先生も親も間違うということ
大人になっているにもかかわらず、
学校の先生に何かを言われると、
無力な子どものようにうつむいてしまう人がいます。
「学校の先生の言うことは、ちゃんと聞くこと。」
それは、子どものとき、
親や先生から、教えられたことです。
子どものときには、それは当り前のことでした。
「親や先生の言うことを聞かなくてもいい」
なんてことを言う人はいませんでした。
たとえ、理不尽な言い分であっても、
子どもには、親や先生に逆らうことはなかなかできません。
子どもがひとりで立ち向かうには、
あまりに大きすぎる壁でした。
親が怒ること、怒鳴ること、殴ることまで含めて、
「あなたのため」だと、みんなが言うのですから。
「親は子どもがかわいいから、怒るんだ」と。
「かわいいから叩くんだ。殴るんだ。
それは親の愛情だ」と。
そのペテンにひっかかったままの子どもが大人になると、
相手の嘘を見抜くことができない大人になります。
子どもは、親も、先生も選べない上に、
最初は「大好き」から始まります。
愛されたい、ほめられたい、認められたい、
一緒にいたい、そうした期待から始まります。
たとえそれが「虐待する親」であっても、
「虐待する先生」であっても、
子ども一人では、その理不尽さを見抜くことはできません。
だから、子どもは、「悪いのは自分」だと思います。
自分が悪い子だから、自分のために怒るのだ、
自分のためを思って殴るのだ、
そう思おうとします。
それは、自分が親に愛されていると思いたいからです。
親に愛されることを望まない子どもはいません。
子どもにはそれ以外に選択肢はありません。
子どもはあまりに無防備で、無力です。
そして、大人になっても、
自分が親になっても、
「学校」に何かを言われると、
無力な子どものようにうつむいてしまう人がいます。
社会が、それをばかげたことと思うくらい成熟するまでは、
個人でそこを抜け出すのは難しい人もいるのでしょう。
それは個人の問題というよりは、文化の問題であり、
その社会の人権意識の差だと思います。
ドイツ司法大臣ヘルタ・ドイプラー=グメリーンが、
2000年2月、ある会議で次のように発言しました。
「我が子を愛する者はその子を鞭打つ」
という古いことわざは、
危険で愚かしい言いぐさです。
暴力は家庭内で学習され、その後、
社会と次の世代に伝えられるのです。
私たちはこの悪循環を断ち切らなければなりません。」
2000年9月、ドイツ議会は、
子どもの生みの両親に対しても、
子どもに体罰を下す権利を認めないと、
明確な立法措置を行いました。
(【闇からの目覚め】より アリスミラー 新曜社)
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