6/15水曜日に、野村萬斎さん構成・演出の『マクベス』(@世田谷パブリックシアター)を観劇しました。
ほんとうにほんとうにほんとうにすごくて。
圧倒的なすごい体験だった。
90分、眼が充血するほど。
時を忘れました。
時間の体験にも驚きました。
自分が時の流れと違う場所にいたような。
自分の寿命とは違う時の世界にいたような体験。
------------------
世田谷パブリックシアターのHPより
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世界各地(ニューヨーク、ソウル、シビウ、パリ)で熱狂的に迎えられた
野村萬斎 構成・演出『マクベス』
いよいよ、待望の国内縦断ツアーへ!! マクベス夫人に鈴木砂羽!!
シェイクスピアの四大悲劇のひとつに数えられる『マクベス』。
世田谷パブリックシアター芸術監督・野村萬斎の構成・演出により、わずか5人の出演者で、物語は分かりやすくシンプルに、登場人物が抱える不安や葛藤といった内面は、丹念かつ丁寧に描いた萬斎版『マクベス』。2010年の初演以来、国内外にて再演を重ねて進化・深化を繰り返してきました。2013年には日本文化の粋を結集すべく、能・狂言のミニマルな演出方法を随所に取り入れ、「和」の美しさを引き出した新たな『マクベス』として、ニューヨークとソウル、2014年にはルーマニア・シビウ演劇祭とパリにて公演を行い、各地で絶賛を博しました。
4度目の上演となる今回は、マクベス夫人に鈴木砂羽を迎えます。さらに音楽ユニット“KOBUDO―古武道―”でも活躍する尺八演奏家・藤原道山が音楽監修を務め、和楽器の生演奏で作品に新たな息吹を吹き込みます。
シェイクスピア没後400年となる2016年、新たによみがえる萬斎版『マクベス』。北海道、東海、近畿、九州と、待望の国内縦断ツアーへと旅立ちます。
------------------
演劇というのは不思議なものだ。
僕らが知的に頭で納得する世界とはまったく違う。
からだ全体で体験するもの。
今、なぜか頭だけで理解するものが増えている。
知的に情報量を増やす事で学ぶ機会が増えている。
演劇はそうした頭の世界に対して圧倒的な質により、警鐘をならす。
この世界に存在する矛盾は、そうした体全体での体験により、何か一つに統合されて受け止めることができる。
演劇が与える全体的な体験は、舞台の場そのものだったり、役者さん一人一人の息使いが伝播してくることだったり、
それを取り囲んでみるお客さん全体で作りだし醸し出す場全体であったりする。
場全体に、何かいのちの流れを感じる。
生きている人たちが作りだす場のいのちを感じる。
初日の公演だったからか。ちょっとしたハプニングもあった。
ただ、それもLiveならではのものだ。それがまた素晴らしい体験となる。
どんなに完璧な舞台を目指そうとも、必ず何か思いがけないことがおきる。
それも舞台が生きているからこそ。
一瞬起こるトラブルという不均衡は、登場人物全員が無意識でサインを起こり合い、大きな均衡へとまとめあげていく。
そのとき、出演者の意識も通常の舞台を超えた大きな一つの統一体として成長して重なり合っていったのを感じたし、
お客さんのバラバラだった意識も、一つになった。
「あっ!」という言葉にならない体験は、観客と演じる側という垣根を超えて全体的な意識の流れとして一つに交わり合い、場をまとめあげる効果を結果的に生んでいた。
そこで観客も、また言葉にならない刺激的な舞台体験をすることになっていたのだった。
生の舞台は、意図しないことが起きるからこそ、観ている側は楽しい。
まさに舞台が生きているからこそ、起きる。
それは人間のいのちと同じようなことだ。
生きているからこそ色々なことが起きて、常に対応していく。
すべてが予定通りに機械的に行われるのではなくて、
生々しく生きている人間が、脈打つ心臓や波打つ身体を持ち、言葉を発し、動き、躍動し、汗をかく。
すべては生きているからこそ。
役者も場自体も、すべてが生きているのを感じ、その生命の場にお客さんは巻き込まれていくのだった。
童話作家のミヒャエルエンデはこう言った。
-------------
「音楽に理解はいらない。そこには体験しかない。
シェークスピアの芝居を見に行ったとする、そのときもです。
私は決して利口になって帰るわけではありません。
何事かを体験したんです。すべての芸術に言えることです。
本物の芸術では、人は教訓など受けないものです。
前より利口になったわけではない。
より豊かになったのです。
私の中の何かが健康になったのです。
秩序がもたらされたのです。
およそ現代文学で見落とされてしまうのは、
芸術が何よりも治癒の課題を負っている、という点です。」
-------------
子安 美知子『エンデと語る―作品・半生・世界観 (朝日選書,1986)』
知的に理解するのではなく、体全体で体験して学ぶこと。
それは自分の理解の枠を超えた体験であるからこそ、より尊いものとなる。
自分を超えた体験をすることで、ひとは少しずつ成長する。
それは数値化したり軽量化したりできないもの。
人生の中でそうした体験をどれだけすることができたかで、人生の質というのは深く広く豊かに変わっていく気がする。
印象的だった点が何度もあった。
5人という最小限の出演者(役割としては3つ)で、最大限の演出していた。
必要にして十分な配置だった。
これしかない、というジャストフィットな感覚を、出演者の最小限の配置にみた。
マクベス(野村萬斎さん)、マクベス夫人(鈴木砂羽さん)、3人の魔女(小林桂太さん 高田恵篤さん 福士惠二さん)
この舞台では役者としてはこの5人しか出てこない。
役割としては、マクベス、マクベス夫人、魔女の3つになる。
まさに能や狂言のように、極限までシンプルに抽象化された人物の配置。
あとは、観客が想像力を付与し、そこに様々な群像劇を夢想することになる。
二つの存在だけだと対立が起きて対立は解消されないが、そこに3つ目の存在があると、そこに調和や均衡が生まれ、動きだす。
まさにこの3つの存在の不均衡と均衡とのダイナミズムで物語が動いているのがよくわかった。
さらに印象的だったのは生の伴奏。
津軽三味線、尺八、太鼓。
こうした日本のリズムが効果的に響き、体全体に振動として残響する。
登場人物の変容や場の変容そのものを聴覚でも皮膚感覚でも体験した。
衣装は、着物や袴など和の衣装だった。
それがまた美しく。
舞台衣裳や舞台美術すべてがすべて、美しかった。
目の前で展開される美の世界は、ただそれとして独立して存在しているかのような世界。
人間の欲望や狂気の世界と対照的に、
美の世界は厳然として美の世界として存在している。
それは、美の調和の力で、道を踏み外そうとする人間を、元に引き戻そうとするかのように。
美を美として感じることが、人が狂気の世界に落ち込もうとするときの復元力や吸引力になるのだろう。
象徴的な「円(Circle)」も美しかった。
こちらの世界と違う世界との接点が生まれる時、円の象徴的な形が、その異界との通路になっていた。
アートはゲート。
アートは、異なる世界へのゲートなる。
印象的な場面転換として、一枚の布が使われた。
舞台全体の布がめくれるようにして、場面が切り変わる。
確かに、この世界は、異なる世界が布一枚で接するように重なっているのかもしれない。
布が一枚めくれるように、異なる世界は顔を出す。
それは美の世界かもしれないし、狂気の世界かもしれない。
・・・・・・・・・・
言語化すると自分の体験が陳腐化するのではないかと感じられるほど、
何か無数の言葉にならない形にならないものを受け取った気がする。
シェークスピアの世界を、こうした形で体験したのは初めてで、本当に素晴らしい体験だった。
シェークスピアは、まさにこうして体験する世界なのだろうと思う。
舞台により、思いは時空を超えてつながり、引き渡される。
野村萬斎さんの演技は声から姿から、細かい演技も大きい演技も素晴らしく、全身に気が通っていた。何度も息を飲んだ。
萬斎さんを支える鈴木砂羽さんのマクベス夫人の演技も、マクベスの狂気の触媒として加速させる存在として、物語を裏で糸引く存在として、印象的なものだった。
小林桂太さん高田恵篤さん福士惠二さんが演じる3人の魔女も、人間が制御できない闇の世界を滑稽に演じているようで、とてもかわいかった。
人のちょっとした悪も、こういう滑稽で気まぐれな存在なのだろう。
「きれいは汚い。汚いはきれい。」に象徴される矛盾に満ちた存在を、ユーモラスに、時には狂気で演じていたのがすごかった。抜群の身体性だった。
●
「マクベス」は全国巡業しています。
こういう素晴らしい舞台が見れるのは何事にも代えがたい体験!
もう本当に、何も考えずチケットを買って、何も考えず行ってほしい!
体験すれば、素晴らしさは絶対に体感します。
分かるとか分からないとかを超えた、大いなるものを包み込んだ世界を体感するこちになるでしょう。
東京の舞台はもう残りわずか!
萬斎さんはマクベスの全国行脚をしながら、同時に本職の狂言の舞台もあるのですから、本当に超人としか言いようがない!!
==============
マクベス
「きれいは汚い。汚いはきれい。
Fair is foul, and foul is fair.」
==============
マクベス
「声が聞こえた気がする。
『もう眠るな!マクベスは眠りを殺した。
罪を知らぬ眠りを。』」
Sleep no more!
Macbeth does murther Sleep.
==============
マクベス
「明日、また明日、そしてまた明日と、
記録される人生最後の瞬間を目指して、
時はとぼとぼと毎日歩みを刻んで行く。
そして昨日という日々は、阿呆どもが死に至る塵の道を照らし出したに過ぎぬ。
消えろ、消えろ、束の間の灯火!
人生は歩く影法師。哀れな役者だ、
出番のあいだは大見得切って騒ぎ立てるが、
そのあとは、ぱったり沙汰止み、音もない。
白痴の語る物語。
何やら喚き立ててはいるが、
何の意味もありはしない。」
Out,out,brief candle!/
Life's but a walking shadow,
==============
//////////////////
マクベス@世田谷パブリックシアター
2016/06/15(水) ~ 2016/06/22(水)
<国内ツアー 2016年 6~7月>
★豊橋公演
会場:穂の国とよはし芸術劇場PLAT 主ホール
日時:2016年6月25日(土)・26日(日)13:00
お問合せ:穂の国とよはし芸術劇場 TEL 0532-39-8810
★兵庫公演
会場:兵庫県立芸術文化センター 阪急中ホール
日時:2016年6月28日(火)18:30 29日(水)12:00
お問合せ:芸術文化センターチケットオフィス
TEL 0798-68-0255(10:00~17:00 月曜休/祝日の場合翌日)
★札幌公演
会場:札幌市教育文化会館 大ホール
日時:2016年7月1日(金)19:00
お問合せ:札幌市教育文化会館事業課 TEL011-271-5822
★名古屋公演
会場:名古屋市芸術創造センター
日時:2016年 7月5日(火)14:00/19:00 6日(水)14:00
お問合せ:中京テレビ事業 TEL 052-957-3333(平日10:00~17:00 土・日・祝休)
★びわ湖公演
会場:滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール 中ホール
日時:2016年7月9日(土)12:00/17:00
お問合せ:びわ湖ホールチケットセンター TEL077-523-7136
★宮崎公演
会場:メディキット県民文化センター(宮崎県立芸術劇場) 演劇ホール
日時:2016年7月12日(火)19:00
お問合せ:公益財団法人宮崎県立芸術劇場
TEL0985-28-3208(10:00~18:30 月曜休/祝日の場合翌日)
ほんとうにほんとうにほんとうにすごくて。
圧倒的なすごい体験だった。
90分、眼が充血するほど。
時を忘れました。
時間の体験にも驚きました。
自分が時の流れと違う場所にいたような。
自分の寿命とは違う時の世界にいたような体験。
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世田谷パブリックシアターのHPより
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世界各地(ニューヨーク、ソウル、シビウ、パリ)で熱狂的に迎えられた
野村萬斎 構成・演出『マクベス』
いよいよ、待望の国内縦断ツアーへ!! マクベス夫人に鈴木砂羽!!
シェイクスピアの四大悲劇のひとつに数えられる『マクベス』。
世田谷パブリックシアター芸術監督・野村萬斎の構成・演出により、わずか5人の出演者で、物語は分かりやすくシンプルに、登場人物が抱える不安や葛藤といった内面は、丹念かつ丁寧に描いた萬斎版『マクベス』。2010年の初演以来、国内外にて再演を重ねて進化・深化を繰り返してきました。2013年には日本文化の粋を結集すべく、能・狂言のミニマルな演出方法を随所に取り入れ、「和」の美しさを引き出した新たな『マクベス』として、ニューヨークとソウル、2014年にはルーマニア・シビウ演劇祭とパリにて公演を行い、各地で絶賛を博しました。
4度目の上演となる今回は、マクベス夫人に鈴木砂羽を迎えます。さらに音楽ユニット“KOBUDO―古武道―”でも活躍する尺八演奏家・藤原道山が音楽監修を務め、和楽器の生演奏で作品に新たな息吹を吹き込みます。
シェイクスピア没後400年となる2016年、新たによみがえる萬斎版『マクベス』。北海道、東海、近畿、九州と、待望の国内縦断ツアーへと旅立ちます。
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演劇というのは不思議なものだ。
僕らが知的に頭で納得する世界とはまったく違う。
からだ全体で体験するもの。
今、なぜか頭だけで理解するものが増えている。
知的に情報量を増やす事で学ぶ機会が増えている。
演劇はそうした頭の世界に対して圧倒的な質により、警鐘をならす。
この世界に存在する矛盾は、そうした体全体での体験により、何か一つに統合されて受け止めることができる。
演劇が与える全体的な体験は、舞台の場そのものだったり、役者さん一人一人の息使いが伝播してくることだったり、
それを取り囲んでみるお客さん全体で作りだし醸し出す場全体であったりする。
場全体に、何かいのちの流れを感じる。
生きている人たちが作りだす場のいのちを感じる。
初日の公演だったからか。ちょっとしたハプニングもあった。
ただ、それもLiveならではのものだ。それがまた素晴らしい体験となる。
どんなに完璧な舞台を目指そうとも、必ず何か思いがけないことがおきる。
それも舞台が生きているからこそ。
一瞬起こるトラブルという不均衡は、登場人物全員が無意識でサインを起こり合い、大きな均衡へとまとめあげていく。
そのとき、出演者の意識も通常の舞台を超えた大きな一つの統一体として成長して重なり合っていったのを感じたし、
お客さんのバラバラだった意識も、一つになった。
「あっ!」という言葉にならない体験は、観客と演じる側という垣根を超えて全体的な意識の流れとして一つに交わり合い、場をまとめあげる効果を結果的に生んでいた。
そこで観客も、また言葉にならない刺激的な舞台体験をすることになっていたのだった。
生の舞台は、意図しないことが起きるからこそ、観ている側は楽しい。
まさに舞台が生きているからこそ、起きる。
それは人間のいのちと同じようなことだ。
生きているからこそ色々なことが起きて、常に対応していく。
すべてが予定通りに機械的に行われるのではなくて、
生々しく生きている人間が、脈打つ心臓や波打つ身体を持ち、言葉を発し、動き、躍動し、汗をかく。
すべては生きているからこそ。
役者も場自体も、すべてが生きているのを感じ、その生命の場にお客さんは巻き込まれていくのだった。
童話作家のミヒャエルエンデはこう言った。
-------------
「音楽に理解はいらない。そこには体験しかない。
シェークスピアの芝居を見に行ったとする、そのときもです。
私は決して利口になって帰るわけではありません。
何事かを体験したんです。すべての芸術に言えることです。
本物の芸術では、人は教訓など受けないものです。
前より利口になったわけではない。
より豊かになったのです。
私の中の何かが健康になったのです。
秩序がもたらされたのです。
およそ現代文学で見落とされてしまうのは、
芸術が何よりも治癒の課題を負っている、という点です。」
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子安 美知子『エンデと語る―作品・半生・世界観 (朝日選書,1986)』
知的に理解するのではなく、体全体で体験して学ぶこと。
それは自分の理解の枠を超えた体験であるからこそ、より尊いものとなる。
自分を超えた体験をすることで、ひとは少しずつ成長する。
それは数値化したり軽量化したりできないもの。
人生の中でそうした体験をどれだけすることができたかで、人生の質というのは深く広く豊かに変わっていく気がする。
印象的だった点が何度もあった。
5人という最小限の出演者(役割としては3つ)で、最大限の演出していた。
必要にして十分な配置だった。
これしかない、というジャストフィットな感覚を、出演者の最小限の配置にみた。
マクベス(野村萬斎さん)、マクベス夫人(鈴木砂羽さん)、3人の魔女(小林桂太さん 高田恵篤さん 福士惠二さん)
この舞台では役者としてはこの5人しか出てこない。
役割としては、マクベス、マクベス夫人、魔女の3つになる。
まさに能や狂言のように、極限までシンプルに抽象化された人物の配置。
あとは、観客が想像力を付与し、そこに様々な群像劇を夢想することになる。
二つの存在だけだと対立が起きて対立は解消されないが、そこに3つ目の存在があると、そこに調和や均衡が生まれ、動きだす。
まさにこの3つの存在の不均衡と均衡とのダイナミズムで物語が動いているのがよくわかった。
さらに印象的だったのは生の伴奏。
津軽三味線、尺八、太鼓。
こうした日本のリズムが効果的に響き、体全体に振動として残響する。
登場人物の変容や場の変容そのものを聴覚でも皮膚感覚でも体験した。
衣装は、着物や袴など和の衣装だった。
それがまた美しく。
舞台衣裳や舞台美術すべてがすべて、美しかった。
目の前で展開される美の世界は、ただそれとして独立して存在しているかのような世界。
人間の欲望や狂気の世界と対照的に、
美の世界は厳然として美の世界として存在している。
それは、美の調和の力で、道を踏み外そうとする人間を、元に引き戻そうとするかのように。
美を美として感じることが、人が狂気の世界に落ち込もうとするときの復元力や吸引力になるのだろう。
象徴的な「円(Circle)」も美しかった。
こちらの世界と違う世界との接点が生まれる時、円の象徴的な形が、その異界との通路になっていた。
アートはゲート。
アートは、異なる世界へのゲートなる。
印象的な場面転換として、一枚の布が使われた。
舞台全体の布がめくれるようにして、場面が切り変わる。
確かに、この世界は、異なる世界が布一枚で接するように重なっているのかもしれない。
布が一枚めくれるように、異なる世界は顔を出す。
それは美の世界かもしれないし、狂気の世界かもしれない。
・・・・・・・・・・
言語化すると自分の体験が陳腐化するのではないかと感じられるほど、
何か無数の言葉にならない形にならないものを受け取った気がする。
シェークスピアの世界を、こうした形で体験したのは初めてで、本当に素晴らしい体験だった。
シェークスピアは、まさにこうして体験する世界なのだろうと思う。
舞台により、思いは時空を超えてつながり、引き渡される。
野村萬斎さんの演技は声から姿から、細かい演技も大きい演技も素晴らしく、全身に気が通っていた。何度も息を飲んだ。
萬斎さんを支える鈴木砂羽さんのマクベス夫人の演技も、マクベスの狂気の触媒として加速させる存在として、物語を裏で糸引く存在として、印象的なものだった。
小林桂太さん高田恵篤さん福士惠二さんが演じる3人の魔女も、人間が制御できない闇の世界を滑稽に演じているようで、とてもかわいかった。
人のちょっとした悪も、こういう滑稽で気まぐれな存在なのだろう。
「きれいは汚い。汚いはきれい。」に象徴される矛盾に満ちた存在を、ユーモラスに、時には狂気で演じていたのがすごかった。抜群の身体性だった。
●
「マクベス」は全国巡業しています。
こういう素晴らしい舞台が見れるのは何事にも代えがたい体験!
もう本当に、何も考えずチケットを買って、何も考えず行ってほしい!
体験すれば、素晴らしさは絶対に体感します。
分かるとか分からないとかを超えた、大いなるものを包み込んだ世界を体感するこちになるでしょう。
東京の舞台はもう残りわずか!
萬斎さんはマクベスの全国行脚をしながら、同時に本職の狂言の舞台もあるのですから、本当に超人としか言いようがない!!
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マクベス
「きれいは汚い。汚いはきれい。
Fair is foul, and foul is fair.」
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マクベス
「声が聞こえた気がする。
『もう眠るな!マクベスは眠りを殺した。
罪を知らぬ眠りを。』」
Sleep no more!
Macbeth does murther Sleep.
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マクベス
「明日、また明日、そしてまた明日と、
記録される人生最後の瞬間を目指して、
時はとぼとぼと毎日歩みを刻んで行く。
そして昨日という日々は、阿呆どもが死に至る塵の道を照らし出したに過ぎぬ。
消えろ、消えろ、束の間の灯火!
人生は歩く影法師。哀れな役者だ、
出番のあいだは大見得切って騒ぎ立てるが、
そのあとは、ぱったり沙汰止み、音もない。
白痴の語る物語。
何やら喚き立ててはいるが、
何の意味もありはしない。」
Out,out,brief candle!/
Life's but a walking shadow,
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マクベス@世田谷パブリックシアター
2016/06/15(水) ~ 2016/06/22(水)
<国内ツアー 2016年 6~7月>
★豊橋公演
会場:穂の国とよはし芸術劇場PLAT 主ホール
日時:2016年6月25日(土)・26日(日)13:00
お問合せ:穂の国とよはし芸術劇場 TEL 0532-39-8810
★兵庫公演
会場:兵庫県立芸術文化センター 阪急中ホール
日時:2016年6月28日(火)18:30 29日(水)12:00
お問合せ:芸術文化センターチケットオフィス
TEL 0798-68-0255(10:00~17:00 月曜休/祝日の場合翌日)
★札幌公演
会場:札幌市教育文化会館 大ホール
日時:2016年7月1日(金)19:00
お問合せ:札幌市教育文化会館事業課 TEL011-271-5822
★名古屋公演
会場:名古屋市芸術創造センター
日時:2016年 7月5日(火)14:00/19:00 6日(水)14:00
お問合せ:中京テレビ事業 TEL 052-957-3333(平日10:00~17:00 土・日・祝休)
★びわ湖公演
会場:滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール 中ホール
日時:2016年7月9日(土)12:00/17:00
お問合せ:びわ湖ホールチケットセンター TEL077-523-7136
★宮崎公演
会場:メディキット県民文化センター(宮崎県立芸術劇場) 演劇ホール
日時:2016年7月12日(火)19:00
お問合せ:公益財団法人宮崎県立芸術劇場
TEL0985-28-3208(10:00~18:30 月曜休/祝日の場合翌日)