日常

トゥルク・トンドゥップ「心の治癒力」

2012-12-07 23:56:40 | 
トゥルク・トンドゥップ「心の治癒力 チベット仏教の叡智」地湧社(2000/07)を読みました。
職場近くの行きつけの古本屋さん、大山堂書店で600円ほどで購入したのです。

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<本の紹介>
チベット仏教に長年にわたって伝承されてきた心と身体の癒しについてのマニュアル。

私たちが日常的に感じる精神的な苦痛や病気の痛みをどう受け止め、それを手放し、やがてその苦しみを糧とし、喜びを持って自由に生きることができるようになるか、そのための本格的で懇切丁寧なマニュアルです。
著者のトゥルク・トンドゥップはチベット仏教の高僧で、5歳の時に活仏と認められてチベット仏教の教育を受けてきましたが、その後インドへ亡命し現在は米国に渡り生活しています。
彼の受けた伝統的な教育、そして現代のアメリカでの活動が、本書をいっそうロジカルで分かりやすく、しかも本質をそらさないものにしています。

【目次】
序文
第一部 癒しの道
 第一章 治療の土台
 第二章 心の治癒力
 第三章 出発
 第四章 自信を育てること
 第五章 どのように問題に対処するか
 第六章 肉体の病に、どう対処するか
 第七章 癒しのエネルギー
第二部 癒しの実践
 第八章 癒しの瞑想
 第九章 肉体的な不調和を癒す
 第十章 自然のエネルギーによる癒し
 第十一章 日常生活を癒しとすること
第三部 仏教の瞑想-空性への道
 第十二章 静寂と洞察の瞑想
 第十三章 信仰の癒しの瞑想
 第十四章 内なる無限の癒しのエネルギーを目覚めさせる
 第十五章 慈悲の癒しの瞑想
癒しを超えて-「心の治癒力」
訳者あとがき


【著者プロフィール】
トゥルク・トンドゥップ(Tulku Thondup)
1939年チベット生まれ。4歳の時に、チベット仏教ニンマ派の偉大な高僧の転生化身として認定され、6歳から顕教、密教の全体にわたる伝統的な英才教育を受ける。
1959年、中国人民解放軍のチベット侵攻とともに、徒歩でインドに脱出。
1980年、ハーヴァード大学客員教授として渡米。
以降、アメリカでチベット仏教の翻訳、著作、紹介に力を注ぐ。 主著"Masters of Meditation and Miracles"など。

【訳者プロフィール】
永沢哲(ながさわ てつ)
1957年生まれ。東京大学法学部卒業。宗教人類学。
チベット僧に師事し、主にニンマ派に伝えられるゾクチェン密教について、学んできた。ヒーリングにも関心は深い。
主な著訳書として『野生のブッダ』『虹と水晶』『チベット密教の瞑想法』(以上法蔵館)、『ゾクチェンの教え』(地湧社)、『宇宙のダルマ』(角川書店)などがある。
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訳者の永沢哲さんですが、自分が浪人で駿台予備校市ヶ谷校舎に通っていた時(なつかしい!)、この先生の小論文の授業を受けていました

当時は全く意味がわかりませんでしたが(最首悟先生の話も全く分からなかった笑)、チベットや仏教のことをいづれ分かるようにならないといけない、と思ったのは覚えてます。


不思議なもので、子供のころ意味がわからなくても、「なんだかこれは自分にとって意味があるようだ」と言うことくらいは不思議とわかるもので。そういう記憶を大切にしてます。



永沢哲さんは、チベット、密教、仏教、ヒーリング関係の本を多数翻訳されています。

○ナムカイノルブ、Namkhai Norbu「ゾクチェンの教え―チベットが伝承した覚醒の道」(1994/4)
○アーノルド・ミンデル、Arnold Mindell「紛争の心理学―融合の炎のワーク」講談社現代新書(2001/9)
○ナムカイ ノルブ、Namkhai Norbu「虹と水晶―チベット密教の瞑想修行」(1992/2)
○ナムカイ ノルブ、Namkhai Norbu「叡智の鏡―チベット密教・ゾクチェン入門」(2002/9)
○リチャード・カッツ「〈癒し〉のダンス 「変容した意識」のフィールドワーク」(2012/5/10)
○ナムカイ ノルブ、Namkhai Norbu「夢の修行―チベット密教の叡智」(2000/12)
○永沢哲「野生の哲学―野口晴哉の生命宇宙」ちくま文庫(2008/4/9)

なんとなく整体の野口晴哉先生の本を読みたくなり、その流れで永沢哲さんの訳本を読んでみたりしています。

タイトルの「心の治癒力」という名前に惹かれました。


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仏教は、すべての生きものの究極の本質は心であり、心はその真の本質において、清らかで、平和で、完全なものだと説いている。
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僧院で、わたしは仏教が「我執」と呼ぶ態度をゆるめていくことの大切さを教えられた。
自分自身であれ他の生き物であれ、確固とした永遠の実態があると見なすのは間違いだ。
そういう実体としての自己に執着する態度が、我執である。


「我」はありきたりの世俗的な心によって作り出された概念であって、心の本質的な真実のあり方から生まれてきたものではない。
この我執こそ、精神的、感情的な混乱の根源であり、苦しみの原因に他ならない。
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修行をはじめたころ、わたしには自分の真実の本質を悟ることなどできなかった。
けれども、心身の鍛練の過程を一歩一歩のぼっていくにつれて、自覚、慈悲、信仰、三昧、そして清らかに物事を見る姿勢が吹き込まれ、精神に定着していった。

それによって我執の精神的、感情的な結び目はしだいにゆるみ、かわりに内的な強靭さや知恵や開放的態度が育って行った。
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→「我執」=エゴ(我)に執着すること。
この世界は広いものですが、私の中に潜む「エゴ(我)」というものの中にくるまれると、より一層息苦しく不自由になります。
なぜなら、「わたし」とは毎日24時間365日付き合っていくものですから。

生まれてから死ぬまで、一秒たりとも離れず共に生きていくのが「わたし」になるわけですが、だからこそ「わたし」が「エゴ(我)」の中に閉じ込められてはいけない、と教えているのだと思いますね。
これは、仏教に限らない基本的な法則のようなものかと思います。



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自分の不幸を他人のせいにすれば、たしかに一時的には良い気分を味わうことができる。
だが、結局のところ、苦しみと混乱は大きくなるばかりだろう。

他人のせいにせず状況を受け入れることこそ、真実の癒しの始まる転回点である。
そのときはじめて、心の治癒力が始動する。
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シャンティデーヴァ
『自分を傷つけずにいられなかった者たちに、
たとえ、慈悲の心を起こすこおができなかったとしても、怒りをおこしてはならない。
それは無知と怒りの煩悩によるものなのだから。』
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わたしたちの内部に住んでいる真実の本質は叡智である。
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ナーガルジュナ(竜樹)
『土の中の水は、汚されることがない。
同じように、
煩悩の中にあっても、智慧は汚されることがない。』
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→智慧というものに誇りと自信を持つことは重要です。究極的には愛と叡智がポイントになるような気がしてます。

無知や怒りというのは、別の誰かに投影しやすいものですが、影は結局自分の影なので、いつも自分とつかず離れず存在しています。影は見えにくいだけ。「影」と言えば、河合先生の「影の現象学」はものすごく面白い本です。


無知や怒りを他者に投影するより、そんな膨大な負のエネルギーを、方向性を変えて正のエネルギーへと転換する智慧が大事ですよね。



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ナーガルジュナ(竜樹)
『妊婦の子宮には子供がいるけれども、それを見ることはできない。
それと同じように、
「法界」は煩悩によって覆われているがゆえに、見ることができない。』
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ナーガルジュナ(竜樹)は、平安と自由こそわたしたちの「究極の空間(法界ほっかい)である」と述べている。
それはつねに自己の内部にあり、それを悟ればいいのである。
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仏教によれば、感情を変化させることは可能だ。
喜びは単なる可能性ではなく、わたしたちの権利なのである。
心配に支配されてしまう必要などない。
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どんな感情であれ、それを受け入れ、また歓迎するべきなのである。
それと同時に、粗野な、破壊的な感情に支配されないようにする必要がある。
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→うまく手綱を引きながら。
「感情」は自分を破滅することもあるし自分を高めることもある。天国から地獄まで連れて行ってくれるレンジの広いものだと思います。



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多くの宗教や哲学は、自我に強く一体化することを避けるように忠告している。
ウパニシャッド
『「これがわたしだ」「あれはわたしのものだ」と考えることによって、鳥が罠にひっかかえるように、自分の我に縛り付けられる。』
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ラリタビスターラ・スートラ
『欲望の楽しみを求めることは、塩水を飲むことに似ている。それは決して満足をもたらさない。』
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我執をゆるめていくと、心の平和がうまれ、何ものにも傷つけられなくなる。
苦しむことはあるかもしれないが、正しい態度によって、感情をより軽やかに扱うことができるようになる。
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実際に時間が短くなったわけではない。
開かれた心のあり方や、自由を感じる余裕を失ってしまったのである。
心が静かに落ち着いているときは、時の流れを1分ごとに感じることができる。
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ものごとを清らかに見るというのは、すべてを純粋で完全で平和で喜びに満ち、悟った状態にあるものとして見る、という意味だ。
仏教の見方によれば、日常生活の問題は海の表面の波のようなものだと考える。嵐や波で水面がゆらぐかもしれない。だが、海の底は静かなままだ。
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→「海」と「波」の比喩はいいですよね。とても好きです。

自分たち一人の人間は海の一滴にすぎないような存在です。
川にはいろんな支流があるけれど、最終的には同じひとつの海へとつながり、ひとつの海となる。太平洋も大西洋も日本海も、結局は大きな一つの海になる。境界線なんて引くことはできない。

海から一粒の水滴は天空に上昇する。雲となり霧となり雨となる。地面にふり土に降り地下水を形成する。その間にも農作物や人体や生命の中をかけめぐる。一滴の水はまた川へとつながり、すべての支流はひとつの海となる。境界線はなく、分けて分離することはできない。
天地を循環する。


海は風が吹くと波が現れる。波動。
一つの波は人間の感情の起伏のようなもので、表面は揺れても海の底は静かで深い。


地球の中での循環的な水の動きは、人間の生き死にでも同じようなプロセスを感じます。

天から一滴の雨粒のようにSpiritが肉体に受胎して1人の人間は生まれる。
人生の天命を終えると、最終的には大河の一滴として全体に還り渾然一体となる。そうして個人を超えて巨大なSpiritとひとつになる。
その巨大なSpiritの中から一粒のSpiritが離れ、それが人間の肉体に受胎すると、生命が生まれる。
そうしてSpiritは永遠に循環する。前世の記憶だとか、輪廻転生というのは、こういうSpiritの循環のことを指すと思います。
人体も基本的には自然界の存在物なので、生々流転する動きとしては、大きな目で見れば同じようなものだと思うんですよね。





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わたしたちはすべて、燃え上がるような肉体的・精神的なエネルギーをもっている。
それは自分でも気付かないほど豊かなものだ。
そのエネルギーを目覚めさせ、瞑想や日常生活において使うことは可能だ。

究極的にエネルギーと光は同じものだ。
内的なエネルギーの源泉を目覚めさせれば、精神的・肉体的な健康を増進することができる。
負のエネルギーを光と智慧に変容させ、増大させるのである。
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ウッダーナヴァルガ
『すべての幸福を得たいと思うならば、
幸福へのすべての欲望を捨てなさい。
すべての欲望を捨てることで、最高の幸福を楽しむことができる。
望ましい対象に執着している限り、満足は決してやってこない。
だから、賢明にも欲望を慎む者は、満足を楽しむ。』
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シャンティデーヴァ
『苦しみを鎮めたいと思うものは、智慧を育てるべきである。』
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ブッダ
『智慧によって、
すべての現象に我がないと悟れば、
苦しみによって傷つくことはなくなる。
これが完全な道である。』
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いまは、うつ病と言えば抗うつ剤を・・・と言う流れが西洋医学では一般的ですが、そう簡単に解決のつくもんだいではない、
むしろ、抗うつ剤で良くなるようなうつであれば、抗うつ剤を正しく飲めばいい。
そんなことではびくともしない心の病で苦しんでいる人は多い。医療の現場でつくづく痛感します。


そんなとき、風邪をひけば自然に治る自然治癒力のように、心の治癒力を高める方法は大事だと思います。自分の体は自分でメンテナンスするように、自分の心も自分でメンテナンスする。



自分の体や心が「疲れてるよー」と悲鳴をあげていても、脳みそは「そんなことない!」と強がって体からのメッセージを見て見ないふりすることがあります。これは現代に多い傾向だと思います。

そういう体からのメッセージを受けたら、体や心の治癒力を完全に作動できるようにしたいもの。
こうして心のメカニズムにまで立ち返って、うつ病を引き起こすほどの大量の内的エネルギーをうまく転換させ、それを本人の生きる力にまで高めることができるといいですよね。
伝統があるところには、何かしらそういう「智慧」の蓄積がある。そんな感じを受けました。
色々と勉強になりました。