チャップリン「独裁者」(1940)より
(→Youtube動画)
70年以上の時空を超え、チャップリンからの伝言。
1940年、第二次世界大戦、核戦争。
地球が滅亡するのではないかということが極めてリアルだったギリギリな時代。
だからこそ、チャップリンの声のトーンには、切実さとコトバにならない叫びが言外から響きつづけている。
「助け合い」「自由」「美しさ」「人類愛」「優しさ」「思いやり」「自然」「ひとつ」・・・
大事なことは、映画「かみさまとのやくそく」の中で、「なぜこの世に生まれてきたの?」という問いへの子どもたちの答えと同じ。
こどもはみんな、知っている。
誰もが過去にはこどもだったから、ほんとうは何が大切かも、自分がいま何をやるべきこともみんな知っている。日常の膨大な情報のがれきの下に埋もれてしまって思い出せないだけ。
硬い蓋と、厳重な鍵がかかってるけれど、元は自分自身で鍵をかけた。
人間はこの世に生まれてきただけで、使命の大部分は果たしている。
生まれてきただけで、90%以上の使命を果たしているので心配は要らない。
そして、残り数%の使命を、人生の過程の中で思い出すようになっているだけだ。
「あたま」の中で完結するのではなく、「こころ」と「からだ」を使いながら、それぞれが「思い出したこと」と現実との接点を見いだしていけばいいのだと思う。
そういう現実との接点の中にこそ、芸や技やセンスが求められる。
一人一人そういうことが違うからこそ、これだけ多くの人が存在する必要がある。枠割の違いはあるが、そこに優劣はない。
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チャップリン「独裁者」(1940)より
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申し訳ないが、私は皇帝などなりたくない。それは私には関わりのないことだ。
誰も支配も征服もしたくない。できれることなら皆を助けたい、ユダヤ人も、ユダヤ人以外も、黒人も、白人も。
私たちは皆、助け合いたいのだ。人間とはそういうものなんだ。
私たちは皆、他人の不幸ではなく、お互いの幸福と寄り添って生きたいのだ。私たちは憎み合ったり、見下し合ったりなどしたくないのだ。
この世界には、全人類が暮らせるだけの場所があり、大地は豊かで、皆に恵みを与えてくれる。
人生の生き方は自由で美しい。
しかし、私たちは生き方を見失ってしまったのだ。
欲が人の魂を毒し、憎しみと共に世界を閉鎖し、不幸、惨劇へと私たちを行進させた。
私たちはスピードを開発したが、それによって自分自身を孤立させた。ゆとりを与えてくれる機械により、貧困を作り上げた。
知識は私たちを皮肉にし、知恵は私たちを冷たく、薄情にした。
私たちは考え過ぎで、感じなく過ぎる。
機械よりも、私たちには人類愛が必要なのだ。
賢さよりも、優しさや思いやりが必要なのだ。
そういう感情なしには、世の中は暴力で満ち、全てが失われてしまう。
飛行機やラジオが私たちの距離を縮めてくれた。
そんな発明の本質は人間の良心に呼びかけ、世界がひとつになることを呼びかける。
今も、私の声は世界中の何百万人もの人々のもとに、絶望した男性達、女性達、子供達、罪のない人達を拷問し、投獄する組織の犠牲者のもとに届いている。
私の声が聞こえる人達に言う、「絶望してはいけない」。
私たちに覆いかぶさっている不幸は、単に過ぎ去る欲であり、人間の進歩を恐れる者の嫌悪なのだ。
憎しみは消え去り、独裁者たちは死に絶え、人々から奪いとられた権力は、人々のもとに返されるだろう。
決して人間が永遠には生きることがないように、自由も滅びることもない。
兵士たちよ。獣たちに身を託してはいけない。君たちを見下し、奴隷にし、人生を操る者たちは、君たちが何をし、何を考え、何を感じるかを指図し、そして、君たちを仕込み、食べ物を制限する者たちは、君たちを家畜として、単なるコマとして扱うのだ。
そんな自然に反する者たち、機械のマインド、機械の心を持った機械人間たちに、身を託してはいけない。
君たちは機械じゃない。君たちは家畜じゃない。
君たちは人間だ。
君たちは心に人類愛を持った人間だ。
憎んではいけない。愛されない者だけが憎むのだ。愛されず、自然に反する者だけだ。
兵士よ。奴隷を作るために闘うな。自由のために闘え。
『ルカによる福音書』の17章に、「神の国は人間の中にある」と書かれている。
一人の人間ではなく、一部の人間でもなく、全ての人間の中なのだ。
君たちの中になんだ。君たち、人々は、機械を作り上げる力、幸福を作り上げる力があるんだ。
君たち、人々は人生を自由に、美しいものに、この人生を素晴らしい冒険にする力を持っているんだ。
だから、民主国家の名のもとに、その力を使おうではないか。
皆でひとつになろう。
新しい世界のために、皆が雇用の機会を与えられる、君たちが未来を与えられる、老後に安定を与えてくれる、常識のある世界のために闘おう。
そんな約束をしながら獣たちも権力を伸ばしてきたが、奴らを嘘をつく。約束を果たさない。
これからも果たしはしないだろう。独裁者たちは自分たちを自由し、人々を奴隷にする。
今こそ、約束を実現させるために闘おう。
世界を自由にするために、国境のバリアを失くすために、憎しみと耐え切れない苦しみと一緒に貪欲を失くすために闘おう。
理性のある世界のために、科学と進歩が全人類の幸福へと導いてくれる世界のために闘おう。
兵士たちよ。
民主国家の名のもとに、皆でひとつになろう。
(→Youtube動画)
70年以上の時空を超え、チャップリンからの伝言。
1940年、第二次世界大戦、核戦争。
地球が滅亡するのではないかということが極めてリアルだったギリギリな時代。
だからこそ、チャップリンの声のトーンには、切実さとコトバにならない叫びが言外から響きつづけている。
「助け合い」「自由」「美しさ」「人類愛」「優しさ」「思いやり」「自然」「ひとつ」・・・
大事なことは、映画「かみさまとのやくそく」の中で、「なぜこの世に生まれてきたの?」という問いへの子どもたちの答えと同じ。
こどもはみんな、知っている。
誰もが過去にはこどもだったから、ほんとうは何が大切かも、自分がいま何をやるべきこともみんな知っている。日常の膨大な情報のがれきの下に埋もれてしまって思い出せないだけ。
硬い蓋と、厳重な鍵がかかってるけれど、元は自分自身で鍵をかけた。
人間はこの世に生まれてきただけで、使命の大部分は果たしている。
生まれてきただけで、90%以上の使命を果たしているので心配は要らない。
そして、残り数%の使命を、人生の過程の中で思い出すようになっているだけだ。
「あたま」の中で完結するのではなく、「こころ」と「からだ」を使いながら、それぞれが「思い出したこと」と現実との接点を見いだしていけばいいのだと思う。
そういう現実との接点の中にこそ、芸や技やセンスが求められる。
一人一人そういうことが違うからこそ、これだけ多くの人が存在する必要がある。枠割の違いはあるが、そこに優劣はない。
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チャップリン「独裁者」(1940)より
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申し訳ないが、私は皇帝などなりたくない。それは私には関わりのないことだ。
誰も支配も征服もしたくない。できれることなら皆を助けたい、ユダヤ人も、ユダヤ人以外も、黒人も、白人も。
私たちは皆、助け合いたいのだ。人間とはそういうものなんだ。
私たちは皆、他人の不幸ではなく、お互いの幸福と寄り添って生きたいのだ。私たちは憎み合ったり、見下し合ったりなどしたくないのだ。
この世界には、全人類が暮らせるだけの場所があり、大地は豊かで、皆に恵みを与えてくれる。
人生の生き方は自由で美しい。
しかし、私たちは生き方を見失ってしまったのだ。
欲が人の魂を毒し、憎しみと共に世界を閉鎖し、不幸、惨劇へと私たちを行進させた。
私たちはスピードを開発したが、それによって自分自身を孤立させた。ゆとりを与えてくれる機械により、貧困を作り上げた。
知識は私たちを皮肉にし、知恵は私たちを冷たく、薄情にした。
私たちは考え過ぎで、感じなく過ぎる。
機械よりも、私たちには人類愛が必要なのだ。
賢さよりも、優しさや思いやりが必要なのだ。
そういう感情なしには、世の中は暴力で満ち、全てが失われてしまう。
飛行機やラジオが私たちの距離を縮めてくれた。
そんな発明の本質は人間の良心に呼びかけ、世界がひとつになることを呼びかける。
今も、私の声は世界中の何百万人もの人々のもとに、絶望した男性達、女性達、子供達、罪のない人達を拷問し、投獄する組織の犠牲者のもとに届いている。
私の声が聞こえる人達に言う、「絶望してはいけない」。
私たちに覆いかぶさっている不幸は、単に過ぎ去る欲であり、人間の進歩を恐れる者の嫌悪なのだ。
憎しみは消え去り、独裁者たちは死に絶え、人々から奪いとられた権力は、人々のもとに返されるだろう。
決して人間が永遠には生きることがないように、自由も滅びることもない。
兵士たちよ。獣たちに身を託してはいけない。君たちを見下し、奴隷にし、人生を操る者たちは、君たちが何をし、何を考え、何を感じるかを指図し、そして、君たちを仕込み、食べ物を制限する者たちは、君たちを家畜として、単なるコマとして扱うのだ。
そんな自然に反する者たち、機械のマインド、機械の心を持った機械人間たちに、身を託してはいけない。
君たちは機械じゃない。君たちは家畜じゃない。
君たちは人間だ。
君たちは心に人類愛を持った人間だ。
憎んではいけない。愛されない者だけが憎むのだ。愛されず、自然に反する者だけだ。
兵士よ。奴隷を作るために闘うな。自由のために闘え。
『ルカによる福音書』の17章に、「神の国は人間の中にある」と書かれている。
一人の人間ではなく、一部の人間でもなく、全ての人間の中なのだ。
君たちの中になんだ。君たち、人々は、機械を作り上げる力、幸福を作り上げる力があるんだ。
君たち、人々は人生を自由に、美しいものに、この人生を素晴らしい冒険にする力を持っているんだ。
だから、民主国家の名のもとに、その力を使おうではないか。
皆でひとつになろう。
新しい世界のために、皆が雇用の機会を与えられる、君たちが未来を与えられる、老後に安定を与えてくれる、常識のある世界のために闘おう。
そんな約束をしながら獣たちも権力を伸ばしてきたが、奴らを嘘をつく。約束を果たさない。
これからも果たしはしないだろう。独裁者たちは自分たちを自由し、人々を奴隷にする。
今こそ、約束を実現させるために闘おう。
世界を自由にするために、国境のバリアを失くすために、憎しみと耐え切れない苦しみと一緒に貪欲を失くすために闘おう。
理性のある世界のために、科学と進歩が全人類の幸福へと導いてくれる世界のために闘おう。
兵士たちよ。
民主国家の名のもとに、皆でひとつになろう。
古典から学ぶことは多く、最近はビートルズやジョンレノンをヘビーローテで聞いております。(^^
できない、ということは別に善でも悪でもないですよね。
ですから焦らないでいいと思いますよ。物事には常に時期やタイミングと言う者が有りますし、、、すべては四季の変化のように、春があれば夏があり、秋があれば冬がある。そして春に巡り、、循環して繰り返していくのだと思います。(^^