日常

中学生との対話

2016-07-16 00:00:36 | 考え
中学生との対話。

仕事のことを聞きたいと、要望があった。
なぜ自分が今の仕事についたのか、、、、。
自分でも考え直してみる。
外的な要因ではなく、内的な必然的な動きに耳を澄ませて。

出生時、幼少期、小学生、中学生のプロセスを思い出しながら、聞き手の目線で話したい。
いのちは自分へと受け渡され、そして次の世代へと受け渡される。
いのちは、必ずしも物質的なものばかりではなく、そうして受け渡され続けてきたもの。



社会に出て行く前のひとたちへ。

仕事の価値は、
どんな仕事に従事するかではなく、
仕事にどのような態度で取り組むか、
で決まる。

優劣は、仕事そのものにあるのではなく、仕事に取り組む態度にこそある。
社会に出て行く前の中学生に贈りたい。


自分は小中学生の時、世界を平和にしたいと考えていた。
別にそれは政治家にならなくても政治活動をしなくてもいいと思う。
本質は職業や職種にあるのではなく、<仕事に取り組む態度>にこそある。

人類が群れではなく、分業というシステムを生み出したのだから、自分が果たすべき仕事をしながら、協力すればいい。
それは、自分の体のすべての細胞が日々行っている日常的なこと。


世界から争いを無くすには、まず自分自身が争いから解放されなくてはいけない。
生まれてから死ぬまで、人生を共にしている自分の<体>を、どういうメタファーで捉えるのかが、大事なことだ。


からだを「戦いの場」「争いの場」と捉えるのではなく、「調和の場」として捉えてみる。
それは、視点を「わたし」から、「いのち」に移すこと。
それは、人生の主語を「わたし」から、「いのち」に移すこと。
まず自分自身が争いから解放されるために。


この多様な世界において、
競争原理に向かうのか、協力原理に向かうのか、
常にその分岐路に立っていると思う。

他の人が協力的であるかどうかなど考えることなく、まず自分自身が協力原理の生き方をはじめるべきだと、提案したい。


心を豊かに保ち続け、その蓄えを遠慮せず他者に与え続ける。
give and takeを狭い世界や利害で捉えるのではなく、もっと広い世界をイメージして、giveし続ければいい。必ず何かを受け取ることになる。

未来の社会をつくる若者にバトンを渡すため、自分は土壌づくりをしているのだから。豊かで多様なものを育む場として。


自然から学ぶ、と言うことは簡単なことだが、
自分が自然にとってのお客さん、なのではなく、
自分自身が自然のコスモロジーに参加している一員として、責任と誇りを持ち、学び続ける必要がある。

「いのちの流れ」から人類に託されていることが、人生で与えられている天命でもある、と自分は思う。