ワニなつノート

未来へのことば(その3)



未来へのことば(その3)


「一緒がいいなら、なぜ分けた」
その言葉が生まれたのは、今から50年前の1965年。

わたしが5歳のクソガキだったころ。

先日、私が見つけた新しい言葉は、これ。

「みんなの未来と僕たちの未来が、どうか同じ場所にありますように」
2015年、東田さんの言葉。


ふたつの言葉は、「おなじ」共感について、語っている。
ふたつの言葉は、それぞれの時代の「新しい用語」だと、私には感じられる。

つまり、「障害によって、分けられた」子どもによる、この時代に異議申し立ての言葉。
私には、この50年でたどりついた地点を表す言葉だ。


50年前「子ども」は、小学生か中学生のときに、「特殊学級」に分けられた。
本人の意思ではなかった。
(その3年後、8才の私は分けられる場所にいた。
もちろん、8才の私の意思ではなかった。)
だから、彼は「先生も落第してきたの?」と小夜さんに尋ねた。

その後、小夜さんは「交流」という形で、分けられた時間を減らすためにがんばった。

でも、その時代、彼が「普通学級」や「普通高校」に戻る、体験をすることはなかった。



……それから50年。

東田さんは、小学校6年のときに、普通学級から養護学校に転校した。
「本人の意思」だと、本人は書いている。

その後、彼は、自分の意思で!!、
「普通高校」(通信制)に戻る!!、
体験をした。


50年前の言葉は、分けられた子どもが、分けられた場所で表現された言葉。

東田さんの言葉は、一緒から、分けられた場へ、
そしてまた、一緒の場へ、
そして大人になりみんなの社会の中から表現された言葉。


私は、50年後の新しい言葉を夢みる。

障害によって分けられることなどない、それが当たり前の子どもが、表現する言葉。

一緒がいいならなぜ分けた、ではなく。

「みんな」と「僕たち」が、分けられているところから、願われる一緒の未来ではなく。

一緒がいいから、だれも分けない、場所と関係から生まれる言葉を、聞いてみたい。


(つづく)
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