鉢植えの自信(その3)
『8才の子どもがそんなことを考え続けるだろうか?』
8才のある日、私は学校を早退し、
父ちゃんと教育委員会(選別所)に行きました。
私がみんなと「分けられた」のはたった一日、
それも数時間のことでした。
その翌日以降、私はまたそれまでと変わらない
学校生活を送ることができました。
あれから、私はそのことを忘れずに
ずっと考え続けてきたのだろうか?
本当に、その一日のことを忘れないで
子ども時代を過ごしたのだろうか?
私がその一日のことを忘れずに暮らした、
なんてことがあるだろうか。
そんなことを、8才の子ども、9才の子どもが
ずっと考え続けるだろうか?
そんなことはないだろう、と考えるのが自然でしょう。
私もそんな難しいことを考えた記憶はありません。
日々の学校生活の中で、忘れて暮らしていたのだと思います。
成績はふつうでした。
通知表はいつもどれも2と3でしたが、
4年生のころ、算数で4とか5をもらったことがあります。
そろばん塾に通っていたせいか、
計算問題だけはできたのでしょう。
「文章題」が増えるにつれて成績は下がりました。
中3の時には、数学と英語と音楽が1でした。
さて、「そのこと」を「思い出した」のは、中3の時でした。
その日、妹の保護者会から帰ってきた母ちゃんは
とても嬉しそうでした。
私のときには苦情しか言われたことのない母ちゃんにとって、
小学校の先生から我が子を誉められることは
本当に嬉しかったことでしょう。
とくに嬉しそうに話したのは、
妹の「修学旅行のおみやげ」のことでした。
妹は、掃除当番で特殊学級の教室の清掃を手伝っていたようです。
そこで顔見知りになった子どもたちに、
鉛筆を一本ずつおみやげに買ってきたのだそうです。
妹にすれば、とくに良いことをしたつもりもなく、
ただ顔見知りの子どもたちへおみやげを買ってきたのでしょう。
私も母ちゃんも知りませんでした。
一番喜んで誉めてくれたのは特殊学級の担任だったようです。
「長い間特殊学級の担任をしてきたけれど、普通学級の子が、
修学旅行のおみやげを買ってきたのは初めてです」と。
たったこれだけのことです。
ふつうなら、「ちょっといい話」で終わりです。
でも、私にとっては「事件」でした。
私は、自分が妹とは正反対の人間だと気付いてしまったのです。
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