■
上野公園の桜がきれい。
というか、もう3月後半というのに驚く。
こうして2013年もあっという間なのかな。
■
小松左京さんのSF「ゴルディアスの結び目」と言う本がとんでもなく面白かった。
時間あれば感想書きたい。
SF作家はすごい。
→谷岡一郎「SFはこれを読め!」(2011-09-20)
■
SF作家つながりで。一条さんの新ブログでの情報(驚異的な更新頻度!超人!)より。
もともとSF作家だったハバードが作った「サイエントロジー」というカルト宗教?を題材にした映画「ザ・マスター」が面白そう。
---------------------------
〇公式HP
〇TowerRecord ONLINEより
映画『ザ・マスター』
ザ・マスターは、1950年代の米国を舞台にした作品である。
米国が名実共に世界の盟主となり、繁栄を謳歌していた時代。
しかし、冷戦の緊張が日ごとに高まり、共産主義の脅威にさらされ、米国民が不安と迷いを抱えていた時代。
『ザ・マスター』は、こんな時代を背景とした「カルト」の映画である。
「カルト映画」ではない。「カルト(新興宗教)」を描いた映画だ。
フレディ・クエル(ホアキン・フェニックス)は第二次世界大戦時、米海軍の一兵卒だった帰還兵。
終戦後、彼はデパートの写真館でカメラマンとして働き始めるが、戦地で患ったアルコール依存を断ち切ることができず、顧客に暴力を振るい、解雇される。
その後もフレディは社会生活に適応できず、酩酊したあげく、とある客船に密航する。
そこで出会ったのが、新興宗教団体「ザ・コーズ」の指導者(マスター)ランカスター・ドッド(フィリップ・シーモア・ホフマン)。
フレディの心の中に大きな穴が空いていることをすぐに察知したマスターは、彼を「ザ・コーズ」のファミリーに迎え入れる。
だが、フレディとマスターの関係が深まるにつれ、「ザ・コーズ」の内部に亀裂が生じ、フレディとマスターと彼の妻ペギー(エイミー・アダムス)の関係も変化していく。
50年代の米国に誕生した数多くの実在するカルトと同じく、「ザ・コーズ」は冷戦時代の産物であり、その意味では、マスターは戦争が生んだ怪物である。
だが、マスターは絶対的君主的存在でありながら、弱さを抱えた人間として描かれている。
そもそもマスターがフレディを「ザ・コーズ」に迎え入れたのは、フレディのお手製のアルコール飲料を気に入ったからでもあった。
つまりマスターとフレディはそれぞれ大きな心の闇を抱えていて、だからこそ彼らはマスターの妻にさえ理解しがたい愛憎劇を繰り返していく。
『ザ・マスター』は、「カルト」という特異な「家族」を描いた物語である。
そして「戦争」の映画でもある。「戦争映画」ではない。「戦争」の傷痕を描いた映画だ。
2人の主演俳優の鬼気迫る演技、65mmフィルムで撮影された鮮明で格調高い映像、『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』より多彩なジョニー・グリーンウッドの音楽など、特筆すべき点は多々ある。
とりわけ個人的に鳥肌が立ったのは、マスターが再会したフレディと向かい合い、ある曲を口ずさむ終盤のシーンだ。
その曲は、二人だけの世界を船長と船荷になぞらえて描いたスタンダードの《オン・ア・スロー・ボート・トゥ・チャイナ》。
このシーンが深い余韻を残す。
映画『ザ・マスター』
監督・脚本:ポール・トーマス・アンダーソン
音楽:ジョニー・グリーンウッド
出演:ホアキン・フェニックス/フィリップ・シーモア・ホフマン/エイミー・アダムス
配給:ファントム・フィルム(アメリカ 2012年)
◎3/22(金)TOHOシネマズ シャンテ、新宿バルト9ほか全国ロードショー
---------------------------
■
自分は医療に携わっている。その発端は人間に興味・関心があるから。
表面だけ見ていると、ヒトという種族は同じように見えるけれど、その内奥を探ると、全員が全員、まったく違う。
奥の層に行けば行くほど、人は果てしなく違う層が重なり合って複雑体として有機的にできている。
人間の精神や心理にも興味がある。
病気の人を入り口としたけれど、だからこそ正常や普通の人に興味があるし、とんでもなく変わった人にも興味がある。
宗教や信仰が導く人間の状態に興味があり、催眠や変性意識状態(トランス)や夢や仮死、そんな状態の人間にも興味がある。
変性意識状態で、人間は潜在的な能力の封印を解除する。
そのパンドラの箱の妖艶なエネルギーバランスは、善に行けば自分を救うし、究極的には世界をも救いうる。
ただ、悪に行けば自分を簡単に滅ぼし得るし、世界をも滅ぼしうる。
強大なエネルギーは、振り子のようなもの。天気図の気象状況を空から見下ろすようなもの。
だから、基本的には蓋がされている。ほんとはその蓋は開かない方がいい。開けない方がいい。
安易な能力開発と称してパンドラの箱を開けてしまうと、受ける器ができていないときには大変なことになる。
ただ、時に『病』と称した状態を通過しながらパンドラの箱が空いてしまうこともある。それは神がかりになる。カミと近い存在や状態になる人がいる。それは見れば分かる。
そして、それはイイとかワルイではなく、そういう宿命を背負ったということだ。
■
とにかく人間に関心がある。だから、真面目な本、学術的な本にも関心があるし、怪しい本やとんでもない本にも関心がある。
それぞれに、それぞれの真理がある。
人間の可能性の振り子のような振幅や軌道にこそ興味があるし面白い。
そんな軌道をトレースしている。
■
この前も色んな世界の色んな人たちと会った。色んな人が色んな世界で生きている。狭い世界だけでは分からない。世界は広い。その事実を知るだけで、すでに面白い。
人は、どんな領域でも「自分だけしか知らない秘伝」を求めやすい。
私だけ知っている秘術、秘儀、秘密、秘伝、・・・秘というものの魅惑的な抗いがたい力。
「わたしは選ばれた」という感覚に、人間は溺れやすいようだ。
狭い意味での恋も、そういうものかもしれない。私があなたを選び、あなたが私を選ぶ。
ただ、愛はもっと広い。森羅万象を包むものだ。恋は個人的だけれど、愛は宇宙的なのだと思う。
人間は、すべて選ばれている。
この世に生まれてきた時点で、全員が選ばれている。
だから、それで十分じゃないか、と思う。
その原点に戻るだけ。
生まれた、ということは、何らかのゲート(門)をくぐったということ。
そもそも、自分がこの世に存在しなかったことを思う、というのは非常に困難な問いだ。
理性や知性への挑戦に近い。全人類が抱える問い。
ただ、父や母から生まれていない時に自分がどういう存在だったかを考えてみることは、想像力をかきたてられることだとも、思う。
その問いのゲート(門)をくぐると、きっと何かが変わる。
--------------------------------------------
夏目漱石「門」
『老師というのは五十格好に見えた。あかぐろい光沢のある顔をしていた。
その皮膚も筋肉もことごとくひきしまって、どこにも怠りのないところが、銅像のもたらす印象を宗助の胸に彫りつけた。
ただ、唇があまり厚過ぎるので、そこに幾分の弛みが見えた。
その代り彼の眼には、普通の人間にとうてい見るべからざる一種の精彩がひらめいた。
宗助が始めてその視線に接した時は、暗中に卒然として白刃を見る思いがあった。
「まあ何から入っても同じであるが」と老師は宗助に向って云った。
「父母未生(ふぼみしょう)以前本来の面目(めんもく)は何なんだか、それを一つ考えて見たらよかろう」』
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上野公園の桜がきれい。
というか、もう3月後半というのに驚く。
こうして2013年もあっという間なのかな。
■
小松左京さんのSF「ゴルディアスの結び目」と言う本がとんでもなく面白かった。
時間あれば感想書きたい。
SF作家はすごい。
→谷岡一郎「SFはこれを読め!」(2011-09-20)
■
SF作家つながりで。一条さんの新ブログでの情報(驚異的な更新頻度!超人!)より。
もともとSF作家だったハバードが作った「サイエントロジー」というカルト宗教?を題材にした映画「ザ・マスター」が面白そう。
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〇公式HP
〇TowerRecord ONLINEより
映画『ザ・マスター』
ザ・マスターは、1950年代の米国を舞台にした作品である。
米国が名実共に世界の盟主となり、繁栄を謳歌していた時代。
しかし、冷戦の緊張が日ごとに高まり、共産主義の脅威にさらされ、米国民が不安と迷いを抱えていた時代。
『ザ・マスター』は、こんな時代を背景とした「カルト」の映画である。
「カルト映画」ではない。「カルト(新興宗教)」を描いた映画だ。
フレディ・クエル(ホアキン・フェニックス)は第二次世界大戦時、米海軍の一兵卒だった帰還兵。
終戦後、彼はデパートの写真館でカメラマンとして働き始めるが、戦地で患ったアルコール依存を断ち切ることができず、顧客に暴力を振るい、解雇される。
その後もフレディは社会生活に適応できず、酩酊したあげく、とある客船に密航する。
そこで出会ったのが、新興宗教団体「ザ・コーズ」の指導者(マスター)ランカスター・ドッド(フィリップ・シーモア・ホフマン)。
フレディの心の中に大きな穴が空いていることをすぐに察知したマスターは、彼を「ザ・コーズ」のファミリーに迎え入れる。
だが、フレディとマスターの関係が深まるにつれ、「ザ・コーズ」の内部に亀裂が生じ、フレディとマスターと彼の妻ペギー(エイミー・アダムス)の関係も変化していく。
50年代の米国に誕生した数多くの実在するカルトと同じく、「ザ・コーズ」は冷戦時代の産物であり、その意味では、マスターは戦争が生んだ怪物である。
だが、マスターは絶対的君主的存在でありながら、弱さを抱えた人間として描かれている。
そもそもマスターがフレディを「ザ・コーズ」に迎え入れたのは、フレディのお手製のアルコール飲料を気に入ったからでもあった。
つまりマスターとフレディはそれぞれ大きな心の闇を抱えていて、だからこそ彼らはマスターの妻にさえ理解しがたい愛憎劇を繰り返していく。
『ザ・マスター』は、「カルト」という特異な「家族」を描いた物語である。
そして「戦争」の映画でもある。「戦争映画」ではない。「戦争」の傷痕を描いた映画だ。
2人の主演俳優の鬼気迫る演技、65mmフィルムで撮影された鮮明で格調高い映像、『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』より多彩なジョニー・グリーンウッドの音楽など、特筆すべき点は多々ある。
とりわけ個人的に鳥肌が立ったのは、マスターが再会したフレディと向かい合い、ある曲を口ずさむ終盤のシーンだ。
その曲は、二人だけの世界を船長と船荷になぞらえて描いたスタンダードの《オン・ア・スロー・ボート・トゥ・チャイナ》。
このシーンが深い余韻を残す。
映画『ザ・マスター』
監督・脚本:ポール・トーマス・アンダーソン
音楽:ジョニー・グリーンウッド
出演:ホアキン・フェニックス/フィリップ・シーモア・ホフマン/エイミー・アダムス
配給:ファントム・フィルム(アメリカ 2012年)
◎3/22(金)TOHOシネマズ シャンテ、新宿バルト9ほか全国ロードショー
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自分は医療に携わっている。その発端は人間に興味・関心があるから。
表面だけ見ていると、ヒトという種族は同じように見えるけれど、その内奥を探ると、全員が全員、まったく違う。
奥の層に行けば行くほど、人は果てしなく違う層が重なり合って複雑体として有機的にできている。
人間の精神や心理にも興味がある。
病気の人を入り口としたけれど、だからこそ正常や普通の人に興味があるし、とんでもなく変わった人にも興味がある。
宗教や信仰が導く人間の状態に興味があり、催眠や変性意識状態(トランス)や夢や仮死、そんな状態の人間にも興味がある。
変性意識状態で、人間は潜在的な能力の封印を解除する。
そのパンドラの箱の妖艶なエネルギーバランスは、善に行けば自分を救うし、究極的には世界をも救いうる。
ただ、悪に行けば自分を簡単に滅ぼし得るし、世界をも滅ぼしうる。
強大なエネルギーは、振り子のようなもの。天気図の気象状況を空から見下ろすようなもの。
だから、基本的には蓋がされている。ほんとはその蓋は開かない方がいい。開けない方がいい。
安易な能力開発と称してパンドラの箱を開けてしまうと、受ける器ができていないときには大変なことになる。
ただ、時に『病』と称した状態を通過しながらパンドラの箱が空いてしまうこともある。それは神がかりになる。カミと近い存在や状態になる人がいる。それは見れば分かる。
そして、それはイイとかワルイではなく、そういう宿命を背負ったということだ。
■
とにかく人間に関心がある。だから、真面目な本、学術的な本にも関心があるし、怪しい本やとんでもない本にも関心がある。
それぞれに、それぞれの真理がある。
人間の可能性の振り子のような振幅や軌道にこそ興味があるし面白い。
そんな軌道をトレースしている。
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この前も色んな世界の色んな人たちと会った。色んな人が色んな世界で生きている。狭い世界だけでは分からない。世界は広い。その事実を知るだけで、すでに面白い。
人は、どんな領域でも「自分だけしか知らない秘伝」を求めやすい。
私だけ知っている秘術、秘儀、秘密、秘伝、・・・秘というものの魅惑的な抗いがたい力。
「わたしは選ばれた」という感覚に、人間は溺れやすいようだ。
狭い意味での恋も、そういうものかもしれない。私があなたを選び、あなたが私を選ぶ。
ただ、愛はもっと広い。森羅万象を包むものだ。恋は個人的だけれど、愛は宇宙的なのだと思う。
人間は、すべて選ばれている。
この世に生まれてきた時点で、全員が選ばれている。
だから、それで十分じゃないか、と思う。
その原点に戻るだけ。
生まれた、ということは、何らかのゲート(門)をくぐったということ。
そもそも、自分がこの世に存在しなかったことを思う、というのは非常に困難な問いだ。
理性や知性への挑戦に近い。全人類が抱える問い。
ただ、父や母から生まれていない時に自分がどういう存在だったかを考えてみることは、想像力をかきたてられることだとも、思う。
その問いのゲート(門)をくぐると、きっと何かが変わる。
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夏目漱石「門」
『老師というのは五十格好に見えた。あかぐろい光沢のある顔をしていた。
その皮膚も筋肉もことごとくひきしまって、どこにも怠りのないところが、銅像のもたらす印象を宗助の胸に彫りつけた。
ただ、唇があまり厚過ぎるので、そこに幾分の弛みが見えた。
その代り彼の眼には、普通の人間にとうてい見るべからざる一種の精彩がひらめいた。
宗助が始めてその視線に接した時は、暗中に卒然として白刃を見る思いがあった。
「まあ何から入っても同じであるが」と老師は宗助に向って云った。
「父母未生(ふぼみしょう)以前本来の面目(めんもく)は何なんだか、それを一つ考えて見たらよかろう」』
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萩尾望都さまの「11人いる!」に感涙、『SFは私に最良の感動を与えてくれます』とのモトさまのお言葉に、あっさりSFファンになったのが中学2年生。さらに、キューブリック、タルコフスキー、スピルバーグ(「未知との遭遇」が最高!)などの映画にトドメをさされ、スターウォーズは言うまでもなく、スタートレックTVシリーズDVDのコンプリートも間近という状態の私。谷岡さんの「SFはこれを読め!」は知りませんでしたが、「どれどれ、(全然モテなくて暇だったから)SFとマンガに青春を賭けていた私にリストを見せてごらん!」くらいの気持ちで見てみたら・・・知らない本ばっかりで、あわわわわ!何事も、奥が深いですね~!
アシモフ、アーサー・C・クラーク、ハインライン、カレル・チャペック(イラストがカワイイ)がいたのは嬉しかったけど、レイ・ブラッドベリは?筒井康隆や平井和正は邪道なのかな?科学に宗教がからんだ作品に惹かれるので、(・・・だから余計にプロメテウスには~(以下自粛)!・・・あ、プロメテウス、『歴代最もガッカリした映画トップ50』っていうアメリカのランキングで23位らしいですよ!1位は『インディ・ジョーンズ4』だって。やっぱりっ!)カート・ヴォネガットの「猫のゆりかご」も好きでした。でも今読んだら、あのシニカルさが鼻につくかも。今、すごーく読み返したいのは、クラークの「幼年期の終わり」です。以前よりも、リアリティを感じるような気がする。
まだ読んでない本もいっぱいあるけど、昔の本も読み返したいし、この時間の足りなさってどうにかならないでしょうか。やっぱり、光速を越えて飛ぶ宇宙船に乗るしかない?
「ザ・マスター」面白そうですね。フィリップ・シーモア・ホフマンが出ているだけで、もう気になります。脇役で出ていた頃から、あの一種不快な存在感は強烈でした。
一条真也さんのブログも素晴らしいですね。私も愛読させていただいていますが、その中にあった、『キネマの神様』からの一節、
「どうやら君たち日本人は、我々アメリカ人の心の奥に柔らかく生えているもっとも敏感で繊細な『父性への憧れ』という綿毛を逆撫でするのが趣味らしい」
という表現、面白い。確かに!アメリカ映画や文学には「父性への憧れという綿毛」があるわ~。日本はもうちょっと母性よりのような気がします。
(スェーデンボルグのアドバイス、ありがとうございました!大変参考になりました。どうして良質の本ほど早々に絶版になっちゃうんでしょうか。悲しい。)
やはりSF好きなんですね。SF=Science Fictionという風に言えば、みんな安心しますよね。これは嘘の作り物の話なんだーと言って。でも、この現実のほうがよっぽどSFですよね。何が現実か、フィクションか・・・なんて、そう単純なものではない気がします。
アーサークラークなんかも、それこそSFの世界観が現実を予言して先行していたわけで、現実はSFが提示した未来像に続いているともいえるわけで。
萩尾望都さんも、さいきん「なのはな」「バルバラ異界」を買いましたが、論文執筆中のためまだ遠慮して読んでません。バルバラ異界は日本SF大賞もとった作品のようで、楽しみです。「11人いる!」も面白いですよねー。自分は「百億の昼と千億の夜」があまりにぶっ飛びすぎてて好きです。キリストの扱いが悪いので、クリスチャンの人には激怒されそうなすごい話ですが。
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「百億の昼と千億の夜」
ギリシアの哲人プラトン、釈迦国の王子悉達多、ナザレの救世主イエス。彼らは世界の破滅を感知し、この世界を外から支配する超越者の存在を知る。幾千億の宇宙と人類の存亡をかけ、紀元前の過去から未来までの時空間の中で、彼らは巨大な力に戦いを挑んでいくが…宇宙の創世と終焉、神と人間、時の流れの非情さをテーマに、壮大なスケールで描く日本SF小説の金字塔。
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スタートレック!これは果てしないですよね。TVシリーズDVDのコンプリートも間近なんですか!自分もDVDをそろえるかどうか常に迷いつつ、なんとなくDVDを借りてみています。ですので、どれを見てどれを見ていないか、はっきり言ってよくわかりません。笑 そういうのもあり、いづれコンプリートして全部一から見まくりたいところです。天才物理学者のミチオ・カクさんも、スタートレック大好きなんですよね。著作によく出てきます。
プロメテウスは『歴代最もガッカリした映画トップ50』で23位なのですね。自分も最後にひっくり返りそうになりました。あまりのつまらなさに!笑 壮大なギャグのような気さえしたものです。
この時間の足りなさはどうにかならないんですかね、もは同感です!賛成!
自分も河合隼雄先生や村上春樹さんの小説、手塚治虫や藤子不二雄の漫画・・・、無性に読み返したくなってしょうがないんですが、いかんせん夢想、空想だけで終わってしまいます。特に中高生のとき読んだ漫画は読み直したいなー。
「ザ・マスター」、面白そうですね。映画館で見るかDVDで見るか迷います。 一条さんも何度か寝てしまった、と書いてありましたし、意図的に催眠効果を促すような映像表現が織り込まれているのかもしれません。その間に存在意識に何か秘密の情報がダウンロードされるようになっていたら怖いですが。
一条真也さんのブログは神業ですね。あの実務の仕事をこなしながら、あれだけ大量の読書をしつつ、重厚で大量な文章を書き続けるお姿は、ほとんど人間業ではありません。この世にはいくらでもすごい方がいるものです。
スウェーデンボルグも、怪しげな出版社から出ていたりするので怪しがられてしまうだけで、内容的には岩波書店とかみすず書房とかから出してもいいくらい、ものすごい知性の塊の方だと思うんですけどね。体外離脱をしてあの世の現地報告をしたりしてるから、そこでオカルト扱いになっちゃうんですかねぇ。 それが残念。オカルトもなんでも、単に原理がわかっていないからそういう扱いになるだけで、本来は人類の知性がそこまで追いついていない、というだけの問題だと思うんですけどね。また感想聞かせてください。
講談社学術文庫から、
●カント「視霊者の夢」 (講談社学術文庫) [文庫]
イマヌエル・カント (著), 金森 誠也 (翻訳)
という新刊が出てますねー。
この本はスウェーデンボルグと同時代に生きたカントが、スウェーデンボルグのような超常現象を哲学的に考察し、このことがきっかけで人間の理性の限界を考える「純粋理性批判」という哲学史に残る著書(まだ読んだことありませんが。。)を書いたとされています。
===============
<内容紹介>
理性によって認識できないものは、形而上学の対象になりうるか――。
哲学者カントが、同時代の神秘思想家スヴェーデンボリの「視霊現象」を徹底的に検証。
当時高い世評を得ていた霊能者へのシニカルかつ鋭利な批判を通して、人間の「霊魂」に対する哲学者としての見解を示す。
『純粋理性批判』に至るステップとなった、重要著作。
三浦雅士氏による巻末解説「批評家の夢」を掲載。
<著者について>
イマヌエル・カント
1724-1804。ドイツの哲学者。
ケーニヒスベルク大学教授を務め、ドイツ観念論哲学の基礎を築いた。
著書に『純粋理性批判』『実践理性批判』『永遠平和のために』など。
金森 誠也
1927年,東京生まれ。東京大学文学部卒。
広島大学,静岡大学,日本大学等の教授を歴任。
1993年に日本独学史学会賞,2007年に国際文化表現学会賞受賞。
訳書にゾンバルト『恋愛と贅沢と資本主義』『戦争と資本主義』,
ショーペンハウアー『孤独と人生』,モール『ドイツ貴族の明治宮廷記』
ほか多数。
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金森誠也さんは、
● 「霊界」の研究 (PHP文庫)
と言う本も書かれています。学者さんなのにこういうのを書くのは、やはぎ先生同様に勇気あります。
これもなかなか面白かったですー。
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<内容紹介>
死んだらどうなるのか?
――この人類最大のミステリーを解き明かすべく、古今東西の多くの哲学者・文学者たちが叡知のかぎりを尽くしてきた。
本書では、プラトン、アリストテレス、カント、スヴェーデンボリなど、
歴史に残る偉大な思想家たちの「死後」をめぐる思索を解説しながら、「霊界」についての考え方を掘り下げる。
たとえば、大哲学者プラトンは霊魂の不滅を信じ、仏教の「極楽」と酷似した霊界の有り様を著作に書き残した。
また、視霊者スヴェーデンボリは、実際に霊の世界と交信できると主張し、ヨーロッパ中の話題を集めた。
それに対して、カントはスヴェーデンボリの主張に真っ向から異を唱え、現実の世界を生き抜くことを強く主張した。
他にも、シェイクスピア、フロイトなどによる多くの議論を取り上げながら、
知の巨人たちが「霊界」の真相究明に挑んだ軌跡をユニークな視座から読み解いている。
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読みたい本が多くて、時間がいくらあっても足りんわー。笑