いろいろスウェーデンボルグのことをコメントに書いてたら、なんとなく読み直したくなって、
高橋和夫さんの「スウェーデンボルグの「天界と地獄」」PHP(2008) を再読。
この本も絶版。残念過ぎる。PHP文庫化希望!
---------------------------
<内容紹介>
スウェーデンボルグは18世紀に生きた神秘思想家で、もともとは天才科学者である。
30年間にわたり、10万の霊と会話し、交流したといわれる。
スウェーデンボルグの不朽の名著『天界と地獄』は40カ国語に翻訳され、
ヘレン・ケラー、リンカーン、ドストエフスキー、鈴木大拙など、多くの著名人に影響を与えてきた。
ある意味で、現在のスピリチュアリズムのはしり、元祖的存在ともいえる人物だ。
本書は、彼の生涯と霊的世界を、第一級の研究者がやさしく解説したものである。
具体的には次のような項目が並ぶ。
「カルル12世との運命的な出会い」
「スウェーデンボルグが体験した正真正銘の『臨死体験』」
「人間は死後2日から3日目に覚醒する」
「地獄は悪人を罰する場所ではない」
「死者は『霊たちの世界』で生き生きと暮らしている」……。
生まれ変わりや死後の世界といったものに興味がある方に、必見の一冊!
---------------------------
この本から色々印象的だったところをご紹介。
<参考>「スウェーデンボルグの思想―科学から神秘世界へ」(2013-03-12)
■
========================
『幼児の周りには天使がいつも保護しており、幼児の時に死ぬことがあっても、一人残らず天界に入る。』
========================
→これは、スウェーデンボルグが子供のころ、天使と話していた、というエピソードから引用される。
子供を見ていると、時々そう思えることがあります。自分もそうだったのかなぁ。覚えてない。
でも、記憶がないことと、そういうことがなかったこととは別物。
記憶なんてある意味都合いいものだし、機械のメモリーと違って、人間の記憶は可変的なものだから。
■
エマソンが「代表的偉人論」の中でスウェーデンボルグを紹介している。
-----------------------------------
1:プラトン『哲学に生きる人』ギリシア
2:スウェーデンボルグ『神秘に生きる人』スウェーデン
3:モンテーニュ『懐疑に生きる人』フランス
4:シェイクスピア『詩歌に生きる人』イギリス
5:ナポレオン『世俗に生きる人』フランス
6:ゲーテ『文学に生きる人』ドイツ
-----------------------------------
→確かにスウェーデンボルグの人生を見ていると、人生前半は学者生活の極み。学門を本当に追求して理性世界の極北に行くと、人生後半は神秘主義者へ宙返り。そんな風に偏見なく貪欲なところが魅力的!
■
いろんな人たちのスウェーデンボルグ評も、参考になる。
-----------------------------------
〇エマソン
『スウェーデンボルグの魂は巨大であり、時代の上に大きく覆いかぶさりながら、しかも時代に覆い尽くされることはなく、その全貌をとらえるには長い焦点距離が必要である。
・・・・
スウェーデンボルグには体系があり、どのような文章を書くときにも世界に対して常に注意を怠らず、議論をすすめる手段にもすべて整然とした秩序がある。
彼の様々な能力はまるで天体のように正確に働き、彼の見事な著作には、生意気さやひとりよがりなところはみじんもない。』
-----------------------------------
〇鈴木大拙
『スウェーデンボルグの落ち着き、平穏さ、沈着さ、明瞭な知性といったものは非常に魅力的であり、私の精神はほとんど意識しないうちにその栄光へと引き寄せられてしまいます。
・・・・・・
スウェーデンボルグのおかげで、私は霊に属する非常に多くの美しい高貴な物事に対して眼を開かれたのです。』
-----------------------------------
〇ボルヘス
『エマソンやホイットマンのように、スウェーデンボルグは議論が誰をも説得しないこと、また真理はそれを聞く人々によって受容されればそれで十分だということを信じていた。
彼はいつも論争を避けた。彼の神学著作のどこにも巧妙な議論はなく、ただ簡素で静謐な肯定だけがある。』
-----------------------------------
〇ボルヘス
『スウェーデンボルグと他の神秘主義者とのあいだには本質的な相違がある。他の神秘主義者には明らかに隠喩の体系がある。
しかしスウェーデンボルグの著作にはそのようなものは全く存在しない。
彼の作品は見知らぬ土地を旅し、その様子を冷静な態度で綿密に描きだしてゆく旅行者の記録を思わせる。』
-----------------------------------
→ファンが多いなぁー。もちろん、自分もファンの一人。
■
この本では、人間の霊魂の話、霊の話がたくさん出てくる。
「霊」と言うと一般的には幽霊を想像してしまうけれど、そういうおどろおどろしいものではない。人間の本質としての霊という表現がされる。敢えてSpiritと書いた方が誤解が少ないのかもしれない。
どんなものごとにもいい面と悪い面がありますが、霊は幽霊含め、Negativeな意味でに使われやすいですね。不思議なものです。
-----------------------------------
『霊魂は死後に生きる人間そのものであり、
霊魂と言うよりも霊ないし内的な人間と言った方が適切である。』
-----------------------------------
『肉体の機能は霊が霊界から得ている霊の思考と情愛に照応している。
肉体が自然界でもはやその機能を果たせなくなると、人間は死ぬと言われる。
人間の死は肺の呼吸と心臓の拍動がやむときに起こる。それで人間は死んだのではない。
この世で役立っていた肉体の部分から分離したに過ぎず、人間自身は生き続ける。
人間の死とは一つの世界から別の世界への移行に過ぎないことが明らかである。
そのため、聖書の内なる意味では死は復活と生命の存続を表している。
霊の思考は呼吸に関係し、愛に属する情念は心臓に関係する。
肺の呼吸と心臓の拍動と言うこの二つの運動は霊と肉の間の絆そのものであって、この絆が切断すると霊はそれ自身のもとへ去っていく。
霊は心臓の運動が止むまで肉体から分離しない。
それは心臓が愛に属する情愛に照応するからである。
愛は人間の生命そのものである。
なぜなら、各人が生命的な熱を持つのは愛によっているからである。』
-----------------------------------
→
スウェーデンボルグは『人間の死とは一つの世界から別の世界への移行に過ぎない』と表現している。自分もそう思う。
隣の部屋、隣の町、隣の県、隣の国、隣の星・・・・・
移動は小さい距離から大きい距離まで色んなスケールで行われる。
その中で、「この世」の隣としての「あの世」。
未知の場所に対して、人は「恐れ」や「不安」を持つけれど、「恐れ」や「不安」の大部分は無知から来ていると思う。
■
-----------------------------------
カント
『霊魂の不死と魂の永生は実践理性の要請である。
人間が自分の理性にしたがって誠実に生きるなら、理論的には認識できなくとも、実践的ないし道徳的に霊魂の不死を確信できる』
-----------------------------------
カント
『死によって一切が終わるという思想に耐えることができた魂、またその高貴な心根が未来の希望へと高められなかった魂は、おそらくいまだかつて存在しなかったであろう。』
-----------------------------------
カント
『科学がいつか死後の意識の存続や死後の生を証明できるといった考え自体があやまっている。
魂の不死は道徳的見地から、つまり内なる理性の声に従って真摯に生きる心(実践理性)の立場から問われなければいけない。
魂の不死は理論的証明の問題ではなく、革新や信念の問題なのである。』
-----------------------------------
→
講談社学術文庫から、
●カント「視霊者の夢」(講談社学術文庫)金森誠也(翻訳) (2013/3/12)
という新刊が出ています。(まだ読んでない)
スウェーデンボルグと同時代に生きたカントが、スウェーデンボルグのスーパー霊能者を「理性的」に考察し、人間の「理性の限界」を考えるような『純粋理性批判』という哲学史に残る大著を書いた、と言われています。
===============
カント「視霊者の夢」(講談社学術文庫)金森誠也(翻訳)
<内容紹介>
理性によって認識できないものは、形而上学の対象になりうるか――。
哲学者カントが、同時代の神秘思想家スヴェーデンボリの「視霊現象」を徹底的に検証。
当時高い世評を得ていた霊能者へのシニカルかつ鋭利な批判を通して、人間の「霊魂」に対する哲学者としての見解を示す。
『純粋理性批判』に至るステップとなった、重要著作。
三浦雅士氏による巻末解説「批評家の夢」を掲載。
<著者について>
イマヌエル・カント
1724-1804。ドイツの哲学者。
ケーニヒスベルク大学教授を務め、ドイツ観念論哲学の基礎を築いた。
著書に『純粋理性批判』『実践理性批判』『永遠平和のために』など。
金森 誠也
1927年,東京生まれ。東京大学文学部卒。
広島大学,静岡大学,日本大学等の教授を歴任。
1993年に日本独学史学会賞,2007年に国際文化表現学会賞受賞。
訳書にゾンバルト『恋愛と贅沢と資本主義』『戦争と資本主義』,
ショーペンハウアー『孤独と人生』,モール『ドイツ貴族の明治宮廷記』
ほか多数。
===============
■
-----------------------------------
スウェーデンボルグ
『霊界で起こる移動は、すべて内部の状態の変化に由来し、移動は状態の変化にほかならない。
場所の接近は内的な状態の類似性を表し、隔たりは内的な状態の相違を表す。
したがって、似た状態にあれば近くにあり、相違した状態にあれば隔たっているのである。』
-----------------------------------
→
スウェーデンボルグによると霊界には空間も時間もない。
空間の本質である「生命の状態」があり、時間の本質である「生命の状態の変化」がある。
生命の中心に位置するのが、各個人の想念や感情である。
と書いている。
僕らが毎日見ている「夢」の世界も似たようなもの。
死んだとき「あの世」に驚かないように、僕らは毎日睡眠学習で予行演習させられているんでしょう。
■
-----------------------------------
『人類が作られた目的は、人類の永遠の生と幸福が実現される天界の創造に他ならない。』
-----------------------------------
『宇宙とは、知恵として自己表象、自己実現という活動をしている無限の愛そのものである。』
-----------------------------------
『宇宙と人間は神の愛によって神の知恵を通して神の内に創造された。』
-----------------------------------
『神とは有限な人間の無限の原型である神人である。
神人とは無限の人間であり、無限の人格である。
神は愛と知恵である。
愛は善、知恵は真理である。』
-----------------------------------
→シンプルで分かりやすいですねー。
愛と智慧。善と真理。
どんなときもこのことを原理原則として考えていけば、大きい過ちはしなそうです。
■
=================================
生前に形成した優勢となった愛は、死後に変化していく。
・真理のために真理を学び愛したものは、丘陵のような小高い所に住み、そこで春の光を味わう。眼前には真理に照応する田園やぶどう園がひろがっている。
・学問を愛し理性を開発したものは、花や樹の植えられた庭園に住む。
・公明正大に生きた人の顔は光り輝き、隠し事を喜んだものは蛇が這うように正しいものから逃げていく。
・純粋な結婚の愛に生きた人い人は、あらゆる美をみにつけ、青春の花の香りをたえず漂わせている。
・虚偽を愛したり陰謀をめぐらしたりした人は、洞窟や岩穴の暗闇に住むことに幸せを感じる。これは真理が光に照応するように、虚偽は暗闇に照応するからである。
・虚栄心から学問をし、知識をひけらかすことに喜びを覚えた者は、砂地を好み、教会の教義を学ぶだけで実行しなかったものは岩場に住む。
・貪欲や快楽は豚の汚物や反吐に照応する。それゆえ、排泄物を愛好する。
・復讐心に燃えた心は死体に愛着を持つ。
=================================
→
「愛」と一言で言っても「無償の愛」から、執着や嫉妬や支配を「愛」と言う言葉を隠れ蓑にして誤用する場合があります。
「あい(AI)」と言う音の響きに惑わされずに、その本質をちゃんと実践しながら日々生活していくだけなんでしょうねぇ。死んで初めて、正解が分かります。笑
■
-----------------------------------
スウェーデンボルグ
『人間が天界の生命を受けるためには、この世に住み、仕事や職務に精を出し、道徳的、市民的生活を通して霊的な生命を受けなければいけない。
そうする以外に、人間の霊的な生命は形成されず、その霊も天界へいく準備ができない。
なぜなら、内的な生活と同時に外的な生活を送らなければ、土台のない家に住むのも同然で、そのような家は次第に沈下するか、ついには崩壊してしまうからである。』
-----------------------------------
→
最終的に、当たり前の道徳的な結論になるのがいいですよね。
たいていのことは、幼稚園時代に習った事ばかりだし、コトワザや格言に書いてあることばかりです。
そういうことを素直に実践できている人はとても素敵で素晴らしい。
自分も、日々コツコツと、今を大切にしながら、道徳的で市民的な生活を送ることを大切に。そういうノリで、この世もあの世も生きていきたいもんです。
===============
スウェーデンボルグ
『貧しい者たちは、彼らの貧しさのゆえでなく、彼らの生命ゆえに天界へ入る。
富んでいようが貧しかろうが、だれの生命も本人についてまわるのである。
人によって特別な慈悲があるのではなく、善く生きた者は受け入れられ、善く生きなかったものは拒絶される。』
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高橋和夫さんの「スウェーデンボルグの「天界と地獄」」PHP(2008) を再読。
この本も絶版。残念過ぎる。PHP文庫化希望!
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<内容紹介>
スウェーデンボルグは18世紀に生きた神秘思想家で、もともとは天才科学者である。
30年間にわたり、10万の霊と会話し、交流したといわれる。
スウェーデンボルグの不朽の名著『天界と地獄』は40カ国語に翻訳され、
ヘレン・ケラー、リンカーン、ドストエフスキー、鈴木大拙など、多くの著名人に影響を与えてきた。
ある意味で、現在のスピリチュアリズムのはしり、元祖的存在ともいえる人物だ。
本書は、彼の生涯と霊的世界を、第一級の研究者がやさしく解説したものである。
具体的には次のような項目が並ぶ。
「カルル12世との運命的な出会い」
「スウェーデンボルグが体験した正真正銘の『臨死体験』」
「人間は死後2日から3日目に覚醒する」
「地獄は悪人を罰する場所ではない」
「死者は『霊たちの世界』で生き生きと暮らしている」……。
生まれ変わりや死後の世界といったものに興味がある方に、必見の一冊!
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この本から色々印象的だったところをご紹介。
<参考>「スウェーデンボルグの思想―科学から神秘世界へ」(2013-03-12)
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『幼児の周りには天使がいつも保護しており、幼児の時に死ぬことがあっても、一人残らず天界に入る。』
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→これは、スウェーデンボルグが子供のころ、天使と話していた、というエピソードから引用される。
子供を見ていると、時々そう思えることがあります。自分もそうだったのかなぁ。覚えてない。
でも、記憶がないことと、そういうことがなかったこととは別物。
記憶なんてある意味都合いいものだし、機械のメモリーと違って、人間の記憶は可変的なものだから。
■
エマソンが「代表的偉人論」の中でスウェーデンボルグを紹介している。
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1:プラトン『哲学に生きる人』ギリシア
2:スウェーデンボルグ『神秘に生きる人』スウェーデン
3:モンテーニュ『懐疑に生きる人』フランス
4:シェイクスピア『詩歌に生きる人』イギリス
5:ナポレオン『世俗に生きる人』フランス
6:ゲーテ『文学に生きる人』ドイツ
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→確かにスウェーデンボルグの人生を見ていると、人生前半は学者生活の極み。学門を本当に追求して理性世界の極北に行くと、人生後半は神秘主義者へ宙返り。そんな風に偏見なく貪欲なところが魅力的!
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いろんな人たちのスウェーデンボルグ評も、参考になる。
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〇エマソン
『スウェーデンボルグの魂は巨大であり、時代の上に大きく覆いかぶさりながら、しかも時代に覆い尽くされることはなく、その全貌をとらえるには長い焦点距離が必要である。
・・・・
スウェーデンボルグには体系があり、どのような文章を書くときにも世界に対して常に注意を怠らず、議論をすすめる手段にもすべて整然とした秩序がある。
彼の様々な能力はまるで天体のように正確に働き、彼の見事な著作には、生意気さやひとりよがりなところはみじんもない。』
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〇鈴木大拙
『スウェーデンボルグの落ち着き、平穏さ、沈着さ、明瞭な知性といったものは非常に魅力的であり、私の精神はほとんど意識しないうちにその栄光へと引き寄せられてしまいます。
・・・・・・
スウェーデンボルグのおかげで、私は霊に属する非常に多くの美しい高貴な物事に対して眼を開かれたのです。』
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〇ボルヘス
『エマソンやホイットマンのように、スウェーデンボルグは議論が誰をも説得しないこと、また真理はそれを聞く人々によって受容されればそれで十分だということを信じていた。
彼はいつも論争を避けた。彼の神学著作のどこにも巧妙な議論はなく、ただ簡素で静謐な肯定だけがある。』
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〇ボルヘス
『スウェーデンボルグと他の神秘主義者とのあいだには本質的な相違がある。他の神秘主義者には明らかに隠喩の体系がある。
しかしスウェーデンボルグの著作にはそのようなものは全く存在しない。
彼の作品は見知らぬ土地を旅し、その様子を冷静な態度で綿密に描きだしてゆく旅行者の記録を思わせる。』
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→ファンが多いなぁー。もちろん、自分もファンの一人。
■
この本では、人間の霊魂の話、霊の話がたくさん出てくる。
「霊」と言うと一般的には幽霊を想像してしまうけれど、そういうおどろおどろしいものではない。人間の本質としての霊という表現がされる。敢えてSpiritと書いた方が誤解が少ないのかもしれない。
どんなものごとにもいい面と悪い面がありますが、霊は幽霊含め、Negativeな意味でに使われやすいですね。不思議なものです。
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『霊魂は死後に生きる人間そのものであり、
霊魂と言うよりも霊ないし内的な人間と言った方が適切である。』
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『肉体の機能は霊が霊界から得ている霊の思考と情愛に照応している。
肉体が自然界でもはやその機能を果たせなくなると、人間は死ぬと言われる。
人間の死は肺の呼吸と心臓の拍動がやむときに起こる。それで人間は死んだのではない。
この世で役立っていた肉体の部分から分離したに過ぎず、人間自身は生き続ける。
人間の死とは一つの世界から別の世界への移行に過ぎないことが明らかである。
そのため、聖書の内なる意味では死は復活と生命の存続を表している。
霊の思考は呼吸に関係し、愛に属する情念は心臓に関係する。
肺の呼吸と心臓の拍動と言うこの二つの運動は霊と肉の間の絆そのものであって、この絆が切断すると霊はそれ自身のもとへ去っていく。
霊は心臓の運動が止むまで肉体から分離しない。
それは心臓が愛に属する情愛に照応するからである。
愛は人間の生命そのものである。
なぜなら、各人が生命的な熱を持つのは愛によっているからである。』
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スウェーデンボルグは『人間の死とは一つの世界から別の世界への移行に過ぎない』と表現している。自分もそう思う。
隣の部屋、隣の町、隣の県、隣の国、隣の星・・・・・
移動は小さい距離から大きい距離まで色んなスケールで行われる。
その中で、「この世」の隣としての「あの世」。
未知の場所に対して、人は「恐れ」や「不安」を持つけれど、「恐れ」や「不安」の大部分は無知から来ていると思う。
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カント
『霊魂の不死と魂の永生は実践理性の要請である。
人間が自分の理性にしたがって誠実に生きるなら、理論的には認識できなくとも、実践的ないし道徳的に霊魂の不死を確信できる』
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カント
『死によって一切が終わるという思想に耐えることができた魂、またその高貴な心根が未来の希望へと高められなかった魂は、おそらくいまだかつて存在しなかったであろう。』
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カント
『科学がいつか死後の意識の存続や死後の生を証明できるといった考え自体があやまっている。
魂の不死は道徳的見地から、つまり内なる理性の声に従って真摯に生きる心(実践理性)の立場から問われなければいけない。
魂の不死は理論的証明の問題ではなく、革新や信念の問題なのである。』
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講談社学術文庫から、
●カント「視霊者の夢」(講談社学術文庫)金森誠也(翻訳) (2013/3/12)
という新刊が出ています。(まだ読んでない)
スウェーデンボルグと同時代に生きたカントが、スウェーデンボルグのスーパー霊能者を「理性的」に考察し、人間の「理性の限界」を考えるような『純粋理性批判』という哲学史に残る大著を書いた、と言われています。
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カント「視霊者の夢」(講談社学術文庫)金森誠也(翻訳)
<内容紹介>
理性によって認識できないものは、形而上学の対象になりうるか――。
哲学者カントが、同時代の神秘思想家スヴェーデンボリの「視霊現象」を徹底的に検証。
当時高い世評を得ていた霊能者へのシニカルかつ鋭利な批判を通して、人間の「霊魂」に対する哲学者としての見解を示す。
『純粋理性批判』に至るステップとなった、重要著作。
三浦雅士氏による巻末解説「批評家の夢」を掲載。
<著者について>
イマヌエル・カント
1724-1804。ドイツの哲学者。
ケーニヒスベルク大学教授を務め、ドイツ観念論哲学の基礎を築いた。
著書に『純粋理性批判』『実践理性批判』『永遠平和のために』など。
金森 誠也
1927年,東京生まれ。東京大学文学部卒。
広島大学,静岡大学,日本大学等の教授を歴任。
1993年に日本独学史学会賞,2007年に国際文化表現学会賞受賞。
訳書にゾンバルト『恋愛と贅沢と資本主義』『戦争と資本主義』,
ショーペンハウアー『孤独と人生』,モール『ドイツ貴族の明治宮廷記』
ほか多数。
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スウェーデンボルグ
『霊界で起こる移動は、すべて内部の状態の変化に由来し、移動は状態の変化にほかならない。
場所の接近は内的な状態の類似性を表し、隔たりは内的な状態の相違を表す。
したがって、似た状態にあれば近くにあり、相違した状態にあれば隔たっているのである。』
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スウェーデンボルグによると霊界には空間も時間もない。
空間の本質である「生命の状態」があり、時間の本質である「生命の状態の変化」がある。
生命の中心に位置するのが、各個人の想念や感情である。
と書いている。
僕らが毎日見ている「夢」の世界も似たようなもの。
死んだとき「あの世」に驚かないように、僕らは毎日睡眠学習で予行演習させられているんでしょう。
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『人類が作られた目的は、人類の永遠の生と幸福が実現される天界の創造に他ならない。』
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『宇宙とは、知恵として自己表象、自己実現という活動をしている無限の愛そのものである。』
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『宇宙と人間は神の愛によって神の知恵を通して神の内に創造された。』
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『神とは有限な人間の無限の原型である神人である。
神人とは無限の人間であり、無限の人格である。
神は愛と知恵である。
愛は善、知恵は真理である。』
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→シンプルで分かりやすいですねー。
愛と智慧。善と真理。
どんなときもこのことを原理原則として考えていけば、大きい過ちはしなそうです。
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生前に形成した優勢となった愛は、死後に変化していく。
・真理のために真理を学び愛したものは、丘陵のような小高い所に住み、そこで春の光を味わう。眼前には真理に照応する田園やぶどう園がひろがっている。
・学問を愛し理性を開発したものは、花や樹の植えられた庭園に住む。
・公明正大に生きた人の顔は光り輝き、隠し事を喜んだものは蛇が這うように正しいものから逃げていく。
・純粋な結婚の愛に生きた人い人は、あらゆる美をみにつけ、青春の花の香りをたえず漂わせている。
・虚偽を愛したり陰謀をめぐらしたりした人は、洞窟や岩穴の暗闇に住むことに幸せを感じる。これは真理が光に照応するように、虚偽は暗闇に照応するからである。
・虚栄心から学問をし、知識をひけらかすことに喜びを覚えた者は、砂地を好み、教会の教義を学ぶだけで実行しなかったものは岩場に住む。
・貪欲や快楽は豚の汚物や反吐に照応する。それゆえ、排泄物を愛好する。
・復讐心に燃えた心は死体に愛着を持つ。
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「愛」と一言で言っても「無償の愛」から、執着や嫉妬や支配を「愛」と言う言葉を隠れ蓑にして誤用する場合があります。
「あい(AI)」と言う音の響きに惑わされずに、その本質をちゃんと実践しながら日々生活していくだけなんでしょうねぇ。死んで初めて、正解が分かります。笑
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スウェーデンボルグ
『人間が天界の生命を受けるためには、この世に住み、仕事や職務に精を出し、道徳的、市民的生活を通して霊的な生命を受けなければいけない。
そうする以外に、人間の霊的な生命は形成されず、その霊も天界へいく準備ができない。
なぜなら、内的な生活と同時に外的な生活を送らなければ、土台のない家に住むのも同然で、そのような家は次第に沈下するか、ついには崩壊してしまうからである。』
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最終的に、当たり前の道徳的な結論になるのがいいですよね。
たいていのことは、幼稚園時代に習った事ばかりだし、コトワザや格言に書いてあることばかりです。
そういうことを素直に実践できている人はとても素敵で素晴らしい。
自分も、日々コツコツと、今を大切にしながら、道徳的で市民的な生活を送ることを大切に。そういうノリで、この世もあの世も生きていきたいもんです。
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スウェーデンボルグ
『貧しい者たちは、彼らの貧しさのゆえでなく、彼らの生命ゆえに天界へ入る。
富んでいようが貧しかろうが、だれの生命も本人についてまわるのである。
人によって特別な慈悲があるのではなく、善く生きた者は受け入れられ、善く生きなかったものは拒絶される。』
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しかし、夢は夢、現実とは限りません。聖書にも書かれていますが、サタンも他人の神秘体験や夢に干渉して、真理とはかけ離れた像を見せたり、法則を教えたりすることがあるようです。だから惑わされないように注意しなさい、と聖書は結びますが。スウェーデンボルグの描く神秘世界も緻密ですが、それは彼が知的で知識量が多かったからで、夢が本人の記憶や体験や思想の影響を受けるように、彼の夢、もしくは神秘体験も、彼の考えの影響を濃厚に受けていると思います。
結論を言うなら、彼の一連の著書は、悪いけど彼の妄想談で、あんまり信じたり真面目に相手をされない方がいいように思います。
ご意見ありがとうございます。
スウェーデンボルグの体験は全体像にこそ深い意味があると思います。 神秘体験は彼の業績のごく一部で、意識活動に伴う自然科学の研究には目を見張る深さがあります。
妄想、という状態であっても、臨床的には極めて重要なキーワードが隠れていることがありますので、自分はその人の主観的世界を尊重して大切にしています。ある時にそれは芸術になり、哲学になり、宗教になり、、、と、主観の度合いに応じて分岐していくものだと思いますが、いづれにしてもその深さ、という意味ではスウェーデンボルグはただものではありません。最近、鈴木大拙さんの本が出ておりますので、購入して、あらためてその深さを感じ入っております。いろいろと示唆に富む話が多く、こうしたおもしろい驚異的な人への興味はつきません。
スエデンボルグ (講談社文芸文庫)2016/10/8
鈴木 大拙