日常

才能

2016-02-19 00:52:40 | 考え
人には必ず才能がある。
それはギフトとしか言えないもの。

自分は周りの人々が才能の塊に見える。
いくら指摘してもなぜか認めてくれず、それをうまく使えていない。
すべては使い方次第なのだ。
見る角度により、才能ともなり、コンプレックスともなる。
視点の位置次第だ。


才能は、使わないとかみさまから怒られる。
なんのために与えたんだ!ちゃんと使いなさい!と。

だから、才能をもっと使えばいい。
その才能は、たいていその人には死角になっている。逆にコンプレックスになっていることもある。才能がないと思い込んでいる。
でも、必ず才能はある。まだ見出していないだけ。
見出すには、自分の視点や視野そのものを拡張させる必要がある。


周りの意見を素直に聞いて、
「そこがあなたの素敵なとこだよ!すごいね!才能だね!いいじゃない!」
と言われたことを素直に受け入れる。
自分よりも周りが良く知っている。


自分というのはドーナツの穴のようなもの。
穴には実態はなく、自分を構成しているすべての存在物が、ドーナツという全体性を構成している。
これは、「わたし」に関する考察の、メタファー。

自分の才能を自分がジャッジするようなことをするよりも、他者の指摘を素直に受け入れ、むしろそれを社会に応用し活用していく道を選んだ方がいい。
そうすれば摩擦はない。

才能は、使われるために与えられている。そして、使われ応用されるのを待っている。

種子は、光と水と適切な土壌を与えられて発芽することを待っている。

何かをする才能も有れば、何もしないことをする才能も有れば、そこに存在することだけが必要な才能もある。

石や花は、存在する才能を持っている。
動ぜず、常に自分自身であり続け、存在し続ける。そう簡単にできる事ではない。

未来の社会は、そうしてお互いがお互いの才能を提供しあうことをベースにして、成立する。
その前提として、それぞれが自分の可能性に水や光与え、適切な土壌を育む必要がある。条件が整えば、事は動き始める。


コンステレーションとして自分の周り全体をみてみる。
今の自分の立場を、巨大なメタファーとして読み解いてみる。

この世は、すべてかみさまから与えられた巨大ななぞなぞのようなもの。
この世のすべては、ヒントとして与えられている。

2 コメント

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素直に (みみ)
2016-02-29 00:20:38
ここ最近の
様々な我が身に起きたことを
いろいろと思う。

すると
いなさんの言葉の中に
「素直に」という言霊があり
気づくことができた。

幼いころから
自分に足りないものは
いつも
「素直さ」だったことを思い出した。

そう
大切なのは
「素直さ」。

ドーナッツの穴のような自我を
振りかざすばかりでなく
他者の指摘や意見、
かかわりを持つ人々のまなざしを
素直に受けとめることができますように。
そして
謝罪すべき時は
意固地にならず我を張らずに
素直にすることができますように。

いなさんの
言霊がここまでとんできました。
ありがとう。
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素直さ (INA)
2016-04-22 16:20:47
そうですね。素直っていうのは、大事だなと、よく自分も思います。
自分も素直に何かを受取れていないとき、自分の何かに固執していることが多いですね。そのこだわりが原因であり、結果である、ということも多く、とりあえず素直に受け取り、あとで自分でかみ砕く。こういうことを続けていれば、少しずつ成長できるような気がしています。今まで37年間、こういうことを少しずつ積み重ねて、少しずつ大人になっているんでしょうね・・・・。
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