1.
突然ですが、自分のズボンのチャックが時々開いていることがあるのに気付きました。
可能性がふたつあります。
(1)自分がぼけていて閉め忘れている。(2)単にチャックが壊れている。
二つの可能性を検証してみました。
1日は確実にチャックを閉めたことを確認した1日。
もう1日は確実にチャックがあいていることを確認した1日。
ただ、明確にチャックを開けたまま生活することは反社会的な行為です。
注意・指摘され、クスクス笑いをされ、さらに不快な思いを与えます。
時には、「彼は働き過ぎて勉強し過ぎておかしくなったに違いない」と心配されてしまうこともあるでしょう。
そういうこともあり、意識的にチャックを開けて過ごすのは、休日に自分の部屋で密室にて試しました。
「そんなことに何の意味があるんじゃい」と突っ込まれそうですが、科学的に検証するにはコントロール(=比較対照するもの、対照群)が必要なのです。チャックを開けたままでほんとうにチャックが開いたままなのか、それも確認してはじめて科学的な検証と言えるのです。
結果ですが、確実にチャックを閉めた日であっても、6日に1日くらいの頻度でチャックが半開きになってしまう日が存在することが明らかになりました。それでは、チャックを閉めて何時間後に半開きになるのか・・・という問いが浮かびますが、そういうチャック能力の時間的な検証まではしていないのが不完全な実験結果になってます。<6分の1故障>というところでしょうか。
言うまでもありませんが、チャックを意識的に開けて過ごした日は、やはりチャックは開いたままでした。
超自然的な力で自動的に閉まることがないことも同時に検証したわけです。自然の理(ことわり)の働きを感じました。
ということで、<どうやらズボンのチャックが少し壊れ気味らしい>ということを改めて確認したわけですが、だからと言って代わりのズボンを用意しているわけではなく、そのまま同じズボンを履きつづけています。
結局、何の意味があったのかよくわかりませんね。
2.
上野での出来事。
上京したてOR修学旅行中と思われる女子高生が「あのゼロイチゼロイチっていう店、何の店なんだろうね。もしかしてハングル語?」と話していました。
「それ、マルイって読むんだよ。自分も熊本から東京に出てきたとき、読めなかったんだ。やっぱりみんな読めないよね。蔦谷書店がツタヤって読めないのと同じだよね。」と心の中で思いました。 親切心で訂正しようものなら「なんかウザイんだけど」と言われるリスクがありますし、東京はそういうドライな町なのでしょうがないのです。それが東京の冷たさでもありクールさでもあるのです。
彼女たちもいづれ気づく日がくるでしょう。その日が早いか遅いかの違いだけです。ただ、確かにあんな暗号のような店の看板を出している方が悪いと思います。エジプトの古代文字じゃないんだから、と思いますが、エジプトの古代文字の太古の記憶をイメージしてあの看板を作っていたとしたら、まんまとはまったと言えるのかもしれません。人が考えていることは分からないものです。
3.
つい先日の土日、国立大学の前期試験が行われていました。
大学の前を通ると、はちまきを巻いたいきった塾の先生が大勢いました。
受験生に激しく興奮して檄を飛ばしていましたが、檄をかけられる高校生の表情に「やれやれ」という吹き出しが見えるようでした。
フィギュアスケートのテレビを見ていて、本番直前に出番前の真央ちゃんなどが映し出されます。
出番直前の廊下。選手のすぐ近くにいるアナウンサーがカメラを見ながら
「真央ちゃんの控室の様子です。緊張しているようです。本番直前です。真剣な表情で、とても集中しています。とても声をかけられるような様子ではありません、言葉静かな印象です・・・・」などと実況している光景を見かけることがあります。
あれっていらないですよね。実況する必要がないように思います。集中を阻害しているような。
視聴者は求めていないのに、映像を見せられるとこちらが求めていたような錯覚に陥ります。
はちまきを巻いたいきった塾の先生を見ながら、なぜかそんなエピソードを思い出してしまいました。
関連がありそうでなさそうな感じです。
はちまきを巻いた塾の先生の方がよっぽど興奮しているのもよく分かりますが、試験に向けて集中していきたい学生もいるだろうし、その辺は相手の様子を見ながら対応を変えてくださいよ、と思いますよね。
それはともかく、受験生も大変です。頑張ってほしいものです。自分の過去を見ているようでなつかしいもので。
自分は浪人しましたが、浪人生活も楽しかったし、受験に失敗するのも悪くないもんです。
予備校があった市ヶ谷を総武線で通るたびに、いまだに懐かしい。涙がチョチョギレそうになるほどです。
ちなみに、東京に来て初めて見た芸能人はみうらじゅんさん。そこは市ヶ谷駅でした。
「東京に来たら毎日芸能人が見れるんだ!」と思いましたが、その後一向に見ることがありません。
自分が華やかな盛り場のようなとこに行かないことが原因だと思います。
4.
ユーミンの曲をよく聞いています。
荒井由実時代のデビューアルバム「ひこうき雲」(1973年)から聞き直しているわけですが、先日1時間だけ友人とカラオケに行きました。
初期ユーミンの曲を歌ってみましたが、曲の良さを全く伝えられないことが判明。曲を台無しにしていることを自覚。
やはり男性が女性の曲を歌うことは、性の境界を超える難しさを感じます。
あのユーミンの声だからこそいいんだ、と。当たり前のことをいまさらながら再確認しました。
こんど誰か歌ってください。
・・・・・・・・・・・
周期的に来るいつものことですが、だらだらと無意味なことをブログに書いてしまい、読んでくれた人に罪悪感すら感じます。
次はもっと哲学的で思索的なことを書きますので許してください。
いま、
鈴木大拙「日本的霊性」、ジョーゼフ・キャンベル「神話の力」、河合俊雄「村上春樹の「物語」―夢テキストとして読み解く」、安部公房「死に急ぐ鯨たち」、Francisco J. Varela、Jeremy W. Hayward「徹底討議 心と生命―「心の諸科学」をめぐるダライ・ラマとの対話」、松岡正剛「17歳のための世界と日本の見方―セイゴオ先生の人間文化講義」、加藤周一「日本文化における時間と空間」・・・
とかを読んでます。
本って無限。おもしろすぎるー。
比呂美さんの『読み解き「般若心経」』、いい本ですよねー。大好きです。
詩人の語りってすごいとあらためて思う本です。読んでいて、言葉がスルスルとソーメンのように入ってくる感じで。
色即是空、空即是色・・
般若心経は無限に解釈可能なテキストですが、詩人が料理するとあんなものができるのか!ということで、何回か読みなおしました。哲学や宗教と詩を織り交ぜるというのは、比呂美さんくらいの玄人にしかできんだろうなぁと思います。 それにしても読み解き「般若心経」の検索でココがひっかかるのですねー^^
鈴木大拙禅師の「日本的霊性」は最高にいい本ですよね。岩波文庫ですが、スルリスルリと読めてしまう文章のうまさがあります。
『禅と日本文化』(岩波新書)、『東洋的な見方』(岩波文庫)、『一禅者の思索』(講談社学術文庫)とかもすごく面白かった記憶があります。
読書のよさはいろいろありますが、一時的にであっても一瞬であっても、読書言う行為で果てしなく高い精神性に上り詰めた賢人と同じような精神的な境地になることができます。それがとても好きなのです。ブッダの本を読むとブッダと同じような内的世界を作り上げることができる。そして、その膨らませた内的世界を、外的世界と適合させながらすりあわせ、さらにそれを内的世界へと相互連関させて生きていく、そういう共鳴的な関係にこそ興味があります。
そういう意味で、仏教関係の本はとてもこころに響きますねー。
フェイスブックは、自分はもうやってないので残念です。日常世界での人間関係をしっかりやっていくことに精一杯すぎてそこまで手が回らないのが現状です・・(^^;
ぜひともブログに遊びに来て下さいませ。本の感想も教えてください!
“罪悪感”なんてとんでもないです。とても興味深く拝見しました。
早速、Amazonで鈴木大拙著「日本的霊性」を注文したところです。
ありがとうございます。
フェイスブックに登録しておりますので
本を読み終えた頃に、この記事に繋げられればと思っております。
取り急ぎ、お礼まで。
こんにちは。
今日はチャック開いてない日でした。いい日です。ついてる日です。
やさしいお言葉有難うございます。
書いたあと、いざ見返してみるとあまりの内容のなさに自分でも驚き、言い訳がましいことを書いた次第です・・・。
しかも、なぜこんなにも無内容なことをこんなにも長文で書かないといけないのか!と、その矛盾に驚きました。
時々、無内容ブログを延々と書き散らかしたくなる日が定期的に訪れますが、今後ともよろしくお願いします。
むしろこういう話ばっかりでも大丈夫です。
最後の今読んでる本リストは、罪滅ぼし的なものでしょうか。