観測にまつわる問題

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災害対応の実働部隊考

2018-12-31 22:02:17 | 治安・警察・海事
レッドサラマンダー(パブリックドメイン)

災害の実働部隊を以前何処かで(ツイッターか)書いたと思うのですが、改めて記事にしておきます。

FEMA(アメリカ合衆国連邦緊急事態管理庁)のような省庁をという議論が筆者の知る範囲では石破さんがしたのですが、筆者に言わせれば、何でも屋の実働部隊を新たに創設する必要は無く、既存の組織を使うべきということになります。その中で大きな役割を果たすのが消防庁です。

火事が消防庁というのは分かりやすいのですが、水害はどうでしょうか?現在は水防団が担っています。それであるいは問題ないのかもしれません。しかしよくよく考えてみると、水防が必要な事態において火事というのはそれほどは起こりそうにないというか、起こるとしても水害を目の前にして火事が起こるまで待機するのか?ということになります。

東京消防庁<防災館・博物館><本所防災館><施設案内> - 東京都を見ると、どうも東京では消防庁が火事だけでなく、地震・水害も想定しているらしいことが分かります。地震なんかは火事が起こるイメージもあって、火事が起きていれば火事に対処すべきでしょうが、火事が起きていないのに待機するというのも違うような気はします。いずれも滅多に起きない非常時ですので、それぞれ個別に部隊を組織するのは無駄とも言えます。最大限の機能がベストに思えるかもしれませんが、コストを天井なしにかけられる訳ではありません。

ですから、消防庁がFEMAに類似した機能を担って防災のプロになってくれれば話が早いように筆者には思えます。

まぁダム操作なんかは一義的には国土交通省の領域かもしれませんが、普段から連携をとって、非常時には消防庁が指揮するのようなことも考えられるかもしれません。ダムは水瓶でもあるんですが、やはり被害を考えると防災第一の操作は考えられると思います。また、国土交通省が操作するにしても、連絡はシッカリとれていないと、放流もありますし、非常時の対応はできないということにもなります。

大規模災害になればなるほど行政の職員の対応も必要かもしれません。ですから、ダム操作等と同じく平時から消防庁と連絡をとり何をするかを決めておくということは有り得ると思います。ただ、基本的な考え方としては、非常時の素人の行政があまり全面に出る話ではないように思います。土嚢を積むといった作業やガレキを除去するというような作業の訓練を普段から行政がやるのに限界があると考えられます。住民への呼びかけ等が仕事でしょうが、想定や訓練を普段からしている部隊が総合的に見て指示を出すのがスムーズなはずです。形の上でというか総合的なリーダーは首長や大きな災害だと総理になるんでしょうが、実働に関しては普段からの想定と訓練が必要と思われ、実際の非常時にはそのままプロに活躍してもらうという考え方です。

ただ、大地震や津波・堤防決壊・土砂崩れのようなマンパワー・マシーンパワーが必要な大きな事態においては自衛隊が出動(サポート)を(首長や総理が)要請するべきとも思います。災害と激甚災害の区別は他県の応援が必要な広域的事態で判断できるかもしれませんが(境界線上の小規模な事態は?のような問いは有り得るかもしれませんが)、ここでは詳しく考察しません。陸上自衛隊は施設課(工兵)を持ちブルドーザー・ショベルカーなんかも保持しています。これは一義的には戦時に塹壕を掘ったりするため(装甲つきだったりするようです)だったりするのでしょうが、ともあれ自衛隊は有事に備えて土木もできますから、非常活躍できるのに戦争に過剰に備えて待機するのはどうなの?と考えられます。仮に災害に乗じて戦争を企む不心得な悪徳国家が存在するとしても、日本は島国ですから、然るべき地域の空自や海自が十分待機しており、時間稼ぎできれば、直ぐに有事対応に戻ることは出来ます。まぁその然るべき地域の空自や海自が災害でダメージを受けることは想定しておくべきかもしれませんが。

大雪なんかは除雪車が国道などの工事事務所やネクスコに所属しており、道路の問題ですから、国土交通省の領域になるんでしょう。ただ、対応しきれないような(非常事態と言える)大雪は発生するようで、その時は地元の消防庁や自衛隊のアシストがあってもいいのかもしれません。大雪で道路が使えないなら、消防業務も何もありません。万一家が潰れたら、マンパワーやマシーンパワーが必要になるでしょう。

どうもこうしたことは当然に筋であると言えるのか、東日本大震災記録集(総務省消防庁)や南海トラフ地震における緊急消防援助隊アクションプラン(総務省消防庁)もあって、防災が消防の役割ということにはなっているようですが、消防庁の中の防災課といった感じで、消防>防災が現状のように思えます。最近の災害で消防が指揮・活躍した印象がなく、縁の下の力持ちに止まっている気がしますが、筆者としては訓練されたプロにより活躍してほしい訳です。FEMAにおいては消防極が下部組織です。そしてそれが寧ろ筋に思えるんですよね。

防災の一部としての消防が意識されるようになった時、地域の災害や激甚災害において「消防庁」はより活躍できるのかもしれません。その場で選挙で選ばれた首長等にはりきられてもチョット・・・。訓練されたプロに防災の実際は任せて、その他の業務や救援要請をするのが災害本部のトップのあるべき役割なのかもしれません。

ただ、救急車は待機せねばならないかもしれず、そこはまぁ・・・ここでは詳しく考察しないものとします。下部組織にでもすればいいのかな。

見出し画像のレッドサラマンダーですが、津波や地震といった災害時に、一般の消防車両が進入困難な場所での救助活動などに従事する消防車両らしいですが、全国にたった一台。岡崎市消防本部所属ですが、まぁ消防庁は消防庁であって、災害対応庁ではないんだなとつくづく思います。しかしながら、統合すべき実働部隊が他にあるような気もしません。国土交通省は防災に大きく関わりますが、防災だけじゃないですし、砂防等の防災系を災害庁に持っていくとしても建設じゃんと見ることも出来ます。非常時の部隊ではないというか。

緊急事態条項試案(2018年12月31日)

2018-12-31 16:12:00 | 憲法・法務・司法・立法
米海兵隊との実動訓練(フォレストライト01)(陸上自衛隊第4師団)(陸上自衛隊facebook 12月17日)

自民党の憲法改正案で国家緊急権は災害対応に関連する改正でこれまでも検討してきましたが、思うところあって(西修教授のほとんどの憲法では国家緊急権があるという指摘を踏まえ)、これまでの考察を見直した後、一度全て取っ払って一から考察したいと思います。

国家緊急権(ウィキペディア 2018/12/31)

>戦争や災害など国家の平和と独立を脅かす緊急事態に際して、政府が平常の統治秩序では対応できないと判断した際に、憲法秩序を一時停止し、一部の機関に大幅な権限を与えたり、人権保護規定を停止するなどの非常措置をとることによって秩序の回復を図る権限のことをいい、当該権限の根拠となる法令の規定を緊急事態条項という。

要は憲法秩序を停止するための憲法に埋め込まれた根拠規定が緊急事態条項なのでしょう。それが必要になる事態とは「戦争や災害など国家の平和と独立を脅かす緊急事態」です。自民党案では災害に関連して議論されてきた訳ですが、1000年に一度の東日本大震災を例にとって、こうだからこうという議論が盛り上がらなかったような気がしており、憲法改正案の中ではかなり厳しい部類のような現状ではしています。時期が(憲法に任期が規定されている)選挙にかぶったらどうするのかという議論はもっともだったと思いますが、ややインパクトに欠ける感じだったと思います。多分、南海トラフ地震も東日本大震災に近い感じになるはずで、首都直下地震だけ憲法秩序が足枷になるかもしれないと考察したのが前回の記事になります。

防災でフルスペックの人権を認められないケースはあります。分かりやすい極論で江戸時代ですが、火事の延焼を防ぐために関係ない人の家をブッ壊すのような。現代において例えば、がれきを片付け交通を回復しようとした時、所有権を主張する○チ○イがいたらどうするのかという問題が無いとも言えません。ただ、この場合も冷静に考えると、ガレキを片付ける時に、例えば貴金属のようなものを一緒に捨ててしまったらどうする?みたいな問いをたてることも出来ます。所有者にしてみれば、絶対に家にあったはずで、幾ら探してもないということは、片付けた時だとなるでしょう。ガレキを片付けることに因縁をつけられることをあまり心配する必要はないかもしれませんが、あらゆる事態を想定してみれば、何処まで憲法秩序を停止していいかという問題は残るのでしょう。いずれにせよ、防災は憲法秩序の下でずっと行われてきており、東日本大震災で具体例を元に必要性を示せないなら、緊急事態条項の創設の意図を勘ぐられて仕方がないところはあるだろうと思います。選挙の延長の必要性があるとしても、緊急事態条項を創設してしまえば、他の法令の根拠になりますから、創設の時に効果が大きい理由を示さないと改正自体危ない気がしてなりません。

東日本大震災と緊急事態条項に関連してひとつ押さえておくべきことがあって、それは原子力災害に関してです。原子力災害対策特別措置法(e-Gov)(1999年制定施行)が現在あるようですが、それでいいのか、現行憲法秩序で問題なかったのかという問いは有り得るでしょう。結論から言えば憲法的観点からは問題なさそうです。原子力災害対策特別措置法において原子力災害時に既に原子力事業者の上に総理大臣が立っているからです。工場における事故は第一に現場をよく知り圧倒的に近場にいる責任者や労働者が対処すべきと思いますが、それと同じく本来的には原子力災害は原子力事業者が対処せねばならないはずで、素人の総理大臣が出る幕はないように思えます。消防庁や自衛隊のような組織もサポートに止まるはずです(あまりに危険な仕事を事前に想定する可能性は考えましたが、やはり事故の拡大を防ぐには現場の人間が対処せねばなりません)。本当は(イラ)菅のような人の指示に従うべきのような法律が問題視されて良かったと思いますが、悪者になったのは東電で実際的な議論はなかったように思います。勿論、東電の人がヤバイから現行憲法下の罰を受けてもいいから、トンズラするわのような議論は許されることではなく、現行憲法下、あるいは緊急事態下で東電の人が対処するように法を定める必要はあると思いますが、それは総理が一々指揮指示するを意味しないと思います。具体的には、名目上事業者を指揮下において、三条「原子力事業者の責務」違反の罰を重くすることは考えられると思います。とにかく、事故はスピード第一で現場で対応し、行政は監視監督(監督というと野球を思い浮かべ指示をイメージするかもしれませんが、督戦(「督戦隊」ウィキペディア 2018/12/31)というのは逃げ出さないように見張って武力で逃げ出したものを処分することを意味し、監督の督は督戦の督だと筆者はここで定義しておきます)すると共に(指示指揮は必要ないというか基本的にはすべきでありません)、消防庁や自衛隊を援護に向わせるという形になるんじゃないかと思います(勿論予め何を援護するかは想定しておくべきです)。

以上ですが、ここまで(寧ろやり過ぎに思えるぐらい)現行憲法で出来るとなると、新たに緊急事態条項を創設して何をするの?と言われてしまうことになるんだろうと思います。ただ、緊急事態条項は通常の憲法において当然あるべきものですから、提起することに大きな意味があるとは筆者は思っています。

結局、「公共の福祉」万能論みたいな感じで、柔軟にやり過ぎて良く分からなくなっているような気がしないでもありません。そういう部分も議論できたら面白いのかもしれませんが、それはさておき、現状で権利(人権)が(当然に)(場合によっては)制限できることは確認できてしまいました。だとするならば、緊急事態条項の扱いは微妙なものになります。憲法の文言上有り得なそうな私学助成ですら罷り通るのですから(筆者は今回改正するべきだろうと思っています)、有り得ることは何をかいわんや。

ここで本来の緊急事態条項を考えてみましょう。ウィキペディアの記述を眺めてみると、どうも戦争や内乱・クーデターといった非常事態に対応して緊急事態条項があるような気がします。前提として戦争とは本質的に味方の人権も制限するものだと筆者は思っています。例えば本土決戦でここに塹壕を掘ると決めた時に、おらが土地に~などと言われても困ってしまう訳です。物資も徴発して軍票という形に成らざるを得ません。そうせずに人権を守っていると、戦争に負けてしまって、敵軍にそれどころではない人権侵害されてしまう訳です。また、自衛隊が敵軍を撃って、警察に殺人罪と言われては適いません。ですから、そうした軍事的な非常時に憲法秩序を停止するというのは有り得る発想です。これは憲法秩序が危ない(決定的に損なわれると想定される)時に一時的に憲法秩序を停止するものと表現することが出来るように思います。戦争に負けて日本国が無くなれば、日本国憲法も何もありませんし、選挙に拠らず、内乱・クーデターで政権が変わった時も同様と言えます。こうした事態を起こす連中はそもそも日本国憲法の秩序を尊重していない訳ですから、それなりの対処も必要になると言えます。まぁ外国に支配される戦争より、内乱・クーデターの方がマシと言えなくもありませんが、現行秩序から見れば、似たようなものと言えば似たようなものと言えます。

日本は英米法(慣習法)の国ではありませんから、大陸法における緊急事態条項を以下見ていきます。これはどちらがどうとかいう問題ではなく、実際的な議論をする必要性から来るものだと思ってください。

歴史を見ると、ナチスが緊急事態条項を乱発したのようなことが起こったようです。その反省の元に現行の国家緊急権があるとも。具体的には(ボン基本法において)職業の自由等(12a条)、移転の自由や住居の不可侵(17a条2項)、通信の秘密(10条2項)、移動の自由(11条2項)などを規定しているようですが、緊急事態における人権の制限に対する歯止めについて規定もあって、労働条件及び経済条件の維持、向上のための労働争議に対して、軍の投入などの措置をとることができないこととなっており(9条3項)、併せて憲法的秩序の除去に対する抵抗権を明文で規定している(20条4項)ようです。

確かに徴兵・徴用を考えると、職業選択の自由はありません。住居に入るなと兵士に言われても困るでしょう。スパイがいるかもしれませんから、怪しいと思ったら心証で通信を覗きみします。勝手に移動されても困りますし、また避難しろと指示して居座られても困ります。自衛隊は存在しており、こうしたことは現行憲法下で出来るのかもしれませんが、明快に議論しておいた方がどう考えても安心だと筆者は思います。戦争準備ガーと言われるかもしれませんが、戦争する準備がないから、「敵国」に冒険されてしまうとも言えます。明快に議論しておけば、緊急事態下においてもこれはやるなということまで事前に決めておける訳です。

戦争はそういう訳ですが、今回特に考察してみたいのは内乱・クーデター等に関してです。要は国内における憲法秩序の破壊についてですね。

事前に言っておきますが、立憲主義を盾にとって違憲を叫ぶのような立憲民主党的立場こそ危険極まりないというのが筆者の考えです。実際のところ安倍政権は憲法秩序に従い、やりたくもない合区を実施しており、自民党は憲法改正を提起することになりました。心証で憲法秩序が破壊されたと叫ぶことから、憲法秩序が破壊されていくような気すらしています。そういう大きな話は明快でなくてはなりません。

内乱やクーデターの防止を考える時、事後の対処は有り得ないというのが前提です。例えば、内乱やクーデターが成功しても認めないのような規定は、制圧されてしまえば全く意味がありません。つまり、内乱やクーデターは防止するより他ありませんが、防止するために憲法秩序を停止する必要があるのかという議論になります。怪しい団体や個人は平時において監視されるべきで、またそうでなくては内乱・クーデター等防げない訳です。ですから、緊急事態条項で対処すべきは実際の武力攻撃事態に対する対処ということになります。平時の監視は通信の秘密を侵すにしても裁判所を通してのように歯止めをかける流れになります。だとすれば、戦争に準じる規定で大体良いのではないかと考えられ、大は小を兼ねそうです(一端制圧されてしまったら、何を規定しても無意味と既に指摘しました)。逆に言えば、戦争の規定が無ければ、内乱にも対処できないということになりますし、内乱に対処できるなら、戦争にも対処できそうだということになります(外国との戦争は敵国の扱いを考えねばなりませんが)。この違いは敵が外国か国内かに過ぎません。クーデターだって例えば野党諸君が壇上に上がって乗っ取ったと叫んでもお笑い種。警察の皆さんに排除されるだけで、軍隊やそれに準じる組織が動かなければ成功するものではありません。

憲法と内乱・クーデターの防止を考えるなら、緊急事態条項と共にシビリアンコントロール(文民統制)を考えた方が良いはずで、今回の自民党の憲法改正案の目玉は9条改正だと筆者は思っています。シビリアンコントロールと言っても、戦略戦術を事細かに政治家が指示を出しても寧ろ戦争に負けるだけと筆者は思っています。大体が専門的なことはプロがやらねばなりません。ただ、上に立つ国民から選ばれた政治の側にしてみれば、軍が裏切ってはならないし、それを防ぐための措置はとるということになります。面倒だから軍が指揮した方が早いと思うかもしれませんが、政治が統括するのは軍事だけでは勿論ありません。政治家は全てのプロではありませんが、誰かが全ての責任者になる必要があります。まぁ文民統制条項の実効性云々の議論は聞いたことなく(寧ろ共産党政権の軍隊が党の軍隊で政治将校(ウィキペディア 2018/12/31)がいるということになります)、恐らく信頼関係のようなものでやっているのでしょう(ここで原子力災害を再び考えましたが、それこそ正に起こってはならない緊急事態ですから、一応そのままにしておきます。軍事は非常時に平時から備える組織であり、原子力発電所は発電が本業ですから、性質が大きく異なるんだろうと思います)。独裁政権は裏切りに徹底的に備えねばなりませんが、民主国家は合法的な政権交代が有り得るので、裏切りに備える必要が少ないと言えます。実際に戦後日本で非合法な政権交代が実現しそうになったことはなく、合法的な政権交代が民主党政権において実現しました。ですから、内乱やクーデターが起こる可能性が独裁国家に比して少ないと言え、具体的な措置があまりとられていないのだろうと思います。

ここで考えるべきは民主国家においてもクーデターが起こる国と起こらない国があるということです。個別の事情に深く立ち入らない方が良さそうですが、日本と比較されることが多いドイツの事例だけ考察しておくことにします。

まず日本ですが、有名な統帥権(ウィキペディア 2018/12/31)干犯問題があります。大日本帝国憲法下では陸軍や海軍への統帥の権能は天皇にあったのですが、実際のところは天皇陛下が政治の実際を指揮していたということは無いと考えられます(仮にそうであれば、戦争で負けた時に皇室は断絶していたでしょう)。日本の歴史において天皇陛下が親政していた時期は短期間に止まっています。憲法の文言上は天皇の権限が大きかったようですが、慣習法的に政治の実際は首相にあったと考えられます。曖昧だった規定をつき統帥権干犯問題が発生し、1930年に表面化した後、またたくまに満州事変(1931年~)が発生し、国際連盟において総スカンをこらい脱退し、ドイツが続いて、大きな構図が決まり、ほぼ運命が決定したようにも思えます。満州事変は関東軍の独走でしたが、時の政府は全く制御できませんでした。統帥権干犯問題に関連して時の総理(浜口雄幸総理)は狙撃され総辞職しており、満州事変を制御できなかったのも、その辺の問題と関係がありそうです。

つまり大日本帝国憲法の規定が曖昧であり欠陥があったことが日本の失敗に繋がったとも言えるのではないでしょうか?仮に主権が国民にあると規定され、文民統制が規定されていれば、統帥権干犯問題なる問題は起こる余地はほぼ無かったのかもしれません。

では何故曖昧だったかと言えば、実際のところ明治維新の時点で完全なる民主主義をやる訳にはいかなかったと考えられます。江戸時代は武士の世で、明治政府の樹立も地方武士の反乱が成功しただけの話で、四民平等は明治維新において規定され、普通選挙は段階的に実施されました。そもそも明治維新は外来の脅威に臨んで発生しており(攘夷がスローガンでした)、西洋に対抗して西洋を模すにしても、引き続き武士が主導権を握る必要があって、要するに元老(ウィキペディア 2018/12/31)(薩長土肥)支配だったと考えられます。元老は憲法の規定外の存在だったようですが、天皇を輔弼することで重要国事に関与したようです。最初はそれで良かったというか、良くなかったのかもしれませんが、それしかなかったんだろうと思います。元老は明治政府の樹立に功があったことでやはり権威があったようです。つまり時が経るに従い(少なくとも力ある)元老の数は減っていったようです。最後の元老が西園寺公望(ウィキペディア 2018/12/31)ですが、原敬が1921年に暗殺され、1922年に病気療養中の山縣有朋が没する流れの中で、元老一人体制になっていったようです。西園寺は戊辰戦争に参加した元勲ですが、名前から分かる通り公家出身でどうも力が足りなかったようなフシが感じられます。西園寺は1940年に90歳で没しますが、統帥権干犯問題も満州事変もどうすることも出来なかったようです。年で衰えた可能性もあるかもしれませんが、詳しくなくこれ以上は触れないものとします。

第一次世界大戦(1914年~1918年)は日本は勝ち組でした。この辺まで後世から粗を探せばキリがないとは思いますが、国際協調から外れず概ね大過なくやっていたように思います。結局、第一次大戦が終結した後、原や山縣といった力ある元勲が退場してしまいコントロールが上手くいかなくなったことが日本の失敗だったのかもしれません。元は元老支配するつもりで元老支配の体制をつくったに関わらず、状況の変化にあわせて体制を変えられなかったことが失敗だったとも言えます。原や山縣退場して大丈夫?みたいなことを考え準備することが出来なかったということでしょうか。原は暗殺ですが。

日本の普通選挙は1928年ですから、普通選挙が実施されて間もなく統帥権干犯問題が起こったと見ることも出来ます。普通選挙が実施されてみると、西園寺一人元老体制に違和感があったでしょうか。犬養毅総理が殺害された五・一五事件が1932年、クーデター未遂事件二・二六事件が1936年、第二次上海事変で日中戦争の泥沼に入ってしまったのが1937年、北部仏印進駐が1940年、マレー作戦・真珠湾攻撃が1941年になります。こうして見ると統帥権干犯問題→満州事変以降日本はまるで為す術なかったことが分かりますが(五・一五事件~二・二六事件は小康状態?)、そもそも満州事変然り第二次上海事変然りですが、その時もトップの意志が効いていた様子は窺えず、日本が迷走していたことは確実のように筆者には思えます。

普通選挙の実施にあわせて憲法改正していればどうだったかという問いは有り得るかもしれませんが、現状では筆者には何とも言えません。とにかく、元老支配前提の体制そのままで元老の力が弱くなり、その実態にあわせて体制を変えられなかったことが問題だったように思えます。まぁ何時の世も支配者が自分がいなくなった時の体制を磐石にしようなんてあまり思わないのかもしれませんが(磐石にしたからこそ寝首をかかれるかもしれません(笑)。道場で師匠は秘伝だけは教えないのような)。

さて以上を踏まえて日本国憲法に戻ると、日本国憲法において日本政府のリーダーは国民から選ばれた国会議員が選ぶ総理で、戦前のような問題が起こるとは考えにくいところがあります。文民統制を明記すれば、まぁ理論的には大丈夫のような気もします。この明記がなければ、国民が選ぶ政治家が軍人でという可能性も無いとは言えないですよね。理論上は。現状ではそのような気配はありませんが。軍人が(文民になって)政治家になってはいけないとは思いませんが(プロの意見は必要でしょう)、軍人支配は駄目ですよとハッキリさせておく必要はあるんだろうと思います。その辺を曖昧にしておくと(建前が守られないと)、歯止めがありませんから、軍人そのものでいいじゃない、クーデターでいいじゃない、内乱でいいじゃないということになっていくんだろうと思います。

ついでドイツを考えてみます。ナチスがヴァイマル憲法下で台頭したことは知られますが、どうも緊急事態条項を利用したこともあったようです(ですから自民党は緊急事態条項を防災関連に絞ったのでしょう)。第一次大戦まではドイツ帝国でした。明治維新で日本が参考にした国のひとつがこのドイツ帝国です。第一次大戦でドイツが負けてヴァイマル体制になった訳ですが、賠償が重かったこともあるのでしょう。結局、ナチスが台頭し第二次大戦で再戦という流れになります。ドイツ帝国で活躍したのが彼の有名なビスマルク。第一次世界大戦時のトップはヴィルヘルム2世だったようです。第一次世界大戦の原因はここで考察しませんが、ヴァイマル体制以前にドイツは帝国だったことは踏まえられていいんだろうと思います。日本と似ているとも言われるドイツですが、どうも苦しい状況で慣れない民主主義が上手くいかなかったと見ることが出来るのかもしれません。

ナチスと緊急事態条項を見ると、治安で軍が出ることがあまり良くないようにも思えます。軍だけが活躍すると、どうしても軍国みたいになるのかもしれません。戒厳(ウィキペディア 2018/12/31)を見ると、第二次世界大戦後の復興期のドイツと日本 、そして米国南北戦争後の南部復興の時代に戒厳令がしかれたようです。戦争後のホットな時期に反乱を警戒する必要は実際問題あるんでしょう。そう考えると、何らかの理由で騒乱が起きやすい状態の時は緊急事態条項のようなものが必要と言えるのかもしれません。そう考えると、現代の日本でそれを想定する必要があるだろうかということにもなります。どう考えても警察が治安を守れば事足りそうです。また、ナチスに関して指摘すれば、武装親衛隊のようなものを組織し、党の軍隊を持っていたことは指摘せねばなりません。ただ、帝国から民主主義国に変わった訳ですから、特有の事情があった可能性はありますが、少なくともここではこれ以上触れません。いずれにせよ、警察が治安を守れている状況で軍(自衛隊)の出動を想定する必要があるようには思えません。寧ろそれを準備することで、些細なことで軍が出ていってしまうことが考えられる訳です。

ここで現代における緊急事態条項を考えてみると、防災の他には結局戦争なのかなと筆者は思います。公共の福祉で何でも対応するよりは、緊急事態条項で対応した方がスマートで機能的なような気が筆者はします(どう考えても公共の福祉なる概念で対応するのは奇妙で、戦争というのは緊急事態そのもののように思えます)。戦争するための戦争準備ではなく、戦争に応じられる体制を整備することで戦争を抑止するという考え方です。治安は平時から通常の手続きに則って対応できそうですし、そうすべきのように思えます。まぁ現代は戦争のハードルが上がっている核時代ですし、絶対不可欠と強く主張する気はありませんが、普通にやったらどうかなという気がします。また、防災での自衛隊の出動は基本的に問題ないと思います。言っても火事の度に出動する訳ではありませんし、実際のところ騒乱→戒厳令のような事態はあまり想定する必要もなさそうです。つまり濫用につながりそうにありませんし、滅多に起こらない天災に最大限の準備をする(防災関連部隊で全て対応する)のは非効率であり(デメリットが大きく)、なおかつ非常時に非常時の組織である自衛隊に手伝ってもらう効果は非常に高そうです(メリットが大きい)。

最後に試案(のようなもの)を提示すると、緊急事態条項をとりあえず創設。何故かという理由は、ボン基本法のように実力組織が活躍する時に職業の事由や移動の自由を制限する根拠にするため。これは現状公共の福祉で対応しているのですが、主権者に分かりにくいので改正した方が良く、あわせて歯止めも設定するという説明になります。自衛隊の役割が明快になり国民の理解が深まることで、これまで曖昧だったところがあると思うのですが、攻撃されたら自衛隊が反撃するということに賛成意見が集まるような気もします。あわせて歯止めで攻撃しても退却して占領継続しないということになります。この辺は前回の記事で9条を考察したのをご確認ください。前回の記事における首都機能の喪失の想定等、憲法の抜け穴探しを今回進める気はありません。