
それは、まるで魔法のようなもの。
ファッションや衣服には、体や心に何かしらの作用を及ぼし、いい方向に応用すると医療的でもあります。
衣料と医療とが同じ言葉であるのは偶然ではないでしょう。
衣料(医療)を適切に使いさえすれば、心と体は喜び、本来の調和の力を取り戻すきっかけになりえます。
■
妹シアーシャ(Saoirse)の名前は、アイルランド語で「自由」を意味します。
シアーシャが本当に自分自身の力を発揮できる「自由(Saoirse)」を獲得したとき、自分自身も、周りの全ても呪縛から解き放たれて真の「自由」を得るのでしょう。
自分の周囲にも自由を感じる大前提は、まず自分自身が自由であることです。
自由という在り方は、生命本来の在り方でもあると思います。無制限で目いっぱい自由に生きること。
人が自由であるとき、その人は最も美しい。
子供の時に誰もが持っていた自由な感覚と、子供のときに日々を切実に必死に生きていた感覚。
そういう瑞々しく初々しい感性を思い出して取り戻すために、僕らは日常とは少し違うう現実を描いたアニメやファンタジー世界や神話を必要とするのだと思います。
人の体は何かしらの食べものがないとエネルギーが補給できないように、人の心も何かしらの栄養が必要です。
現代の日本では、体の栄養失調は少なくなりましたが、心の栄養失調にならないように、こうした上質の映画やアニメや歌や物語を心は必要とするのです。
そうして、心も体も日々生まれ変わって、常に自由な感覚に立ち返りながら、日々を驚きと感動を持って生きていくことができるのでしょう。
・・・・・・・・
「ソング・オブ・ザ・シー 海のうた(「SONG of the SEA」)」は素晴らしい映画でした!!
アニメも本当に幻想的で美しく、魔法にかかったようにアニメの世界に引き込まれました。
是非見に行ってください!
自分は日本語吹き替え版をおすすめします!!
EGO-WRAPPIN'の中納良恵さんのように、それぞれの国を代表する歌い手たちが、この歌をつないで紡いで歌っています。歌そのものが僕らを包む見えない海のように。
○ソング・オブ・ザ・シー 海のうた 公式HP
○「ソング・オブ・ザ・シー 海のうた」ミュージッククリップ
○アカデミー賞長編アニメ候補作『ソング・オブ・ザ・シー 海のうた』予告編
○Song Of The Sea Full Soundtrack OST (audio)
○トム・ムーア監督単独インタビュー
コップにイラストが!かわいい! これは店員さんの作?!
青色が美しい!