トランプ大統領の新年最初の投稿「新年最初はパキスタン批判「だましてばかり」米大統領不満」(産経ニュース 2018.1.1 23:41)で注目を浴びたパキスタンですが、河野外務大臣は1月3日~7日にパキスタン、スリランカ及びモルディブを訪問しています。ドーン紙によるインタビュー(外務省)では、パキスタンのテロとの闘いにおける真剣な努力を高く評価すると共に、引き続きパキスタンのテロ対策を支援するとしています。また、「日本は,パキスタンの伝統的な友好国であり,パキスタンの発展に対し,日本は関心を有しています」「こうした質の高いインフラ整備により,パキスタンの経済・社会基盤の改善が進み,更に多くの日本企業の進出に繋がるよう,これからもパキスタン政府と緊密に協力していきたいと思います」ということです。筆者も1月2日に記事を書いていますが、引き続きパキスタン支援のため何が出来るか考えていくつもりです。パキスタンがテロとの戦いを完了させてくれると、アフガニスタンも安定し、米軍が世界中で何正面もの戦いを強いられることを避けられます。これは日本にとっても結構重要なことだと思います。
パキスタンに関する資料を探しに以前本屋に行った時に見つけた本が「パキスタン財閥のファミリービジネス」(ミネルヴァ書房)です。他に選択肢も無く、内容も悪くないと感じたので、買って帰りました。まだ序盤を読んだところですが、気になるところを抜き出し、考察します。
①日本にとって工業化の初期よりこの地域(英領インド期)は、日本紡績業の原綿供給地として戦略的に重要だった(1~2p)。
富岡製糸場(しるくるとみおか 富岡市観光ホームページ)が著名ですが、日本は戦前繊維産業が主力だった時期があって(図録 主要輸出品の長期推移)、パキスタンは現在も綿花の産地として重要ですが(参考:世界の綿花(生産量、消費量、輸出量、輸入量、価格の推移) NOCS)、英領インド期も日本はインド綿(パキスタンは当時はインドの一部だったので区別をつけるのが難しい)の輸入など繊維産業を通じてパキスタン地域とも結構関わりはあったようです(19世紀アジアの経済発展とボンベイ・大阪の紡績業 大阪大学大学院文学研究科・世界史講座 教授 秋田茂)。当初は国産綿と中国綿を使ったようですが、綿糸の生産高の拡大に伴い、綿花の供給地としてインドに注目したということのようです。今では中国が綿花生産量No1ですけれども、2位のインドと4位のパキスタンを足せば、決して引けをとるものではありません。現在パキスタンの綿花は輸出用ではなく、国内で消費されて繊維製品を輸出しているようですが、それは兎も角、日本の主力産業が繊維だった時期もあって、綿花を多く生産するパキスタンと日本の関係性は決して薄いものではなかったということでしょう。中央アジア(ウズベキスタン)との物流ルートが改善したり、インドが発展したらパキスタンは困るのでは?と思うかもしれませんが、繊維糸・織物輸出は中国の独壇場ですので(世界の繊維糸・織物 輸出額 国別ランキング・推移 GLOBAL NOTE)、それほど気にし過ぎることなく、中央アジアとのルート開拓は進めて欲しいですね。
②パキスタン経済で主導的役割を果たしたのは財閥。初期工業化過程において先導的役割を果たした有力ビジネス・コミュニティの出自にかんして最も興味深い特徴の1つは、彼らがヒンドゥー教からの改宗者であり、その昔香辛料貿易などに従事していたムスリム商人の後裔であったという点である(4p・22p)。それらのビジネスコミュニティは、主にインド西部のグジャラートのカーティアワール半島の出身としている(23p)。
分離独立に伴いパキスタンからヒンドゥー教徒も移動したようですが、パキスタンにもイスラム教徒がやってきました。パキスタン建国に寄与したムスリム商人や企業家の特徴は、かつて香辛料貿易などに従事したムスリム商人の末裔であり、ヒンドゥー教徒からその昔改宗したものであったようです。
グジャラート州(ウィキペディア)
>グジャラート地方は、古来から西アジアとの重要な交易地であって、インダス文明の港湾都市とされるロータルや近年発見されたドーラヴィーラなどが栄えた。
グジャラート州と言えば、ナレンドラ・モディ首相の出身地としても著名ですね。インダス文明と言えば、モヘンジョ=ダロやハラッパーが有名ですが、グジャラート州にも遺跡は少なくないようです(グジャラートの広大なインダス文明遺跡 HUNTER: 古代文明 ニュース・データベース)。
パキスタンとインドが犬猿の仲であることは勿論理解していますが、切っても切り離せないところはあるのであって、多少なりとも緊張緩和できれば、パキスタンも治安改善に取り組み易いのかなという気がしないでもありません。それは兎も角グジャラード州はインドでも発展すると見込まれている地域ですし、隣り合うパキスタンのシンド州も有望かもしれませんね。パキスタンの財閥は日本でも注目されているようです。
パキスタンの有力企業グループ(2016年3月)(JETRO)
世界の3大商人は華僑・印僑・ユダヤ商人だそうですが、インド商人の縁戚であるところのパキスタン商人は日本でも活躍しているようです。日本でも中古車とパキスタンの関係は良く知られていますが、埼玉・八潮はヤシオスタンとも言われるようで(「ヤシオスタン」のパキスタン人たち、なぜ埼玉・八潮に集まったのか カレーを食べてみた【ルポ】 HUFFPOST 2017年08月01日)、パキスタンに商売をやらせるとメキメキ伸びるのかもしれませんね。
パキスタンに関する資料を探しに以前本屋に行った時に見つけた本が「パキスタン財閥のファミリービジネス」(ミネルヴァ書房)です。他に選択肢も無く、内容も悪くないと感じたので、買って帰りました。まだ序盤を読んだところですが、気になるところを抜き出し、考察します。
①日本にとって工業化の初期よりこの地域(英領インド期)は、日本紡績業の原綿供給地として戦略的に重要だった(1~2p)。
富岡製糸場(しるくるとみおか 富岡市観光ホームページ)が著名ですが、日本は戦前繊維産業が主力だった時期があって(図録 主要輸出品の長期推移)、パキスタンは現在も綿花の産地として重要ですが(参考:世界の綿花(生産量、消費量、輸出量、輸入量、価格の推移) NOCS)、英領インド期も日本はインド綿(パキスタンは当時はインドの一部だったので区別をつけるのが難しい)の輸入など繊維産業を通じてパキスタン地域とも結構関わりはあったようです(19世紀アジアの経済発展とボンベイ・大阪の紡績業 大阪大学大学院文学研究科・世界史講座 教授 秋田茂)。当初は国産綿と中国綿を使ったようですが、綿糸の生産高の拡大に伴い、綿花の供給地としてインドに注目したということのようです。今では中国が綿花生産量No1ですけれども、2位のインドと4位のパキスタンを足せば、決して引けをとるものではありません。現在パキスタンの綿花は輸出用ではなく、国内で消費されて繊維製品を輸出しているようですが、それは兎も角、日本の主力産業が繊維だった時期もあって、綿花を多く生産するパキスタンと日本の関係性は決して薄いものではなかったということでしょう。中央アジア(ウズベキスタン)との物流ルートが改善したり、インドが発展したらパキスタンは困るのでは?と思うかもしれませんが、繊維糸・織物輸出は中国の独壇場ですので(世界の繊維糸・織物 輸出額 国別ランキング・推移 GLOBAL NOTE)、それほど気にし過ぎることなく、中央アジアとのルート開拓は進めて欲しいですね。
②パキスタン経済で主導的役割を果たしたのは財閥。初期工業化過程において先導的役割を果たした有力ビジネス・コミュニティの出自にかんして最も興味深い特徴の1つは、彼らがヒンドゥー教からの改宗者であり、その昔香辛料貿易などに従事していたムスリム商人の後裔であったという点である(4p・22p)。それらのビジネスコミュニティは、主にインド西部のグジャラートのカーティアワール半島の出身としている(23p)。
分離独立に伴いパキスタンからヒンドゥー教徒も移動したようですが、パキスタンにもイスラム教徒がやってきました。パキスタン建国に寄与したムスリム商人や企業家の特徴は、かつて香辛料貿易などに従事したムスリム商人の末裔であり、ヒンドゥー教徒からその昔改宗したものであったようです。
グジャラート州(ウィキペディア)
>グジャラート地方は、古来から西アジアとの重要な交易地であって、インダス文明の港湾都市とされるロータルや近年発見されたドーラヴィーラなどが栄えた。
グジャラート州と言えば、ナレンドラ・モディ首相の出身地としても著名ですね。インダス文明と言えば、モヘンジョ=ダロやハラッパーが有名ですが、グジャラート州にも遺跡は少なくないようです(グジャラートの広大なインダス文明遺跡 HUNTER: 古代文明 ニュース・データベース)。
パキスタンとインドが犬猿の仲であることは勿論理解していますが、切っても切り離せないところはあるのであって、多少なりとも緊張緩和できれば、パキスタンも治安改善に取り組み易いのかなという気がしないでもありません。それは兎も角グジャラード州はインドでも発展すると見込まれている地域ですし、隣り合うパキスタンのシンド州も有望かもしれませんね。パキスタンの財閥は日本でも注目されているようです。
パキスタンの有力企業グループ(2016年3月)(JETRO)
世界の3大商人は華僑・印僑・ユダヤ商人だそうですが、インド商人の縁戚であるところのパキスタン商人は日本でも活躍しているようです。日本でも中古車とパキスタンの関係は良く知られていますが、埼玉・八潮はヤシオスタンとも言われるようで(「ヤシオスタン」のパキスタン人たち、なぜ埼玉・八潮に集まったのか カレーを食べてみた【ルポ】 HUFFPOST 2017年08月01日)、パキスタンに商売をやらせるとメキメキ伸びるのかもしれませんね。