ワニなつノート

高校合格100人突破祝い集会

高校合格100人突破祝い集会をやります!


いわゆる「障害児の高校進学」の運動のはじめに立ち会えたことは、私の人生の幸運の一つだったと思います。
最初に声をあげた康司とY君も、二人のお母さんも本当にすてきな人でした。
あのとき、康司とY君の二人が「高校にいく」と声をあげなければ、千葉での100人という数字はあと10年か20年は届かなかったようにも思えます。

癌になってよかったことの一つは、本気で自分の人生を振り返ったこと。
あと数年で自分の人生が終わるとして、この自分の人生を本当に支えてくれた人の存在を改めて確かめられたことでした。
康司と律子さん、佐野さん、そして伊部さんの存在は、いつも私の生き方の支えとしてあります。

学校で出会った子どもたちと違って、「会」で出会った子どもたちの場合、親や家族とも身近に出会うことができます。
そこで、「この親(9割方、母親です)に出会えて、この子はしあわせだな」と心底思わされた出会いが数えきれないほどあります。
それが、私の人生の宝物の一つだと思います。

業績や生き方を尊敬するといった見方ではなく、その人の子どもへの思いを、私は確かに手で触れることができた、目で見ることができた、という実感があります。

なかでも、「0点でも高校へ」という、小学校のふつう学級よりもさらに「非常識」「無茶」と思われることを、心の底から「あたりまえのこと」、「なぜならこの子は他の子と同じ、ごくごく平凡なふつうの、障害のある、ただの15歳の子ども」、だから、「みんな」がいく高校へ、この子もいくといえる親の姿は、私自身の生きていていい根拠のようなものでした。

私は、いま援助ホームという仕事の場で、高校に行かないという選びをした15歳の子や、高校中退の子どもと暮らしています。
この生活の中で痛切に分かってきたのは、この社会が「15歳」に迫る過酷な重荷の在り方です。(この話はまた別の日に…)

80年代、90年代は、点数のとれない障害の子たちは、何度受検しても落とされて、何年受検しても落とされて、それでもあきらめずに、「こうこうにいきたい」と言い続けた時代でした。
そのころは、100人という数字は夢の彼方の数字でした。

現実に意識しだしたのは、「やっちゃんがいく」の本を出したころだったと思います。
2006年.やっちゃんが小学校4年生。
もしかしたら、やっちゃんが受験するころには、会からの高校生が100人になるかもしれないと夢見ました。

私の計算通り?、去年の春、やっちゃんやナオちゃんが高校生になり、100人を超えました。
だから、本当なら去年の12月に集会が開けるはずでしたが、私が病気になり言いそびれてしまいました。

その集会を、ようやく来月、12月1日に開きます。

集会を前に、会から受験した100人余りの子どもたちにアンケートを送りました。
「いま、なにをしていますか?」
「こうこうせいになって、いちばんよかったことをおしえてください」と。

現在、40名ほどの回答が返ってきています。
当日、そのアンケートや、高校時代の通知表やアルバムや卒業証書も展示します。

アンケートの子どもたちの言葉、文字、……は、この20数年の歴史を確かに表しています。
障害のある子ども、とくに点数を取れない障害のある子どもたちにとって、「高校」がどのようなものであったかが記されています。

わたしはいま、そのアンケートを繰り返し繰り返しめくりながら、ここで、この子たちと生きてきてよかったと心から思います。

当日、ぜひ、このアンケートを見に来てください。
すべての生アンケートを見れるのは、この日だけです。

        ◇


「0点でも高校」をめざして25年
109人合格記念集会 


2013年12月1日(日) 13時半~16時半。

場所:千葉県教育会館(千葉市)
資料代:500円 




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