観測にまつわる問題

政治ブログです。「保険」「相続」「国民年金」「AIロボット」「運輸エンタメ長時間労働」「GX」を考察予定。

市場も認める日本の財政危機

2011-09-18 14:48:00 | 政策関連メモ
日本の財政危機を踏まえず、意見を言う人がいる(増税反対・歳出削減に真剣でない方々のことである)のだが、よく使われる論法が「市場は日本を大丈夫と見ている」である。

これは(欧米の危機で)日本円が買われることや金利の低さを指して言われることが多いのだが、どうも市場も日本の財政危機を深刻に見つつある証拠が出てきているらしい。

週刊新潮(9月22日号)田代秀敏氏によると(46p)、今年7月4日~7日に「超長期国債」の取引がマーケットで成立しない異常事態が生じたらしい。このニュースは日本ではほとんど報じられなかったが、ダウ・ジョーンズも「ミゼラブル(悲惨)」と報じたとのこと。日本でこのような重要なニュースがほとんど報じられなかったのは残念だが、これはそのまま何故財政危機なのかの説明になっているのではないか。改革の方向性としては、日本に不都合なニュースでも必要な情報は出して論じるべきということになるだろう(自分はこういう情報を知らずに、当時原発問題や菅批判をやっていた。知っていたら、別の結論を出していたとは思わないが)。

また、同じく週刊新潮(9月22日号)(46p)財務省担当記者によると、メガバンク各行は、しばらく前から長期国債の保有を減らし、1年以下の短期国債に切り替え始めたらしい。

既に金融業界では期日まで語られているらしい。日本国債は95%が国内で消化されているが、1476兆円と言われる国民の金融資産の内、住宅ローンなどの借金を差引くと1080兆円、国の債務は2011年3月末時点で924兆円。1080兆円がレッドゾーンで本年度の国債発行額が44兆円だから、3年7ヶ月後には臨界点が訪れることになり、今は半年たっているから、3年1ヵ月後・1120日後が期限だと。それで直ぐデフォルトになるわけでないとのことだが、危機が見え易くなればなるほど、資本逃避は起こり易くなるから、そうなる前に対処しなければならないことは言うまでもない。

今回の新潮の特集には、富裕層の個人資産の海外逃避の動きも現実に起きた韓国の危機(1997年1月)の事例も載っており興味深い。

というわけで、少子高齢化(稼ぎ手が少なくなり社会保障の対象が増える)の進行の現実を直視するなら、「まだ大丈夫」という言説は明らかに間違っていると言えると思う(やはり危機を前提にものを考えなければならない)。日本は東日本大震災で手痛いダメージを負ったし、太平洋岸など今回の地震を踏まえた対策も怠れないものがある。下手な手を打つ余裕がないと認識するなら、ありもしない脅威に怯えて全ての原発を止める運動に付き合って、莫大な燃料代を垂れ流している場合じゃないと分ると思う。復興は極めて重要だが、いい加減なプランで金をバラ撒く余裕もない。

それでも脱原発なのか

2011-09-18 14:01:09 | 日記
原発の早期再稼動を求める。

福島第一は旧式で電源対策が甘かった。これまで安全に運転してきて電源対策がされている原発を止めるのは明らかにやりすぎである。東日本大震災でも女川や福島第二は事故を起こしてない。心配は分るが、どう見ても杞憂の部類だろう。これまで見てきたように放射能の影響も過大評価されており、在りもしない脅威を訴える嘘つきの言う事を聞いて脱原発に走るべきではない。必要なのは冷静に現実・事実を認め、ジタバタしないことなのである。

日本は深刻な財政危機に晒され、景気も長期低迷しており、更には震災・円高ともうどうしようもないところまで来ている。安全に心配がない原発を遊ばせておく道理はない。こうしている間にも莫大な燃料費がかかっている。脱原発派は経済の危機に関して真剣みが足りないのではないか。冬の電力も厳しいらしいが、もしも止まったら、東北などでは人が死んだり、健康に深刻な影響がでかねない。ほとんどありもしない放射能の脅威に怯え、目前の電力危機を無視するような姿勢は、明らかにバランスを欠いている。老朽化した火力発電の再稼動・酷使の危険性も考えるべきだ。

政府は素早く安全基準を策定し、安全度が比較的堅牢でまず間違いがないことを確信できる原発は再稼動させていくべきだと考える。安全であるにしろ、余裕が足りない原発(旧式であるとか)があるのであれば、後回しでいい(対策が整ってから再稼動、あるいは止むを得ず廃炉にする)。

中長期的なエネルギー計画の見直しはその後でいいと思う。物事には優先順位というものがあるのだから。

テレビで「それでも原発なのか」などとの煽りを目にして、結論ありきで人の話を聞かないのはおまえらだろうと思った次第。これまでの主張を踏まえ、簡単に意見を纏めてみたということである。