2018年の予定のメモ
《その2》 【まゆーきの能力=きょうだい】
「まゆーきの能力」の存在は、ずいぶん昔から感じていた。
知ちゃんの弟のたかぼー、てっちゃんの妹のんちゃん、朝子の弟のだいご、…妹のちえちゃん、弟のりょう、たっくんの姉、えみちゃんの姉、りょうちゃんの妹……。
それぞれ、私が20代、30代、そして50代のときに、小学生だったきょうだいたちの姿が焼き付いている。
私がその子たちに出会うのは、毎月の例会だったり、夏のキャンプや冬のスキー、それと集会や交渉の場だった。どの場所でも、話題のメインは、「障害のある子」の形だった。
この10年のブログでも、私が思い出して書いているのは、「障害のある子」の話だが、その隣にはいつも「きょうだい」の子たちがいた。今まで、意識してそのことを書いたことはない。
出版されている「きょうだい」の本がいくつかある。
そこには確かに、きょうだいの生の声があるのだが、私が知っている「きょうだい」とは違った。
「障害児」の「きょうだい」の問題という「分類」に意味がないのだと思っていた。
親(学校や世間)が「障害児」をどう受け止めているか、「きょうだい」の目にどう映っているか。
親や学校が、「障害のある当事者」は「養護学校」や「特殊学級」が当然という、「家庭と学校と社会」の枠で、「きょうだい」に、その価値を疑うことは難しい。
その枠内で、きょうだいの疎外や、その社会での将来の不安が語られることがしっくりこなかった。
◇
その延長で、いま、私に「みえたきた」のが、「まゆーきの能力(対の能力)」だった。
私が感じてきた「きょうだい」の存在感は、「ふつう学級をかけがえのない育ちの場」と感じている親の「子育て=交渉」を感じてきた「きょうだい」たちの息遣いそのものだった。
ここまで書いた瞬間、小2の「兄」の声がきこえる。
「おかあさん、たたかうってきめたんだろ」
母親を励ましながら、自分も一緒に守ろうとしたのは、車椅子を使っている二人の弟だった。
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