ひょっとして尻尾があるかと
からだをひねってうしろを見るが、
まだ生えている工合でもない。
◇
「自分を大切に思える」とはどういうことかを考えていて、
ときどき、私が大人の言葉で考えていることに気づきます。
そんなとき、ふと、からだをひねってうしろを見る幼い女の子の姿が浮かんで立ち止まります。
母親がいなくなると、赤ん坊は必死で泣きます。
歩けるようになっても、話せるようになっても、母親がみえなくなると、子どもは泣きます。
十歳を過ぎても、同じように泣く子もいます。
「いることが当たり前」の生活からなくなるものと、なくならないものと、その確かなものを知らない生き物を、子どもとよぶ、のだと思います。
(大人も本当はそれほど確かなことを知っているわけじゃないと、阪神や東北の震災のときには感じます…。)
◇
自分というものはいったい何の生まれ替りなのだろう。
いまは自分だとおもっているけれど、
ひょっとして、犬の生かもしれず、
めめんちょろの生かもしれず、
おそるおそる自分の手足を眺めてみたりする。
足の先をこわごわ見てみるが、
まだ猫の毛も、犬の毛も生えておらず、
ひょっとして尻尾があるかとからだをひねってうしろを見るが、
まだ生えている工合でもない。」
(『椿の梅の記』石牟礼道子)
◇
《「障害児」ではなく、ただの子ども」》
自分が自分であることに自信をもつとか、ありのままの自分を受けとめるとか、そういうことは、「子ども」の問題であって、「障害」の問題ではない、という思いを、ちゃんと言葉にしたいと思ったりします。
でも、「自信」とか「肯定」は、「できる・できない」=「能力」の問題だと思われています。
だから、「分からない授業を聞いているのはかわいそう」とか、「普通学級では自己肯定感」が持てません、という言葉がもっともらしく聞こえたりするのでしょう。
子どもの生きている現実はぜんぜん違うのに。
たとえば親に捨てられたり、家を失った子どもは、いわゆる「障害」がなくても、「自己肯定」や「自尊感情」の問題に苦しむこともあります。
彼らは、「外見」でそれと分かるわけではありません。歩けないとか、文字が読めないということもありません。あくまでも、自分にとっての自分のなかの問題、のように見えます。
そんなことを考えている時、偶然、「アルビノも一つの個性だ」というラジオ番組を聞きました。(NHKラジオ深夜便2009年1月)
(アルビノについて、ラジオで話していた石井さんのHPから紹介します。)
《私の病気であるアルビノは、生れつき色素が無いまたは少しある程度で、私の場合は全身の皮膚・全身の毛が白く(外国の方とよく間違われる)しかも紫外線に弱いため、外出時はできる限り、長袖長ズボン帽子にサングラス日焼け止めを使用し陽になるべく当たらない様にする。
あと視力も弱いのと光が眩しいために、昼間は左目が開かず、ほとんど見えていません。
そのため私は、様々な工夫や補助具を使い頑張って生活や外出をしています。》
◇
さて、そのラジオのはじめに、「自分が自分であることに自信をもつとか、ありのままの自分を受けとめる」ということについて、私の考えたいことのヒント?になるお話がありました。
◇
《…そういうふうに見られること、ご自分が人と違うかもしれないと思われたのはいつぐらいからですか?》
一番意識し始めたのは、小学校に入ってからですね。
その、連日のように、みなさんに、なんで白いのか、と問われる日々があったので。
そういう風に言われると、私自身が意識したというより、周りから言われて、自分は人と違うんだなと意識するようになりましたね。
私、このアルビノという病気がわかったのは26歳になってからなんですね…
子どものころは、正直、親も私も分からない状態でしたので、なんとも答えられないんですよ。
…質問してくるってことは、いじめとはまた違って、みなさん、子どもですから「どうして白いのか」、興味本位というか、興味が出て来るんですよね。
それに対して、答えてあげたいんだけど、私分からない状態で、答えられないんですよね。
それを、ずっとずっと答えられないことを繰り返していると、自分自身でありながら、自分自身でないような、
それで、何もかも、すべてにおいて、自信をどんどんどんどん無くすような、そういうような自分になって行きましたね。
《たとえば、ご家族、ご両親に自分は人と違うのかと聞かれたことはあったんでしょうか?》
一度だけ、小学校3年生のときに、今までずっと我慢してたんですよね、…だけど連日のように聞かれると…我慢の限界で、ある日お風呂の中で、なんで自分がこういうふうにならないといけないのと聞いた時、母親が「ごめんね」と言ったんですね。
それを聞いた時に、下を向いてしょげているようではいけないんだな、親を悲しませるようなことをしてはいけないんだなと、それからは明るく…。
最近、一歳のときの写真を見つけたんですね、一歳のときに髪を染めさせられているんですよ。それを見たとき、私もショックが大きかったんですけど。
…うちのおじいさんは、いつも髪の毛は染めろ、と。
少し髪の毛が伸びてくるとみっともない、ということで、マジックで髪の毛を塗られたこともよくありました。
塗られるときに、「みっともない」って言われることが、子どもながらに「悔しい」というか、
それも塗ってくるのが身内ですから、とてもなんともいえない複雑な、子どもながらに複雑な気持ちでありましたね。
人と違うっていう事がよくないというイメージがあったのでしょうね。
だから物心ついたときには、ずっと染めさせられて、まつ毛も染めてマスカラまでやってた時期もありますね。
( http://www.youtube.com/watch?v=EB54I_htJeU )
◇
私が気になったのは、次の三つの言葉でした。
① 私自身が意識したというより、周りから言われて、自分は人と違うんだなと意識するようになりましたね。
② ずっとずっと答えられないことを繰り返していると、自分自身でありながら、自分自身でないような、それで、何もかも、すべてにおいて、自信をどんどんどんどん無くすような、そういうような自分になって行きましたね。
③ 「みっともない」って言われることが、子どもながらに「悔しい」というか…
(つづく)
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