「この感情は、どこから?」
「それは、誰の問題なのか?」
「誰にとっての、誰のための、何の問題なのか?」
そういうことを、いつも、自分と、自分が考えていることと、を分けて考える習慣が、私たちには少ない気がする。
自分自身の感情を、感じることが下手ということなのか。
自分の感情の、その感情が湧き出す元が、何かを、感じ、意識することが下手なのだろう。
「この感情は何?」
「なぜこの感情が起こるのか?」
「この感情は、どこからきているのか?」
「この感情は、どこにつながっているのか?」
感情を、別の回路につなげようとするもの、妨害する思考、防御する思考、自分をごまかそうとする思考、が自分の中にあること、それを、「自覚」することが、私たちは上手ではない。
それが、「子ども」に関することであれば、《思考停止》する癖が、一番のバリアになっている。
子どものことであれば、自分の感情を確かめるより、「子どものため」という思考停止で、話を進めるのが、「常識」になっている。
※《それが、たとえば、「普通学級か、特別支援教育か」という、「選択」の問題にすり替えられている。》
※《それが、たとえば、「認知症の人への、敬意のなさにつながっている」
いま寝起きで、思いついたことを書き留めるために、パソコンを開いたが、ぜんぜん本題にたどり着かない(・.・;)
朝から、ややこしいことを書いているが、「この感情は何?」という状況は、ドラマや小説にありふれている。
そう、「恋愛」を扱ったドラマや小説には、このテーマがあふれている。
視聴者や読者には、主人公の感情の元が、はっきりと見えているのに、本人は気づいていないことが、世の中にはあふれている。
そのことを、私たちはごく当たり前のこととして、知っている。
でもそれは、「恋愛」の場面よりも、「子どもへの態度」の場面の方が、圧倒的に多いんだろうな。
そして、そのことが、「障害児・者」への態度、「認知症の老人」への態度へと、つながっている。
いまの私でいえば、虐待や複雑な環境で生き抜いてきた子どもたちと生活するときに、自分の感情を感じることが、いちばん大事なことかな、と思っています。
◇
子どもへの敬意が足りないこと。
障害児への敬意が足りないこと。
認知症の人や、介護される老人への敬意が足りないこと。
「一見、力のない」とみえる人への敬意のなさ、それは、自分の感情への敬意のなさから起きているのかもしれないと思っています。
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